জগমোহনের মৃত্যু『ジャグモーハンの死』"Death of Jagmohan" মহাশ্বেতা দেবী by Mahasweta Devi(現代インド文学選集③【ベンガリー】)(সমসাময়িক ভারতীয় সাহিত্যের সংকলন ③ বাংলা)読了

カバー画 田島昭泉 菊地信義ー装丁

インド側のベンガル語の小説をもう少し読んでみようということで、めこんから、タラションコルサン以外に、この人の小説が出てましたので、読みました。

kotobank.jp

作者名は、コトバンクが採用した、日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」では本書同様ベンガル語読みで「モハッシェタ・ダビ」なのですが、日本語版ウィキペディアは英語版が採用したヒンディー語読みをそのまま踏襲して「マハシュウェタ・デビ」です。

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Mahasweta Devi - Wikipedia

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めこんの現代インド文学選集はなべてツルツル印刷の小冊子がついているようで、本書にもついています。訳者の大西さんによると、彼女の作品は「決して楽しい文学ではないし、ものすごく読みづらい」そうです。にも関わらず、タゴール以外では、タラシャンカルサンとこの人しかインド側のベンガル語作家さんが訳されていないのには、何か理由があるんだろうと。タラションコル作品の邦訳を大同生命から出した丹羽京子さんも、共訳で、本書9年後に彼女の短編集を邦訳出版しています。同年まで、足掛け三年かけて行われた日印作家キャラバンの、インド側のじゅうような参加者が彼女からだったのもあるようですが、ぐうぜんとはいえ(でもないか)話者人口世界六位七位の言語文学の作品がノーベル文学賞受賞者含め三人しか邦訳されておらず、しかも数少ない訳者がそろって同じ作家を取り上げてしまっているのも興味深いと思います。分散してない。

タラションコルサンに関しては、わりと息の長い作家さんだったようなのですが、訳者さんは二人とも、1930年代の初期作品だけにフォーカスして邦訳しており、その後の作品はおしなべてツマラナイのだろうかと勘繰ったりしました。ほかの理由として、1940年代のベンガルは記録的な飢饉で、統治者である英国はその理由のひとつを、インパール作戦等の日本のビルマ進撃だとアナウンスしており、それらが作品にも影響されているので、チャンドラ・ボースとかが好きな邦人にその事実を告げるにしのびないと邦訳者サンたちが考えて訳してないのかもな、と、根拠なく思いました。

そして、モハッシェタ・デビ夫人、否モハッシェタ・デビサンが日本に紹介されているのは、ナクサライト運動の影響もあるかに思われます。

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本書刊行はバブル真っただ中の1992年で、その時点ではナクサライトは日本同様学生運動の性質が強く、もう終わった運動みたく書かれてるのですが、ところがどっこい、マオイストのゲリラ活動は、この後ネパールでもペルーでも武力闘争路線で盛り上がってしまうという。資金源どこの国ですかね。丹羽京子さん訳の彼女の作品集は、ペルーのインディヘナ文学の巨頭、アルゲダスの作品も邦訳出版してる、現代企画室から出ています。

話を小冊子に戻すと、おそらく80年代に、訳者はカルカッタのバリガンジ駅のすぐ裏手にある、モハッシェタ・デビサンが間借りしている部屋を何回か訪れていて、そのことを書いています。当時、バリガンジ駅周辺はベンガル中産階級が多く住んでいたそうですが、東ベンガルからの難民が住み着いたスラム街もあり、郊外の村に住んでいた訳者はこの駅をとおって市内に通っていて、のっぺらぼうの乞食や、黒ずんだマンゴーが山と積まれた屋台、パジャマの裾を引き上げながら汗をかいて歩いた狭いぬかるんだ道、人糞と牛糞を懐かしく回想しています。

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バーリーグンジは、市内で最も裕福な地区のひとつ。

ウィキペディアのこの地区の紹介はだいぶ違いますが、四半世紀以上経ってますので、それでってことで。彼女の家は、いちおう鉄格子の門をくぐった先の二階建て建物の二階の一角だったそうで、かなり緊張した生活を送っていたとのことでした。

