『シンコ・エスキーナス街の罠』"CINCO ESQUINAS" MARIO VARGAS LLOSA マリオ・バルガス=ジョサ 田村さと子訳 Translated by Tamura Satoko 読了

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/8/87/Cinco_esquinas_%28Mario_Vargas_Llosa%29.pngペルーを代表するノーベル賞作家、マリオ・バルガス=ジョササンの小説を、読み続けようと手に取った一冊。ジョササン八十歳の傘寿祝いの時に刊行された小説です。老いて尚盛ん。河出の日本語版は血を連想させるカバーですが、スペイン語版のカバーは左のようにエロティックで百合。実際にそういう内容です。百合とマチズモ、百合と暴力、百合と恐怖政権、百合とテロ。右の、すね毛のない足の人の手が開いている新聞の見出し "EN TODO EL PAÍS TOQUE DE QUEDA" は「全国的に外出禁止令」(グーグル翻訳を修正)

最初の大統領選にはジョササンも出馬し、決選投票の末敗れたフジモリ政権の末期、モンテシノス国家情報局特別顧問*1による反フジモリ派、マスコミへの脅迫、圧力、軍諜報機関内での拷問や虐殺をフィクションとして描いた小説です。フジモリサンはのちの亡命後に日本でお荷物扱いされる風潮があったりで私としてはお気の毒と思ってるのですが、ジョササンにとっては、政権時の腐敗や人権蹂躙見過ごせないワ、てなもんだったようで、肉喰ってる白人の粘着気質と言ってはいけないのですが、先のカタールワールドカップ決勝でも人種のメルティングポット=フランス代表を蹴散らした白豪集団アルヘンティノスをジョササンはキライなのですがやはり同根同種という趣を感じてしまいました。そのあからさまなコンキスタドーレス気質、スペイン礼賛がジョササンが敗れた主要因なのですが、反省する理由もないので、意気軒昂なまま。

The Neighborhood (novel) - Wikipedia

Cinco esquinas (novela) - Wikipedia, la enciclopedia libre

訳者の田村さと子サンは翻訳当時の2019年、ジョササン同様マドリッド暮らしだったそうで、メヒコとスペインでラテンアメリカ文学を学んだ田村サンはペルーには五度も行ったことがあるそうで、本書の舞台になった当時の訪問を回想し、参加した国際シンポ一行でリマ近郊のインカ遺跡を見学した際、大学関係者が「ここで人質になったら国際的なスキャンダルね」とジョークを飛ばすのを聞いてます。その場所も毛沢東派ゲリラ組織センデス・ルミノソとの攻防激戦地で、夜陰に乗じてゲリラが歩くと物音が立って村人に知らせる仕掛けにぐるりと取り巻かれていたとか。私が読んだラテンアメリカ文学の翻訳者野谷文昭サンは『フリアとシナリオライター*2翻訳時の21世紀初頭、やっとペルーを訪ねることが出来たそうで、人によってちがうものだとも思いました。

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装幀 水戸部功 2019年9月初版 センデロ・ルミノソトゥパク・アマル革命運動というふたつの左翼ゲリラにフジモリ政権は苦しめられ、かつ強権的に弾圧したわけですが、フジモリ政権が倒れると、ぱたっと極左テロ勢力も消滅してしまうのがなんとも。やっぱアーモンドアイがいやだったんでしょと白いペルー人に言うと、激烈な反論が返って来そうでイエマセン。

センデロ・ルミノソ - Wikipedia

トゥパク・アマル革命運動 - Wikipedia

私がちょくちょく関係書籍を読んでるスリランカも、タミル・イーラム解放の虎と人民解放戦線、ふたつの反政府テロと暴動に悩まされて来た国なので、どっちも反政府運動がふたつあって、どっちも日系・日本が評価されてた時代(フジモリ政権とサラッチャンドラ『亡き人』『お命日』)なのが興味深いと言い切れると炯眼なのですが、スリランカの日本評価は単なる文学の話ですし、ペルーのトゥパク・アマルスリランカのタミル人民族運動とちがってケチュア語話者の復興民族運動でもなんでもないタダの左翼ですので、旨いこと比較したつもりでレポート書いてゼミや講義で提出したら、AIなら高評価、人間の先生なら0点になるでしょう。

