『亡き人』මළගිය ඇත්තෝ ෴ මළවුන්ගේ අවුරුදු දා "Maḷagiya Attō" and "Maḷavungē Avurudu Dā" E・サラッチャンドラ 著 එදිරිවීර සරච්චන්ද්‍ E.Sarachchandra 野口忠司 訳 නොගුචි ටඩාෂි Noguchi Tadashi 読了①

1950年代、世田谷区奥沢から三茶にかけてを舞台に、ロンドン帰りのスリランカ人画家デウェンドラサン දෙවොන්දරා  සන්(38歳でしたか)と、近くのバー勤めの女性典子サン නොරිකෝ  සන්(21歳だったか23歳だったか)のふたりの、恋と別れの物語です。スリランカでは記録的なベストセラーを記録したそうで、アジアの大半の地域は80年代に日本製ドラマ「おしん」で初めて戦後邦人女性像に接したわけですが、ひとりスリランカは、1950年代すでにノリコサンに接していたという。

おどんま 盆ぎり盆ぎり 盆から先ゃ 居らんど 盆が早よ來りゃ 早よ戻る

亡き人 | NDLサーチ | 国立国会図書館

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いやこれは大変におもしろかったです。訳者の野口サンは1964年、二十歳の時にセイロンに渡航してシンハラ語を学び始めた人ですが、1966年本書に出会い、現地の親友(のちに癌で三十代で逝去)の勧めもあって半年かけて邦訳するも、出版先がなく、1969年自費出版したんだとか。その後、ビルマのマウンターヤサン*1*2を日本に紹介するのにも一役買ったあのトヨタ財団「隣人をよく知ろう」プロジェクトの選考委員龍谷大学経済学部教授中村尚司サンから声がかかり、1993年に『亡き人 マラギヤアットー』続編『お命日 マラウンゲ・アウルドゥダ』を一冊にまとめて当該財団助成により南雲堂から出版、それが本書。いやー分かるんですけど、ここでも南雲堂カー。南雲堂はもうこういう事業をしてないみたいなので、日系米国人作家ヒサヱ・ヤマモトサンの作品集*3同様、現在新刊で手に入らない状態でFAとなっています。さいわい本書は、ヒサヱ・ヤマモトサンの作品集よりは図書館蔵書があるので、他館本リクエストで借りました。町田市立図書館に蔵書があるのは分かっているのに、都県の壁で、町田からは取り寄せられず、県内の敷居の高そうな図書館から本がきました。

(2)

ウィクラマシンハ『ガンペラリヤ(変わりゆく村)』大同生命国際文化基金*4ハリー・ポッターみたい、教科書に載ってて誰でも知ってるから、と評したスリランカ人の人に本書を読んでると話しても「( ´_ゝ`)フーン」でしたが、ただ、入手可否だけ逆に私に聞いてきました。新刊品切れ再版未定、セカンドハンドは安いのがない、ライブラリーに行くしかない。で、コンビニバイトのスリランカ人のチャンネーに「サラッチャンドラという人の日本を舞台にした小説を読んでるんですが」と言うと、顔をぱあっと明るくさせて、「典子さん!!!私も読みました!!」と来たもんで、1959年発表の小説を21世紀の若者が読んでいるとは、これは本物ではないかと改めて思いました。来日組だから読んだのかもしれませんが、それにしたって、実にいい本を読まれたと思います。

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(3)

本書は英語版リライト"Foam Upon the Atream: a Japanese Elegy"が1987年に出ているそうです。

https://unesdoc.unesco.org/ark:/48223/pf0000082394

https://m.media-amazon.com/images/I/41XR5P0KMWL.jpg電子版未。

【後報】

左が英語版表紙。

今日は月曜で図書館休館日でした。なので返却は明後日します。なので今日はもう寝ますのであとは後報で。

(4)

巻末の「シンハラ文学の概観」頁376によると、大同生命国際文化基金から三部作が翻訳されたウィクラマシンハサンと本書のサラッチャンドラサンはスリランカシンハラ文壇を真っ二つに分断する対立抗争を繰り広げ、それがためにシンハラ文学は同論文執筆時の1990年(信濃毎日新聞掲載)にはスッカリ荒廃し、見る影もなくなってしまったそうです。ウィクラマシンハサンは首都の名をとってコロンボ派と言われる、西洋文学、特に英国ロマン文學の影響を受けた作風の作家たちを束ね、その一方で詩歌に関しては古典的な約束事を遵守する一派を率いていたそうです。対するサラッチャンドラサンの一派はスリランカ大学の所在地をとってベーラーデニヤ派と呼ばれ、自由律詩や現代劇、実験小説なども含めた多彩な作風の文化人たちが集まって、急進的な運動を繰り広げていたとか。ウィクラハシンハサンは1969年、シンハラ小説における日本小説の影響をこっぴどく批判した評論書籍を刊行、戦後日本文学の奔放な性風俗、惰弱、無思想を痛烈に批判し、そうした作品である太宰治『斜陽』『人間失格三島由紀夫金閣寺』のエピゴーネンでしかないシンハラ語ジャポニズム小説を発表してるとして、ベーラーデニヤ派をこっぴどくやっつけたのです。そこでは本書も不肖カワバタの『雪国』『千羽鶴』の影響大であるとし、だからダメだとの論争が、人格攻撃にエスカレーションして、講演、新聞雑誌などあらゆる媒体で繰り広げられたとか。

Mala Giya Aththo - මළගිය ඇත්තෝ

https://www.kbooks.lk/image/cache/catalog/godage/mala_giya_aththo_%20ediriweera_sarachchandra-500x500.jpg左はシンハラ語版マラギヤアットーの表紙。

