『思えばたくさん呑んできた』"Thinking About It, I've Had A Lot To Drink." by SHIINA MAKOTO 椎名誠 読了

そのへんにあった本。

装幀者————浅妻健司 カバー・扉イラストレーション 浅妻健司 大阪のたる出版という会社の「月刊たる」に連載されてる『酒ゴコロ、男ゴコロ』(2012~2024掲載分)を再構成、加筆修正したものだとか。

お酒・銘酒を中心に旅やグルメ、エッセイを出版する総合出版社|たる出版株式会社

1944年生まれのシーナサンは今年で八十歳、傘寿ですが、連載当初はまだ六十代、前期高齢者だったわけなので、おのずと内容も変わろうというもの。いちおう各エッセーを初出年月日お構いなしにゴチャゴチャにシャッフルしなおして、時系列で読んだ場合感じられる、文体や内容、気力体力の変遷を悟られないようにしてる感じですが、雑魚釣り隊を前半、コロナカの家飲みを後半に持ってきた関係上、やはり前半が底なし飲みでかつガツガツ何でも食らいまくる展開、後半が年をとって体力的に不安要素があるせいかなぜか丁寧言葉が増え、少食になって、で、ちょっと支離滅裂が増えたかなという印象です。

シーナサンは「呑める体質」だそうですが、近年はさすがに数値が悪くなったそうで、それでノンアルビールとビールを交互に飲んだり、ノンアルビールにウイスキーを入れて飲んだりというエッセーも書いています。しかしよく飲む。飲んで原稿の読み返しとかよく出来るなと思う。酔った頭で推敲すると、改悪の繰り返しばっかしそうで、おそろしいとしか思わないのですが、シーナサンはそうではないらしい。

1 海釣りと焚き火酒」を見ると雑魚釣り隊の近況がよく分かります。かろうじて焚き火が出来る関東近辺の海岸数ヶ所を大事に大事に秘匿して、夏はキャンパーが大挙してやってきて花火カラオケゴミは絶対に片付けないという、激突必至の状況しか生まれないので、わざわざ冬にかがり火を焚いたりしてるそうです。最近ニュースをにぎわしている、地元の漁協の見回りおかまいなしに魚介類を獲りまくる在日中国人度暇們とバッティングするエッセーは、まだないです。

私が前世紀八重山に行った時、すでに乱獲による絶滅が噂されていたヤシガニをのほほんと食べる話があって、隠せよと思いました。なんなら、もうちょっとふつうのガザミとかティラピアとかボラのカラスミとか、食べる人のいないセマルハコガメとかヤンバルクイナとかカンムリワシとかイリオモテヤマネコとかキノコの話を書けばよかったのかもしれない。

小笠原ではパッションフルーツに穴を開けてラム酒を流し込んで飲む方法が紹介されており、パッションフルーツは実は横浜の瀬谷なんかでも作られている(亜熱帯でなくてもいいらしい)*1ので、相鉄沿線の創作系居酒屋なんかでも出せるんじゃいかと思いました。

なぜか、この章に、赤ワインも冷やしたほうがという話が載っていて、小樽ではやってくれたがケニヤではバカにされたと書いてます。つくづく、人類の飲酒文化は冷蔵技術の発展によって飛躍的に質量ともに増大したんだなあと思いました。カクテルの発明・進化も冷凍庫冷蔵庫なしにはありえなかったそうですし、キーンと冷えたやつのない、常温以上の酒類しか世界になかったら、こんなにみんな飲まなかったにちがいない。12/12のトリセツは石原さとみでなくアンタッチャブル柴田で、ゲストがしょこたんの人と漫才師ふたり(コント芸人さんだったらすみません)で、最初の一杯を三十分かけて飲むと酒量が半減して満足度は変わらないというカラダにもお財布にもやさしい飲み方を紹介していたのですが、それに対するゲストの第一声が「ぬるまっちゃいそう」で、あまりに核心をついていたからか、それに対する反応はオール編集され、放送されていませんでした(でも最初の一声を流すところがエントロピー増大の法則を信じていた前世紀の映像人らしかったです。今のキリトリ藝全盛時代は、電子回路並みのゼロワン回答による煽りしか必要とされないので、あえて視聴者を動揺させる演出は「不快」のひとことで切って捨てられてしまう。自身がよって立つ基盤を切り崩されるジェットコースター感覚を楽しめない人ばかりのご時世だなあと)話を戻すと、赤ワインを冷やすと、テロワールだかアロマだかマナサロワールだかが開かないので芳醇なナントカを楽しめないので、それでイカン、田舎者め、ということだったかと思います。

2 酒と青春」は銀座新橋、新宿池林房など、シーナサンの街のホームグラウンドの話。頁81に『ぱいかじ南海作戦』という、西表のホームレスグループとの邂逅を下敷きにした話が紹介されていて、私が八重山に行った時は、ホームレスは確かひとりで、毎月年金支給日には離島から本島に渡ってお金を引き出して買い出しをすると聞いていて、だからそっとしておこうというのが地元の大意だったはずなのですが、キノコ好きのヤマハリゾートに雇われたキビ刈人夫やらいろんな人がいましたから、前川健一サンがバンコクダイアリーに駆逐されたように、居ついたホームレス連中の数も中身も変容しても不思議はないと思いました。山梨出身の援農束ね役の人、今でもいるのかなあ。

