『街と犬たち』"LA CIUDAD Y LOS PERROS" escrito por Jorge Mario Pedro Vargas Liosa バルガス・ジョサ traducido por Terao Ryūkichi 寺尾隆吉◉訳 kobunsha classics(光文社古典新訳文庫)読了

ジョササンの長編デビュー作。短編集『小犬たち』*1がおもしろかったので、読みました。ペルーの軍人学校(士官学校とは違うような違わないような)の殺伐とした青春の話です。犬は出るのですが、出るだけです。若者たちの性欲処理は鶏。ミッキー安川の回想*2によると、同時代合衆国南部の白人青年たちは牧場に行って牛とやってたそうですが、そういう場面はありません。リャマというか、ビクーニャが第一部には頻繁に出るのですが、撃ち殺されたのか、第二部以降は出ません。この動物を模して中国で草泥馬が作られたかと思うと、感無量です。

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弱いものいじめがすごいのですが、特に人種や民族は関係ないようです。混血や黒人もふつうに白人生徒と一緒に学んでいる。また、検閲があったのかなかったのか、合衆国の刑務所やダサツマのように、性欲処理に弱いものが使われる場面はありません。尿を飲ませたりとか自慰の強制はあります。

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光文社公式に親切な人物紹介があったのですが、かんじんのジャガー、影の総番長みたいなキャラが、たしか青い目で金髪だったはずなのですが、人物紹介の白人から漏れています。おかしいなあ。そこまで私の読解力は落ちたのか。このジャガーは寺尾サンの訳者解説によると、「ヤクザも同然」だそうですが、まったく私にはそうは見えず、フランスの著名批評家ロジェ・カイヨワが著者ジョササンと異なるジャガーの解釈、ジャガー善人説を打ち出して、ほかならぬ著者のジョササンもその説得力におされ、一理あるとして、カイヨワ解釈に屈服してしまう、それもありかなという感じが私にもありますです。ドラマに登場する強い不良少年は、それだけで弱い社会人の崇拝対象。なんとなく、読みながら、台湾映画「私の少女時代」*3のヤンキー少年(演じた人は後年大陸寄りになって批判されたんでしたか)を思い浮かべていました。

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装画◉望月通陽 装幀◉木佐塔一郎

ケチュア語を話すアメリカ先住民学生は、さすがに出なかったかな。日本人と中国人は、それぞれ街の商店として出ます。ペルーの日系人は戦争中わざわざ合衆国の収容所に送られましたので(連合国の敵国に通じている可能性があるため)ペルーに帰って来てからまだそんな経っていない時代のはず。頁297によると、ペルーは太平洋戦争に敗北してチリにアリカとタラパカという二つの都市を奪われたとか。また、エクアドルとコロンビアはセルバを奪い取ろうと虎視眈々と狙ってるとか。日系人だけ監視しなくてもいいのに。

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頁166「7月28日通りとワティカ通りの角に小人のような日本人の経営する食堂」

頁180「ツギハギことパウリーノがそこから仰天の顔――日本人の細い目、黒人の分厚い唇、インディオらしい銅色の頬と顎、直毛の髪――を覗かせている」

頁249「映画館の横にある中国人ティラウのパン屋」「ああ、恋人たちの到着だ、いつものでいいの? お二方とも焼きたてのチャンカイ二つね?」*4

頁317「中国人の店員は誠実な男で、後から追いかけてきて、「ほら、お釣りだよ、ちゃんととっときな」と声を掛けてくれた」

頁422「中国人の店なら火曜日払いでツケにしてくれるわ」

頁674 訳者あとがき

(略)このような話をすると、事情をよく知らない方が曲解して、先達に張り合う形で新訳を出すなど不遜な態度だと声が上がったりすることもあるが、私としては、この仕事への着手にあたってためらいはまったくなかった。先人の業績を受け継ぎつつ、その評価と批判に基づいて研究・翻訳を進めるのは研究者として当然であり、杉山先生が新訳の刊行を知って気分を害するような度量の狭い方でないことはよくわかっていたからだ。(後略)

それは分かるんですが、「不良の俗語」の氾濫はもう少し何とかならないかと思いました。

頁29「バックレ」はかなり新しい俗語なので、1950年代なら、「フケる」「ずらかる」「トンコこく」「トンズラする」など、ほかの言い方に置き換えた方がよかったような。

頁66「コピる」これは完全におかしいと思いました。1950年代はペルーのみならず合衆国にだってコピー機はなかった。青写真と呼ばれてたのが、あったかどうか。だいたい初期のコピー機はメーカー名がそのまま名前になっていて、合衆国でも「ゼロックス」と呼ばれていたです。そんな時代に「コピる」はおかしい。「写させてくれ」でなければ。

頁31ほか「ビビる」これはありかな。頁203「シコる」これもありかな。頁254「チクる」これもありかな。みんなもチクリ魔にならう!頁581「シカト」これもだいじょうぶ。こんだけ現代風俗語を出しておきながら、士官同士の会話では「びっくり仰天」(頁504)なんて言ってたりします。まほろ駅前四階建て古書店

頁209に「サレジオ会学校」というのが出て、大和にもサレジオはありますので(『ドカベソ』の甲子園予選神奈川県トーナメント表にも出てくる)何かと思いましたが、世界的な組織なんですね。

サレジオ会 - Wikipedia

頁560、ブラジルにサンバがあるならペルーにはマリネラがある! とばかりに大泉でペルー人たちがブラジルサンバに対抗して踊りを習っているマリネラが出ます。常春の國ではなく。でもマリネラ、動画を見るだけで難しそうな踊り。音感だけあればよいサンバとは、ちがう(しかしそのサンバも、ブラジルでは、リズムが乱れるところ日系人ありと言われたりさんざんだとか)

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上は光文社が書店用に作ってあげたポップ。ラテンアメリカブームの引き金はガルシア=マルケスボルヘスですので、此のポップは、歴史はこうして改竄されるというよい例です。頁648解説によると、本書の舞台となった軍人学校では本書を千部焼いて禁書にした」という俗説は事実無根で、編集者の仕掛けた情宣だったそうです。魔術的リアリズムから半世紀、遺稿や日記類、メモなどが次々発掘され、かつての定説が覆されているのが21世紀のラテンアメリカ文学だとか。

『街と犬たち』 バルガズ・ジョサ | 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

そんな小説です。ジョササンをリョサと書かずジョサと書く時代がついにやってきた、それだけで価値があるのかも。以上