タミル・イーラム解放のトラ - Wikipedia

人民解放戦線 (スリランカ) - Wikipedia

2022年スリランカ反政府運動 - Wikipedia

英語版の表紙がエックスメンみたいな理由は分かりません。「シンコ・エスキーナス」は訳者あとがきによると、インカ時代には神殿が建てられ、スペイン人たちがリマ市を築いた時には城壁を築いてケチュア語話者たちからの襲撃に備えた、ペルーでもっとも歴史のある地区だそうです。20世紀後半になるとスラム化が進み、治安の悪い場所のひとつになったとか。下は往時を住民から街頭インタビューで聴く動画と、グーグルマップ。

Conoce la historia del emblemático "Cinco Esquinas" - YouTube

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私はペルーには食文化に関して興味があるので、その方面の記述を抜き出します。

頁49、「わずかな金でスープに豆入りご飯、コンポートという定食メニューで昼食をとっていたオコニャ大通りの安宿」

頁72、ラ・レタキータというヒロインの母親不在の幼少時、父親と共同ナントカ者が営んでいたエモリエンテという街頭売りの飲み物の屋台の飲み物、エモリエンテは知りませんでした。「大麦やアマニ、ポルド、トクサで作られたこの伝統的なクレオールの飲み物」「大きな瓶を引いていく道中」顧客は朝帰りの遊び人や夜明けに工場入りする労働者たちで、「彼女はナプキンにしていた裁断した紙と一緒にガラスのコップを顧客に渡すのを手伝った」「骨が折れるし危険な仕事だった」「襲われて一日の稼ぎのすべてを奪われたことが何回もあった」材料はたぶんペルー雑貨屋で買えると思うのですが、自作めんどいので、どこかのお店で出してないか聞くとなると、私の「たかり上手の甘え下手」が炸裂するので、あまりやりたくない。

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kyodaimarket.com

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頁75、「家に着くとキッチンで袋入りのインスタントスープを作り、オーブンの中に入れたままにしていたモンドンゴ(臓物の煮込み)入りのご飯を温め直した」

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モンドンギート。2021年12月。中津

頁108には、「跣足カルメル修道会が、フニン大通りの第八ブロックとカルメン・アルトの交差する場所の聖母カルメル修道院で提供していた大衆食堂」という記述があり、章題も「大衆食堂」なのですが、これ、教会の「炊き出し」ですよね。貧困層への無料配布の。大衆食堂では決してないと思うのですが、こういうところがジョササンの無意識の無遠慮さ、選挙で落ちるポイントなのだろうと思い、かつまた、訳者の田村サンも本気か?と思いました。訳者あとがきには、翻訳に関して会田宣子サン、矢口啓子サン、ミラグロス・ロペスさん、ペルーニスモと呼ばれるペルー特有の表現についてはアルフレード・アレンコートサン、河出編集部の木村由美子サンに謝辞を述べてますが、教会の炊き出しを大衆食堂と表現したら、大衆食堂に失礼やろと思います。メニューもえらばれへんし、無料やし、それを大衆食堂と書いたらアカン。ラマダンの夜の食事、イフタールはマスジッドや街頭で供されるものは無料が多いそうですが、大衆食堂じゃないですよね。

「メニューはほとんどいつも同じで、古くてボコボコへこんだブリキの皿に入れて出された。パスタ入りスープ、野菜の煮込みとご飯、デザートにはリンゴかレモンのコンポート」ここの常連の、詩の朗誦者で、ゴシップ誌のスキャンダル記事で人生を破滅させられた人物は、もう少し肉を入れてほしいと注文をつけますが、叶えられることはありません。

同じページに、ジョークですが、「猫のセコ(肉の煮込み)」が出ます。まずそう。セッコはコリアンダースペイン語でシラントロ、"cilantro")ソースで煮込む料理なので、猫肉でそれをやるのかという…

