シーナサンの本*1に出て来た本。『地球の長い午後』を読んで、次はこれを読みました。いちおうこれで、その本からの連鎖はおしまい。
ホーン岬への航海 (海文堂出版): 1980|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
版元は今もご健在で、いろいろ出版しておられますが、本書は公式の検索で出ません。
奥付にはこんなマークも。翻訳者の方は下記。
野本謙作 ヨット界の重鎮で阪大名誉教授、水死 | 時事用語事典 | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス
2002年7月20日、水難死とのこと。享年76。
子供たちにヨットを教えた後の片付けで、流されそうになった自艇を引き戻そうとして海に飛び込み溺れた。
本書は珍しく、原書が電子版なし。新刊でも買えないみたいです。
原書の表紙は邦訳と左右が逆で、どちらかが反転しているわけですが、よく分かりません。名著なので、いろんなヨットマンや海の男の人が言及しており、それらを読めば事情がコロンブスの卵のように出て来るんでしょうが…
左は頁152、表紙と同じ写真(部分)原書表紙と左右逆なのが分かると思います。右は頁30(部分)どっかの入江。
太平洋のチリ沿岸を南下してホーン岬に辿り着くまでが本書です。前半は逆風で苦戦、後半は横風で座礁。それでも大海原にちっぽけなヨット一艇で難破するリスクに比べれば、安全なので沿岸の水道、瀬戸など島沿いに航行します。ヨットに乗る人以外に、山の上まで登って写真撮ってまた下りて合流の人がいたわけで、現代はドローンで撮れるので、よい時代になりました(棒
訳者あとがきによると、著者夫妻はサンフランシスコで共稼ぎの戦中派で、もともとは山屋だがヨット経験あり。パートナーはイギリス人です。1966年に全財産七百万円を投じてヨットを買い、太平洋一周、南洋から鹿児島、北海道、アリューシャン諸島、アラスカを回り、前書『ふたりの太平洋』(海文堂)を出版したとか。で、これが次の冒険航海。原書は1978年刊。
ヨットの中。本など、生活物資をたくさん積んだので、2トン重くなったとか。当時は「グランピング」をやるなら、海だったんでしょうか。頁11見開き(部分)
台所。たぶん時化た時は、マグはちゃんと収納して、割れないようにしてたと思います。この下に消火器も写ってます。頁11見開き(部分)
ほんとうに海が荒れてたら、両手でカメラ持ってシャッターなんて切れないでしょうから、そうでないときかと。頁12(部分)身体は安全ベルトで船体に繋いでいるそうです。
サンディエゴを出発して、ガラパゴス諸島経由でペルーの首都リマ到着、そこからコキンポというチリ領を経て、バルディビアからフンボルト海流に乗り入れ、本書記述スタートだそうで、前半は、「チロテ人」という、インディオとスペイン人の混血の、現地人社会です。チロエ島に住む人々をチローテと呼び、それを邦訳は「チロテ人」と訳す。英文からの邦訳なので、インディオは「インディアン」になっているのですが、チローテはチロテ人。
左は、干潮時に馬車で船に横付けして荷積みや荷下ろしが出来るという写真。頁53(部分)
頁39、スペイン語で貝のことをマリスコスと言うそうで、私はペルー料理のメニューでマリスコスは海鮮の意味だと思っていましたので、ちがった。チャウファデマリスコスは、海鮮チャーハンでなく、貝のチャーハンなのか。
ホタテ貝がオスティオネスで、チョリトス、チョルガス、チョロスがムール貝。大きさによって呼び名を変えるとか。ハマグリがアルメハス、ランゴスティノスとカマロネスは「小エビ」と訳されています。後者はクレイフィッシュ、ザリガニじゃなかったかなあという。ウニがエリソス。生の刻んだ玉ねぎ、サルサと混ぜて生食するんだとか。本書はチリですが、ペルーでもあるんならペルー料理店で、予約で出すとかしてもいいような。でかい食用フジツボがピコロコで、ハル・ロスさんには判別つかなかったようですが、ピウレス、マチャス、ハイバスという貝もあるそうです。八王子のペルー料理店だけサザエのマリネを出すのですが、メニューのスペイン語"caracol"(カラコル)はカタツムリ、エスカルゴなので、たぶん現地の口語。
本書にひとつだけ載ってるレシピは、ムール貝のペルー料理です。これ以外ペルーは出ません。チリと、一ヶ所だけ、アルゼンチンが出るかな?
