মৈত্রেয়ী『マイトレイ』"MAITREYI" (La Nuit Bengali) (Bengal Nights) de Mircea Eliade ミルチャ・エリアーデ মির্চা এলিয়াদে 読了

ルーマニア文学翻訳者住谷春也サンの本*1を読み、諸星大二郎暗黒神話』で、星と馬の神話などホラ話伝奇ロマン補強に使われる、「世界のあたおか」エリアーデサンが母国ロメイニアでは小説家の一面も持っていたと知り、なんか読もうと思って読んだ一冊が本書です。エリアーデサンがモデルの20代前半白人技師がベンガル地方滞在時にバラモン階級の現地パトロン(事実は留学先の恩師)の娘っ子16歳とイイ仲になって追放されるという、身もフタもない話を、1933年の東欧ではこれがギリではないかというエロ描写で果敢に攻めた小説です。仏文学のサドとかマゾッホとかアポリネールとかいろいろのエロ文学には足元にも及びませんが、1933年のルーマニアでは「今はこれがせいいっぱい」だったのかと。

Nuit Bengali

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Bengal Nights: A Novel

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Bengal Nights - Wikipedia

Maitreyi - Wikipedia

লা নুই বেঙ্গলী - উইকিপিডিয়া

読んだのは作品社の1999年版。上は表紙(部分) 造本者 ミルキィ・イソベ 訳者あとがきによると、テキストは1997年の全集第二巻。作品社増子信一サンへ謝辞。本書訳出中にパートナーの方が逝去され、一年仕事が遅れたとか。

マイトレイ | NDLサーチ | 国立国会図書館

世界文学全集 2-03 | NDLサーチ | 国立国会図書館

電子版はナシ。作品社から邦訳が出版された後、2009年に河出から池澤夏樹個人編集世界文学全集2-3として、モラヴィアの『軽蔑』と一冊にまとめて出版されています。エリアーデサンの『マイトレイ』も大学院生くらいの年の青年が厨房あがりのJKをコマすという、どこかで聞いたようなヒドい話ですが、モラヴィアの『軽蔑』はもうちょっとヒドいイタリアの小説で、内田春菊ファザーファッカー』みたいな話だったんじゃいかと。いやそれは『倦怠』だったかな、いや『軽蔑』でよかったはず。そのふたつを一冊にまとめてしまうとは、さすが沖縄に愛人。銀のしずく記念館。

マイトレイとエリアーデサンの画像検索結果。マイトレイサンはエリアーデサンが母国ルーマニアでこのような実話ポルノ小説を書いていたとは露とも知らず、毎晩自分の方からエリアーデサンの部屋に忍んでいった、うちさかってますねん夜這い上等やとか書かれて「どんだけ破廉恥やねん、あるわけないやろ!ダボが!」と怒り心頭、怒髪天を突く勢いで反論小説『ナ・ハンヤテ』(英題"It does not die" 住谷サンによる邦題は『愛は死なず』)をベンガル語で1974年に書き上げたとか。

ন হন্যতে - উইকিপিডিয়া

Dragostea nu moare (roman) - Wikipedia

Na Hanyate - Wikipedia

画像検索結果Ⅱ。篤実な化学者と結婚し二人の子をもうけ、文学者としてもベンガルでその名を知られるようになったマイトレイは1973年、勇躍シカゴに向かい、エリアーデと対面しますが、エリアーデは終始彼女に背を向けて会話したそうです。マイトレイサンの本は1976年に英訳されましたが、エリアーデサンがそれを読んだかどうかは不明。ルーマニア語版は、エリアーデサンの死後、1992年に出版されたそうです。そして、本書『マイトレイ』はなぜかマイトレイサンとの約束でマイトレイサンの生前は英訳されず、1990年にマイトレイサンが死去した後、1994年にシカゴ大学で出版されたとの由。でもイタリア語版が1945年ドイツ語版が1948年フラ語版が1950年スペイン語版1952年と続々各国語に訳されているので、マイトレイサンがハレンチ小説の存在を知る前に英訳されなかったのは、単なる偶然な気もします。ベンガル語版は生前の1988年出版。ばあば、やるうとか孫に冷やかされたのかされなかったのか。

・・・・・・まだ私のことを覚えているだろうか、 マイトレイ? そうして、覚えていたら、 私を許してくれるか?・・・・・・ ...Tomar Ki manè acchè,Maitreyi? Yadi thaké, tahalè ki Kshama karté paro?...

『死なず』はたぶん邦訳されてないと思います。白水社の本*2によると、ベンガル語は世界の話者人口六位を誇る巨大言語だそうですが、邦訳小説は武骨な味わいのものが多く、没落貴族を描いたような小説でも、儚さやもののあはれと同時に、インドの暴力性を強烈に感じさせたりします。ちょっと、白人キリスト教徒との異文化恋愛を語る女流小説のイメージが出て来ない。*3*4*5*6*7*8

本書を読んでいて、これは誰に向けて書いてるんだ、ルーマニア人にはどこがよくてウケたんだ、と疑問に駆られてばかりでした。実際に本書は1933年に出版されるやルーマニアでベストセラーとなり、若干26歳の英才エリアーデサンはここで一気に承認欲求が満たされ、以後それと無縁の人生を送れるようになったのですが、エロとオリエンタリズム(トルコに支配されてた欧州国で、そんなにオリエンタルに関心あるのとふしぎ)以外の読者訴求要素が分からない。