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牛肉のセッコとカウカウ(牛のハチノスのターメリック煮込み)テイクアウト。2020年秋。厚木。

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2021年冬。今はなき大和の店で。牛肉のセッコとタクタク(冷えた豆ゴハンを焼いた黒人料理)

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牛肉のセッコ。2022年秋。中津。

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同。フリホーレスつき。2022年秋。

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牛セッコとフリホーレス。2023年冬。夏。

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鶏肉のセッコとフリホーレス。2023年夏。伊那。

確か荒井商店の本には、ヤギのセッコが載ってたはずです。

頁117、「ラ・レタキータは毎日つましい朝食を準備した。ミルク入りコーヒーとトウモロコシ粉のビスケット」「そのカフェにはトウモロコシ粉のビスケットがなかったので、ミルク入りコーヒーとありきたりのスポンジケーキを頼むと、チャンカイ出身の給仕が運んできた」

ジョササンの小説にはコーヒーばかり出てくるのですが、実際にペルー料理店で見ていると、インカコーラ、チチャモラーダというムラサキトウモロコシの甘い飲料などで食事をする人ばかりです。カモミールティーやアニスティーなどのハーブティーもあり、コーヒーも、スナックスタンド的な店では大きなペルーのコロッケであるパパレジェーナ、チッチャロンデチャンチョだったかな、炙り豚皮つき肉のサンドイッチ、南米の揚げパイであるエンパナーダ、ソーセージとジャガイモを炒めたサルチパパなどと一緒にコーヒーを飲む人も見た記憶がありますが、当の私がコーヒー党で、ペルーの雑貨屋ではそういうコーヒーの飲み方をしているので、見かけたら私かもしれません。

頁167、「ウィリーはいつも新鮮なムール貝と冷たいビールのある安酒場での昼食に彼を招いた」確かにペルーの海鮮料理には必ずムール貝が入ってます。そういうとこも欧州っぽい。

頁177

(略)バーの主人がニベのセビッチェを作ろうか、と訊きにきた。

「新鮮か?」とウィリーが尋ねた。

「明け方にカジャオから運ばれてきたんだ。海から捕れたばかりだよ」

「じゃあ、うまいセビッチェを二つ。それとビールをもう一本、よく冷えたやつを」

野谷文昭サン訳『フリアとシナリオライター』にもニベが出てきて、二人で二匹たいらげたことになっているのですが、田村サン訳だと、どうも欧州文化として、大皿シェアをしないので、ひとりひと皿頼んでる感じです。いろんな料理が楽しめないし、量も多くなるし支払いも高くなると思うのですが、シェアしない。

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中津の日替わりメニューでニベのセビチェが出た時の写真。2023年冬。

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そのニベのセビチェ。セビチェと書くかセビーチェと書くかに私はこだわっているのですが、田村サン訳はセビチェです。促音キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! マドリード風にはっちょんするとセビチェなのか。

頁192、ラ・レタキータがモンテシノスとじか面談する場面で、モンテシノスはフルーツジュース、コーヒー、ジャム付きトーストの朝食を摂っています。農文協の絵本世界の食事シリーズのペルー編では、ペルー人は朝はパンと紅茶ということになっているのですが、ブラジル人がブラジル風のポンに固執して、ブラジルスーパーでブラジル風のパンをドカ買いするのに比べ、ペルー人は食パンのトーストでもこだわらないのではないかという印象を私は持っています。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

ソパデクリオージャという、夜更かしや朝帰りに食べるカリカリパンが入ったスープに入れるパンも食パンだし。

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Sopa criolla / ソパ・クリオージャ。今年二月。

頁208、のちに写真をネタに脅迫され、暴露されて一大スキャンダルになる乱交パーティで、乾杯して飲み干した後、盃を頭上でひっくり返して中身がもうないことを示すあの儀礼が出ます。スペインにもあるのか。「セコ・イ・ボルテアド(杯を干して引っくりかえせ)」と言うそうで。検索すると、スパニッシュはサルート(東急線の広報誌名)で、この表現はペルー特有のようです。マサカ中国から来たのではあるまいなと。でも中国もおおもとはたぶんソ連からなので、ソ連から来た気瓦斯。キューバ経由かどうかは知りませんが。

