『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』"Mysterious Asian traditional soybean foods fermented with Bacillus subtilis var. natto. And the 'Japanese Nattō' that came back." 読了

『謎のアフリカ納豆』を読んだので、その前編であるこれも読みました。

www.shinchosha.co.jp

装幀 坂野公一+吉田友美(welle design)  写真 著者 地図製作 島田隆 網谷貴博(アトリエ・プラン)竹内先輩というカメラマンとの二人三脚のはずですが、奥付等にはその人が登場せず、どういう人か検索してもAKB48の歌しか出ません。著者の脳内妄想にあらわれる、旅の道連れなのかもしれません。

この本を読んで、『謎のアフリカ納豆』を読んで疑問に思った点のいくつかが解消出来ました。

(1)

頁11

◎註

 私は日頃、民族を表すのに「シャン人」というように「族」ではなく「人」を使用している。「族」は「遅れている地域の民族」という偏見が含まれるように思うからだ。その証拠にヨーロッパ人である旧ユーゴスラビアの民族は「セルビア族」とか「アルバニア族」などと呼ばれない。しかしながら、本書には国をまたいで実に多くの民族が登場する。タイ人とタイ族など、国籍なのか民族名なのかで意味が大きく変わる場合もあるし、混乱しやすい。また、中国のように公式に「漢族」「傣族」のように「族」を使用する国もある。よって、今回に限っては民族を「~族」で表記することをお許し願いたい。 

 この表記法は続刊にも踏襲されており、私はおおいに頭を悩ませました。新潮社の表記コードにあわせるための苦肉の弁明な気もしますが、こうなっている以上しかたない。

(2) 

本書の「謝辞」は日本語が五ページ、英語が1pageです。"Acknowledgements(外国の方々への謝辞)I would like to thank all the people who helped my research in Thailand, Myanmar, Nepal and China (Including Bhutanese friends)." と具体的な人名のみ。続巻でナイジェリアとセネガルブルキナファソの人たちに向けた英仏両文の謝辞があわせて一ページで、ハングルの謝辞がまるまる見開き2페이지で、なんでですねんと思ったですが、一冊目で日本語の謝辞が五ページもあるからなんですね。大変だなあ。

中国をここに入れてるんですが、中国国籍の人名を出さないのは、

頁259 第十一章 味噌民族 vs. 納豆民族

 うーん。やっぱり町ではなく村に行きたい。でも東南アジアとちがって、ここは日本人が単独でうろうろしていてもいいことはなさそうである。たいていの人は日本人に特別な感情を持っていないようだが、中には「日本人お断り」と書かれた中国版"極右”の店もある。

というような事情があり、取材協力者がちゅごくのネトウヨに人肉捜索されてくだらないことにならないようにだと理解しました。湖南省鳳凰古城にもそんな店があるのかなあ。重慶から湖南省に向かったようなので、重慶の店かもしれない。重慶なら、日本の爆撃に音を上げなかったのが誇りのひとつでしょうし、本気にしても半分洒落にしてもそういう店はありそうに思えます。

ミャンマーの協力者に現地漢族がいて、簡体字でご芳名記載してます。もうなんかここまでバランス感覚に腐心してるの見ると、パートスリーで台湾の納豆民族を訪ねなければ完結しない気がしてきました。地政学的に。

en.wikipedia.org

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/36/Natto-kinema-thua_nao_en_01.svg/220px-Natto-kinema-thua_nao_en_01.svg.png左は英語版ウィキペディアの納豆トライアングルの図で、タイ北部からビルマのシャン州にかけての「トナオ」と、ネパールの「キネマ」は本書にも登場しますが、点線で伸びているインドネシアの「テンペ」は本書には登場しません。何故かというと、テンペは納豆菌と別の菌を使用して発酵させてるから、本書の全国納豆協同組合連合会が定義する納豆にあたらないからと推測されます。台湾に納豆があるとしたら、それは湖南省貴州省の苗族(モン)と同種のシュイドウチーではなく、テンペのマレー系がフィリピンから連綿とフォルモッサにまでつながっているかたちのがありそうなので、それだと本書定義のアジア納豆のワクを超えてしまうので、含められないのかもしれないです。

