『うつろ舟』"A barca vazia" por Taro Matsui. 〈Nikkei Bungaku do Brasil〉 ブラジル日本人作家・松井太郎小説選 読了

ミルチャ・エリアーデの邦訳を出版している京都の松籟社という出版社の出版物をつらつら眺めていて、ブラジル移民一世松井太郎サンという方が日本語で書いた小説を出版しているのを知り、読もうと思って買いました。よかった。おもしろかった。下記はポルトガル語訳。いい表紙だな~と思います。

A Barca Vazia

A Barca Vazia

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ポルトガル語訳は40レアル。日本のアマゾンで買うと7,000日元。作中の通貨表現では「レアル」は出ず、コント、コントス(Contos de Réis)と書かれていたりしました。通貨危機でレアルがクルゼイロ(Cruzeiro)クルザード(Cruzado)に変わっていた時期かもしれませんし、そもそもブラジルポルトゲスは"R"が"H"になるので、"Real"はヘアウと読まれ、複数形はヘアイスとなるそうです。欧州語の不可算名詞可算名詞はよく分かりません。松井サンは日本語で書くにあたって、レアルと書くかヘアウと書くか、めんどいので通貨単位書くのやめたのかもしれません。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

A barca vazia (selo Escrituras) é uma metáfora da transitoriedade da vida neste mundo, e a futilidade de lutar contra a corrente irreversível do tempo. Taro Matsui nos mostra que é somente na esfera cognitiva que podemos recapitular o passado.

Nesta narrativa ficcional, Taro conta a história de Tsugushi Mario Jinzai, que é filho do dono de um rancho e é casado com uma moça japonesa. A vida do protagonista transcorre por sinuosas trilhas e ele é enviado para longe, vagando pelo rio Paraná, na fronteira com o Paraguai. O singular neste conto é que Tsugushi assimila completamente a vida da fronteira brasileira e se desliga da comunidade japonesa, que o repudia de forma hostil. Ele, então, está no limite de perder sua identidade como japonês e confrontar-se com a marginalização, ao mesmo tempo que não se esquece da importância dos laços familiares e rende homenagem aos antepassados.

(グーグル翻訳)

空の船(聖書の封印)は、この世の人生のはかなさ、そして不可逆的な時間の流れと戦うことの無益さの比喩です。松井太郎は、私たちが過去を再現できるのは認知領域においてのみであることを示しています。

この架空の物語の中で、タロウは牧場主の息子で日本人女性と結婚したマリオ神西ツグシの物語を語ります。主人公の人生は曲がりくねった道に沿って起こり、彼は遠く離れてパラグアイとの国境にあるパラナ川沿いをさまよっています。この物語のユニークな点は、継がブラジル国境の生活に完全に同化し、彼を敵対的に拒絶する日本人コミュニティから自らを切り離すことである。彼は、日本人としてのアイデンティティを失い、疎外に直面する瀬戸際に立たされているが、同時に家族の絆の大切さや先祖への敬意も忘れていない。

https://www.amazon.com.br/Barca-Vazia-Taro-Matsui/dp/8575316516

上は2015年にミチヨ・ナカタサンという方が「ポ語」に翻訳したブラジルポルトゲス版(表紙にはリディア・イヴァーササンという方が訳したと書かれており、真実はひとつよく分かりません)の内容紹介ですが、「彼を敵対的に拒絶する日本人コミュニティ」"comunidade japonesa, que o repudia de forma hostil."なんて出ません。直木賞作家垣根涼介サンが『ワイルド・ソウル』*1ラティーノラティーノ!』*2で書いたような、戦後ブラジル移民の中に、事前の募集とまるで異なった、アマゾンのジャングルの、猖獗を極めた痩せた土地への移住案件が頻発し、たがために疾病者死者続発、極貧イモを洗う生活の長期化、将来への展望のなさから一家離散、流民化があとをたたず、ブラジル内国植民農地改革院、INCRAが日本人植民者からパスポートを没収して移動出来なくするなどの暴挙に出るなど、いろいろあって、戦前からの日系社会は戦後のアマゾン移民を「アマゾン牢人」と呼んだという彼らのストーリーであると私は感じました。

