前川健一の『アジア・旅の五十音』にご本人が登場する作家の、前川健一が書いている新宿書房の邦訳書は入手出来ないので、他に読んだ本。
路上にたたずみむせび泣く (井村文化事業社): 1982|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
路上にたたずみむせび泣く(東南アジアブックス41) - 株式会社 勁草書房
下記はやっと見つけたマウンターヤ逝去の記事。2016年3月1日の記事で、この月曜になくなられたと書いてあって、2016年3月1日は検索すると火曜日ですので、その前日になくなったということで、2016年2月28日になくなったと思いそうですが、ひょっとするとひょっとしたらで検索すると、はたして、平成28年、2016年はうるう年でしたので、マウンターヤ逝去は2月29日ということになります。とむらいもジプシー"Gypsy"。
この人は本人が拒否ったのか軍事政権やスーチー政権が潰したのか知りませんが、ウィキペディアの記事すらないです。下記のひとの記事に名前がありますが、生きているリンクも死んだリンクもなく、記事が書かれた形跡がないということだと思ってます。一度書かれて削除されたわけではないと。
前川健一のはてなダイアリーに何かその後のマウンターヤに関する記述がないかと検索しましたが、検索の仕方が分かるまで時間がかかっただけで、特にないかったです。そういえば、カントゥルムというタイ音楽の1ジャンルのダーキーという歌手の逝去は、前川健一のはてなダイアリーで知りました。
本書の訳者による解説が、かなりマウンターヤについて詳しくて、
・マウンターラとも読む
・マンダレー大学の学生運動指導者としてまず有名だった(一度大学を追われている)
・初期小説は恋愛ものが多く、ゴシックというかお耽美というか、古典文学の言い回しを多用してたとか
・解説時までの主要作品一覧(すべて邦訳タイトル)と、ご丁寧に、出版不許可作品がその他に一作ある旨、明記
・本書は彼が社会派路線に転向した第一作で、「日本語版への序文」「初版への序文」によると、21日間実地に労働経験を積み、ビルマ陸運局の全面取材協力を得て書き上げたとか
・乗車実務において、まったくノルマが達成出来なかったので、営業成績のいいドライバーの名前と車両番号のリストを当局からこっそりもらって、彼らを尾行してノウハウをゲットするというチートを行なった
・おわりのほうには、バスの車掌が、バスチケット不要の客から行先までの料金をもらっていちばん安いチケットをちぎって捨てるという、異業種のテクまで紹介している
そうです。1982年に日本語版の「おわりに」が書かれてから、1999年にマウンターヤがアメリカに亡命するまで、そして亡命してからがどうなったかは、本書は推背図ではないので、本書の語るところはないですが、どこかで分かればよいなと思います。
そういうわけで、本書はビルマのタクシードライバー日誌というか、彼の多忙かつ波乱含みのひと勤務と勤務明け24時間を追った小説です。タクシードライバーを主人公にした邦語小説というと、ヤン・ソギルがまず思い浮かばれ、手塚治虫の『ミッドナイト』とか、重松清も書いてたかなと思い、前者と脳内比較しながら読みました。ビルマのタクシーは国営で、日本の近代センターじゃないですが、やはり顧客クレーム等に弱く、その中でいかに効率よくチップをとるか、ときにはメーターを倒さず走るか、細かくつっこんで書かれています。三輪タクシーやサイカー(サイドカーのタクシー。ビルマ特有?)は私営だが四輪レーベインタクシーは国営で、しかしメンテが交換部品欠乏の理由によりなかなかおぼつかない描写を読み、訳注(16)や頁87で、これが日本製マツダの軽四輪であることが分かると、あーじゃー前川健一『東南アジアの三輪車』の三輪車同様、戦後賠償だな、と思いました。交換部品欠乏の理由も実に分かりやすい。
https://www.toyotafound.or.jp/profile/foundation_publications/occational_report/data/or_no3.pdf
