『それを言うとマウンターヤの言いすぎだ ラングーン商売往来』"PYAWPYANYINLE MAUNG THAYA LUNYAKYAME"(双書・アジアの村から町から……1)読了

前川健一を読もう最後の一冊(除くプラハの本)。『アジア・旅の五十音』で、前川健一がラングーンのホテルでマウンターヤ本人に会い、ビルマ文学に興味があるそうだが、著書で読んだ本を言ってみろと言われてあげる本。その後インドのムルタバみたいなスナックを食わせる店に二人で行きます。表紙にも中にもビルマ文字は書いてないので、それを打ち込もうと努力する必要が無くて、ラクです。

古書はアマゾンの高いのしかなかったのですが、地元以外の図書館には割とありましたので、相互貸借で借りてもらいました。以前、バウトクの本を借りた時、期日を過ぎても返せず、個人情報をたどって縁戚の電話にまで督促されてしまったので、公共施設がそこまでやるかとげんなりして、他館本を借りる気がしなくなったのですが、これから期限内に返せばよいと心を改め、神奈川県でいちばん千葉県に近い(海を隔てて)自治体図書館の蔵書を読みました。

邦訳されてるマウンターヤの小説は、本になってるのは、これと、国営タクシー運転手を描いた勁草書房&井村事業文化社『路上にたたずみむせび泣く』(東南アジアブックス)と、大同生命ミャンマー現代短編集1巻所収の、タイで言うところのタムブン、寺院参拝ついでに功徳で金払って籠から逃がす小鳥を捕まえる仕事のひとの話だけだと思います。たぶん。

それを言うとマウンターヤの言いすぎだ : ラングーン商売往来 (新宿書房): 1983|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

で、この本は、路上の物売りの話で、天秤棒やら何やらを借金してまず果物売り、次にタマリンドのジュース売り、最後はモヒンガー売りになる男が主人公です。果物売りは、自分の息子やらなにやら総動員して三人がかり、四人がかりで売るのですが、主人公以外は商売に身が入らず、主人公の見ていないところで、商売道具を田舎からあてもなく出て来るようなものにまた貸しし、夕方、元手を割り込むかどうかくらいのぎりぎりのお金を売上金として上納する、を繰り返しているようで、そんなんで金貯まるわけないやろ、みたいな展開です。

住むところもおもしろくて、ビルマの公務員用公営住宅には、棟と棟のあいだに、使用人が住むバラック棟があって、そこがまた貸しや占有、立ち退き拒否のすくつで、主人公は後ろめたいことなど何もなく、共稼ぎのヨメさんがお手伝いさんなのでそこに住んでいるという設定です。

f:id:stantsiya_iriya:20201107115838j:plain
f:id:stantsiya_iriya:20201107115845j:plain
現代ビルマ瑞いつの人気作家によるラングーン庶民生活譚。 果物の物売り、モヒンガー売り、生春巻売り、タクシー運転手、金貸しブローカー、役人、警官たちが演じる日常生活が、見事に活写される。 軽妙な訳文にのって、我々は喧噪たるラングーンの下町、マウンターヤのいるマーケットにやって来た! 

個人の方の翻訳集成サイトを見ると、新宿書房の双書・アジアの村から町からは、14冊出ていたようです。今は影も形もない。

田辺寿夫 - Wikipedia

訳者の方のウィキペディアを見ると、根本敬が出て来るので、友だちかもしれません。本書奥付時点では日野に住んでいたそうで、おととい日野駅は通ったのですが、そっちじゃないみたいです。まだ住んでるかどうかは知りません。どのみち奥付の住所は、丁番等が現在では変わっているので、そのままでは役に立ちません。

ビルマ情報ネットワーク burmainfo.org - コラム:田辺寿夫(シュエバ) - ビルマ人のスキップ

ほかの本を訳した南田みどりという人もビルマ名を持っていましたが、田辺寿夫さんもウー・シュエバというビルマ名を持っているそうで、ビルマ文化ってそういうものなのかと思いました。中国人は英語の中ではイングリッシュネームを使いますが、ビルマはどういう具合になっているのか。本書にはムスリムインディアンと漢族の夫婦が登場し、インド系の顔立ちの子どものほうだけ中国名があるとか、チャーハンに目がないので、チャーハンは豚の脂で炒めてるといくら言っても聞いてないふりや忘れたふり、植物性油脂のはずだけど… などと言ってごまかしてやきめしを食べ続けるくだりがあります。

www.youtube.com

奥付の、原書タイトルのアルファベットビルマ語を検索すると出て来る歌。この小説とは関係なく、パーツの単語がカブってるだけみたいです。訳者によると、本書の文章は、短文の連続で、ふつうのビルマ語の文章とは相当違うそうです。翻訳に際しては、トヨタの「隣人を知ろう」財団の助けが大きかったそうです。しかし本書に登場する日本車は東洋マツダマツダビルマに工場があったから。

装幀者の名前はなし。訳者による前口上によると、本書編集中の1983年10月9日にラングーン事件が起こり、憶測を排して現地をよく知らねばならん、と強引にビルマへの関心の方向に話を持ってってます。

