『ザ・キングファーザー』"The Kingfather" by Kenta Tasaki 田崎健太 読了

hochi.news

ヤフーニュースで各紙の訃報一報をまず読んだのですが、すべてのヤフーニュースに「カズと父親で苗字が違うのは何故?」とコメントが書き込まれており、ggrksググレカスではないですが、私も知らなかったので、検索して辿り着いたのが本書です。そして、一報はなべて告別式の会場を明記してました。財界人でない、スポーツ選手や芸能人のお悔やみ記事では珍しいと思いました。その後「近親者にて取り行なわれた」と報道されて、ちょっと意外でしたが、広く告知する必要があったのだと思います。外国人など、ぶらり弔問に訪れる人も三々五々いたのでは。

装丁・本文デザイン 三村漢(niwanoniwa)DTP Design Office Ours 編集 植田路生(カンゼン)『フットボールサミット第4回 カズはなぜ愛されるのか?』(カンゼン)の記事を大幅に加筆・修正し、書き下ろしを加えたものだそうです。

私はカンゼンの本はサッカー関連やら久住昌之の朝酒やら昼酒やらの本を読んではいましたが、初出があるのかないのか、書き下ろしなのかそうでないのかも書いてない本でしたので、後発の出版社だけに、外部から参入した人たちなのだろうか、決め事約束事が分かってない印象でした。なので、本書に装丁者含め、ぜんぶキッチリ書いてあって、非常に好感が持てたです。しかもハードカバー。ソフトカバーでない。ブラジルに持ってってもヨレないガッチリマンデー装幀。

田崎健太 - Wikipedia

神が宿る細部がきちんとした本になったのは、上の著者、辞書の小学館で週ポス記者をやってたタサキサンのサジェスチョンによるところも大きいのではないかと思いました。タサキサンはウィキペディアによると、サッカージャーナリズム界には膨大な量のコタツ記事が横行してると告発し、訴訟を起こされてるそうですが、どんどんやりなはれ。小学館はサッカーバブル時代、カズからまったく相手にしてもらえず、取材相手のマスゴミとしてほぼほぼ信用されてなかった感じで(ホイチョイが「見栄サッカー」でも書くと思ったのかもしれません)それで、将を射んと欲すればまず馬を射よでカズの父親に接触し、親密な関係を築けたようです。本書を読んでいて、のー先生『オレンジ』に登場する坂台好男という、悪い意味でのサッカージャーナリズムの代弁者みたいなライターを思い出しましたが、それがタサキサンなのかタサキサンの敵なのかは分かりません。

カズの父親の納谷宣雄(ナヤ・のぶお)サンは過去覚せい剤で二度捕まり(所持でなく販売)外為法違反かなんかでブラジルでも捕まったというセンセーショナルな情報が先に来てしまい、私もまずそこから先入観を持ってしまったのですが、本書を読むと、清濁併せ呑む気質だったようで、非常にブラジルの水が合っていたんだなと思いました。宇宙戦艦ヤマトの西崎プロデューサーのような、求人誌で秘書募集して来た子にシャブ打って愛人にする、ほんものの悪党ではない。

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また、カズの三浦姓が母親のもので、納谷サンとは離婚、しかしまあ切れない関係という感じだったという情報以上に、納谷宣雄サンじたいも母親の再婚で姓が変わっており、もともとの姓は大石で、しかし父親が若い女性を口説いて家に入れたので母と兄弟(兄と弟は真面目な方々で、次男坊が後先考えず何かを始める際の資金提供、そして商いは春夏冬で秋がないからなのにすぐ投げ出す次男坊の尻拭い、など、八面六臂の大活躍をするのですが、悲しいかな、宣雄サンがスポットライトを独占し、君は光、僕らは影みたいな感じにも見えますが、おもてに出てやかましいのはかなん、という平平凡凡を愛す人たちなのかもしれません)と別宅暮らしの末に離婚、再婚相手が納谷だったので納谷姓になった、という情報に打たれました。望月あきら『カリュウド』、いや、それは違う… 納谷サンのほかの女性やその子どもは、ゼロワン記述で、いる、という情報以上は書かれてません。

頁42

朝鮮戦争は終わったけど、ベトナム戦争に韓国は行ってるもんで、男がいねぇっけな。街は女ばっかりだよ。遊ぶのも安い」

こんな感じで韓国からサッカーボール輸入を始め、なかなかうまいこといかないうち、覚醒剤輸入でお縄という。ブラジルに着いたのも1982年ですから、移民の最後尾のさらに後という感じで、資本のないものがまともに自営で農業やってもしょうがないので、土産物屋なんかで働くうちに、日本のテレビ番組をビデオ録画したものを兄から送ってもらってそれをダビングしまくるという、バンコクの邦人やくざが駐在員家庭にトレンディードラマの宅配をやってたののサンパウロ版みたいなことをします。

それから、頁75、テレ東のダイヤモンドサッカーにブラジルサッカーの試合テープを送って放送するパイプ役となり、父親の元でカズがプロ選手となって日本に逆輸入、成功した後はブラジルサッカー留学の斡旋で大きな収益を得ます。本書はマツバラSCやキンゼ。デ・ジャ・ウーなど、カズが渡り歩いたクラブをプロビンチアまでたんねんに追っていて、草の根ブラジルサッカーの呼吸をかなりぐっと感じることが出来ます。頁110、カズがシャネルズの歌を歌うとは知りませんでした。しかもシャネルズを知らないブラジルマスコミの前で。