訳者はこの時34歳くらいですか。その御年で、若きタクシードライバーのちゃきちゃきの小沢正一みたいな喋り方を書くのも、楽しくかつ難しい作業だったかもしれないと思いました。関西弁はありませんが訳者は関西人なので、関西標準語としてのべらんめえことばと考えると、含蓄があります。食堂むすめの恋人とのちんちんかもかも会話は、こそばゆくなるような心地よさがあり、さすがです。マウンターヤって、ほんとにビルマのラブコメの名手なんでしょうね。ちゃんと恋人以外にも目移りする娘を登場させてるし。
本書中表紙前のビルマ地図。シッキムを独立した国にしてる日本の地図を見たのは初めてかもしれません。中国の世界地図だと、ダライラマの亡命政府を置かせているインドへのあてつけに、インドに合併されたかつての藩王国シッキムを、いまだに?独立国家として書いているわけですが、日本の八十年代の地図では珍しい気がします。
インナーモンゴリアとアウターモンゴリアの邦訳、内蒙古外蒙古は日本語として定着してますが、アッパービルマとダウナービルマ、もとい、ロウワービルマの邦訳である上ビルマと下ビルマは、ビルマが社会主義と資本主義で分裂したわけでもないので、日本語として定着しなかったと思います。ベトナムがハノイとサイゴンに分かれて独立したように、ラングーンとマンダレーに分かれて独立してたらどうなったんだろう。
本書の訳注は通りの名前や地名ばっかりで、土地勘がないのにそんなの読んでも何がなにやらです。チャプター3の前に折りこみで、ラングーン地図が載っていて、主人公が直球で乗車拒否出来ないので(帰庫して恋人に会いたい)こじつけの理由をこしらえて旦那勘弁してくだせえと断る長距離客の衛星都市が地図外なので、そこはほほうと思いました。愛国者の服装などは、おもしろかったです。私としては、頁25、「ヒラの卵の天ぷら」というのがなんなのかさっぱり分からず、これを教えてほしいです。平飼いの鶏ってことなのかなあ。ヒョウタンの天ぷらや、ソウギョの頭のスープはなんとなく分からないでもないのですが、「ヒラ」は分からない。
あちらの定食活用法として、月ぎめで食事代を払って毎日おまかせ料理を食べるという利用法が書かれていて、これ、最近テレビでやってる定額制の話じゃんと思いました。利用者は学生や独身男性が多いが、この小説の設定の場合、隣が大学の女子学生寮で、女学生が多く通うレストランであると。そしてビルマ人は食事を手でこねて食べる手食。
ヒロインの名前が「キンマ」なので、し好品のキンマを「きんま」とひらがなで表記するなど、いらん苦労をしています。主人公の乗るタクシーのナンバーは「サの四六六ハ」なのですが、「サ」が原書でどうなってるのか知りたいです。州名とかはないのだろうか。
主人公はシフト勤務で、小説に書かれた日は、朝六時出社午後二時帰庫(ノルマが達成出来そうになく、四時帰庫)車内の忘れ物は、一年間陸運局に保存し、一年経つと目録を添えてビルマ赤十字社に寄付されるとか。救世軍のバザーにでも出るんでしょうか。
頁196、娼婦というか、援助交際が出ます。娼婦のことを「煮物の肉ヒンダー」というが、訳注(183)で、一般には「鶏」と呼ぶとあり、中国語から入った言葉だろうと思いました。
本書は、訳者解説によると、クライマックスのオチのつけかたやトラブルの解決描写がクサいとビルマで知識人から評されたそうで、しかしそういうのもひっくるめて、検閲ギリギリで出版を勝ち得た作品の自由度が、ビルマは高いと思いました。なべて、こういう検閲のある国の文学作品の到達点は低くなりがちですが、ビルマが頑張れている理由は特になく、不思議不思議。ベトナム文学の、バオニンとか、本当につまらんです。同じ全体主義でともにアラカン山脈のこっち側の文化圏で、こうも違うのかと。
題名の「路上にたたずみむせび泣く」は、ビルマの幼稚園用国語教材から引っ張ったと訳者解説にあり、学校がいやで不登校すると、アリに刺されたり、帰宅後親から折檻されたりするので、じゃー学校に行きませうよ、みたいな歌なんだそうで、そんな歌教科書に載せるビルマどうかしてると思いました。
頁165
「俺は考えてたんだがな……お前のあの子も決して悪かない。だがな、美人とくる。美人を女房にした夫ってなあな、お前、他人より寛容であることが必要だぜ」
ソゥチョーは、砂糖の川に沈んだ如く、内心嬉しくなる。ソゥチョーは又、微笑む。
「それに、やる仕事が食堂とくる。食堂てえっと、月決めで食べる男はみんな、自分の旦那だと思って、食膳にぬかずかなきゃならねえんじゃねえか」
「おい貴様……くたばりやがれ……ほどほどにしとけよー―ほどほどに。」
以上