『モノも石も死者も生きている世界の民から人類学者が教わったこと』"Nausicaä of the Valley of the Life-Changing Magic of Tidying Up, SPARK JOY" 読了

英題はないので、私がてきとうに「片づけの谷のナウシカ」を意訳しました。装丁 寄藤文平+古屋郁美(文平銀座) 亜紀書房ウェブマガジン「あき地」2019/5~2020/3連載「片づけの谷のナウシカ 現代に息づくアニミズム」に加筆、12章とあとがきを追加。参考文献あり。

亜紀書房 - モノも石も死者も生きている世界の民から人類学者が教わったこと

【(1) 読んだ契機 】

毎度お馴染み、ビッグコミックオリジナル『前科者』前号に出て来たから。2021年4月5日発売号。今号(4月20日発売号)は、前々号に出たバービーの本がまた出てますが、こちらは図書館リクエスト順番待ちのまま。前に二人しかいませんが、遅々として進まない。

【 (2) 作者 】

Wikipediaのない人です。立教大学のホムペトップページだと特にそんなあれこれ言ってないのですが、本書カバー折等の著者紹介では、20歳でメキシコ・シエラマドレ山脈先住民テペワノの村に滞在し、バングラデシュ上座部仏教の僧となり、トルコのクルディスタンを旅し、インドネシアを1年間経巡った後に文化人類学を専攻。1994~95年に東南アジア・ボルネオ島焼畑民カリスのシャーマニズムと呪術の調査研究、2006年以降、同島の狩猟民プナンとともに研究している。と書いてあります。異文化コミュニケーション学部教授だそうで、立教大学といえば、前川健一サンが観光学部兼任講師だったので、経歴的にはウマが合うか合わないかのどちらかでしょうから、面識あったのだろうかどうだろうかと思いました。中米から一気にアジアで以後沈没という著者の展開は、当初南米を目指したはずがえんえんアジア沈没の前川サンと意気投合するところがありそうな気がしますが、前川サンは田舎が嫌いだそうなので、ペナンやイポのショップハウスならいざ知らず、ボルネオの山岳民が好きというところはちがうかも。でもそれだと、ビルマのカチン人の吉田敏浩もダメなはずですが、そういうこともないので、彼らのあいだに主客転倒が発生し、それもまたアニミズムと言える可能性はないでしょうか。

インドネシアで一年といっても、サーファーやバリ島好きなら、インドネシアになんぼでも滞在するでしょうから、それだけでは何がなにやらと思いました。新庄のほうがインドネシア滞在歴は長い。でも、回教国バングラディシュでテラワーダ仏教僧になったというのはおもろいなと思いました。

タイ人が人生の一定期間徴兵のように沙門になるのと同様、もう還俗してるんでしょうが、高野秀行イスラム飲酒紀行』のオチが、あの辺の仏教系民族集落で、しんみりと、仏教も本来禁酒の宗教であるはずなのになあ、と語る場面を思い出し、その辺について意見を聞いてみたいようにも思いました。酒の気持ちに立って考えたらというアニミズム的見地から、卓越した意見が聞けるかもしれません。

なかなか感想が書けないマ・パンケッというビルマ名の人の『ビルマ文学の風景』には、仏教の飲酒戒が特に重要視されているというか、ビルマの風紀紊乱の好例として、仏教の飲酒戒が機能しているはずなのに、十代の少年兵が昼間から飲酒して酔っぱらってる姿を見た、見た、と、特にピックアップして書かれています。そういうの、中国経由で大乗仏教をゲットして、般若湯とか言ってる我々邦人にはなかなか分からないのですが、現地だと、なんたること、言語道断の極み、とかいう感じなのでしょうか。その辺知りたいので、テラワーダ仏教の破戒僧なのか墨守僧なのか、直木賞作家兼坊さんの本も読もうと思ってますが、その人と作者、マ・パンケッ、高野秀行アニミズムとして機能していると言えるのではないかとも思っています(うそです)

