『小犬たち/ボスたち』"Los cachorros / Los jefes" por Mario Vargas Llosa M・バルガス=リョサ(ラテンアメリカ文学叢書7)読了

私はこれだけペルー料理を食べていながら、ペルー初のノーベル賞受賞者である著者の小説をまだ読んだことがなく、それどころかボルヘスとバルガス=リョササンの区別がついていませんでした。ボルヘスが『エレンディラ』を書いたと思い込んでいたり、いろいろと混同が激しい。ガルシア=マルケスは『戒厳令下チリ潜入記』があるのでチリ人と分かるのですが、バルガス=リョササンがペルー人であるという認識がまるでなく、しかもリョササンのオウンネームをマリオでなくホセだと思い込んでました。最近、京都外語大のサイトのペルーの有名作家サンをまとめたページを見て、マリオ・バルガス=ョサと書いてあるので、そうだよ"LLOSA"でダブルエルだからジョサなんだよ(あるいはヨサ)リョサじゃないんだよ、と思ったところで何か一冊読もうと思い、例によって短篇をと考え、調べたら、近年の未邦訳作品を除くと、一番最初の著作であるこれ以外短篇を書いてないので、必然的にこれを読むしかないかったです。

https://www.kufs.ac.jp/toshokan/worldlit/pertit.gif

https://www.kufs.ac.jp/toshokan/worldlit/worldflame23.htm

小犬たち・ボスたち (国書刊行会): 1978|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

ドローイング ………………………………中西夏之 

ラテンアメリカ叢書は法政大学の鼓直サン編集とのこと。

鼓直 - Wikipedia

マリオ・バルガス・リョサ - Wikipeda

ジョササンはペルー人ですが、解説によると幼少期をボリビアでも過ごしていたとか。スペイン本国の大学を出てフランス、パリで働いたそうなので、汎ラテンアメリカ的な視野がある人なのかもしれません(読んでないのでなんともいえない)アルベルト・フジモリさんと大統領選で争ったとは知りませんでした。石原慎太郎田中康夫猪瀬直樹は知事どまりで、国政で落選するのとどっちが偉いんだろう。

Los cachorros (relato) - Wikipedia, la enciclopedia libre

Los jefes (libro de cuentos) - Wikipedia, la enciclopedia libre

解説「M・バルガス=リョサラテンアメリカの現実」は鈴木恵子サンの文章。

頁197 ジョササンの小説論(ガルシア=マルケス論より)

 小説家とは異説を唱える者であり、あるがままの(あるいはあるがままと彼が信じるところの)生と世界を受け入れないからこそ架空の生と言語による世界を創り出すのである。小説を選ぶその根底にあるのは生に対する不満感であり、一つ一つの小説はひそかな神殺し、象徴としての現実の殺害に他ならない。

こう書きつつ本書の作品群は作者が体験したリマの高等教育時代を描いており、センシティブな内容なので、事実ジャナイデスヨと広く発言する必要があったのかもしれません。

『小犬たち』"Los cachorros" 鈴木恵子サン訳

「デーン犬」に局所を嚙まれ、"Pichulita"〈ちんこ〉と呼ばれることになる少年の半生を通じて、何かを訴えようとした作品。主人公の名前はクエリャルで、"Cuéllar"、ダブルエルなので、実際はクエジャルだったと推定されます。頁28に、酒屋の主人が中国人という描写があります。

Cuéllar の発音: Cuéllar の スペイン語 の発音

ja.wikipedia.org

頁49、「いつになったらアスタ・クアンド、いつになったらアスタ・クアンド」という歌の歌詞で、女の子に告白出来ない「ちんこ」を女の子たちがからかう場面があります。アスタ・クアンドは"¿Hasta Cuando?"*1だそうで、でも下記とは関係ないと思います。

www.youtube.com

クリスタルビールがよく出ます。クスケーニャビールは出ません。首都で愛飲されるビールと、観光用ってことでしょうか。クスケーニャは大麦で作ってるとも聞きます。

頁51、「きっとキサス、きっとキサス、きっとキサス」という歌の歌詞が出ます。私は知りませんが、競走馬の名前にもなっているので、日本で知られた歌だと思います。

キサスキサスキサス - Wikipedia

「考えてばかり、時は過ぎるエスタス・ペルディエンド・エル・ティエムポ・ペンサンド」という歌詞と「時は過ぎゆき、思いはつのるアシ・パサン・ロス・ディアス・イ・トゥ・デスペランド」という歌詞が出ます。邦訳は分かりませんが、スペイン語は、検索で出るのと、ちょっと違うのか違わないのかという感じです。"Estas perdiendo el tiempo. Pensando, pensando. " "Y así pasan los días. Y yo desesperando. "

www.youtube.com

「お願いだから、いつ、いつになったら。ポル・ロ・ケ・マス・トゥ・キエラス・アスタ・クアンド・アスタ・クアンド」"Por lo que mas tu quieras. Asta cuando asta cuando. "

頁34

 それからクエリャルは日曜日や祝日には一人でマチネに出かけ――彼が一階席の後方に坐って、暗闇の中で次から次へとタバコに火をつけながら、愛撫しあっているアベックの様子をそれとなくうかがっているところをよく見かけた――にがにがしい表情で、日曜日はどうだった? 饐えたような声で、ぼくは楽しかったぜ、でも君たちは最高に楽しかったんだろう?

