邦人初のルーマニア語作家済東鉄腸サンの本*1に出て来た本で、読もうと思った本のさいごの一冊。ルーマニア文学に関わる先達という文脈で、ルーマニア愛溢れる一冊として出て来たはずです。近隣の図書館に蔵書がなく、県立図書館ならありそうでしたが、他館本リクエストは返却期限がシビアですので、紀伊国屋書店で新刊を買いました。三百頁近いハードカバーで、本体千八百日元なら、お得かと思います。
帯をつけたカバーと外した状態と。
装幀 仁木順平
電子版はありません。
内容紹介
ルーマニア文学翻訳の第一人者である著者が、これまで刊行した訳書に付した解説・解題を集成。レブリャーヌ、エリアーデからカルタレスクまで、民話やバラード、はてはSFにいたるまで、ルーマニア文学を一望できる一冊。
【主要目次】
(以下略。目次がぜんぶ載ってます)
内容は、ほとんどがルーマニア語小説の邦訳あとがきで、それにコラムと、松本高校同窓会誌などに載せた自己の道程をまとめたものをプラス。こんな本をひもとくくらいだから、ルーマニアという国の近代の成り立ちくらいは、うっすらと分かるでしょ? 的な本です。
松籟社という出版社は存じ上げませんでしたが、横浜市緑区のラブホテルとは無関係の京都の深草だそうで、スラダンの全国大会トーナメント表の高校名に、京都のこの辺の地名がガバッとあることでも知られた地帯です。あとはすずめ焼き。
帯裏 いろいろ出されてるのをちょいちょい見て、とりあえずブラジル邦人作家の小説は読んでみようと思ってます。
住谷サンは旧制松本高校から戦後東大へ。勤め人をやりながらルーマニア語を学び、五十五歳早期退職(当時)して本格的に語学留学。近年の北朝鮮ほどではないんでしょうが、チャウシェスク末期の、首都交通局の遺失物係が廃止になるほど「拾い物はねこばばが当然」な社会(頁26)を体験し、その崩壊も目撃します。
前にも書きましたが、私はルーマニアは通り過ぎただけで、イスタンブールからミュンヘンに行くバスがあるのですが、それに乗った時です。ユーゴ内戦前はユーゴを通っていたのでルートも旅程も明快だったそうですが、ユーゴがあのとおり分裂して内戦状態になりましたので、ブルガリアとルーマニアを通って行くルートに変更されたのですが、運転手も乗客も誰もが両国に不案内で、みな不安顔でおそるおそるバスを走らせていました。ブルガリアはまだよかったのですが、ルーマニアに深夜入るや否や、けたたましい警報が鳴り響いて国境の街の灯りが一斉に消え、なにごとという感じで、よく分からないが一刻も早くこんな国は脱出しようと、どこにも止まらず一気にハンガリーに出たような気がします。どこの国でもビザ代でそれぞれ五十ドルは取られたので、こんなことなら飛行機で西側に飛べばよかったと愚痴る老婆もいれば、ハンガリーで「ハンガリーはいい。ドイツ語が通じるから」と言ってのけるエジプト帰りのドイツ人もいて、高速道路がウィーンを過ぎるあたりでは、こっからヒッチするからと白人のチャンネーがふたり路肩に降りてったのを覚えています。要するに昼間のルーマニアも見てませんし、バスから降りてもいない。
もうひとつ、前にも書きましたが、確か中国パキスタン国境のクンジュラブ峠で、北京から帰任するルーマニア在中大使館職員家族にでっくわし、たけしの「コマネチ!」をやったら、別の邦人バックパッカーに、国を捨てて豊かなアメリカに亡命したコマネチが故国でどう思われてるか知らないのか、これだからバカはと激しく批判されたことがあります。中国組とインド派で邦人バックパッカーの気質は大きく異なり、両者は水と油の関係だと聞いたことがあるのですが(前川健一サンなどその著書でほとんど中国大陸には触れない。蔵前仁一サンもあまり触れてないと思う。下川裕治サンは元朝日新聞記者なのでそれなりに大人の対応)中国組の気質もよく分かる出来事だったと思います。
住谷サンは現地で独裁政権転覆の瞬間を目の当たりにしたクチなので、ブカレスト地下には四十キロに及ぶ秘密地下道があるとか、チャウシェスク専用の秘密地下鉄があるなどは真っ赤なウソだと言ってます。盗聴は権力の「枢要な」ツールだったが、すべての外国人の電話が二十四時間盗聴されてるとまで言い切るとそれはウソ、だそうです。この辺の誇張した話は国家保安部セクレターテが廉価かつ効率的に恐怖支配するために意図的に流布したのではないか、というのが住谷サンの見立て。旧特権階級の政治家たちがチャウシェシュクおろしのため民衆や若者を扇動して利用した、というのがルーマニア革命の真相だとフランスメディアを筆頭に西側では陰謀論が根強いそうで、それも住谷さんは否定しています。偶然でしょ、と。結果として旧特権階級の政治家たちがその後実権を握ってしまったけどもや、と。李鵬vs趙紫陽のケースとはちがいまっせ、とは言ってませんが…
コマネチ絡みでいうと、あまりに多くの知識人が末期には亡命していたので、ルーマニア在住邦人は、「ルーマニア人には愛国心がないなあ」と言っていたとか。そういう日本人が旧共産圏、コメコン、ワルシャワ条約機構国には当時住んでたんだなあと。米原万里サンの頃と同じなのかちがうのか。チャウシェスクはプラハの春が潰された時はワルシャワ条約機構国で唯一それを批判したそうで、若き日にはそんな理想に燃えた政治家だったのが、やがて独裁専制政治を敷いて国民を弑するようになったわけで、そこまでは住谷さんは頁24はじめ何度も書いてるのですが、もし反共主義者だったらそこで、共産主義、プロレタリア一党独裁というのは宿命的にそうなってしまうのだよ、と言い切るまではしません。イデオロギー闘争にまでは踏み込まない。