頁140

 ブラジルでミサンガはほとんど知られていない。同様の物にサルバドールのボンフィン教会の名前が記された、ボンフィン・テープと呼ばれるリボンがある。リボンでは商売にならないと、宣雄たちは見栄えのいい刺繍糸をミサンガとして持ち込んだ。

 ブラジルで製作費三〇円程度のものが、日本では八〇〇円で売れた。最初はちょっとした模様の入ったものを作っていたが、サッカークラブの名前を入れることを思いついた。これが爆発的に売れるようになった。その後、国名。知良の名前の入ったものを作ると、文字通り飛ぶように売れた。ミサンガで宣雄たちは多額の利益を上げた。

どうりでブラジルスーパーでミサンガ売ってないわけだ。ブラジルといえばミサンガは、納谷宣雄さんの打ち立てた、壮大なウソだったんですね。半村良の嘘部シリーズのようだ。そういえば、本書は、ほとんど「カズ」と書いてません。一貫して「知良」です。ルビなし。何も、バカは「ともよし」と読みやがれ、と思っていたわけでもないでしょうが… 頁156、カズやキャプつばに憧れてブラジルサッカー留学した少年たちの中には、押尾学サンもいたそうです。

頁172 納谷サンでなくスタッフとの会話

「ボールを蹴ったことのない子まで来るんですか?」

 意外だった。

「そう。こちらは商売だから、どんな子どもでも受け入れる。もっと言えば、サッカーが巧くなりたいという子どもだけじゃない。障害を抱えている子も来る。家族にとっては面倒を見てもらえるという感覚なのかもね。そんな子どもが、ちょっとでもサッカーが巧くなってくれればいいと思っている。異国の地で生活するって、色んなことを学ぶしね」

「そとこもり」斡旋なような気もしました。サッカーに限ったことではなく、UCLAだなんだといった、邦人の海外留学ブームは、日本経済に余裕がなくなって家族が金を捻出出来なくなると衰退したと、本書では総括しています。本書後半は小学館を一年休職したタサキサンのブラジル生活記でもあります。頁211のマツバラクラブ、頁71のサンパウロリベルダージ日本人街の鳥居、頁109海辺のまちマセイオのビーチとオープンカーなど、本書の写真のそこここにブラジル生活のきらめきが炸裂している気がします。同時に日系人がデカセギに外に出ていても、ブラジルのきらめきは揺るがない。写真にはそれぞれ撮影者や提供者が、ブラジル人にも分かるようアルファベット表記されています。日系人にブラジルのことを書いた日本語の本を見せると、ぱらぱらめくって、日本語の字は読めなくとも写真は見るので、その辺をわきまえた所作かと思いました。

先日読んだ『ワイルド・ソウル』はファロッファのカタカナが特徴的でしたが、本書も、ピカーニャをピッカーニャと、促音つきで書いてます。頁210。頁217、カズのジェノア移籍やクロアチア行きは自分の意思で、父親は同意してなかったようですが、それが、独り立ちするということなのでしょう。その萌芽は、J発足時にエスパルスに移籍しなかった(しぞーか人なのに)時点からかもしれないというふうに本書では書かれています。

本書はサッカー本でもあるので、大石家の父親(英語ペラペラ)が野球好きなのに対し、まだしぞーかが王国でなかった頃にサッカーに熱中した納谷さんの思春期の、その時代の日本サッカーについても触れています。

頁31

 日本代表はワールドカップに縁がなかった。五四年、六二年大会は共にアジア予選で敗退。五八年大会と六六年大会は予選参加すらしていなかった。ワールドカップに出場するとオリンピック出場資格が失われるということを恐れていたのだ。日本のサッカー界ではオリンピックが最上位に置かれていた。

頁186、ジョホールバルの歓喜の頃、タサキサンはソクラテスにインタビューして、旅人を絶賛されてます。バルデラマと比較されてた。へーと思いました。旅人の現在地もまた、よく分からない。名波は天才肌の常として、監督で苦戦してて、分かりやすいですが。

タサキサンはソクラテスが好きだったようで、頁68に、ソクラテスコリンチャンスでなした様々な改革を列記しています。前泊の廃止。試合前の団体行動は八百長防止のためJでもやってますが、当時は目を放すと選手は自己管理出来ないからという理由でやっていたようで、ソクラテスサンはコリンチャンスのそれを廃止したです。それと、補強に関して、選手間で投票して要不要を決めるやりかた。これ凄いと思いました。フロントやオーナーの意向で決めない。

S.C.CORINTHIANS PAULISTA ☆1910☆

私がトヨタカップで全国津々浦々から熱狂的な在日ブラジル人サポが押し寄せるのを見たコリンチャンスは、ただたんにサポが熱狂的なチームという印象でしたが、ソクラテス時代のコリンチャンスは、「デモクラシアーノ・コリンチアーノ」(コリンチャンスの民主主義)と愛されたクラブだったとか。なるほどなあ。自分のレプユニを見る目も、大泉のブラジルレストランで店主から「それ、いいですね」と言われた意味も、濃くなった気がします。オブリガード。グラシアスだと谢谢你が非常感谢你になる場合、ムーチャスグラシアスですが、オブリガードもムーチャスオブリガードと言っていいのかどうか。以上