Martha Hildebrandt: el significado de “Seco y volteado” | OPINION | EL COMERCIO PERÚ

下はよく分からない動画。ネットラジオ

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頁216

(略)私を殴ったら記憶が戻ると思わないでください。これ以上お願いすることはありません。私の頭はずいぶん前から、マサモーラ(トウモロコシのデザート)のようなものになっているんです。わかってください。だからお願いします。心からお願いします。私をそっとしておいてください。これ以上殴らないでください」

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右側がモサモーラ。左側はライスプディング、アロスコンレッチェ。川崎。2023年5月。

https://assets-global.website-files.com/5f9b2a13bc4f61ef6ae5347a/607ee36f18dced173dc1be76_4C8A9821-Cropped%20copy-p-500.jpeg頁224、マイアミのキューバレストラン、エル・ベルサイユとその名物料理、ロパ・ビエハが出ます。検索したら実在しました。ジョササンは八十歳だから、もう怖いものがない感じなのか。私はこわいのですが、従業員の写真を借りて載せています。すぐ見えなくなると思う。

226、ミラフローレスの〈ロス・シエテ・ペスカードス・カピタレス〉"los siete pescados capitales"(ロス・シエテ・ペカードス・カピタレス七つの大罪)los siete pecados capitalesにかけている)というシーフードの店も実在するか検索しましたが、よく分かりません。ペスカドは、魚の意味と思います。

www.versaillesrestaurant.com

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https://assets-global.website-files.com/5f9b2a13bc4f61ef6ae5347a/6075e2ece4db66673d65b2b4_4C8A8808-p-500.jpeg右もマイアミのキューバレストラン、エル・ヴェルサイユ

下は、七つの海鮮でラ・レタキータとカメラマンが頼んだ料理。

頁228

 冷たいビールにニベのセビッチェを二つ、フリエタはライスを添えたカラプルクラ(ジャガイモと肉のピーナッツ煮込み)を、セフェリノはやはりライスと添えた辛いアヒ・ガジナ(チリソースで煮込んだ鶏肉)を注文した。

カラプルクラはよく、ただのジャガイモでなくインカのジャガイモと付加価値をつけて書かれます。アヒ・ガジーナはたいてい長音で表記され、アヒは確かに唐辛子なのでチリなのですが、チリソースというと赤い甘辛いあのソースの印象が強く、黄色いアヒソースで作った離乳食みたいな西アジアムスリム料理ハリームのような「ペルーのカレー」アヒ・ガジーナを想起することは出来ません。

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カラプルクラ。鶴見。2023年冬。

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カラプルクラとスペアリブ(コスティージャアラブラーサ)のコンボ。中津。日替わり。2023年春。

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カラプルクラと鶏むね肉のカツ(スプレマデポヨ)のコンボ。中津。日替わり。2023年夏。

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アヒデガジーナ。こうやって実物を見れば、「チリソース煮」がえらい語弊を招く言い方であることが分かるはず。2022年晩秋。

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アヒデガジーナとアンティクーチョ(牛ハツタレ焼き)のセット。2023年早春。

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ランチのアヒデガジーナ。川崎。2023年5月。

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アヒデガジーナを入れた春巻。2023年4月。八王子。

頁266

 午後三時近くにテーブルに着いた。実際、セビッチェと鉄板焼きのニベはとても新鮮でおいしかったし、何よりもよく冷えたフランス産ワインのシャブリと一緒だったのがよかった。