ぱいかじ南海作戦 - Wikipedia

3 ビール礼賛」は、うなづける話もあり、店側からすると無茶云うなという話もあり、三省堂のドイツ料理店を出したかと思えば、ランチョンでアイスバインを出すので、アイスバイン三省堂のほうじゃないかったっけと読みながら混乱したりしました。

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まあ私はもうブラジルやペルーのチャンチョというかチッチャロンでもういいので、アイスバインまではいかないのでいいんですが。

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五反田のチッチャロン・デ・チャンチョ。

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川崎のチッチャロン・デ・チャンチョ。

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ブラジルスーパーのトイェースモ・ジ・ポールコ。

ビールの話でも「4 コロナと家飲み、近場飲み」に載ってる話があり、ビールの銘柄をハートランドの小瓶に切り替えたという話で、ハートランドといえばしりあがり寿キリンビール社員時代に開発を手掛けた商品で、だからか今でもロングセラーなのですが、そこには一切触れていないところがヨカッタです。

ハートランドビール - Wikipedia

頁175「新宿三丁目がすごいぞ」

 こういうガイジンに対する店側からの苦情は、その安い料金でいつまでもねばられること。さらに彼らは本質的にケチでいったん腰を落ちつけるといつまでも滞留していて回転率が悪い。(略)外国人の多くは男女ともやたらに太った人が多く、まあ簡単に言えば場所をとる。(後略)

これが続くと、椅子が壊れます(私の外人ハウス勤務経験に拠る)体重圧による椅子底、椅子脚の劣化疲労を甘く見てはいけない。椅子ぶっ壊して、オウ、ジーザスとか顔を赤らめないでほしい。私の見るインバウンド客は日本の椅子のもろさに比例して、そこまでウェイトがスモウ・レスラーばりの人は多くないはずなのですが、新宿三丁目に来る連中はまた別で、母国では高カロリー低コストの食生活を送ってる人が多いのかなあ。

5 人生いろいろ、酒もいろいろ」の頁196などに「ドライマティーニ」が出るのですが、土田晃之の「イニエスタ、イエニスタ」問題同様、私は時々、「ドライマティーニ」なのか「ドライマーティニ」なのか分からなくなります。これまでに読んだ本だと、圧倒的に「ドライマティーニ」閥が強いのですが、それでも迷う。

「ドライマーティニ」派

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「ドライマティーニ」閥

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頁198「懐かしのピスコ」は、ピスコの話なのですが、「あれはいったいどこでのことだったのだろうか。ときおり考えるのだが正確には思い出せない」とあり、南米の「な」の字も出ないで終わります。後半はまたマティーニの話になってしまう。シーナサンはパタゴニアを旅したこともあり、チリの赤ワインなども別エッセーに出てくるのですが、ピスコというペルーなどの蒸留酒を題名に冠したエッセーで、「あれはいったいどこでのことだったのだろうか」で終わらしてしまうという芸は、明らかに名人の枯れ芸だと思いました。いやーまさかそうなるとは。

頁214には台湾のシングルモルトカバランが出ます。考えたら、日本にだってニッカとサントリーというふたつのスバラシイウイスキー会社があって、北海道の余市はなんとなくスットコランドっぽいですが、京都の桂からジェイアールで北摂の茨木とか高槻とか枚方のほうに行く途中の山崎なんちゅうところでもスバラシイウイスキーが作れるわけなので、台湾でもそりゃ作れるさということだと思います。凍頂茶で知られるとおり、標高差も大きいですし。

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なぜアジアではそんな威厳のあるウイスキーが作れないかと思いこむのかという点に関しては、シーナサンもタイのメコンウイスキーを飲んでいかりや長介ばりに「だめだこりゃ」と思ったという分かりやすいエピソードを書いていて、分かるけど、やっぱり紋切り型だと思いました。私はメコンウイスキーリポビタンDで割って飲むという、大久保のタイ料理店のおばはんが「タイでももうそんな古臭い飲み方をする人はいない」という飲み方をしてご満悦だった時代もあるので、なんも言えないですが…

台湾にある以上、中華人民共和国でも雲南省あたりでやっぱりモルトウイスキー作ってたりするのでしょうか。大陸だとバーボンのほうが合う気がするのですが、どうかなあ。アメリカの酒なんか作らないとか真顔で言いそうだしなあ(清酒は大連などで作っていたはず)中国はソ連が隣でもウォッカ作らなかったものなあ、白酒があるからウォッカなんかいらないという理屈だったのかなあ。ベトナムウォッカを見るたび、思うことです。

というようなことを思いながら読みました。この人の老境は形容しがたいというか、別人格なのは分かっていても、子孫にすごいのが出て来ないかなあと、そっちが気になっています。世襲ってのは、そういう個々の願望が結集して、共同幻想のあげく実現するものなんでしょうかね。以上