芥川賞受賞スピーチのあまりのすばらしさに、負けちゃダメだ、負けちゃダメだ、と心の中で叫びながら直木賞受賞作家の横顔的なニュースを見ていたら、日系移民を描いた小説を書いていたというので、図書館で借りました。休憩時間で読む用に職場の食器棚に突っ込んでいたら、家族を支えて家族に支えられての、心の風邪と付き合いながら働いている人が、「その本、私も読みましたよ、おもしろかった」と話しかけてくれました。
読んだのは単行本。装幀 米谷テツヤ
表紙部分。時代はポリゴン。2003年8月刊。2006年上下巻で文庫化。
図書館の書庫本なのですが、参考資料の途中から切りとられていて、奥付も不明、巻末広告も不明、参考資料の途中からあとも不明でした。こういうことしてはいけない。
中表紙。戦後ブラジル移民の中に、事前の募集とまるで異なった、アマゾンのジャングルの、猖獗を極めた痩せた土地への移住案件が頻発し、たがために疾病者死者続発、極貧イモを洗う生活の長期化、将来への展望のなさから一家離散、流民化があとをたたず、ブラジル内国植民農地改革院、INCRAが日本人植民者からパスポートを没収して移動出来なくするなどの暴挙に出るなど、いろいろあって、その中の生き残りがミレニアムニッポンに帰国して外務省という伏魔殿に復讐戦を挑む、という話です。ウェブ上で日本語で検索するくらいでは、かのニッケイ新聞含め、あまり情報が出て来ず、戦前からの日系社会は戦後のアマゾン移民を「アマゾン牢人」と呼んだ(頁51)などの本書記述を裏付けるものは見つけられませんでした。横浜JICA(ジャイカ)にある、海外移住資料館にも、そういう展示はないかったです。群馬県大泉町観光協会にあるのは日本定住資料館なので、ちょっと違う。巻末の参考資料を読めば、書いてあるんでしょうけれど、う~ん。
本書はとても在日ブラジル人に気を使って書かれていて(頁360など)私もブラジルスーパーなどで、本書の地図を見てもらいながら、このあたりに戦後移民があって、大変だったという小説を書いた人が直木賞を受賞して、と、話したのですが、とくにはかばかしい反応はないかったです。一億総懺悔とか、文革では加害者側の中国人も被害者ヅラすることでその後の改革開放時代を生き抜いた、というわけでもないでしょうが、う~ん。以前、ブラジルから帰国した新潟の人と沖縄で会ったことがあり、その人はなんとか国内で農業で身を立てようと、四国の農業塾で塾料を払いながらヤリガイ搾取というか、田んぼづくりの実労働をさせられたりと、苦労の連続だったのですが、やっぱり、ブラジル時代に関しては、具体的な話はほとんどしませんでした。しても理解出来ないと分かっていたのかもしれない。
本書に登場する棄民地、クロノイテは廃村になったせいか、グーグルマップにも出て来ませんが、そのあたりとおぼしき一角に、「守り」という座標があるのに気づきました。墓標なのかもしれない。
史村翔・池上遼一『サンクチュアリ』は、クメール・ルージュのカンボジア虐殺を生き延びた少年二人が、なぜか日本の政界と極道界でノシていこうという話ですが、それの南米版とでもいえばいいのかなあ。
本書でも日系ドミニカ移民が同様のヒドい境遇に放り込まれたことに対し訴訟したという情報がチラと出てきて、こちらは小泉純一郎首相が自ら謝罪することとバーターで上告を取り下げてくれんかと外務省が原告団に打診し、帯封一つプラスαの特別一時金で和解の手打ちをしたとか。
https://polgeog.jp/wp-content/uploads/2018/05/Nikkei_BP_Dominica.pdf
こうした声が燎原の炎の如く広がった根っこには、合衆国大統領(ナンシー・レーガンのハズ)が日系移民の強制収用について謝罪した1988年があったと思われますが、ステイツは米国市民に対し謝罪したわけで、今回の場合、送り出した側だけが謝罪して、それでよかったのかというと、今年六月、ドミニカ政府もやっと、謝罪と賠償を始めたそうで。
本書はそれでいうと、ブラジル内国植民農地改革院、INCRAを相手とした続編が書かれてもいいのかもしれません。
垣根サンもリクルート新卒入社ヤメ組で、近ツー添乗員時代にあちこち海外に行ったそうで、それでデビュー作はサイゴンが舞台ですし、『サウダージ』なんていう、コロンビアの娼婦が出て来る話も書いてます。ので、本書も、元になる南米放浪記があったようで、それも読んでみます。
頁18
取り出したビニール袋の中には、黄色い顆粒状のものがびっしりと詰まっている。ファーリーニャだ。マンジョカというイモを粉々に磨り潰して水分を抜き、それをフライパンで粒上になるまで炒めたものだ。
上は、私が教わった言い方だとファロッファで、マンジョッカはキャッサバ。同じページに「アヒルと香草の土鍋料理」と書いて、マニソバとルビを振っていますが、マニソバは毒のある種類のキャッサバを毒を抜いて食べる煮込み料理だそうです。
頁39の「乞胸」は知らない単語でしたので、検索しました。
頁149によると、コロンビアは南米で唯一IMFからの借入金を全額返済した国だそうです。麻薬戦争やりながらそんな堅実なこともしていたとは。
下記はブラジル料理についての日系コロンビア人の感想。
頁149
フェイジョアーダやムケカ、ペーシャーダーーそういった肉や魚、野菜、豆料理のごった煮のスープを、細長いタイ米のような飯にかけて食べる。
魚醤ナムプラーや香辛料ピメンタ・デ・シエイロをふんだんに利かせたエン・サラーダもある。
どちらも同じ灼熱の大地だ。料理のやり方が、インド料理に近いと思っていた。