なぜサラッチャンドラサンのベーラーデニヤ派は日本文学に着目し、ウィクラマシンハサン一派、コロンボ派はそれを糾弾したのか。ここはいまだに私には分かりません。数年間、米軍統治期から朝鮮戦争神武景気に至るまで一派の首魁サラッチャンドラサンが日本にいたから。それだけで説明のつくことなのか。これがインドなら、チャンドラ・ボースのような独立の志士を日本がアジア解放、欧米勢力削減のため、陰ながら応援したことはよく知られてますし、逆に英国が、インパール作戦防衛のためベンガル地方から糧秣供出させて東インドが飢餓に陥ったため、日本を糾弾した話も有名です。さらにいえば東京裁判でインドのナントカ判事は、オールジャパンの戦争免責を訴えたりもしたわけですし、クワイ側鉄橋で大脱走スティーヴ・マックイーン側につくか東亜の曙光早川雪舟側につくかは割と分かりやすい話だったと思います。。しかしスリランカにどこまでその影響が及んだのかは、さっぱり分からない。日本文学支持派も批判派も原語にあたったわけでなく、1950年代にシンハラ語訳が出ていたわけでもなく、どちらも英訳を参照した、英語使いの上流階級であったはずです。のちの極左暴動一斉蜂起のさいには、北朝鮮の扇動であるとして、スリランカ政府は在住北朝鮮公民を一斉退去させたわけですが(アーサー・C・クラークサンの書籍*5による)北朝鮮反日のともしびをセイロン文芸界にともした、と考えるのも現時点ではまるでエビデンスがない荒唐無稽な話ですしね。分からない。

Malawunge Awurudu da - මළවුන්ගේ අවුරුදු දා

https://www.kbooks.lk/image/cache/catalog/godage/malawunge_awurudu_da_ediriweera_sarachchandra-500x500.jpg左はシンハラ語版マラウンゲ・アウルドゥダの表紙。

ともあれ、上記不毛な論争に映画ラジオテレビの普及が拍車をかけ、さらには紙の関税が25%にもなるスリランカで輸入に頼った書籍印刷費の高騰により新刊の発行点数が激減、教科書販売以外の図書印刷がほとんどなくなった現状が、1990年代初頭のスリランカだったとか。野口忠司サンはシンハラ文学再生の息吹どころか、「現状では立ち枯れする憂いすら感じる」と書いています。文学者の英語圏への流出も既に野口さんは指摘しており、バーガーのカナダ移民のイングリッシュ・ペイシェントの原作者*6*7や、昨年末にやはりタミル・イーラム解放の虎との内戦を描いた小説が邦訳されたシェハン・カルナティラサン(コロンボの出だが、キウィで教育を受け、以後欧州を転々。本作は当初インドで出版される)など、陸続とノグチサンの予言を実現する者たちが現れています。

web.kawade.co.jp

左は南雲堂邦訳中表紙。装幀者未記載。

(5)

ゴジラ-1.0よりちょっと後に、ゴジラ-1.0的世界を舞台に描かれた『亡き人』マラギヤアットーが1959年、続編『お命日』マラウンゲ・アウルドゥダが1965年出版。二部作ということになっていますが、これ、続編を読むと読まないとでは、まったく印象が変わります。

『亡き人』はセイロンのシンハラ人画家デウェンドラサンが主人公です。彼はイギリスである程度成功し、小金を持って訪日しています。そして滞日後は更なる異邦への流浪を漠然と計画しています。そんな彼の眼から見たニッポン、東京、竹の家的東京、京都、英語を話す古都の娼妓、そして戦後婦人典子サンが彼の一人称で描かれます。そこまでで終わっていれば、美しい思い出、美しい印象なのですが、続編『お命日』がとんでもない作品で、『亡き人』のストーリーを、すべて典子さんの一人称でなぞりなおすというメチャクチャな構成で、えっ、これってこういうはなしじゃなかったっけ? これも、こういう話なの? てな具合で、デウェンドラサンが男のズルさ満開で書いていた世界が、すべてネガポジ反転します。プレゼントから結婚の口約束迄、オセロで角をとられたかのように、どんどん白黒がひっくり返る。彼我の主観は斯くも違うのか。読んでてびっくりします。

しかも『お命日』は、『亡き人』の結末からさらにその先に起こることまでずんずん踏み込んでえがいていて、デウェンドラサンの不実と典子サンの青春の残骸が、どんどんどんどん、洪水の土砂のように累積され積み上がってゆき、結末、カタストロフィを迎えます。こういうオチにする必要はなかったと思いますが、それを差し引いても、二部作構成と邦人女性典子サンが素晴らしいです。こりゃウィクラマシンハサンみたいな頭の固い碩学が嫉妬するわけだと。一部ではその所作、なにげない日本女性のなよやかさ、気立て気配り気働き(©大島渚のパートナー小山明子サン)にほっこりさせられますし、二部では典子さんの荒涼とした心象風景、虚無に圧倒されます。

下は、典子サンとデウェンドラサンのシンハラ語表記を調べた時に出て来たブログ。写真の説明は一切ナシ。サラッチャンドラサン滞日時に撮った女性とのツーショット、なのかなあ。確かに本書の頃、1950年代の風俗っぽいですが。

tilspace.com

下はサラッチャンドラサンのもうひとつの邦訳小説。例の、左翼蜂起をインテリから描いた小説。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

長くなったので、いったんここで読書感想を切って、『亡き人』の感想、『お命日』の感想を続けて、三章の感想としたいと思います。

以上

(2024/2/12)