『世俗を生きる出家者たち ―上座仏教徒社会ミャンマーにおける出家生活の民族誌』"Monks in a Secular World: The Ethnography of the Life of a Monk in the Theravada Buddhist Society of Myanmar." by Kuramoto Ryosuke Published in Kyoto: Hozokan, 2014, 305p. 読了

f:id:stantsiya_iriya:20211006074242j:plain
f:id:stantsiya_iriya:20211006074247j:plain
X僧院は、なぜ「森の教学僧院」という無謀な挑戦に乗り出したのか―― 「森」こそが律遵守の出家生活を行うのに相応しい。そのためにあえて経済的な不利益よりも修行の利益を優先し、在家者の居住空間から離れる。それがX長老と在家の支援者たちの決断だった。

pub.hozokan.co.jp

装幀者 佐藤篤司 英題は下記、京大学情リポジトリの書評紹介から。

http://hdl.handle.net/2433/210532

第11回国際宗教研究所賞受賞 2015年度パーリ学仏教文化学会賞(学術賞)受賞

チベット 聖地の裏路地』もしくは吉川忠夫先生の『顔真卿伝 時事はただ天のみぞ知る』を読んだ時、何となくメモっておいた本。プラ・アキラ・アマロー師が出家したり、昨今ミャンマー大変で、マ・パンケッの人の『ビルマ文学の風景』によると1988年の死者はざっくり計算で1,500人だったので、それを超えないでとか、もろもろを背景に、なんとなく読みました。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

チベット 聖地の路地裏 - 法藏館 おすすめ仏教書専門出版と書店(東本願寺前)-仏教の風410年

stantsiya-iriya.hatenablog.com

顔真卿伝 - 法藏館 おすすめ仏教書専門出版と書店(東本願寺前)-仏教の風410年

法蔵館は、吉川忠夫先生の随筆集も昨年出したみたいで、読みたいです。京都のこの辺りはコロナカ直前に一度歩きました。小松左京『こちらニッポン…』でセスナ機が着陸する近く。

ええと、作者は2007年とか2008年に、一年数ヶ月、日本語教師をしたり留学したり現地で出家したりしながらフィールドワークを行い、その成果を本にしたとか。出家してる時は僧侶のあたりも柔らかかったが、還俗すると線が引かれたとか。政治は一切オミットして、宗教と世俗の絡みについてのみ調査したとか。そして、なまえは、「龍介」と書いて「りうすけ」と読まず、「りうすけ」と読ませるそうです。

上座部仏教の僧侶は一切の所有をしない、ル=グィンの小説『所有せざる人々』"Dispossessed" みたいな?生活を行っているとか。ル=グィンの世界とはだいぶちがうんでしょうけれど、まあそんな感じで。

所有せざる人々 - Wikipedia

en.wikipedia.org

でもお寺は資産、日常のボールペンとかも所有物になるわけなので、実際問題「所有しない」というのはナンセンス、机上の空論のような気瓦斯、というわけで、べっと寺男というか、世俗の管財人を置いて、その人たちから必要なときだけ「借りる」体裁をとっているそうです。タテマエ。そうなると管理人のごまかしや持ち逃げが勿論頻繁に起こるそうで、それってでも罰当たりじゃん、仏罰についてモラルハザート状態? などなどの現地調査が前半第一部。タイとミャンマーの違いについて、教団内の戒律と国家の法と、どちらによりプライオリティをおくかが違うと、サマリの見本みたいに簡潔に書いてますが、どっちがどうとか、具体例とかについて、私の読解力不足と読み飛ばし力により、よく分からないままです。頁26など。あとは、開発独裁で発展したタイと、鎖国状態だったミャンマーの違いか。スリランカとの違いも少し論文紹介で出てきます。あとの上座部仏教国というと、カンボジアと、これも鎖国状態だったラオスですが、そこまでは手が回らないというところ。