ペルー風ムール貝のスープ
ムール貝 36個 |セロリ 葉つき1本
玉ねぎ 中1個 |チリパウダー 小さじ1杯
パセリ みじん切り大さじ1杯 |とき卵 1個分
水 カップ2杯 |オリーブ油 大さじ2杯
にんにく 2かけら |コーンスターチ 大さじ1杯
揚げクルトン(好み次第)
セロリ、玉ねぎ、パセリは真空乾燥粉末にしたものでも可
貝をこすり洗い、大きい平鍋に水とセロリと共に入れ強火にかける。貝が開いたら取り出し、身を外しておく。目の粗いこし布を数枚重ね、ゆで汁をこす。
平鍋にオリーブ油を熱し、玉ねぎ、にんにく、チリパウダーを入れて炒め、ゆで汁を加えてひと煮立ちしたら大さじ二杯の水で溶いたコーンスターチを加える。再び煮立ったら弱火にし八~一〇分静かに煮る。鍋を火からおろし、貝の身、パセリ、レモンジュースを加える。卵とミルクを合わせ、少しずつスープに入れる。よくかきまぜ、火にかけて沸とうしない程度に熱する。味をととのえ、揚げクルトンを浮かせて供する。これで三、四人分。空腹のヨット乗りなら二人分。
ムール貝三十六個なんて、漁業関係者以外立ち入り禁止区域で密漁するわけでもないのに、用意出来るカーとか、セボラ・チナと言いましたか、あさつきに似たペルーのわけぎを入れないのはふたりがアメリカ人で口に合わないからだろうかとか、思いました。
たぶん上の、"Sopa a la minuta"という、ふつうは牛肉で作るミルクスープのマリスコスバージョン、チョリトスバージョンではないかと思うのですが、分かりません。上の写真は鶴見。
海から海岸段丘の上の住居を望む。南米なので、ヨーロッパ風デス。頁54(部分)
穏やかな入江から集落と田園を望む。雪の残るフィヨルドがある一方、こんな常民の世界(の南米版=欧州フュージョン)もある。頁85(部分)
この、ヒロミみたいな人は、この辺の純粋インディオだとか。ちょっとこすっからい人だったそう。頁120。この辺りではワインでもジンジャーエールでもミネラルウォーターでも食用油でも、液体を買うには空き瓶を持って行かねばならず、めんどくさいそうです。乾電池やタイプ用紙、歯の治療などはあきらめたほうがよいとか。頁82。
もう一ヶ所、最南端の方で、フエゴ島のインディオにも会ってますが、その人の収入源は「ヤーガン族のカヌーの模型を作って、時たま訪れるお客に売ること」だとか。木彫りの熊。頁233。ハル・ロスサンは先住民の歴史を「むごい悲しい」物語だとして、きれいごと扱いすべきでないと書いてますが、でも現代のように、よみがえって現在進行形のストーリーにするには、生きた時代が古かったと思います。おわった物語だから「むごい悲しい」で終わってるのでは、と、当時は突っ込まれなかったとは思う。
頁150(部分)マゼラン海峡に面したブンタ・アレナスという港の、チリ国旗を掲げた船たち。頁68によると、ほかの南米諸国と違って、チリの駐在兵カラビネロはその清廉潔白性に定評があり、国家警察官であるカラビネロを買収しようとすると逆に留置場送りになりかねないとか。そんな国でもアニータサンのような人もいて、ガルシア・マルケスは『戒厳令下チリ潜入記』を書きましたっと。映像化も。
このあたりからどんどん座礁したまま放置された船を見ることが多くなり、ふたりのヨットも座礁します。
