『令嬢クリスティナ』"DOMNIŞOARA・CHRISTINA" de MIRCEA ELIADE ミルチャ・エリアーデ 住吉春也訳 Tradus de Sumiya Haruya

令嬢クリスティナ | NDLサーチ | 国立国会図書館

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ルーマニア商務観光局 令嬢クリスティナ レビュー

Z村の貴族屋敷の住人たち、モスク未亡人とその娘二人は、令嬢クリスティナの美しい絵姿を生前の寝室に飾り、さながら聖画像のように渇仰していた。 令嬢は未亡人の姉で、ルーマニア全土を震撼させた1907年の大農民一揆に巻き込まれたのだ。まだはたち前だった。
死骸は見つからなかった。物語の舞台はそれから30年近く経っていて、貴族屋敷を訪れた青年画家と考古学者は、令嬢クリスティナについて村では身の毛もよだつような噂がささやかれていることを知る…。

Domnișoara Christina (nuvelă) - Wikipedia

造本者 ミルキィ・イソベ

1995年2月20日初刷。

巻末に訳者あとがき。

もともとは、ビッグコミックオリジナル連載『前科者』に、済東鉄腸という邦人ルーマニア語作家サンの本*1が出てきて、そこにルーマニア語邦訳の一人者住谷春也さんのエッセー*2が出てきて、エッセーを読むと、諸星大二郎暗黒神話』の星宿のくだりで引用されていることでも知られるエルチャ・ミリアーデサンが、ロンブンは仏語、母語ルーマニア語では通俗小説ばかり書いていたと知り、住谷サンが訳した小説を二冊読もうと思い、二冊目がこれです。一冊目は実録小説。彼の視点から描いたインド人ルーギャーとの恋*3。相手女性からの反論あり。既婚者となった相手女性がわざわざベンガルからカナダまで膝詰め直談判におもむいたのに、背を向けたまま会話したという、言行一致の変人ミルアーデサン、否、エリアーデサン。

訳者あとがきによると、エリアーデサンはベンガルチャンネーとの恋を描いた処女作以降、リアリズム大作を発表していたのですが、この本でイキナリ幻想ゴシックポルノホラーに転向し、その後東欧のドミノ現象のなか西側に亡命してから後も、一作を除いて、エロホラーばっかり書き続けたとのことです。

水濡れ跡あり

図書館本に水濡れがあると、その旨本に手書きでメモを貼って、次以降に借りた人のせいじゃないことが分かるようになってるのですが、この本もクリスティナの呪いで湿気にアレされており、しかし手書きの注記がないのでやきもきしました。ゴシック体?のフォントで書いてあった。

没落貴族が避暑客を泊めることで生計を立てようとしていたのが、客がみな長期滞在するはずがすぐ出立して逃げる家。母親も妹も乳母もどこかアレで、ブカレスト在住の姉だけ快活だったのが、家に戻るとすぐ病むようになる。家畜もつぎつぎ死に、使用人も次々逃げる。そんな宿に滞在することになった画家(姉に恋してる)と考古学者、のちには姉を看るため到着した近郊都市の医師が、生者の精気を吸い取って生きるクリスティナに

キャーッ、こわいっっっ!!!!

そんな話です。この日記を書き始めてから読んだ、『ねじの回転』*4とかなんかそんな英語幽霊小説と同じ世界が、ルーマニア語で書かれていると。シャーリィ・ジャクスンとはちがいました。こわいのはぜんぶ女性で、巻き込まれるのがぜんぶ男性。それでインカ帝国