私はそうは思いませんでした。フェイジョンの印象が強いのかもしれませんが、塩とにんにくに頼った味つけな気がします。福建(及びフィリピン)みたい。でも黒人が多いというバイーア州の調味料などは、確かにちょっとインド亜大陸の影響もありそう。でも実際に調理する時はパーム油を使うわけで、それはマレーシアなどなら分かりますが、インドではないだろうと。
主人公たちのパトロン、エトーを助けるのはレバノン出身のブラジル移民で、実は私は、カルロス・ゴーンはどうでもいいですが、いいレバノン人にも悪いレバノン人にも会っています。いいレバノン人というかその子孫は、オージーなんだけれどレバノンからの移民の女性で、日系米国人だったが日本で暮らしてる男性と付き合ってましたが、ウゾーのように濁る地中海系の蒸留酒が大好きで、レオナルド・コーエンを私に教えてくれたのもその人でした。レオナルドを、リオンと略して呼んでいた。
悪いレバノン人は、女衒で、ギロッポンの白人ホステスを何人か意のままにあやつっていて、新たな金づるを探しに、北欧系女性がシェアしてる外人ハウスに入り浸ろうとして追い出され、腹いせにガソリンで火をつけたです。京兄ですっかりガソリンもポピュラーになりましたが、それ以前は新宿バス放火くらいしか案件例は思い出されず、ふつうは灯油なのにためらいなくガソリン持ってくるレバノン人おそろしいと思いました。
あと、モルドバのキシニョフで、ゴーンじゃないけど、諸国をさまよってお金を稼ぐ商人ふうレバノン人一家に、ケーキなど、甘いものとお茶をおごってもらったことがあります。とてもおいしかった。
下記は外務省の役人についてのスケッチ。
頁174
昼食は省内の安い食堂ではとらず、必ずといっていいほど外食する。それも外部者との打ち合わせと称して、ワインなどを傾けながら二時間ほどかけてゆっくりと食べる。
当然、その食費は官費で落とす。
彼らのファッションや嗜好もまた、つい失笑せざるをえないものばかりだった。ズボンにベルトはしない。判で押したようにサスペンダーをし、襟元だけホワイトのカラーシャツを好んで身につける。髭を伸ばした人間が多い。ワインやフランス料理の話も大好きだ。
滑稽だった。それでエリートを気取っているつもりなのだ。
一方で、そんな彼らに対する海外からの評価は、瀋陽の領事館駆け込み事件や、ペルー大使館占拠事件に見られるように、明らかにひどいものだ。(以下略)
前者の事件は、完全に覚えてません。
瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件 - Wikipedia
おおむかし官庁の広報課を回るアルバイトをしていたことがあり(クビになりました)いちばんセキュリティが厳しかったのが外務省で、多分警視庁や防衛庁と同じくらい厳しかったのではないかと。その反対が通産省や農林水産省で、入口で入館申請なんかしなくてもスイスイ中に入って行けて、食堂はそもそも地下鉄から地下街が伸びてる上なので、いくらでも地下街で食べれるという、風通しよ過ぎる省庁でした。建設省や文部省、大蔵省も入館申請すればある程度庁舎内を歩くことは出来、事前の入館申請でやっと受付のちょっと先までしか行けない、外務省がいちばんきびしかったです。その奥の人たちがこんなにコキおろされてるだなんて、ほんと心外革命です。そうでもないか。
下は犯行時犯人たちがかけていた曲。
頁332の「土民カボクロ」も知らなかったので検索しました。
右のきゅうりは、なんとなく置いた写真です。深く考えないでください。
頁172
貴子はパンプスの音を響かせながら廊下を歩いてゆく。
自分をなぐさめる方法はある。自宅の引出しの中にしまってあるヴァイブレーター……もう一度及川と寝るぐらいなら、男日照りがつづいたほうがマシだ。それぐらいのプライドはある。
……なんだそれ、と思う。自分でも考えていることが意味不明だ。
上のシーン、ピンクローターでなくバイブなんだ、何cmくらいのやつだろう、とだけ思ったのですが、まさかこれが伏線になるとは。
頁434
「オナニー……」
不意にケイがつぶやき、笑いだした。そのあまりにも場違いな言葉に、松尾はカッときた。
「なんだ、それは!」と、思わず狭い車内で喚き散らした。「こっちはな、真剣に話をしているんだぞっ」
「いや、な――」なおもおかしそうにケイは言う。「前に、あの女の部屋に忍び込んだことがあったろ?」
「それが、どうしたっ」
「見つけた。ヴァイブレーター」
「ーーーー」
「たぶん、二、三回ぐらいは思い出して、オナニーしてくれる」
「…………」
馬鹿な話だが、その言葉になんとなく感動した。
そして、あれだけ酷い目に遭わされながらも女がなぜこのバカを相手にしつづけているのかを、少しだけ理解した。
ここはよかったです。ブラジル男は剃毛してて、彼女の毛も剃り上げてしまう。下着の中でチクチクし出すと、ブラジルを思い出すーーーすばらしいですね。頁68に、「アナル・セックスが大好きなブラジル男を相手にできるのは、体力的にもせいぜい三十歳までだ」なんて記述がありますが、そういう性交渉はふたりのあいだにはなかったようで。
今でもあるか分かりませんが、昨年春に撮った依知のドミニカ料理店兼バーの看板。ドミニカにそんな現代史があったとは。合掌。以上
【後報】
ほかの図書館本で確認した、巻末の切れている部分。初出と奥付だけでした。ハァよかった。しかしなんでそんなページだけ切れてたんだろう。汚したのかな。
(2023/8/22)