ただ、H.G.ウェルズサンが、火星人 / 宇宙戦争、透明人間、タイムマシン、バイオテクノロジーの脅威(Dr.モローの島)など数々の新奇なアイデアで世界を魅了しながら、登場する主人公がいずれも冷静沈着、少々のことでは心が折れない超人的完全無欠ヒーロー、道徳的にも非の打ちようがない人物ばかりなので、「単調であきられる」ようなもので、タイトル作の主人公はあまりにカッコよすぎるので(モテで、ブラジルおんなが入れ替わり立ち代わりなのにまんず手を出さないなど)「ケッ、カッコつけやがって」というひがみそねみがあるのは確実と思います。

ハーバート・ジョージ・ウェルズ - Wikipedia

「PERFECT DAYS」で役所広司がアオイヤマダや石川さゆり、公園の横のベンチの女性と次々ハグしたり告白されたりしながら「おいらに惚れちゃあいけねえよ」なんて言ってたら、客席からはブーイングの大合唱とともに、スクリーンにポップコーンやカップが次々投げられるのではないでしょうか。

松籟社:うつろ舟

https://m.media-amazon.com/images/I/71+v0q2wGtL._SL1100_.jpg日本語版の表紙(もともと日本語で書かれた本なので、日本語版とワザワザ言うのもヘンですが)が左記。

装丁 西田優子

作中挿画はすべて作者の筆。

編者 西成彦比較文学) 細川周平(日本音楽史、日系ブラジル移民文化)

収録作品はそれぞれブラジル日本語媒体に初出があるのですが、底本は私家版『松井太郎作品集』に拠ったとのこと。

作者諒解の下、表記を統一し、一部表現を改めたとの由。ただ、関西方言(作者は両親が神戸で、自身も神戸生まれ)やブラジル日本語と思われるものなどはそのままとのこと。

アマゾンレビューには、所詮井の中のかわず、ポルトガル語の海に出て行かない日本人ムラ社会の中だけで通用するイッセイ的ストーリーテリングとする辛口評もありますが、社会的にも成功した作者がそこまでポルトガル語に通暁していないとは思えず、まあ気にしない方がいいと思いました。

日本語版表紙が黄土高原のように土着色なのは、うつろ舟が日本のフォークロアの素材だからかもしれません。*3 確かに舟で川を下るのですが、女と赤子は歩いてきて、自分の意志で、主人公の舟に乗せてくれと言うのです。黒い巻貝、肝臓住血虫の宿主がうようよいる川に素足で入って洗濯する女。ひどくだるがって、腹部のそこが腫れている。

巻末に編者ふたりの小論が収められています。

西成彦外地日本語文学の新たな挑戦――松井太郎文学とその背景」は、アルゼンチンに住みながらポーランド語で作品を書き続けたゴンドローヴィチや、同じく英語で作品を書いたダーウィンら、ブラジルでポルトガル語以外の言語で作品を書いたフンボルトレヴィ=ストロースツヴァイクを引き合いに、「外地における日本語文学」でなく、「ブラジルにおけるポルトガル語以外の文学の可能性」として論じています。さらにはおとくいの専門分野として、ブラジルのイディッシュ語文学が、世界的にユダヤ人の言語がヘブライ語に切り替わったのを契機に衰退した事象と、移民の新規流入が途絶えたことにより縮小消滅に向かうニッケイ文学とを鮮やかに対比して論じています。

その評を読んでて、ブラジルスーパーのグーグルマップ米で、自称「ブラジルのユダヤ人」が英語でメチャクチャDISってきた文章を思い出しました。もちろん捨て垢なので、その女性がホントにブラジルのハム=セム語族なのか判別出来ず。

細川周平辺境を想像する作家――松井太郎の世界」は、『サンバの国に演歌は流れる』という、私も未読ですが名前は知ってる中公新書*4の作者によるブラジル日本語文藝界の概観、出版時90歳を超えてなお創作活動を営む作者の横顔、作品一覧、批評からなる労作です。松井サンはサンパウロ州で農業を営み、25ヘクタールのミニフンジオ(mini rústico?)小地主になった後父親に勘当され、息子がサンパウロ市でスーパーマーケットを開業したのを潮に還暦引退、文筆活動に入ったとか。スタートが遅かったので、書きたいものと時間との戦いだとか。日本生まれでいまだに日本国籍を保持しているのは、いったんブラジル国籍を取ると、国籍離脱を許さないブラジル法に含むところがあるのかもしれません。「日本に帰化したブラジル人」で、政治の世界に入った人いないでしょ?