で、義務教育が定着する以前の社会では、寺院がじゅうような社会の教育機関の役割を担っていたわけですが、それってお金がかかるじゃん、設備もサスティナブルな組織維持も必要だし、ということで、それへは嘘も方便というか、占いとか呪符護符の販売で収益をあげる金儲け主義のお寺が、大乗仏教のみならず、やっぱり上座部仏教にもあるそうです(だからさがみ野ラオス料理店には、高田橋のお寺の僧侶の書いた咒文があるのかと納得)そもそも近代以前は王が最高の仏教守護者兼パトロンで、そうなると「仏法王」という、ノブレス・オブリージュみたいな敬称があるわけで、それが社会主義ビルマの「仏教社会主義」理念に継承されているんだそうです。頁82や頁122。

所有せざる存在なのにお金やモノは必要、というジレンマを、作者は「出家のアポリア」という言い方でざっくり紋切ってます。

f:id:stantsiya_iriya:20211006105246j:plain

解決のつかない難問のこと。 ギリシア語の原義は通路または手段のないことを意味する。 アリストテレスによれば,解決しがたい事柄をいい,一つの問いに二つの相反した合理的解答のあること。

アポリアとは - コトバンク

f:id:stantsiya_iriya:20211006105243j:plain

アポリアとは、 哲学では、哲学的難題または困惑の状態のこと。 修辞学では、修辞学的に役立つ疑問の表現のこと。疑惑法。

アポリア - Wikipedia

アニメキャラの画像がいっぱい出たので驚きました。

アポリア (あぽりあ)とは【ピクシブ百科事典】

人類学では「贈与論」というのがあるそうで、デリダはそれに批判的で、ブルデューは「象徴資本」という概念で贈与と返礼のシステムを説明してるとか。しかしそういうことだと、出家者がお布施を受け取ることは負債となり、社会にそれを返済することが求められるため、出家それ自体の持つ意味が無効化されてしまう。そんなのイカンゴレンというわけで、表紙に書いてあるような、寺院名も匿名、高僧の名前も匿名(でも写真がバッチリ載ってます)による社会実験、「森の教学僧院」につながっており、その実践の紹介が第二部です。

「森」と言っても森ガールみたいなそれと言っていいのかどうか。あんまり人里離れると、日課としての托鉢の日帰り自体不可能になるので、密接してない、散居状態であればまあよし。あと幹線道路に面してないこと、だそうです。個人としての修行者なら洞窟なんかでもいいけれど、集団としてお寺で共同生活して、水を汲んでためたりするなら、あまりに外界と距離を置きすぎるのはダメとのこと。そうした環境は、外界の誘惑や騒音から離れているので、修行にはよいけれど、義務教育普及以前から教育装置としての役割を担う「教学寺院」としては不便で、喜捨が集まりにくい。でもあえてそこにトライした、のが本書の仮名寺院、XとYです。

鹿島アントラーズと鞠や浦和のような都市サッカークラブとでは、どちらが練習環境としてよいか、と考えればよいかと。で、かつての住金、いまのメルカリ、のような大スポンサーの存在抜きに、鹿島が強豪のまま存続出来るかを考えると、XとYにどのようなスポンサーが着くかは気になるところだと思います。ミャンマーでも、都市部中流以上の市民の間では、瞑想センターやら説法会や動画、DVDなどによる仏教体験活動がさかんで、そうなると理想と現実の乖離、なまぐさ坊主が鼻につくようになり、どこかに理想を実践した「本物の出家者」がいないかということになり、そういう存在が認知されると、うなりをあげてお布施の奔流が雪崩れ込むんだそうで。もちろんだから、そういう僧院は、個人崇拝の危険を鑑みて、個人への布施NG、マスコミ露出不可の方針を堅持してるとか。Y僧院の長老だけ、写真がモロではないのですが、この人は、「出来るだけ有名になりたくない。智慧のない人気は僧院を損なう」(頁225)と言ってるとか。