主人公は英仏語に堪能な理系ということになっており、エリアーデサンは語学はそのとおりで、しかし文系。で、小説に親しむようなルーマニア人はみな英仏語志向なのか、そのへんまずわけが分かりませんでした。確かに当時まだ英仏は広大な海外植民地を有していたわけですが、ルーマニアって、それとどうリンクするかというと、「あこがれ」くらいの関係ですよね。近代ルーマニアのなりたちをおさらいすると、オスマントルコの支配から脱しようともがいて今度はロシアが恫喝してきて、やっとこ民族の世紀の19世紀に独立。第一次世界大戦では英仏側についたのですが、オーストリア軍に首都ブカレストを占領され停戦講和という、ヘタリアWWⅠ版みたいな展開を辿ります。その後同盟国側が劣勢になると再度協商国側で参戦するあたりも、かなりヘタリア。で、連合国側で戦勝国になりつつも、政情不安からファシスト勢力の伸張下にあったのがルーマニアだそうで、だから遠い世界の英仏人が主人公のインド小説を、ドイツとロシアとトルコに囲まれた地勢から「あこがれ」を持って読んだ、という解釈しか出来ないと思いました。

たとえば頁25に出てくるコンラッドポーランド人ですが英語小説を書き、ロシア人のナボコフも同様ですよね。エリアーデサンは英語なり仏語で小説を書くだけの才能も技術もあったはずなので、初志貫徹で最初から最後まで小説をルーマニア語で書き続けたというのは、すごいんでしょうけれど、それでその素材が英仏世界というのが、なんか地球を二周半くらいするくらいひねくれてると思います。主人公のおそらくイギリス人技師は、仏語も堪能で、スワラージー運動*9が勃興激化するインドで、パトロンの富裕家進歩主義者に気に入られ、反革命ともいえる白人雇用をゴリ押ししてもらう展開で、それを英語でなくルーマニア語で書き、ルーマニア人が読むという展開が、なにそれの極地でした。『ポーの一族』を日本語で読んでる私が言うことではないのですが、ホントに英仏への「あこがれ」ってあるんだなあと。

で、主人公は、インドでパトロンベンガル世界と、白人居住者たちの「ユーラシアン」の世界とのあいだで引き裂かれる生活を送るわけで、ルーマニア人はそこ読んで自分もコロンでコロニアル社会に入れてもらえる空想に浸るんだろうかと思いつつ読みました。日本人がそこに入れてもらえるかというと、英語力があればバナナで、チャンネーはモテる子はモテるでしょうし、あとは日本語だまりで「毛唐毛唐毛唐毛唐毛唐毛唐毛唐毛唐」とお互いになぐさめあう一派。ケンチャナヨ

頁28

カルカッタの街へふらりと飛び出したい。あの照明が恋しい。チャイナタウンへ行ってチアウ――あの熱い揚げヌードルに、葱などをたっぷりの野菜と、帆立貝と卵の黄身が入ったやつ――を食って、帰りにフィルポスへ寄り、上等のカクテルを前にしてジャズを聴きたい。

これをロメイニア語で書いてロメイニアの衆が読むわけですよ。ジェラルドとかハロルドとかキャサリンとかシンプソンとか、出てくる名前のラレツの時点でもう。

マイトレイはインド女性の名前としてありふれてるそうで、要するにマイトレーヤ弥勒情報サービスのクラウド勘定奉行ですが、父親はナレンドラ・センという名前で、センといえばアマルティア・センサンですので、共通するカースト名かしらと思いました。実際のグルの名前はセンではないかったようです。

ja.wikipedia.org

本書はベンガル世界とユーラシアンの世界との対比ですので、タゴールはロビ・タクールとベンガル語読みで書かれます。ヒンディーではなく。頁51など。ベンガルの習慣では夕食は夜遅く、十時か十一時ごろで、食べると就寝だそうです。頁54。ほんとかな。

終盤、セン一家から放逐され、ユーラシアン世界で下宿することもあれな主人公は白人女性のヒモになった後、ヒマラヤに隠遁し、エリアーデサンの現実とちがって、小説ではチベットオタの南アフリカ人女性(白人)とデキます。そのガタイのいい女性はチベットオタとしては底の浅い神秘主義者だったそうですが、南アといいつつルーツは英国でもボーア人でもなく、フィンランドユダヤ人だったそうです。わけの分からない展開。しかしここは読んでいて、やっぱり白人は白人同士のほうが肌があうんじゃんという感想を抱きます。ふたりがデキるのは9月18日で、出版の二年前なら1931年なので、満洲某重大事件と同時にセックルしたということになります。どんなアフォリズムやねん。

満州事変

頁190

(略)私はセン氏の封筒を開き、胸が締め付けられる思いで、内容を読んだ。(略)英語で書いてある。

〝君は外国人であり、私には君のことは分からない。しかし、もし君にとって何か神聖なものがあるならば、それにかけて、今後私の家に入らず、私の家族のだれにも会おうとしたり、手紙を出したりしないでくれ。(略)君の狂った頭に分別のかけらでも残っているなら、こうする理由は君にも明白なはずだ。私に対しておかした忘恩と侮辱を知れ!

                  ナレンドラ・セン

P. S.  場違いの弁解などを試みて君の陋劣な人格に嘘の上塗りをしないでくれ。〟

どうにも今でもよく分からないのが、マイトレイ以外もう一人実名で出てくるという、マイトレイの十二歳の妹、チャブーです。彼女は二つの文明のさかった若者のインモラルなふるまい、文化通念に挑戦する禁忌を敏感に察知し、二人を慕う気持ちとの断絶で生理的になにかひきつけを起こし、びよきになります。彼女は小説の通りの人生(頁214)だったのか、名前だけ借りて全然ちがう人生だったのか、そこは知りたいです。ここはショックでした。以上