 あとは立教大学というと、なんだろう。長嶋茂雄。この人がなぜ立教なのか、ウィキペディアで読み、さらに、立教三羽烏なんて存在が当時あったことを知りました。それなりに六大学野球で梟雄の地位にあったのですね。私は時々、長嶋茂雄慶應ボーイだったら歴史はどう変わっていただろうかと夢想しますが、織田信長が本能寺で死んでいなかったら以上の変化はないかったろうと思います。たぶん。

ja.wikipedia.org

【 (3) 「こんまり」「片づけの谷のナウシカ」というキャッチコピー 】

読書会女子みたいなマンガに出て来ただけという理由でこの本を讀み始めたので、イキナリなんの前説もなく「こんまりこと近藤麻理恵という片付けコンサルタントは、アニミズム的にいうと、片づけの谷のナウシカなのか?」という大命題に沿ってガンガン話が進む展開に大いにめんくらいました。著者の人は、映画公開時大学のアニ研かなんかでドンピシャ世代なのかなあと思いましたが、あとがきを見ると、これはウェブ連載にあたって編集者から下知されたお題だそうで、作者はナウシカもこんまりもロクに知らず、お題を与えられてから付け焼刃で勉強したそうです。巻末の五十音順の参考文献一覧に切通理作があるのですが、それもジブリ関連。

作者としては、当初内藤寛という編集の方から依頼を頂いた際の、『我々はアニミズムでできている』という案がすっかり気に入っていて、前書『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』に対しサスティナブルな続刊になるはずだったのに、内藤サンが微笑み返しで、最初だけこんまりをテーマにアニミズムについて考えてけさい、あとは好きにしていいから、と言ってきたとあとがきでバラしていて、なんだろう、ウェブ連載というのは、当初のアクセス数だけ稼げば、あとは右肩下がりになっても、社内会議とかの議題に上がらないということだろうか、と思いました。作者の人は亜紀書房からようさん訳書も出しているので、編集としてちょっと幅を広げてあげたかったのかな。本書にもうひとり出る亜紀書房の人は牟田郁子という校正の人です。【後報追記】ムタさんという方はフリーの外部の人だそうです。訂正。(2021/4/30)

ちなみに、亜紀書房の営業の知人に、ビッグコミックオリジナルのマンガ『前科者』に、この本出てるけど知ってた? とメールで訊いてみたのですが、ラインでないせいか、レスポンスがろくになく、やっと「知りませんでした」という返事が来て、小学館の編集は、版元にシクヨロとか言ってないのだろうかと思いました。あれかな、件名に自分の名前を入れないから、見てくれないのかな。そんなもんアドレス登録しとけば誰が出したか分かるだろうから、件名は件名書けや、と思うのですが、世の中分からない。【後報追記】返信頂き、近況の情報など交換しましたが、小学館との件は聞けてません。やり取りする情報が多くて…(2021/4/30)

こんまりは、下記タイ映画にも出てくるので、それで『前科者』が本書を取り上げたのかもしれないです。

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著者によると、とりあえず本書的には、アニミズムとは、地球という惑星や宇宙において、人間だけが主人公ではないという考え(頁007)だそうで、こんまりが、片付け対象を擬人化する行為は、アニミズムかもしれないということになるそうです。

頁017

しかし、ここまで書いてきて、それがゆえに、気になることが一つある。今しがた述べたように、こんまりメソッドは、自分とモノとの純粋な対話ではなく、自分との対話を目指すものになっているのではないか。モノではなく、自分自身との対話であるならば、それは、はたしてアニミズムなのであろうか。アニミズムが、すでに述べたように、地球や宇宙における存在者のうち、人間だけが必ずしも主人なのではないという考え方なのだとすれば、自分との対話を目指すというのは、人間の事だけしか考えていない、頭の中にない、という意味で、真にアニミズムとは呼べないようにも思われる。