住谷サンの訳者あとがきによると、本書は発表当時、ポルノ糾弾のキャンペーンにおおいに叩かれ、死者クリスティナの大胆な性愛より、九歳の美少女シミナの「早熟」が、文脈と切り離されて批判の対象となったのだそうです。まあそうかな。お前の色気が私を狂わせるみたいな感じで、おとなの男性が… (頁93)なので。訳者の住谷サンはシミナを「エリアーデが創造した人物で一番怖い」「奇跡のように美しい、幼いシミナが(クリスティナより)もっと怖い」「天使の外観を備えた怪物」「死者という条件を拒否しようとするクリスティナの存在に、幼いうちから慣らされた」「令嬢クリスティナが讃美者シミナを霊的に腐敗させた」と手放しで書いてます。ほかの動物は、なべてクリスティナの毒にあたって死ぬのですが、年齢不詳の乳母やシミナは別の展開となり、生きながら腐敗してゆく。

ルーマニアではドラマ化されたようで、検索すると動画が出るのですが、シミナが東欧の妖精みたいなキャラだとあんまりだと思ったのでしょう、ふっくらした、ぶっちょうづらの子がシミナを演じてます。ずっとお城で暮らしてるジャイ子

姉の名前がサンダで、雷のようだと思いました。もしくは岡山県の地名。JKローリングはおばあちゃんのはりぽた焼き。シミナが母親を呼ぶとき、"maman"と書いてママンとルビを振っているのですが、その意味が分かりませんでした。ルーマニア語ではママンでなく、フラ語で呼ばせてるってことでしょうか。母親はモスク夫人と書かれ、名前というか、モスクは姓ですよね。名前は出ません。モスクがマスジッドのモスクなのかは不明。クリスティナをしりぞけるのはキリスト教司祭の清めになるんじゃいかというのが登場人物の見立てなのですが(その場面はなく、紅蓮の炎に包まれるだけ)ルーマニアオスマントルコだったので、残存回教徒いるだろうと思います。この家のメイドが、自分は地元出身でなくトランシルヴァニアだと誇らしく言うのが印象的、このメイドも死ぬか、逃げます。

頁9、十月の旅行シーズン三日目なのにもう二人しか客がいなくなった屋敷の夕食は山羊のステーキで「動物特有のむかつくような臭いがあった」ニワトリもアヒルもみな死んで、村人は肉を売ってくれない。モスク夫人はロボットのような人で、相手の話を聞いていないのに礼儀正しく応対し、ほかの誰も手をつけない食事をガツガツ食べる。私は山羊や羊は食べれるので、ここに出てくる山羊のステーキは食べてみたいと思いました。

頁92、「ところで」と書いて「アプロポ」とルビが振られていて、これもフラ語かなと思いましたが、"apropo"はふつうに「ところで」の意味のルーマニア語だそうで、ルビの意味がさっぱり分かりませんでした。本書のテクストはもちろんルーマニア語で、1991年版、チャウシェスク体制崩壊後の自由化時代の版。

スリランカのシンハラ文学『亡き人』エリック・サラッチャンドラの邦訳の登場人物典子サンの科白は、訳者野口忠司サンの気質なのか、古風でとてもイイのですが、本書のクリスティナは、頁201の濡れ場で「だれがあなたにそんなことを教えたの、この女殺し?」とのたまったりして、何だこの濡れ場と思いました。プロスティテュートみたいな情交。

気持ちのいい秋だったのが、また暑くなって蚊がワンサと出てきて、頁102には、キニーネを飲まないといけないという科白が出ます。ルーマニアにもマラリアがあったんですかね。そんな暑そうな土地とも思わないのですが。ジョージ・ギッシングの南イタリア紀行を読むと、イタリア半島のブーツのつけね、かかとのあたりのカラブリアマラリアがあったそうですが、ルーマニアはそこまで緯度低いかなあ、ルーマニアの下のトルコにもマラリアいなさそうですが。

この小説も、なんだか分からないがまがまがしいものはまがまがしいのだ、こわいものはこわいのだ、でるものはでるのだ、という小説で、ちょっとスラブ的な感じではなく、英仏小説に近い気がします。スペインやラテンアメリカという気もしない。イタリアのゾンビもの映画は似てると思います。でるものはでる。くさってるものはくさってる。以上