『二十一世紀ミャンマー作品集』၂၁ရာစုမြန်မာစာပေါင်းချုပ် "Hnah Hsal Yarzu Myanmar Sar Baungzu"(財団法人大同生命国際文化基金 アジアの現代文芸 MYANMAR [ミャンマー]⑨)読了

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二十一世紀ミャンマー作品集 (大同生命国際文化基金): 2015|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

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၂၁ရာစုမြန်မာစာပေါင်းချုပ်

マ・パンケッの人のビルマ語名の由来が、マウン・キンミン(ダヌピュー)という作家さんによる訳者紹介に書いてあるので借りました。花の枝という意味だそうです。マウン・キンミン(ダヌピュー)という作家名の表記については、ビルマの人名には姓がなく、生まれた曜日にあてはまる字を使用するので、非常に同名が多いため、区別するために自分で名前の後ろにカッコをつけて出身地ほかを入れて、識別の便を計ったりするんだとか。枚方のいちろうさんと私市のいちろうさん、生駒のいちろうさん、喜連瓜割のいちろうさん、みたいな感じでしょうか。

装幀 山崎登 扉絵 樹下龍児

今世紀に入ってから2012年に民政移管するまでの現地の雑誌を訳者が読んで、そこからピックアップした作家さんの小説14編、詩を16編、総勢30人を収録してます。ミャンマーの検閲はどんどんひどくなって、事前検閲でおkだった作品も後から削られたりするなど、めちゃくちゃなのだそうで、一時期これなら大丈夫と思われた「人生描写小説」も全然だめで、私が女性短編集を読んだ時に、観念的で抽象的な表現ばかりだな~と思った作家さんの路線をけっこうみんな走ってる感じです。尻切れだったり、何が言いたいのか分からなくしてたり。数十年のスパンで検閲とそれを意識した自主規制が続くと、文学はこんなにも衰退するのかという感じ。

マ・パンケッの人も、これまでは詩を紹介してなかったのですが、もう今回は詩を入れないとスペースが埋まらないので、詩を入れて、ビルマ現代文学における詩の位置づけなんか解説で書いてます。そうとは知らず、詩がいっぱい続くので、詩なんか原文を訳す時しか楽しくないだろうに、とか思ってました。巻末の作家紹介に、「なぜ書くのか」という質問への回答項目があり、ある作家が、「1990年代以降若者にとって詩は感慨を最も安全に与えることができるものとなったから」と書いていて、唸りました。

しかしそこも安住の地ではなくなりかけてたようで、かつてアカンかった肌露出のグラビアや、過去に検閲済の安心・安全な復刻小説とサスペンス、ミステリーなどの娯楽小説は軍政時代も全盛だったそうですが、その一方で、詩もしめつけが厳しくなってたとか。それが民政移管で一気に変貌し、冬の時代は終わったんだそうで、今年またクーデターですが、それまでの民政移管の時代はいろいろ息を吹き返しかけてたそうです。本書にはそれは収められてません。大同生命のこのシリーズは非売品なので、だからこそというか、軍政末期はこんな形でしか表現が世に出てなかったんですよ、という本になってます。

日本だと、純文学と大衆文学の垣根があいまいになってるので、娯楽作品かつ考えさせるようなものもあるんで内科医外科医と思うのですが、そこまで手を広げられないのか、東野圭吾みたいのは入ってません。向こうのコーディネーターなりなんなりが「これもおもしろいよ」と言ったりするような娯楽作品があるのかないのか。覆面作家が多く、パクリも多そうですし。

しかし初出を見ていくと、何本か、民政移管後の2013年、2014年発表の作品も入っており、「デモクラシーはレイプされた」「サフラン革命」などの単語が出せるのは民政移管後の作品だからかとか、発表は2013年だが2007年作となってる(当時の標語、注意書きの看板を集めた作品)とか、じゃあこれはどこが民政移管後の踏み込んだ表現なんだろう、「ナイフ」「果実」「狂犬病患者」ドナルド・バーセルミの小説(頁169)… などなど、考えながら読んでいく愉しみもありました。楽しくないかそんな作業(反復

ja.wikipedia.org

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四章構成になっていて、第一章が「生」、第二章が「老」、第三章が「病」、第四章が「死」です。四門出游なのか。

〈目次〉

訳者紹介―美しい名の持ち主の誠意ある仕事 マウン・キンミン(ダヌビュー)

