復刻版『ルイジンニョ少年 ブラジルをたずねて』かどのえいこ 文 福原幸男 絵 edição reimpressa “Menino Luisinho: Visitando o Brasil” Texto de Kadono Eiko Ilustrações de Fukuhara Yukio 読了

魔女宅の原作者、角野栄子サンのデビュ―作。1970年発表作の完全復刻版、2019年刊。児童書は手荒く扱われることが多いので図書館本は劣化が早く、古書市場で価値が付いた時には後の祭りでピーヒャララになるのだそう。今回、満を持して待望の復刊だったとか。奥付に「原文を尊重」とあるので、たぶん改変はないんだろうと思うのですが、あっても分かりません。前の版がほとんど現存してないので。

編集 松永緑 ブックデザイン 楢原直子ポプラ社デザイン室)この辺も変わってないのかな。どうだろう。1970年版は「世界の子ども」シリーズの一冊だったとか。

復刻版あとがきでロナウジーニョの名前を出しているので、ルイジンニョがルイジーニョであることは角野サンもご存知かと思うのですが、ご自身の名前も「エイコジンニャ」と言っているくらいですから、横棒を「ン」にする点は譲らないと見えます。

吉崎エイジーニョ - Wikipedia

実際には角野サンはパートナーとふたりでブラジルに渡航しているのですが、本書ではひとりで移民したことになっています。そもそもパートナーが密林に人工的な首都ブラジリアを建設するという発想にノックアウトされてブラジル行きを決めたわけなので、其処は少し脚色されています。

maps.app.goo.gl

復刻版あとがきで、角野サンがストビューで見たら、当時のアパートが現存してて自分の部屋の窓も見えたと言ってたので、この辺かなあと調べたのが上です。パトカーが止まってて、一列に犯罪者を並べてホールドアップしてる。ストビューはほんとその一瞬を切り取るなあと思いました。立ちションは保土ヶ谷バイパスのストビューで見たことあったですが、ホールドアップが見れるとは思わなんだ。角に秋田出身日系人の八百屋さんがあったそうですが、閉まって板が張られています。

頁38に、なんでも現在形で話す角野流ポルトゲスが出ます。ブラジルは世界中から移民が來る国で、ポルトガル語は世界的にはマイナー言語(ブラジルがあるおかげで話者人口世界七位*1だそうです)なので、ことばができないなんて当たり前の国なので、おかしくてもとにかくしゃべる、トークトークトーク!なんだとか。

で、頁31によると、「失礼します」「ごめんなさい」「とおしてください」が言えないと、無教養な礼儀知らずと思われるそうです。让一让,过一下がそこに入るんですね。サンパウロのような大都会だからでしょうか。コロニアでもそうなのかなあ。

うんこのことを「ここ」と云うと頁24にあり、ファクトチェックしましたが、本当でした。スワヒリ語のクマモトよりひどい。CoCo壱番屋

角野サンの船は香港に寄ってから喜望峰周りでブラジルに行くオランダ船だったそうで、香港人の移民や白系ロシア人の移民も乗せていたそうです。頁13。

角野サンはアパートの大家の息子、九歳のルイジーニョにポルトガル語を教わるのですが、彼が小学校落第通知にもらう親のサインを角野サンに書かせて偽造したことから、友情に亀裂が入ります。アテアマニャン、また明日と言って約束を破るのがブラジル人と角野サンは絶叫し、アミーガダ オンサ!ヒョウのともだち、裏切り者!とルイジーニョは返します。

頁98、市場、バザールでは八百屋さんは日本人です。華僑の三把刀なみに、ブラジルでは日系人といえば八百屋さんになるようにも読めましたが、さて実際は。

巻末に「■ブラジルについて」という用語集があります。ちょっと泣けました。

アマゾンの開拓
 アマゾン川の長さは、約六千キロ。支流をいれれば五万キロ。いちばん広いところでむこうがわまで九十五キロ。これでは川というより、細長い海といったほうがいいかもしれません。この川にそった土地には、毒虫、病気、ヘビ、ワニ、ピラニアと、人間にとっておそろしいありとあらゆるものがつまっているといわれています。いままでアメリカ人も、ドイツ人も、イギリス人もこの土地にやってきました。でもすさまじい大自然の力にまけて、にげだしてしまいました。 日本人だけが、ここでコショウをつくって成功したのです。日本人の中にも、にげだしたり、くるしみの中で死んだ人もたくさんいます。でも、いまではここのコショウは世界じゅうに輸出されています。アマゾンはこれからどんどん開拓されていくでしょう。アマゾンはじごくではないと証明したのは日本人です。

下記を読んだ時の気持ちを思い出したので。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

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ブラジルの日本人

 日本のほかにいちばん日本人のいる国、それはブラジルです。一九〇八年に日本 からの移民がはじまり、それから一九六八年までに移民した人とブラジルで生まれた人をふくめて約六十万人の日本人がこの国にすんでいます。そして、さまざまなところでかつやくしています。 一九六九年十月にできたあたらしい内閣には、はじめて日本人のだ臣がたんじょうしました。ブラジル人は日本人を「はたらきもの、まじめな人たち。」といって、そんけいしているほどです。とくに、日本人のつくる野菜はしんせんでおいしいとひょうばんです。ブラジルの中には、「日本人がわれわれに野菜をたべることをおしえてくれた。」という人もいるくらいです。

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大泉町の八百屋。2021年11月、文化の日らへん。今はもう閉店してるかもしれません。昨年行った時不穏だったので。

令和三度目の文化の日の写真:前編(北千住~西小泉) - Stantsiya_Iriya

この本をこの本だけで読み終えてしまうのはいかにももったいないです。角野サンが1981年に出版された、同年の娘さんとのブラジル再訪記が2020年再版されており、ルイジンニョや彼の母親のその後が読めます。のみならず、『ナーダという名の少女』*2に登場する日本びいきのゲージツ家との1981年の再会も読めますし、1981年当時グァイアナゼス通りが既にスラム化していたことも分かります。本書の復刻版あとがきでは、ストビューでかつての住居を覗いた傘寿だかナン寿だかの角野サンが「何も変わってない!」と感動してますが、1981年には「こんなに変わったのか」と愕然とし、チンピラが与太を飛ばしながら近づいてくるので、娘の二の腕をひっつかんでダッシュで逃げ出してます。忘れたのかキキ。「暮らすって物入りね」

三冊まとめて読んでナンボです。かんたんに読めるし。角野サンが落ち着きのない性格であることもよく分かる。"I pray for your success, truely. " 私もこんな祝福を上陸したての移民に告げてみたい。

以上