 彼女がいかに原住民や低カーストの人々のことを書こうと、彼女の出自がべンガルの中産知識階級知識人であることは紛れもない。彼女の活動や文学の振幅はだから彼女の出自と彼女が近づこうとする現実の間に緊張の糸がどこまで引っ張れるかにかかっている。この糸が切れるか切れないかのスレスレを渡って行くしかないのだ。ベンガル文学というのは大体において余裕の産物だったので、こういう余裕のない生き方を表看板にした文学者というのは今までいない。ベンガル語でビハールやマディヤ・プラディーシュの原住民やカースト民の生活を内側から描こうなどという気狂いじみたことを考えた文学者も、いうまでもなくいない。

もう少し引用。

(略)会うと打ちとけた顔を見せてくれた。私の名前が彼女の最愛の弟だったオニシュと似ているとか、彼女のお父さんが昔日本の人形とか小物類をよく持っていて日本というと夢の国のように思っていたとか、ふつうのベンガル人が言うようなことも言うようになった。こうした感情を彼女は悔恨のように言うが、深いところでそうした自分を許しているようにも見えた。彼女のように文学の上でも生活の面でも無理に無理を重ねている(と私には見える)人の場合、そうでもしないと生理的にもたないのではないかと思う。

本書もベンガル語表記の原題が併記されており、グーグル翻訳に日本語で『ジャグモーハンの死』と打ち込んで、そのまんまの字が出ました。すばらしい。

 জগমোহনের মৃত্যু『ジャグモーハンの死』"Death of Jagmohan"

訳者解説によると、1979年の中短編集『西南の雲』の巻頭作品とのことなのですが、イコールになる短編集名がウィキペディアベンガル語版と英語版で出ませんでした。"Neerete Megh" নীড়েতে মেঘ というタイトルの短編集がそれに近いのですが、機械翻訳で訳すと、"Cloud in the Nest"『巣の雲』になってしまいます。巣と西南ではだいぶちがう。孟英辞典を引いた時に、"Nest"を"West"に空目ったとしても、西にはならない。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20220913/20220913071216.jpgジャグモーハンが何かというと、象で、若いころは種付けに大活躍したそうですが、老いた今、安定した糧食を得られる場所も水飲み場もなく、象の飼育を所有者に命ぜられたチョンガーのオッサンとともに、各地の指定カーストやら原住民やらの村をへめぐって、あいまあいまにちょびっと国有林などにも立ち入って、かつかつ食べて生きながらえているという話です。

アジア象は飼育可能な動物ですが、農耕などに使えるわけでなく、じゃあ何に使うかというと、権力誇示、ステイタスとして使うそうで、はなやいだハレの日にお化粧をした象の上に乗って辻々を練り歩くことこそ、権勢を誇っている証拠なんだそうで。しかしそういう機会も近現代では年々失われ、維持費がかかるので、そのへんをよきにはからえ、でも死んだら責任はお前だぞ、で、ロハで維持管理させられるチョンガーのオッサンがいるわけです。もちろん、芸を見せたり上に載せたりで、オヒネリやお代がもらえるならそれは全部オッサンの余禄になるわけですが、どこの村に行っても、かつての余裕はなくカツカツで、商品経済に飲み込まれた悲哀があるばかり。おまけに干ばつによる飢饉到来。

もうひとつ、象には使い道があって、日本だと土佐犬ドーベルマンなどの大型犬のマナーの悪い飼い主が比較対象になるのでしょうが、いうことを聞かない小作や自作農の家や納屋や畑を荒らしまくってバキバキに壊して作物をぜんぶパオーンと食べてしまう、という用途があるんだそうです。それをジョミダルがやっちまおうとして、やらされる側のオッサンが苦悩してるんだかしてないんだかのくだりも、あったようななかったような。

