マ・パンケッの人の本で、邦人が書いたビルマを舞台にした戦争もので唯一現実に近いビルマ人が登場する作家ということで紹介されており、それで借りた本です。さびしいので、てきとうにグーグル翻訳のミャンマー語とエイゴをつけました。
『ビルマ文学の風景 ―軍事政権下をゆく』読了 - Stantsiya_Iriya
マ・パンケッの人が取り上げてるのは、『メフナーボウンのつどう道』(文芸春秋2008)、『中尉』(角川文庫2014)、『ニンジアンエ』(集英社2011)、『いくさの底』(角川書店2017・毎日出版文化賞受賞)ですが、私はへそ曲がりなので、その後に出た本書をまず借りました。五作連作の短編が収められていて、初出はいずれも小説推理。平成27年5月号『精霊は告げる』令和元年7月号『敵を敬えば』令和元年9月号『仏道に反して』令和元年11月号『ロンジーの教え』令和二年1月号『ビルマに見た夢』
版元公式には、令和二年六月号に日下三蔵が書いた書評があります。
装画 agoera 装丁 高柳雅人
顎鰓なのか、過去の"ago"で"A Go Go"で"era"時代なのか、という人の表紙で、中表紙はそのモノクロ。この人は、祥伝社の『ランチ酒』の裏表紙*1や毎日新聞の『我らが少女A』のイラスト*2がいずれも非常に印象的だったので、私の中でハードルがあがっていて、それでいくと、本作の表紙は、物足りなかったです。日本兵の体格をどう描くかでまず、七頭身か戦中の体格かで悩んで、ぼやっとした絵でごまかした感がある。
女性が得意ってこともないんでしょうが、斎藤飛鳥で描いてみようとなったほうがいい絵が描けたかもしれません。
作者は航空自衛隊を経て、三十にして小説家として立った人なので、才気かんばしったしとかもしれないと思いました。沖縄や南洋も舞台にしてるようで、ビルマは特に何作も書いているようです。支那事変、十五年戦争は書いてません、たぶん。ぜんぜん別の諸相を見せるからか。見落としてたらすいません。
(1) 将校の日本語を耳コピして覚えたモンネイという十歳の少年が出ますが、最初、十歳という属性を読み飛ばしていたので、この少年の日本語に、なんかムカッ💢ときました。嘉義農業という、台湾の旧制中学球児たちの甲子園を描いた台湾映画「KANO」には、漢人や現代でいうところの原住民の学生が、邦人学生と浴場で裸のつきあいでバンカラな日本語のため口を利く場面があり、相手に他意はまったくないのですが、これが相当にムカッとくる言い方で、それを思い出しました。ムカッとくるのはネイティヴの傲慢なのか、ムカッとくるのは自然な感情の発露なのか。
(2) 主人公はビルマ語が達者な下級将校で、相当論理的な会話も相手(村の有力者)とこなすのですが、随所に、相手が分かりやすく発音するのに助けられる等の描写が欠かされることはなく、誰かの経験に裏打ちされた肉付けだと思いました。兵隊支那語の世界、残酷さとこの小説は無縁です。転戦してきた古参兵も多いと思うのですが、徴用という言葉でなく「幕労」が使われるその現場も、まだ論理が支配する世界です。フーコン戦記が日増しに厳しくなり、「ウ号作戦」と言われるインパール作戦に突入する前夜(しかし制空権はとうに英空軍に握られている)という設定の賜物とも言えますが、作者が学んだ戦後自衛隊の、米軍の訓導、米軍式合理精神がこの小説の背骨を作っているような気もします。
(3) 「セレ」という、説明のない現地たばこが登場するので、検索して、下記が出ました。
玉蜀黍の葉に木屑とタバコの葉を刻んだものを混ぜて包んだ物
下記はてなブログによると、1945年時点で一本一円五十銭だったそう。本書でも屋台のコーヒーの支払いなど軍票なので、軍票なんだろうなと。同時に、下記にも通貨単位を「ルピー」と書いてあり、私は戦後ビルマ小説を読んで、通貨単位が「チャット」なので、本書76の「ルピー」に当惑してたのですが、ルピーなんだと分かりました。
マ・パンケッの人が訳したテインペーミンの戦前小説もそのうち読もうと思ってますが、そこだとチャットでなく、ルピーなんだろうなと。
(4) 「戡定作戦」という言葉が頁83に出るのですが、知りませんでした。日本軍はさきざきでビルマ人から水や宿の提供を受けたおかげで、わずか四個師団で日本本土の二倍近いビルマを「戡定」出来たとあります。ウィキペディアには、西部ニューギニアや小スンダ諸島の「戡定作戦」の項目はあるのですが、ビルマのそれは、全体の「ビルマの戦い」の中に収められているのか、単体では見当たりませんでした。
(5) フーコン「谷地」の戦斗に絡んで、「米式支那軍」という単語が頁35にあらわれ、後半どんどん出て来ます。これまでの國府軍と異なり、まったく皇軍と互角に戦える軍隊で、先手先手をとってくると、本書では伝聞主体で書かれています。私は古山高麗雄『フーコン戦記』読んだか読んでないか、記憶が定かでないです。しかし「米式支那軍」という単語は覚えてません。なんとなく、ふっと思い出したのが、小林よしりんの『戦争論』(雲南の竜師団が出て来るはず)ではなく、武漢日記のファンファン(方方)大佐が父親を回想した小説。大佐の父親は戦中雲南で米軍と合作する現場にいて、彼らの流儀、彼らの精神と云うものを学んでいて、解放時共産党に幻想を抱いていたので台湾に逃げず南京で朱毛匪、否、ジェファンジュィンを迎え、その後しもたと思ったかどうか、米軍との开朗な日々の記憶を封印して過ごしてたのが、長期出張の現場の雑魚寝宿舎でうっかり隠してた手帳だか日記だかを見られて密告されます。なんかそれを思い出しました。この小説に流れる軍人の精神は、科学的で、疲労防止の休養の重要性を村の有力者との会話で認める個所などは、まったく日本軍であって日本軍でない、戦後の自衛隊ではないか、あるいはその理想を過去にさかのぼって追求訴求で、そこには米軍式の何か理念が投影されている。そしてその敵の蒋介石麾下の部隊もまた、國府であって國府でない「米式支那軍」であるという…
(終) 作者は戦闘が激化して、無理が合理を駆逐する前に本書の筆を置いています。インパールほかはもう書いていたはず。束の間の平和な日々を(散発的な空襲下ではありましたが)agoeraが、戦後の七頭身のようでもあり、戦前からの猫背気味のようでもある兵士たちとビルマの田んぼで描いた表紙なんだなあと、見返して思いました。以上