第一章 生

詩1 調弦 ピューモン "Kyo Hneigyin" 2012

詩2 予兆 トゥカメインライン "Nahmeikpone Myarr" 2009 

詩3 サムライ・キングダム モウゾー "Samurai Nainengandaw" 2010 

詩4 リサ姐御はライザへ行ったことがあるか ゼーヤーリン "Ma Ma Lisa Line Zar Yaukphoolarr" 2013 

短編1 霧晴れ初めし朝 チョーイマン(マンダレー)"Hnin Kweza Nannetkhin" 2008 

短編2 ぼくら、君ら、彼らのこと ウー・スエー(ダッタニカ)"Kyundawdoe Khahmyardoe Hnint Thudoe Ahkyaung" 2010 

短編3 殿方よ、愛がないならお捨てになって ミンウェーヒン "Pyodoe Lin Shin Mah Chityin Pitkhaitaw Kwal" 2010 

第二章 老 

詩1 いまおまえに見える星たちは マウン・ピエミン "Min Ahkhu Myinadai Kyaldway Har" 2010 

詩2 こだわり マ・イ "Ahswe Kyeegyee" 2012 

詩3 時代 ティッサーニー "Khit" 2013 

短編1 雲輝く黄昏 ウェー(イコー) "Tein Taukthei Hseezar"  2012 

短編2 バラの尋常ならざる夢 チューニッ "Ba La Ei Htoo Hsanndhaw Einmek" 2005 

第三章 病 

詩1 木曜ごとに アウンチェイン "Thaukkyar Naedaing" 2009 

詩2 この詩はこれにて終わる ヘインミャッゾー "Die Gahbyar Diehmar Hsohnbardal" 2008 

詩3 詩 マウン・ピーラー "Gahbyar" 2012  

詩4 聖地にて靴と靴下の着用を厳禁する ルーサン "Wuttahka Myedwin Phahnat, Chieik Seeningyin Go Kyatteizwar Tarrmyithie"  2013 

短編1 小さな四つ角 モウティッウェー "Lannzone Gahlay" 2010

短編2 青い心の人 リンタイ "Seik Ahpyar Yaung Hnint Lu" 2010 

短編3 天は蓋 土は中 ジョーゾー "Moe Phohn Myedei Pyattahnar" 2003  

短編4 車内 グエーズィンヨーウー(モウゴウ) "Karr Bawhmar" 2010 

短編5 空洞状態のままのその町 モウテッハン "Hinlin Pwintdai Ahne Ahtarr Ahtaing Hto Myoe" 2014 

第四章 死 

詩1 鐘を打つ音が聞こえるか マウン・ティンカイン "Khaunglaung Htodhan Kyarryailarr" 2009 

詩2 私のバッグの中に一本のナイフがある ニョウピャーワイン "Kyunma Slim Bag Hteihmar Darr Tahchaung Shidal" 2014 

詩3 死んでいった者の罪状 チーゾーエー "The Thwarrdai Lu Yai Pyithmu" 2013 

詩4 存在したくないわけ モウウェー "Mah Nelogyin" 2009 

詩5 次の世界のためのもうひとつの創世歌 コウ・ニェイン(マンダレー)"Naukhtat Gahbar Ahtwet Naukhtat Gahbaroo Thahchin" 2011 

短編1 帰宅 スミアウン "Ein Ahpyan" 2002 

短編2 紙飛行機 ミェーモンルィン "Sekka Leyinbyan" 2012 

短編3 黒の上下 ニーミンニョウ "Ahnet Yaung Wutsone Tahkhu" 2006 

短編4 スシ ナッムー "Sushi" 2011 

二十一世紀のビルマ文学―解説にかえて 

著者略歴・訳者略歴 

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၂၁ရာစုမြန်မာစာပေါင်းချုပ်

各作品の題名のアルファベット表記は版権一覧のページから。作者名のアルファベット表記はありません。ビルマ語表記もありません。版権所有者の名前がずらずらあるのですが、それを引き写してもしょうがないので、それは打ち込んでません。

作者名一覧に、民族の欄がないので、なにじんか分からないです。作家名詩人名版権保持者名を見てゆくと、漢族がいるかもなと思いますが、分かりません。マ・パンケッの人は本書でも、「ビルマ」「ミャンマー」の表記についてあれやこれや書いてますが、民族は「ビルマ族」はじめすべて「~族」です。「~人」表記はありません。『ビルマ文学の風景』を読んでいてふしぎだった点のひとつに、漢族だけ「華人」と「~人」で表記している点。国籍中国の中国人は中国人で、「イタリア人」「日本人」同様、「中国人」と書いてるので、「華人」はビルマに土着した華人のことだと思うのですが、国内のほかの民族はなべて「~族」なのに、なんで漢族だけ「~人」の「華人」なのか、今でもふしぎです。