会社は人なり、のように寺院も人なりで、徳のある長老が天に召されると(そうは言わないか)布施が激減するとか、律が甘くなるとか、いろいろなのを、組織としてどう一定レベルを維持してゆくかが悩ましい、ようですが、それと全然別の軋轢が頁248に書いてあり、おおと思いました。X僧院は開祖のX長老から三代目住職まですべてヤカイン族で、2007年時雨安居時点でヤカイン僧150人、ビルマ僧130人。総じてヤカイン僧のほうが成績がいい。ときのJ長老はビルマ族で、それをよしとしないヤカイン族のF長老が分派闘争を仕掛け、調停に入った在家の管理委員会がF長老の追放を決定、ヤカイン僧150人は長老と運命をともにしたが、X僧院を出てからの落ち着き先はまだ決まっていない…

X僧院に次ぐ新興森の教学僧院、Y僧院のY長老もヤカイン族で、じゅうらいは、在家による管理委員会が、人に依らない僧院の存続のカギになるのではと考えていたそうですが、この事件を機に、「在家者が出家者の問題に介入すべきでない」との考えから、Y僧院に管理委員会を置く考えを捨てたそうです。同じサンガでも、支援する側と受ける側の民族が異なると、経典理解と日常の実践なんかおかまいなく軋轢が起こるものかもしれないと思いました。これがさいだいの本書感想。

Rakhine people - Wikipedia

比丘 - Wikipedia

僧 - Wikipedia

律 (仏教) - Wikipedia

頁X  凡例 1 国名表記について

(前略)軍事政権が正当的な選挙ではなく、クーデターで政権を奪取したこともあり、「ビルマ(Burma)」と「ミャンマー(Myanmar)」のどちらを用いるかが、政治的な立場――軍事政権を認めるか否か――に関わる、ある種「踏み絵」のように扱われることもある。しかし両者はそもそも口語と文語の違いしかない。また近年では日本でも「ミャンマー」という名称が一般的になりつつある状況を考慮して、本書では、国名をめぐる政治的な議論とは無関係に、便宜的に「ミャンマー」に統一する。それに合わせてミャンマー国民を「ミャンマー人」(後略)

このあとのくだりで、ビルマの多数派民族は「ビルマ族」とよぶことにしたとあります。というわけで本書は民族については「~族」呼称で、アラカン山脈のラカイン族とそれまで本で読んでいた民族は、そのほうがはっちょんが近いのか、「ヤカイン族」と書かれています。ただ、本書に登場する主要キャラのひとりを「中国系ミャンマー人」と書いていて(頁170)華人に対してはまだ表記がふらふらしてるかなとも思いました。「~族」で統一するなら、コーカン族でない、華僑や華人は漢族と書けばいいのに。頁45でも、ミャンマーの各宗教人口比の統計では、「中国人の信仰している中国仏教」も仏教に含まれていると指摘していますが、ここも「漢族の信仰している」と書くべきだったかと。インド人もインド人と書いてますが、インド族なんていないので、これはミャンマー人の意味同様、インド国民の意味だと思います。戦中期ラングーンの人口増加(五倍)について書いた頁85では「膨大なインド人移民の流入の結果であり、したがってラングーンはインド人街とでも呼びうる様相を呈していた」と書いています。

「仏法王」の概念と重なるところがあるのかないのか、下記の記述もあります。これがギリギリみたいです。

頁39

 また、二〇〇七年九月には、出家者による大規模な反政府デモが発生した。これは民主化運動の弾圧や経済的困窮などで大きな不満を抱える民衆の声を代弁する形で出家者が立ち上がったものである。デモに参加した出家者は最終的に全国で二~三万人に達したといわれており、「覆鉢」と呼ばれる宗教的なボイコットにまで発展した。これは軍政関係者からの布施を拒否すること、つまり「軍政不支持」を表明することを意味し、軍政の正統性を大きく揺るがすものとなった。しかしそれゆえに軍政は出家者の管理統制を強めることとなり、軍による僧院の襲撃、出家者の拘束が相次ぎ、デモ終結後も出家者への厳しい監視が続いた。ある意味で、出家者についての調査がやりにくい時期であったといえるだろう。

やりにくとかでなく、「やれない」気もするのですが… なので、ヤンゴン周辺しか調査せえへんかってん、としてます。カチン人はプロテスタントとか、そういう話はファーラウェイ。以上