ここで、やっと、あーよかった、これが本書を横断するテーマなんだ、と、思ったのですが(版元の紹介ページでもここが使われている)これはこれっきりで、あとあと最後まで読んでも、このテーマに回帰して〆、ということはありません。書きっぱなし。結論なし。

【 (4) 引用について 】

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ウェブ連載だったからか、本書の引用は、はてなブログみたく、罫線くくりで引用を表しています。上は頁104で、ここだけ、なんというか、三人の文章(学生のレポート抜粋)の引用が、行空けで文章をわけて、別人の文章と分かるようにしてあるだけで、罫線がまっすぐのびてぜんぶ覆ってしまっていて、同じ人の文章に見えます。残念閔子騫

【 (5) その他思索 】

こんまりとナウシカが終わった後は、作者は好き放題書いてます。池澤夏樹は私の周りでは沖縄の愛人の件で評判が悪く、中沢新一も、ああ、ニューアカ、という感じですが、西田幾太郎、ユングベルクソン山折哲雄正法眼蔵と容赦なく攻めて来ます。あとがきで作者も言っているように、文化人類学アニミズム論ではない(だからか、立教大学のホムペでは本書は出て来ません。余技だからかな)ベルクソンなんか、こないだやはり『前科者』から讀んだ千葉雅也という人の本で、ドゥルーズプロテスタンティズムについてこう語っている、と口先三寸で出まかせいって同じ文章を載せても、誰も分かんない気がします。そんなことはないか。そこまでアカデミズムバカじゃないか。面白いのは、西行辻邦生雨月物語武富健治と、かなりの頻度で触媒をかまして原書にアプローチしてる点です。忙しい現代人。21世紀。

中沢新一が、従来妹やらなにやらのメタファーで宮沢賢治を読み解いていたのをやめて、あるがままに、賢治の四次元をとらえてよ、と言ってたそうで(頁120)四次元なんて酒やめたらロケットで行ける場所でしかないと思うのですが、それとは関係なく、川上弘美芥川賞受賞作『蛇を踏む』を作者は、フツーの読み方である母と娘の相克、母殺しのメタファーとして読まず、そのまま汎神論として読んでいて(頁038)私は川上弘美という作家を知らず、途中まで、伊藤比呂美もしくは川上未映子だと思って読んでました。違う人なのか。今度讀んでみます。

梅原猛が、イヨマンテに代表されるアイヌのクマについての考え方は、非常に人間にとって都合のよい考え方で、クマ的にはノー、みたく言ってた(頁054)というのは面白かったです。ゴールデンカムイでその反論しないかな。ヒンナヒンナ。

下記は、本書に登場する関東甲信越アニミズムフィールドワークの地に、私も行ってたよ、あるいは、本書登場の場所以外にも、その近くに、同様の場所があるよ、私知ってまっせ、というじまん。

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畜霊碑も撮ってるはずですが、今ぱっと出ません。

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下記は、「ザ・コーグ」が本書に出てくるので、それで、私の日記のその手の感想。本書に水銀とのアニミズム対話はありません。

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マレーシアのプナンは、台湾にもいてなかったかと思いましたが、台湾はブヌンでした。

ブヌン族 - Wikipedia

南米エクアドル東部の森の民について西欧の人類学者が書いた本を紹介する箇所に、ハキリアリの羽つきアリは脂肪分たっぷりで、塩をまぶしてあぶれば、美味とあり(頁174)昆虫食と来ればイサーン、否、前川健一、はいいとして、ちょっと食べてみたいと思いました。でも日本の蟻の、雨期の羽アリはぜんぜんおいしそうじゃない。

なんでもかんでも「~とはいえないだろうか」でアニミズムになってしまい、魔法のようだと思いましたが、いくらなんでもカルヴィーノの『不在の騎士』をアニミズムと言われても、いやいやそれはと思います。モラヴィアの『倦怠』はアニミズム、と言ってくれたほうがよほどよかった。以上