頁170(部分)ここまで、二人だと思っていたのですが、実はカメラマンの男女二人と、合計四人旅だったことが分かります。座礁したのでテントを張って数日間、発見されるまで野営。もう一人の男性はヨット経験があまりなく、自分でどんどんやろうとせず、指示待ちばかりの人だったそうです。けっこうよく書かれてないのですが、しかし本書の写真を見た時、けっこう引いたアングルが多いので、誰かが船から離れて丘に登ったりなんだりして撮ったはずなので、そこは仕事をしたのではないかと。クレジットはありません。買い取ったのか、使ってないのか。本書の原書が再版も電子版もないのは、その辺の事情があるのかもと勘ぐってみたり。
頁181、チリ海軍の魚雷艇北東約三浬(カイリ)航行中を発見、カメラマンが信号弾を発射するもすべて一メートルも上がらず落下(と書かなくてもいいのに)ハル・ロスサんが信号灯で信号を送り、彼らはゴムボートでやってきます。
頁181
ニ十分後に一人の士官と三人の水兵が水の中を歩いて上陸して来た。私は指揮官らしい人に駆け寄って、冷たい水の中を歩かせてすみませんと謝った。
「いや、こんなことは何でもありません」彼は顔を輝かして言った。
「海上巡察は全く退屈な任務です。誰かを救助するのは何年に一度もない、最もやりがいのある仕事ですよ」
現代はそうも言ってられないと思いますが、同時に、ちゃんと礼を尽くすことの大切さもこのやりとりは教えてくれます。
横倒れになっているので、あいだに材木やドラムカンの破片をはさんでてこにして引っ張って起き上がらせ、海上へ引き出して曳航し、ブンタ・アレナス港のアルマル官営造船所に陸揚げ、修理。本書を読んでると、南米は欧州と直結した社会でもあるんだなあと随所で痛感します。ここでも、オカンポとチャベスという造船所の「船大工」が、右舷損傷部補修のFRP成型に通暁しており、補修材料のガラス繊維マットやロービング・クロス、ポリエステル樹脂10kgは船に積み込んではいたものの、木材加工やガスバーナーで樹脂硬化させたりなんだりを、みなでどんどんやって直してゆきます。その反面、作業は魚雷整備工場という、ある意味軍事機密の場所でやってるのですが、どんどん野次馬が観に来て、新聞記者も日参、テレビカメラも回ってしまうという(テレビクルーがいるのも驚き)南米的展開になります。夫婦は作業の合間、昼食に街中で出来たてアツアツのエンパナーダを買って食べ、それは小さな楽しみだったとか。
再出発後の写真。湾に流れ込む川の水をポリタンに汲んで水を補給するカット。頁220(部分)あまりハル・ロスサンの写真はないのですが、これは珍しく、スダレ髪カットが分かる一枚。ゲーハry
で、ホーン岬到達に成功して本書は終わります。大自然とヨットのカットはけっこうあって、たぶん船に乗る人は(シーナサン含め)メモワールに耽ることでしょう。ので割愛。最後の一枚の前の一枚はなぜかマーガレットさんが現地で知己になった男性と松葉ガニを持った写真で、食べたんだろうなあと思いました。
こんなグラフィカルなイイ本が再版未定なのは残念ですが、読めてよかったです。以上
【後報】
ハル・ロスサンの前書『ふたりの太平洋 ロス夫妻のヨット周航記』"Two on a Big Ocean; the Story of the First Circumnavigation of the Pacific Basin in a Small Sailing Ship."もぱらぱらめくってみました。本書よりひとまわり小さく、本書ほど写真はありません。また、日本では曳航だったのかな? 南洋ほど記事はありませんでした。
で、海のヨットを陸地から撮影したショットは、本書ほどありませんでした。一枚か二枚か… 沿岸航海が少なかった点もあるでしょうが、本書のように四人ではなかったからかな、ともちらっと考えました。本書では確立されたノウハウが、前書ではまだだったのか。
(同日)