ラングーン事件 - Wikipedia

マウンターヤは著作のため、毎回その業界に潜り込むんだそうで、訳者によると「いってみれば、インテリふうに味付けした庶民料理」とのことですが、訳文のべらんめえ調が原文どおりであるなら、インテリが庶民を装ってるとも言えると思います。本書は贅沢なことに、三人のビルマ人が解説を寄せていて、それもぜんぶ翻訳されているのですが、その三つめの、「それを言うとマウンスンイーの言いすぎだ」マウンスンイー(後輩で同じマンダレー人)によると、口語文体とはどうすればいいのか、大学でも評論でも頭を抱えてるとのことなので、マウンターヤがんばってる、そうです。

この内輪受けの三人のビルマ人文藝關係者の解説のほうが実ははるかに面白くて、この三人目が大学に入ったころは、先行するマウンターヤらの世代は全員学生運動で投獄されて大学はもぬけのカラだったとか、マウンターヤの悪いクセで、ネタがない時や、書けないネタしかない時は、これさえ書けば上のウケがよい、投降共産党員が転向して政府の役人になった話ばっか書くとか、そういう緊密な仲のよさをうかがわせる話がたくさん出ます。マンガもない、テレビもろくなのがない、そも停電で見れない世界では、小説も検閲前提なのですが、まだまだ強いのだなと。

三人目の解説によると、本書はマウンターヤ34作目で、33作目が『引き算できなければ十借りる』12作目が『おまけに人までさらった』14作目が『人形の顔、花の顔』17作目が『上半分と下半分』だそうです。で、井村から『母・道なき道を手探りで』という邦訳が土橋泰子訳で出たモウモウインヤーが彼の後継者なんだとか。スタートが恋愛小説家で、一度消えてからリアリズムルポ小説家として再生したマウンターヤについて、「見せかけだけだった」とか、年下で唯物論者の三人目は、同郷人なのに厳しいです。でも、マウンターヤの小説にジュードー、カラテが出てこないことはほめている。

こはちょっと面白くて、一人目の解説によると、ビルマの大衆小説、流行小説の多くは、香港製の中国映画中国劇画の焼き直しが多いんだそうで、スリルとサスペンスと恋愛ががぜん主役なわけですが、そこで格闘技が、カンフーでなく「ジュードーとカラテ」というのが、たぶんナントカドラゴンが出る前の香港の状況なのかもしれず、それが社会主義体制下で情報がスポイルされたビルマにまだ残っている、というふうにも読めました。

一人目は『色黒の女が勝利の旗をたてる』(1971年刊)『兎とともに逃げ、犬とともに追う』(1975年刊)といったほかの作品を出してます。好き嫌いがあって、『むせび泣く』はキライなんだそうです。私は好きですが。そんでまあ、マウンターヤをスタインベックの『二十日鼠と人間』や三島由紀夫の午後の曳航のビルマ語訳タイトル『船員』と比較してます。ビルマ文学で農民を扱ったものを一個上げろというと『農民ガバ』になるけど、あれは1947年の作品じゃないか、いまだにあれを越えるものが出てないってのは、むにゃむにゃだよ、みたいなことを書いた後、「ウルトラ左翼」は、イギリスのラルフ・フォスから中国の四人組まで、美化された完璧なヒーローの労働者階級物語ばっかしだし、右翼は、すぐ近代における◯◯主義といったレッテルを作り、抽象化に余念がない。どっちもだめだよ、とした後で、マウンターヤを出しているのです。

Ralph Winston Fox - Wikipedia

すばらしいなあ。21世紀、ウィキペディアの項目すらなく、自身で自書の刊行を一切認めずアメリカで死んでいった作家が、活躍していた頃はこんな高評価だったんだなあと。

頁23、ドンゴロスの語源はヒンディー語dungriだとか。

頁115、夫婦げんかの時の女房のせりふ、「あんたと私とは、たまたまめぐりあわせで一緒に住むようになっただけよ。腹の底まで、ピッタリ合ったわけじゃないのよ」お腹がピッタリ合うふたりを見てみたいです。カミソリ一枚通さないんだろうか。

頁175によると、ラングーンで生春巻を売り始めたのは中国人で、それが本書時点では中国人街に二人か三人残ってるだけになって、あとは全部ビルマ人になってしまったそうです。生春巻って発祥はベトナムだと思ってるので、ベトナム人ビルマにいないのかしらと思いました。カンボジアじゃベトナム人ブイブイいわせてるはずですし、タイの小説『東北タイの子』で、越僑の店と華僑の店が村の目抜き通りでバチバチ戦って、越僑のほうが強いという描写を読んだ記憶がありますが、そっからビルマまではまた遠いのか。

配給があって、その配給手帳をカタに小銭を借りる人が多くて、金貸しは、配給日には配給物資をいったん自分のとこに集積させ、よいモノは転売して利ざやを稼ぐとか、そういう、右でも左でもない、「独自の社会主義体制」のおもしろ記述(住んでる方はウンザリでしょうが)も、日本も独自の配給でしたから、好まれる気がしました。チトーのユーゴが好きな人はビルマも好きだった、みたいな話があるといっそうそう思いますが、そんな人に会ったことはありません。以上