ja.wikipedia.org

本書ではビルマのアラカン山脈だかラカイン山脈だかのむこうに住むナガ族も訪ねています。ナガ族は緬印国境を跨いで暮らしており、ビルマ側が自然が険峻で、インド側は自然が穏やか。ので、インド側のが開けて近代化されてるそうで、インドに行く方が明らかに取材はラクなはずなのにビルマ側で取材しています。(3) 飲み屋大賞ではないですが、ある程度継続して読んでる読者なら、『西南シルクロードは密林に消える』で著者がインド入国禁止になり、『怪魚ウモッカを追え』でその沙汰が半永久的な措置であることが判明したくだりはなんとなく覚えているので、それで本書もインド側で取材出来ないんだな(あと、インドがナガランドの外国人立ち入りにウルサイ)と推察出来るのですが、そんな「不都合な事実」は1㍉も本書に書かれてません。ただ、そんな高野サンへのイケズなのか、英語版ウィキペディアは、インドのアルチャナル・プラデシュ州の「ピアク」という納豆食品を書き込んで、やーいタカノ、インドへ来いよ、と挑発しています(たぶん)

下記は作者の著書で唯一英訳された『アヘン王国潜入記』のアマゾンレビューのグーグル翻訳。英訳者をボロカスにけなしています。そんなにひどいのか。英語になっていない?

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 相変わらず作者の取材はマメで、ミャンマー納豆については、インパールの白骨街道で死屍累々の日本陸軍兵士はシャン人やカチン人の納豆に出会わなかったのだろうか、と考え、インパール作戦の従軍記等をかなり読み込んだ作家の古処誠二サンを直球で訪ねています。マ・パンケッの人が認めた作家サンのところに直球で直行。ムダがない。中国納豆については、張競サン。アフリカ納豆の本ではあまり知ってる人が出ませんでしたが(ハッサン中田考は出ません)本書はアジア納豆なので、けっこう出ます。苗族納豆(モン納豆)を東京で出す中華料理店(シェフは邦人)については、本文では麻布十番の雇われ、謝辞段階でシロガネーゼオーナーシェフ、とローリングストーンな展開になっていて、如何にも鍋振りの人という気がしました。が、検索したら、フレンチの名店でも腕を振るったことがある人のようで、斜め上でした。要予約の店だとか。

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味覚というのはもっとも保守的な感覚器官というとおり、本書の写真を見ても、味の組み立ても何も予想がつかないアジア納豆の世界より、中華の納豆入りホイコーローのほうが、味の計算が予想つく分、おいしそうに見えてしまいます。自分で自分のリミッターがはがゆい。岸朝子が毎回道場六三郎を選んでしまう寂寞。ネパールの、グンドゥルックと納豆の和え物のカラー写真もあるのですが、味がピンと来てません。実はこの本、私は日本人おかみのネパール料理店でも見ていて、その店のスタッフは本書を読んでその土地まで行って現地納豆を食してきたのですが、店で出すメニューにはしておらず、理由をきくと、「だって納豆と同じなので、同じ味だから、惹きつける魅力ガー」というものでした。グンドゥルックと合えたら日本の納豆味から雄飛すると思うので、再度メニューどないだと聞いてみようと思います。別に日本の納豆使って、ネパールふう納豆料理というふうに出してもいいわけなので。

本書のミャンマー取材では、私が実は行きたくて行きたくてしかたないミトキーナ、別名ミッチーナにもさくっと行っていて、州都で政府軍勢力圏なのでマンダレーからタンカンに飛べるとのこと。ものっそ、いいなあと思います。ただ、私がミトキーナに行きたい理由は、またこれがくだらなくて、この町を漢字で書くと「密支那」だからです。時と場合によっては、漢民族もふつうに「支那」使ってるよ、という主張の一環なので、それで大枚はたいて辺境に行くほどの酔狂が出来る人生の折り返し点を過ぎてしまったのが、さびしいかな。