本書は二部構成で、一部はいろんな作家紹介とルーマニアの思い出です。イオン・コテアヌ言語学研究所所長談「ルーマニア人は情況理解に優れた民族で、だからルーマニアからは殉教聖人が出ていない」(頁78)プロシア鉄血宰相ビスマルク談「ルーマニアという国などない。あるのはルーマニアという商売だ」(頁78)ハンガリー領からルーマニア領となったトランシルヴァニアは今もマジャール語話者の村落が多い(頁114)ほか、ロマのジェノサイドなど。ルーマニアSFファンジンの世界に片足を突っ込んだ時はさる女性から金髪のひとふさを手紙で送られたりもしたが、住谷サンが現地に行くと別に二人の仲が急速に発展ということもまったくなく、彼女はやっぱりドイツに亡命するのだが、その後ドイツの生活もはかばかしくなく、でも住谷さんがドイツまで行って訪ねてもあんまし反応はかんばしくなかったという、パパ活には何が必要かを私たちに教えてくれるようで教えてくれない(それでいい)エピソードも語られます。さらにいうとこのエピソードは、エリアーデだか誰だかの小説にも髪のひとふさを送る男女の話があるのを踏まえていて、入れ子の構造なのですが、住谷サンはあからさまにはそう言ってません。
で、二部はエリアーデについてです。この二部で住谷サンが語るエリアーデ像は、実は日本語版ウィキペディアのエリアーデといちぢるしく異なっていて、イデオロギー闘争はしないけれど、個人の尊厳のためには、定説にも果敢にツッコミをいれて行く人間なんだなと思いました。
1970年代以降、エリアーデは自分が戦前鉄衛団(Garda de Fier、極右政治組織)に対して共感を抱いていたことを自己批判してきた。
住谷サンによると、エリアーデは生涯その件に沈黙を守っただけであり、さらにいうと、なぜ鉄衛団が批判されるかというと、ホロコースト肯定思想だったからという理由。
しかしそれは当初のキリスト教右派からなる鉄衛団が弾圧されて滅んだあと、空き家を名乗って恣意的な活動(ポグロム含む)(頁211)を繰り広げた後期の連中で、エリアーデは前期の残党なので、まったく関係ないし、エリアーデの反ユダヤ発言として広くばらまかれて彼のノーベル賞受賞のさまたげとまでなった文章は彼のものではない、のだそうです。そんな、定説への真っ向勝負。
住谷さんによれば、エリアーデの功績は明快です。
頁154
エリアーデの学問的な仕事の与える衝撃は、西欧精神が一つのローカル文明に過ぎないとことを明白にしたことにある。
「オリエントとオクシデントの交点に成立したルーマニア文化」という同ヶ所のフレーズはすばらしいです。関係ありませんが、本書もまた「~族」「~人」の表記がほんの一部ブレていて、頁53に一ヶ所だけ「ハンガリー族」が出ます。あとはぜんぶ「~人」です。ゴート族とかフン族は出ないし、ダキアの民はダキア人。
「金星ルチャーファル」という詩が出ますが、ルチャーファルってルシフェルだろうと思いました。本書に説明はないのですが… 頁174。頁225には、WWⅡ中亡命ルーマニア人が発行した雑誌のタイトルも「ルチャーファル」だそうです。ドラキュラの国だから神と悪魔が逆転してるわけでもないでしょうが… ルーマニア人は、①言語的にはスラブでなくラテン②宗教的にはローマン=カソリックでなく東方正教、オーソドックス。だそうです。
頁196によると、隣国ハンガリーはルーマニアの公式ヒストリーを真っ向から否定してるそうで、ダキアがローマに支配されてルーマニア人が誕生したという説を認めてないそうです。少なくともハンガリーがルーマニアにとられたトランシルヴァニアに関しては、十世紀以降にハンガリーが開拓した新天地で、その時ルーマニア人はいなかった、空白地だと言ってるそうです。
頁214 エリアーデのアジ文章
今日、全世界が革命の旗印のもとにある。しかし、ほかの民族が、あるいは階級闘争と経済優先の名において(コミュニズム)、あるいは国家の名において(ファシズム)、あるいは人種の名において(ナチズム)、革命を進めているとき、レジオナール運動は大天使ミカエルの旗印のもとに生まれた。そうして神の恩寵によって勝利するだろう。
私にとってエリアーデとは、ルーマニア語で幻想文学を書く人でなく、英仏語で宗教学的なことを書く人で、諸星大二郎のマンガに出て来る二大思索家のひとりです。『暗黒神話』で星の神話や星と馬の話の理論的バックボーンを努めるんじゃいかったかな。そして、エリアーデともう一人は、『金枝篇』のフレイザー。「マッドメン」の足跡のクギなど、鮮烈な印象を残します。ワニに食われるだ。『都民の礎』の柳田国男や、平田篤胤一派からさえ異端視された室井恭蘭、ゴチエイなど、ほかにもいろいろですが…
このコッポラ映画の原作もエリアーデサンだそうで。デビュー作『令嬢クリスティナ』とインドの話は読んでみます。