移民文学の主題が一世世代の異国体験に留まっているかぎり、その文学は日本文学の範疇にとどまったままだ。逆に、二世以降の暮らしが現地国の言語で書かれるときには、その現地国の多文化主義的な国民統合原理に従属する形での現状容認に向かう傾向が強まる。・・・・・・ところが、松井太郎の文学は、そのいずれでもないところに成立している。それは日本文学でもなければ、ブラジル文学でもない。「日本人であることを止めた元日本人の文学」ということにでもなろうか。 西成彦 松井太郎はブラジルの日本語文学史のなかではかなり特異な存在だ。日本移民であることを強く意識しながら、同族がブラジル社会のなかで消滅していくのを当然の流れど見ている。それを惜しむでもない。消えゆく宿命を負いながら、一世として無名の同胞に灯明を捧げることを、自分の文筆の務めと考えている。 …………………多くの人物の貧困と孤独のなかで静かに「筋を通す」生き方は、日本の読者にも、汗と涙の定型に収まらない移民像を結ばせるに違いない。 細川周平

帯裏。関係ないですが、うつろ舟は英語で"hollow boat"だそうです。

「日本人」「日本文学」の臨界―― 若き日にブラジルに渡り、かの地で生き抜き、言語的孤立のなかで日本語で書き続けてきた孤高の作家・松井太郎。その代表的作品を編んだ待望の作品集。大河が流れるブラジル奥地を舞台に、日系移民二世の力強い生を通して、日本人が「日本人」でなくなる臨界点を描いた表題作のほか、4つの短編を収録。

作者の手になるカヌーの絵。風邪で寝ているあいだに彼方から広がった大規模な野焼きを食い止められず、延焼で住居も家畜も失った主人公が、さらに奥地のコロニアから逃げてきた女性(山崎豊子『ふたつの祖国』の陸一心の妹みたいな境遇で、近親婚、男尊女卑、もろもろがあった)と赤子を連れて下る舟。下流に定住してナマズ漁を営むころには、おそらく下記ポルトガル語版表紙の、原動機付きボートで交易市とクリークを行き来します。

https://m.media-amazon.com/images/I/91zIzOjYYPL._SL1500_.jpg

頁12『うつろ舟』第一部

(略)若い女は紺ズボンに、白のナイロンのブラウスを着て、ボタンはかけずに前の角をぐいと引き結んでいるので臍が出ている。(略)

大泉に寒くなる前に行った時、やたら見かけた格好。ブラジル魂なのか。

第二部の頁105、頁124にジプシー女性、ポルトガル語のシガーナ(cigana)という単語が出ます。ジプシーも移民で新大陸に行くという絵図がなかなか脳内で描けません。でもいるんでしょう、新大陸にも。

頁146『うつろ舟』第二部

カルニバルのうた     (意訳)

オージャルジネイロ    おお庭つくりよ

ボルケ タント      なぜそんなに

エスタ トリステ     悲しむのか

ケアケ アコンテセウ   何か事故でもあったのか

オヤ カルメイラ     カルメイラをみてやってよ

カイウ ドス ガーリョス 高い枝から落ちて

ドイス ススピロス    ふたつ息をすったまま

デポイス モレウ     おっ死んじゃったんだよ

ポルトガル語なので、はっちょんとスペルがだいぶ違うんだろうなあという。学べばなんてことないんでしょうが、学ばないと、スペイン語とはそこの乖離が雲泥の差と思います。ここはカタカナが読めるブラジル人に見てもらおうと思います。また、松井サンは農民のせりふなど、役割語を使っています。自然ですけどね。ただ元の会話はポルトガル語と思うと、( ´_ゝ`)フーンという… 