同様に、シャンの納豆料理の、「パー・ナンピック」は、ラオス料理の店でも作ってないかとか、苗族のモン族はラオス人口の10%を占めると本書頁256にあるので、ラオス料理店でモン納豆作ってないか、タイ北部納豆やってないか、訊いてみたいと思ってますが、さてどうでしょう。

タガヤサン - Wikipedia

頁77の、タイの海苔「タオ」も食べてみたいです。

角幡唯介『極夜行』『極夜行前』も続刊から先に読んだので、優れた本は、どっちから読んでもいいものだと改めて思いました。本書は、続巻で登場する韓国のチョングッチャンについて既に謝辞を述べていますが、キムタクの「HERO」映画版第一作に名前だけ登場することは、こちらでも触れられていません。続巻はチョングッチャンの個所で、納豆と味噌を相反するものでなく、ひとつに取り込んだ韓国文化、という視座を提供しているのですが、本書ではまだその考察に辿り着いておらず、納豆と味噌は菌的に相反する、内陸民族と沿岸民族(または多数派民族)によって使用可否が分かれる味付け調味料、の視座に留まっています。

ただ、日本納豆についてはかなりきっちり調べてきていて、眼からウロコの史実が多いです。曰く、江戸時代までは日本人は関西でもかなり一般的に納豆を食べていて、ただし、その食べ方は納豆汁だったとか。千利休も納豆汁の献立を残していて、江戸時代には川柳に納豆を詠んだ句が多く残されている、などなど。それが明治以後いったん廃仏毀釈のごとく断絶し、近代納豆は、企業が納豆菌を科学的にコントロールして生産した生納豆を市販し出した時点を以て嚆矢とするとか。

ここまでやってるのなら、やはりパートスリーをやってほしいと思います。東南アジアの、タイから今度は東側、北東側に抜けたラオスベトナム各地の納豆。テンペの紹介。フィリピン台湾へは、納豆、テンペどちらが到達したか。そして幻のヨーロッパ納豆、トンブクトゥのマリ納豆。こうやってすらすら海外の土地はリクエスト出来るのに、日本納豆については新機軸をどう組み込んだものか、想像もつきません。作者はどうでしょう。いずれにしろ、続巻出すには小粒な気ガー。

巻末に参考文献。この段階では英文文献は、ブータンの英字新聞のみ。初出はすべて「考える人」という新潮社の季刊誌。2014年夏号が第一章。第二章は書き下ろしで、2014年秋号が第三章。第四章が2015年冬号。同年春号が第五章。第六章が書き下ろしで、第七章が2015年夏号。同年秋号が第八章で、第九章は書き下ろし。第十章は2016年冬号。第十一章と十三章書き下ろし。第十二章が2016年春号。同誌は、2017年春号で休刊。ので、続巻はウェブ掲載だったのかなと。

以上です。

【後報】

ラオス料理店に行って、納豆みたいな調味料で、トナオというのを使いますかと聞いたら、「トダオ」と聞こえるはっちょんでしたが、カオソーイのダシに使っているとのこと。灯台下暗しです。

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トナオを使っているというカオソーイ。昨年十月の写真。

(2021/9/10)

【後報】

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ネパール料理屋の女将が冷蔵庫から出してきてくれたキネマ。葉っぱにくるまれてるのが生で、後ろの赤っぽいのは唐辛子を使った辛いものだとか。

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乾燥キネマ。ふつうに食べれました。

タカノうじの本では、アテンドの女の子がぶっとんでいたせいか、これを使った常食料理の説明が少なくて、たとえば日本で納豆を使ってネパールふう料理を作ろうにも、何を作っていいやらという話をしましたら、話が飛んで、グンドゥルックと同じだという、長野の「すんき」という塩を使わない日本唯一の漬物の自家製を見せてもらうという予想外の展開になりました。

すんき漬け - Wikipedia

(2021/9/16)