サイバラ、否サイババというとインドの聖者としてよく名前を聞きますが、個人名ではなかったのか、本作含め、「サーイ=バーバー」(男の聖者)という単語が出ます。対応する女の聖者は「ショントシュ=マー」というそうです。単語だけで、実物は出ません。

作者は、インドの大地は、都会のインド人(のインテリ)には想像も出来ないと書いてます。

頁36

カルカッタという都会では、ヒンドゥーの男ディポクと、ムスリムの女アエシャの間で愛が芽生えたり、革職人が婆羅門の家で料理人として働いたりする。こんなことだけで、青白いインテリ連中は、インドからカーストの問題などすっかり片付いたものと思い込む。

本作にはサイドストーリーがあって、バラモンがあろうことか銃の暴発で殺しかけた神聖な牛を、原住民の特効薬で救った原住民農夫がいて、バラモンの母が深く感謝して、彼にその土地を与えます。しかしバラモンはそれがおもしろくなく、ことあるごとに彼からその土地の権利を取り上げようとヘビのようにねちねちと画策して、さいご、ついにとうとう以下略 

ここで肝要なのは、なぜそんな前近代的バラモンの権威、彼らの神秘的な力というか祟りを下層カーストの農民が怖れなければいけないのか、です。理屈じゃないからレーカン商法は儲かるんだろうな。

頁47

村々ではネアンデルタール人の時代が続いている。水はなく、マウワ油の赤味がかった光が唯一の灯であり、しこくびえ、とうもろこし、またはきびの入った雑炊が唯一の主食であり、塩は贅沢品である。病気や苦しみの際には新生インドで毛嫌いされているキリスト教の宣教師たちが唯一の頼りであるし、一年を通じて、金を借りるとなれば、地主や高利貸しだけが頼みの綱なのだ。(中略)選挙で投票させるのに、一人頭一ルピーずつあてがう値打ちすらないのだ。金貸しか地主かブリジュプーシャンが、誰かに投票するように一喝すれば、連中は言われたままに票を投じてくるのである。

ネアンデルタール人という比喩に他意はないと作者が言っても、21世紀はどうかなとか、21世紀の現代では、スマホだけはぜったい普及してるはずとか、思うのは自由ですが以下略

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おおよそ舞台はこの辺かと思われます。みんな、地球の歩き方片手に、歩いてみよう!ラーンチというのが地名だと最初は思わず、ラウンチとかローンチのことだと思ってました。

「ラウンチ」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/th/a/a7/%E0%B8%84%E0%B8%A3%E0%B8%B9%E0%B8%9A%E0%B9%89%E0%B8%B2%E0%B8%99%E0%B8%99%E0%B8%AD%E0%B8%81.jpgこの小説にも、開発あるあるで、そうした遅れた田舎の現状を打破し、守旧権力者たちの横暴を告発しようとして、ぬっころされる青年教師が登場します。タイの『田舎の教師』を思い出しました。冨田竹ニ郎訳、井村文化事業、勁草書房

タイでもぬっころされちゃうのに、インドで無事にいられるわけがなかろうという。

田舎の教師 (井村文化事業社): 1980|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

ครูบ้านนอก - วิกิพีเดีย

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それから、村の上位カーストのオッサンが、外に住まわせているオメカケさんに産ませた息子が、出来がよくて、本妻たちの子どもがそろってボンクラなこともあり、高等教育を受けさせようとするくだりがあります。これは、かなりうまくいきそうになるのですが、やはりカーストの闇の力、因習に飲み込まれ、ぼっちゃんは寄宿制の学校に向かうため夜出発した後、惨殺されて発見されます。