「サムライ・キングダム」という詩がありますが、訳注によると、作者はまったく日本を念頭に置いてないとのこと。「スシ」には、マグロの乱獲と絶滅を防ぐため捕獲と売買を禁止する提議を日本が扇動して否決したという記述があります。頁233。事実や如何に。

www.wwf.or.jp

まず、ネトウヨの人が脊髄反射する国際組織のサイトでは、直球ではありませんが、ちょいとグレーの書き方。

https://www.spf.org/_opri_media/projects/information/forum/backnumber/pdf/70_02.pdf#page=2-3

2010年海洋フォーラムでの水産庁の人の講演では、そうじゃない、日本が扇動したんじゃない、その旨情報発信を今後もきちんと行っていこう、とあります。

 大西洋でクロマグロ漁業を行っているのは、地中海であり、ヨーロッパ諸国が6割を占める。クロマグロ減少のそもそもの原因は、ヨーロッパが規制に反対し、規制を守らなかったことである。しかしながら、環境保護団体としては、欧米諸国を批判すると、資金集めにつながらないこともあり、日本の批判を開始する。日本としては、捕鯨トヨタの問題のように日本攻撃の問題として扱われないよう、欧米のメディアを含めマスコミに対して十分な事前説明努力を払う必要がある。 

 今回のCITES会議の論議の大勢を決めたのは実は日本ではなく途上国であり、彼らは、資源が減った原因はEUという先進国の乱獲にありその付けを途上国に回すのは理不尽だと強く反発した。彼らの主張のきっかけを与えたにすぎない。これからの国際会議は途上国抜きにしては何も決められない。以前のように欧米と日本がリーダーシップをとって決定するというわけには行かないことを肝に銘じて対応していくべきだ。 

 下記、2017年の東京海洋大学准教授の人の署名記事では、やっぱり日本ガー、となっています。

news.yahoo.co.jp

しかし、EUの中でもスペイン、イタリアなどの漁業国とそれ以外の足並みがそろわなかった上に、日本とリビアが水面下で手を結び、中国、韓国とも連携して、途上国を中心に反対票をまとめてモナコ提案を阻止しました。 

 たぶん、ゼーヤーリンという人はカレン人かな。政府軍と交戦するカレン部隊の話を書いてるので。ルーサンという人の、2007年の、バスやら映画館やらの禁止事項看板の文句を並べただけの詩を見ると、「本地域はHIVゼロ地域」などの表現が見え、わりと清国、否、深刻なんだなと分かります。ゼリーつきゴムを配布してることになってる。その前のアウンチェインという人の詩にも、そういう一文があり、そこの訳注を読んでへえと思いました。

*2 十一世紀前半、ビルマ族のパガン朝では、密教色の強いアリ僧が政治的権力を持ち、初夜権も行使したため、ビルマ王が南部のモン族の王国を攻略して南伝上座部仏教を取り入れ、宗教浄化をはかったとされるが、歴史研究者にはその説に懐疑的な向きもある。 

 インド側はナガランドとか外国人立ち入り禁止だから見えにくいですけれど、ブータン雲南の徳欽もチベット仏教文化圏ですので、テラワーダとの間で文化の分水嶺ではひと悶着もふた悶着もあったのだろうなあと。衆生を救う大乗と、個の救済のテラワーダとは、相容れないわけですが、お互い棲み分けをしてかしこく生きてるばっかりでもやはりなかろうと。初夜権は、梅棹忠夫の『回想のモンゴル』でも、これをやるラマ僧に梅毒持ちが多いのでモンゴルの人口漸減に繋がっていると書いてました。

終わりのほうになるとぐっとくる短編も増えてきて、『紙飛行機』は、最初ミャンマーに進出した外国ゼネコンの話かと思ったのですが、読み進むうち、海外出稼ぎ労働の話と分かりました。

www.youtube.com

むかし、京都のタイレストランにいたころ、コックさんのひとりが、こっそりタイ米を持ち出して、バレると怒られるので、昼休み外に出て、ないしょで鴨川の鳩にエサやってたのを思い出しました。ダメですと禁止するだけでは、その人はその程度のことだと続けるかもしれない。本書の話と共通するのは、さびしいからという気持ち。以上