アベックに爆竹を投げつけるなど行動がエスカレートしたり、危険な波乗りや運転を繰り返すようになります。女の子といい所まで行きながら、付き合わず告白しないで終わる展開ばかりで、「出来ない」という直截的な描写はありません。今は勃たない男子が夜九時台のドラマにも出る時代ですが、「ちんこ」は勃っても出来ない系だったのかなあ。それとも、宦官レベルにまで噛み千切られてしまっていたのか。

頁42に、ニューヨークで手術すると彼がウキウキして話す場面があります。これがうまく行ってたらなのですが、どうも話が立ち消えになったみたいで、彼は出国しません。ドイツならどうか、パリなら、ロンドンならと父親が彼のため手紙を書いたようですが、実現しなかったようです。高須クリニックなら。

この話は、まだ思春期まえの半ズボン時代、上級生が童貞や処女を捨てるさまを見る時代から、同級生が次々に付き合いだす時代、二十歳を越えて働き出す、その後まで続いてゆきます。「カポン街の中華料理屋」や「パホ・エル・プエンテのモツ焼きアンティクーチョ」「ソースやとうがらしの味」までが出ます。同級生たちも家庭を作る年になって子どもたちが「シャンパニャット校やインマクラーダ学院、サンタ・マリア学院」に通うようになり、彼につきあって遊ばなくなり、彼は年下ばかりを集めた「おとなのガキ大将」になって、そこでも危険を好む性向から退かれ、さいごは、という話。

語り手を特定せず、誰が言ってるのか一行ごとにわけが分からない文体が斬新で、それゆえに批判もされたそうで、しかし翻訳でそれがどこまで表現出来ているか心もとない、とは訳者の弁です。読んでいて、まったく気にならなかったのですが、それは成功なのか失敗なのか。

ボスたち』"Los jefes" 野谷文昭

ボスたち』"Los jefes" 

ハイスクールのストライキの話。たぶん。異様なほどの緊張感とボルテージが作品に満ちていますが、理由が分かりません。試験の時間割を例年通り発表してほしいというのが学生側の要求なのですが、校長はじめ教職員側は一顧だにしません。ものすごく権威的なのは分かるのですが、争点がこんなにミクロなのが理解出来ない。

授業ボイコットなどの暴動的行動に出ず、言いたいことがあるなら直接来い、校長室の扉は常に開かれている、勇気のあるやつはいないのかと言われ、一歩前に出て要求を告った学生はすぐさま罰を与えられ、その理由は「教学上の措置に不平を申し立てたこと」だとか。罰は部下の手帳に書き留められ、実行され、発言した生徒は色を失います。なんだこれ。

学年ごとに学校の仕打ちに対する態度には温度差があり、主人公たちは中級生なので、下級生や上級生がスト破りをしないよう、あれこれあれこれやって、そこで逆に小競り合いが発生したりもし、混乱の中で友情や「乗り越えようとする気持ち」が芽生える様をうまいこと描いています。ピチュリータの話同様、最初はぼーっと読んでいて、後でもう一度読み直しました。

Los jefes (cuento) - Wikipedia, la enciclopedia libre

出て来るガリャルドはたぶんガジャルドで、オラリオとルビを振られる「時間割」は、"horario"のようです。

決闘』"El desafío"

ヤンチャ同士のタイマンの話なのですが、もう最初からナイフで切り合う前提で、お互いの介添え人が相手のナイフを調べます。何を調べるのか分かりません。毒を塗ってないかとか見てるんでしょうか。マントで腕などを覆って、プロテクターにしています。だから、愚連隊、半グレでも言葉が足りず、ギャングの決闘という言い方のほうがしっくりくるかもしれません。打算だけなら、名誉のために、こんな命の取り合いの喧嘩はしない。こうした決闘を何度も見届けてきた老人が登場し、主人公サイドよりどう見ても相手の方が凶悪で強いという描写がビンビン来ます。なんでこんな男らしい話なんだと読んでて驚きました。