こんな話でしょうか。かわいそうな象はドラえもんでも有名ですが、ところ変わればで、こんなにちがう話になるんだなあという。あと、象で思い出すのは、オリバー・ストーンアレキサンダー大王を描いた映画で、征服の限界として、インドの密林で、荒れ狂う象部隊にマケドニア兵が大苦戦する場面があったかと思います。長い槍はジャングル戦に向かなかったという。頭蓋骨が分厚いので、なかなか頭を狙っても貫通しない場面は本書にもあります。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/bn/9/9c/%E0%A6%B9%E0%A6%BE%E0%A6%9C%E0%A6%BE%E0%A6%B0_%E0%A6%9A%E0%A7%81%E0%A6%B0%E0%A6%BE%E0%A6%B6%E0%A6%BF%E0%A6%B0_%E0%A6%AE%E0%A6%BE.jpg本書にはもうひとつ話が収められていて、下記です。

হাজার চুরাশির মা『千八十四番の母』"Mother of 1084"

1973年「プロシャード」(神の恵み)誌に掲載され、翌年、大幅に手を加えられて、出版されたそうです。モハッシェタ・デビサンの作品で唯一、都市中産階級を描き、かつ、抒情性漂う作品となっているそうです。そのせいなんだかなんだか、英語版とベンガル語版で独立したウィキペディアの項目になっていて、ベンガル語の題名を写すのに苦労いらずでした。

Hajar Churashir Maa - Wikipedia

হাজার চুরাশির মা - উইকিপিডিয়া

出来のいい息子が青年期のハシカにかかって、世の不公平さに義憤を感じ、ナクサライト運動に身を投じ、獄死してしまいました。その母親の話。彼女は邦訳で「シュジャタ」と表記されるのですが、これ、ヒンディーのサ行がベンガルだとシャ行になるみたいなので、「スジャータ」じゃないでしょうかと推測し、上のウィキペディアで当たってたのを確認しました。

www.sujahta.co.jp

大西さんは、2016年の『船頭タリーニ』では頁ヨコに注釈をつけてましたが、バブル期1992年の本書では基本的に注釈なしです。カーストに詳しいとか、漢字熟語で意訳してルビを振るクセは変わりませんが、あまり多くはないかと。

ベンガル文学の背景

 ベンガルは、インド亜大陸の東端、現在のインド西ベンガル州バングラディシュをあわせた地域を指す。東はアラカン山脈、北はヒマラヤ山脈、西はインドビハール州・オリッサ州の丘陵地帯に囲まれ、南はインド洋に接する(中略)

 ベンガル民族は、オーストロイド系、ドラヴィダ系、サイノ・チベット系等の先住民族をベースに、後から到来したアーリヤ系民族の血が混ざって形成されたと言われる。(後略)

ラカン山脈が文化の分水嶺であると、ここでもはっきり分かります。アラカン山脈が位置するのはビルマですが、その東は、我々のような文化慣習が息づき、西は、もうちょっとなれなれしいというか荒いというか、ちがう。よく中韓と日本の違いを語る人も、アラカン山脈の東のうちうちでの、コップの中の嵐であることは理解してほしい。また、ここで、シナ・チベット語族を、サイノ・チベット系と書いていて、( ´_ゝ`)フーンと思いました。この「ベンガル文学の風景」と、「訳者あとがき」と「モハッシェタ・デビについて」が巻末にあります。それと小冊子。作者ご本人は、本書で、作品が日本に紹介されることを、非常によろこんでいたそうです。また、めこんのこの企画、本書作成に関しては、トヨタ財団「隣人をよく知ろう」プロジェクトの助成を受けたそうで、謝辞あり。

それで、本書はむかしの日本語作文でガイジンがカタカナでしゃべるみたいな感じで、カタカナの文章がやったら多いです。地の文章が英語なのかヒンディーなのか、そうであったとして、それをアルファベットもしくはヒンディーのデヴァーナガリ文字で書いてるのか、ベンガル文字で音だけ当てているのか、そこは知りたい気がしました。

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原書にあたれって? いやいやそんな、めっそうも… 大学におぜぜ払って、大学図書館を使える身分になるか、非常勤講師や教授の知人に頼み込むかすれば、原書のコピー入手出来そうですが、個人の知的好奇心を満たしたいだけですので、そこまでやるの? という感もあります。インド人に頼むという手は、ないだろうな、現状。以上