頁21『うつろ舟』第一部

「お前、ジイアス農場にいる日本人か」

「血はなあ、だがここの者だよ」

現地化した奥地のコロニアなので、ポルトガル語で話しかけてくる娘と、はやりポルトガル語で返す主人公。こういう役割語です。あと、主人と作男の上下関係をあらわす役割語

やはり第二部の頁191、領主の娘で、離婚して中年になった冒頭のヘソ出し白人女性から、主人公は「赤糸で編んだ平打ちの紐」を贈られます。手首に巻けとのこと。ミサンガかっ! と思いましたが、そうは書いてません。ミサンガは、カズーの親父さんがでっちあげたというか発明した商品で、ブラジルにそんなものはないと本で読んだ*5ので、これは何だろうと思いました。どうも求愛とかプロポーズの贈り物のようなのですが…

うつろ舟』は「コロニア詩文学」というブラジル邦字誌に1988年1月から1994年6月まで掲載。27号から33号までと、39号から47号まで。さらに2003年結末部分を加筆。エイズという、現代的な事象が、パラグアイ国境の奥地にも及んできます。

狂犬』1975年8月「コロニア文学」27号掲載。成功した日系養鶏場の若旦那が、エロい使用人のブラジル娘に欲情して、そしてという話。「もし彼が求婚してくれれば承知しても良いと、ブラジル風にごく簡単に考えていた」(頁225)よく分かりませんが、日系は日系同士婚姻すべしという当時の風潮がお話の背景のような。「イタクリ守護聖人」が分からず、検索でも出ませんでした。イタクリ守護聖人のお祭りというのがその谷間にはあるそうです。

廃路』1983年9月「のうそん」84号掲載。白人嫁のヒステリーに追われ事故死した息子。遺産相続で一族の養鶏場をすべて売り払おうとする白人嫁。その金でスーペル・メルカード(supermercado)スーパーマーケットを開いて店名を「ベンセドール」(vencedor)勝利者と名付ける白人嫁。前の話も養鶏場ですし、『うつろ舟』の主人公は日本人嫁の実家に農場をとられて、老母を失意のうちになくし、後悔のまま後生を送ります。繰り返し書くということは、なんかあったのでしょうか。

vencedor(ポルトガル語)の日本語訳、読み方は - コトバンク 葡日辞典

ポルトガル語を「ポ語」と書いていて、一世はそう呼んでるのかなと。

堂守ひとり語り』1990年1月「コロニア詩文学」36号掲載。細川周平サンによると、日系人は日系について書くという不文律を崩し、16世紀から欧州人が入植し、大土地所有や農奴制など、南米をかたちづくる構造の原点ともなったブラジル北東部を舞台に非日系人を描いた「北東部もの」の記念すべき第一作とか。『うつろ舟』でもファロッファをそのまま携行食として食べる場面などがありますが、その原料であるキャッサバを漢字で「木芋」と書いてます。「木芋」と書いてマンジョカとルビを振る。頁267など。

神童』1997年7月「コロニア詩文学」56号掲載。何十年ぶりに故郷マットグロッソ州の日系コロニアを訪れたサンパウロ者が、道中ついでに早逝した天才芸術家少年(日系)の墓参をする話。少年の遺した偉業は、思わぬ進化を遂げていたという… 今ふっと、マレーシアのペナン島華人寺院、関帝廟やら媽祖廟やらの春節の門前に、タミル人の物乞いがずらっと座り込んで施しを乞う様を思い出しました。

初出誌一覧などの整理は、岡村淳という在伯記者の方のホームページを参照したとか。参考文献一覧や協力者一覧の記載のない本書の、謝辞をいえば水くさい、唯一の協力者紹介でしょうか。

www.minatonohito.jp

以上

【後報】

頁146『うつろ舟』第二部

カルニバルのうた     (意訳)

オージャルジネイロ    おお庭つくりよ

ボルケ タント      なぜそんなに

エスタ トリステ     悲しむのか

ケアケ アコンテセウ   何か事故でもあったのか

オヤ カルメイラ     カルメイラをみてやってよ

カイウ ドス ガーリョス 高い枝から落ちて

ドイス ススピロス    ふたつ息をすったまま

デポイス モレウ     おっ死んじゃったんだよ

この歌を日系ブラジル人に教えてもらいました。下記です。

www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com

"Jardineira, Carnaval"で検索すると出ます。

(2024/4/10)