ペルー料理店は休日は午後休みしないでずっと開いてる店が多いです。日本でも。鶴見の西側のほうの店は平日もそうかな。

邦訳表紙拡大。

頁89、「いつもストールとネクタイを身に着けていた」脚本家がマエストロと呼ばれていた、という記述を読んで、ストールってなんだっけと悩んでしまいました。スカーフとネクタイなら、同時につけるのはとてつもなくヘンですし、マフラーとネクタイならふつう。さて、ストールは? ケープじゃないだろうし。ストールはマフラーとちがって、上着を外してもつけてるイメージがあるので、ネクタイとの重ね着はよく分かりません。

頁91、「ことわざでは「不幸よ、一人で來るなら来てもいい(「不幸は重なってやってくる」の意)と言うが」の文章は検索しました。"Bien vengas, mal, si vien es solo." というのが出ました。前段の文章があって、ここでは「不幸」という単語は省略されてるみたいです。

【スペイン語の諺 #044】不幸は単独でやってこない【#202】 - YouTube

頁95、お金持ちの家の庭にインドのガジュマル、北米のメタセコイア、一対のアンデスコショウボクが植わっていて、高い木々でいっぱいの庭とある描写は説得力がありました。さすがセレブ。都心で高い木ばっかり植えても日照権の侵害にならない広さ。最近、ヒカキンが豪邸にオリーブ植えたがゾウムシにやられていた木で、数日で倒れたという記事を読み、こういう木を植えればよかったのにと思いました。

ja.wikipedia.org

ガジュマルとメタセコイア同時に植えてるなんて、イカス。

頁115

(略)「デスペタス」を並べているキオスクを探そうと思った。彼とアタナシアがあまりにも清い信心家であったために一度もしたことがない、有名な69をしているその大富豪を見たいと思ったのだ。(略)《69やクンニリングスがどんなものか知らずにおまえは死ぬんだろう、フアニート》ばかげている。彼とアタナシアはそんな奇抜なことをしなくたってあれほど幸せだったじゃないか?

『フリオとシナリオライター』の劇中挿話にもあったのですが、頁125、「警察の大佐」という表現があり、ペルーでは警察も軍隊と同じ階級名称であることが分かります。中国の公安警察と八一人民解放軍以上に、ペルーの両者は親密なのかもしれない。

これも『フリオとシナリオライター』に同じ話があったのですが、先祖に中国人女性と結婚したコンキスタドーレス末裔の話が出ます。

頁157

(略)「つまり、あなたのおばあさんは中国人だったのね。本当の中国人?」

「まあ、ペルーに住み着いた中国人だったのだろう」とルシアノが正確に述べた。「でもまさしく中国の中国人だったと思う。(略)

「理由は愛情でしょ」とマリサが言った。「ほかにはあり得ないわ。大富豪が中国人に恋をした、それでおしまい。東洋の女性はベッドではやり手だっていうじゃない?」

「ああ、祖父は中国の女に狂ったように惚れたにちがいない」(略)

「これからは、あなたをチニート(中国人)と呼びましょうね」とマリサが笑いながら付け加えた。

「黙れ、黙れ、フジモリがそう呼ばれているじゃないか」とやはり笑いながら、ルシアノが彼女を遮った。「チノチョロ(中国系混血)のほうがいい」

(略)

「僕が小さかった頃、農園の年取った作男たちは彼女のことを覚えていた」ルシアノが言った。「乗馬ズボンと乗馬ブーツをはいて麦藁帽子をかぶり、気丈で鞭をもって農園を巡っては、灌漑や種まき、収穫を監視して指示を与え、怠け者や従わない作男を叱り飛ばして鞭打ちさえした」

 しかしルシアノを最も驚かせたのは、七月二十八日の独立記念日の伝統的な祝祭で(略)祖母ラウラが靴を脱いで農園のチョラたちのように裸足になって作男の一人とマリネラを踊ったことだった。作男たちは一般にサンボ(黒人と先住民の混血)や黒人で、マリネラの最高の踊り手だった。家の女主人、大地主の妻が作男とマリネラを踊るのはいずれにしてもあり得ないことで、彼女は何十人という作男や、農民、小作人、運転手、トラクター運転手、使用人などから拍手喝采を受けた。出席者全員を熱狂させた出来事だったようだ。(略)祖母ラウラはマリネラの素晴らしい踊り手だったようだ。(略)