El desafío (cuento) - Wikipedia, la enciclopedia libre

Algunos críticos lo consideran como el mejor cuento de Vargas Llosa.2

(グーグル翻訳)一部の批評家は、これをバルガス・リョサの最高の物語であると考えています。2

グーグル翻訳は「物語」にしてしまってますが、"novela"でなく"cuento"なので、「最高の短編」だと思います。

』"El hermano menor"

コンキスタドーレスの子孫はいつまでも先住民を抑圧、抑圧、抑圧、わけいってもわけいっても抑圧という感じの、若者の話。若者世代は過去の因習を断ち切って、新しい生活、新しい未来を描かなければならない、なんて思考は1㍉も出ません。だから実は、読んでいて、そんな目新しさはないかったです。インディヘニスモ文学の一譚と言ってしまえばそれでカテゴライズされてしまう陥穽のある作品。

kotobank.jp

弟の名前がダビーと書かれます。原文は"David"です。

David の発音: David の 英語, スペイン語, ヘブライ語, フランス語, ドイツ語, スウェーデン語, チェコ語, スコットランド語, ポルトガル語, タガログ語, ノルウェー語 (ニーノシュク), エスペラント語, イタリア語, ルクセンブルク語, セルビア語, ルーマニア語, ラテン語, オランダ語, カタロニア語, デンマーク語, クロアチア語, ノルウェー語, スロベニア語 の発音

日曜日』"Día domingo"

ウィキペディアではこれもギャンググループ"integraban una patota"の可能性みたいに書いていますが、タイマンのやり方があまりにハイスクールスチューデントなので、ちがうんじゃんと思いました。せいぜいが高校の不良グループ。

同級生にヤリチン、女たらし、スケコマシがいて、奴の手口が、妹に同級生を自宅に誘わせ、妹退室、自分が何食わぬ顔をして部屋に入って、なんとなくそういうふうに(やってしまう)というやり口で、自分の好きな娘が日曜日に彼の妹に誘われます。断れず、その時間が迫ってきたので、ヤンチャ連中のたまり場で彼を見つけた主人公は彼を足止めするため、決闘を挑みます。決闘の方法は大食いとビール。ヤリチンは用事があると言って断ろうとするのですが、悪友たちがそれを許さない。女の子を守りたい主人公はもう必死。

ビフテキとクリスタルビール三本を空けたら次のビフテキとクリスタルビール、という繰り返しで、ロモサルタードやセビチェ、チャウファデマリスコスを食べまくるわけではないです。主人公は途中でトイレで吐くのですが、それはルール違反ではないようで、不問に処されます。

その勝負は主人公負け判定になるのかな? で、負けるまで負けにはならないんだかなんだかで、次の勝負があって、夜の冬の海で泳ぐ、です。飲み過ぎ食べ過ぎでこれは命の危険があるのではと思いましたが、予想外の結末を迎えます。

ある訪問者』"Un visitante"

センデロ・ルミノソはまだこの頃いなかったでしょうが、盗賊とか、野盗とか、そういう者たちが跋扈する集落に、官憲の手先となった黒人が、あるじの留守の女所帯にやってくる話。これも、いわれのない緊張が全編に走る、すごい筆致です。黒人はジャマイカ人"el Jamaiquino"だそうで、スペイン語だとハマイクエイノになるんでしょうか。ジェイがハ行になるので。でもジャマイカって英語圏のはずなので、なんでスペイン語圏のペルーにいて、スペイン語ペラペラなのか、よく分からないです。流れ者はそういうものなのか。

ナシゴレンウェスタンといわれたインドネシア映画「マルリナの明日」を思い出しました。あれも女所帯に入りこまれる話なので。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

黒人のペルーにおける地位を容赦なく描き切った残酷さと、乾いた余韻が素晴らしいです。パトリシア・ハイスミスがフランスを舞台に書いた『アメリカの友人』を、ヴィム・ヴェンダースがドイツ舞台に書き換えたあの映画みたいな感も。

祖父』"El abuelo"

全盛期はブイブイいわせてたかもしれない老人、ドン・エウロヒオ"don Eulogio"の、晩年の悪戯、愉しみを、ここはパリでも合衆国でもないペルーなんだから、こんなふうになるんだよというふうに描きます。会員制クラブもタクシーもあるのに、畑も荒野も骸骨もある。

いやー、男らしかった。長編も読まねばいけないかなあという想いガー。でも、そうなると、『万延元年のフットボール』を読んだばかりに、『レインツリーを聴く女たち』『個人的な体験』『日常生活の冒険』をいつか読まねばならぬと備忘録に入れている二の舞になりゃせんかと危惧してもいます。でも、本作の印象だと、ジョササンのほうが、サクサク読めるかもしれない。世界最終戦論とかグリーンゲイブルスとか、記者たちとか読むかもしれません。以上

(翌日補記)

*1:クエスチョンマークは私のデタラメ