マリネラ大泉町のペルー人たちが、ブラジルにサンバがあるならペルーにはマリネラがあるってことで、取り組んでる民族舞踊で、動画を見ると、ペルーでは白人ばかりが踊ってるイメージですが、当の白人のジョササンが、黒人や先住民と黒人の混血が名手と書いてて、ここはいいなと思いました。この記述はその後、祖父のドン・カシミロが妻の家族の中国人雑貨商一家を蒸発させるというぞっとする話に続きます。妻の出自をうかがわせるものは一切身辺から消す。ルシアノは、雑貨商一家は国境周辺やジャングルに因果を含めて引っ越しさせられたのだろうと推測しています。

頁211

「お嬢さん、あなたは僕の男根、ペニス、またはここの現地の人たちが言うようにピチュラの上に坐りたまえ」とコスット氏は仰々しい礼儀正しさでそう求め命令した。「そしてあんたはこっちに来なさい、金髪娘、ここに跪いてあんたの性器を僕に差し出してくれ。あまり清潔じゃなくてもかまわないよ、僕はそうしたささいなことにはこだわらないから、パルメザンチーズの匂いがするなら、なおいいね、あはは。フランス人がミネタと呼び、スペイン人は下品だからママダと呼んでいると思うが、あんたにしてやろう。ペルー人はなんと呼ぶのかね?」

「チュパディタって言うのよ」とリシアかリヒアが笑った。「反対なら、コルネティタ」

本書は、モンテシノスがなぜフジモリ政権中枢に入りこめて食い荒らせたか、頁193で大胆な説を提起しています。いわく、フジモリは日系移住者の両親からペルーで生まれた生地主義のペルー国籍者ではなく、日系移住者の両親に連れられて幼少期にペルーに渡った、日本国籍者、日本人だった。彼の家族は彼の出生証明書を偽造あるいは購入し、独立記念日に彼がペルーで生まれたことにして、洗礼も受けたことにした。フジモリと反目する海軍がその事実を一回目の選挙と二回目の選挙の間に手に入れ、フジモリはモンテシノスに泣きつき、彼はもみ消しに成功した。海軍高官たちが買収されたのか、弱みを握られて黙らされたのか、それは分からないことにしてあります。なんちゅうかな、巻頭に「展開される出来事は事実とは一致していないし、作者は常に作品においては絶対的自由を有している」と書いてはいるんですが、でもなんだかなあ。確かに暗い時代ではあったのでしょうが、センデロ・ルミノソトゥパク・アマルがいけないのであって、あまりフジモリ叩きをしたくないです、私は。どうにも選挙に負けたジョササンがそれをフィクションでやるというのが、へんな正義感ぶったガウチョイスモという気がして、なんだかなあとも思いました。ウィキペディアを見ると、ジョササンは現在ではフジモリの娘さん(野党政治家)支持だそうですが、どのツラさげてという。

で、これだけやって、中国系は登場人物の祖母の話(ジョササン一族の眷族の話として『フリアとシナリオライター』にも出た)わりに、日系に関するであろう描写は、二ヶ所くらい、乱交シーンで、女性が別の女性に「あなた芸者みたいよ」というだけ。あんまりかなと思いました。確かに『ペルーの和食』という本では、北米の日系移民が、なかなかカリフォーニア社会と同化せず、黄禍論を喚起する軋轢ばかり起こしてるのに、ペルーでは五年住むともう現地人と見分けがつかなくなると、戦前日本外交官の観察として書いてあるのですが、それにしたって。

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ブラジルの日系が勝ち組として敗戦後の北米日系人に「いつかブラジルから連合艦隊が來る」とありもしない希望を与え続けた(そういうチェーンメールがあったとか)のに対し、ペルーの日系人はわざわざ北米に送られて日系人収容所に収容されたとか、そっから大統領を輩出するまでになったのに、そういうのをジョササンが一切書かないのは、この人らしいと思いつつも憎たらしいという。以上