"Uma Moçinha Chamada Nada"『ナーダという名の少女』por KADONO EIKO 角野栄子 読了

『サンバの国に演歌は流れる』の読書感想*1を書いていた時に、ひょんなことから魔女宅の角野栄子サンがヤメ移民だったことを知り*2、それ関連の書籍も三冊出しているというので、順次読むことにしました。

角野栄子 - Wikipedia

インテリアデザイナーだった夫の希望で、1959年、24歳の時に自費移民としてブラジルに2年間滞在[4][5]。早大時代の恩師、龍口の勧めにより、1970年(35歳)、ブラジル体験を元に描いたノンフィクション「ルイジンニョ少年、ブラジルをたずねて」で作家としてデビューする[9]。

Eiko Kadono – Wikipédia, a enciclopédia livre

Após a formatura, em 1960, com 25 anos, ela emigrou para o Brasil, onde viveu por dois anos. Ela escreveu uma história de não-ficção chamada Brasil e Meu Amigo Luizinho (Ruijinnyo shonen, Burajiru o tazunete), com base em sua experiência nessa época, sobre um menino brasileiro que adora dançar samba.

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文庫本は売るためにか、魔女宅を意識したかのような黒猫の表紙になっていますが、それほどねこは出ません。出るには出ますが、黒猫だったかどうかもさだかでなく。

読んだのは単行本。こんな表紙(部分)この少女がナーダで、赤っ毛で、左右の眼の色がちがいます。足の長さもちょっと違ったんだったかな。

これも表紙(下の部分)ブラジルは光と影のコントラストが強烈で、日本のようにやさしくなくて、影の部分に取り込まれると、なかなかそこから出て行かれないという語りがあり、それを意識したかのような絵です。装丁/鈴木久美 装画/大野舞 蛇足でいうと、本書もふたごがキーワードのひとつなので、『ふたりのイーダ』*3ならぬふたりのナーダ、なんちてなんちて~、と、作者はダジャレのカルナヴァルに沈んでいたのかもしれません。イナイ、イナイ、ドコニモイナイ… オーOh、メウmeu、デウスDeus!サンバ!サンバ!どこもかしこもイエイ!イエイ!イエイ!

THE GIRL NAMED NADA ナータ★★という名の少女 EIKO KADONO

表紙の題字部分。「ナーダ」は「ない」という意味だそうで、キャプテン翼に出てくるナトゥレーザ*4とは無関係みたいです。ナトゥレーザ"Natureza"はネイチャーのポルトガル語

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そういえばむかし、メキシコ人のバンドのレコードで、ストーンズのサティスファクションのスペイン語版を聴いたことがあるのですが、「ノ ソイ ナーダ、セイトゥヅファクティオン」と歌ってました(今検索しても見つけられず)それと別の、"No Soy Nada"という歌の動画があったので貼っておきます。日本語が書いてあるのですが、日本アニメには見えない。

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しかし難しく考えなくても、ポルトガル語の「どういたしまして」は"De nada."、スペイン語も"Por nada."、中文の”没事,没事“,日本語の「なんもだ」「なんもなんも」になると考えられるので、感覚的にオッケーです。というか、在伯二年の角野サンは相当言葉を覚えつつも勿論ネイティヴ並みにはなれずでしたでしょうから(どの言語でもネイティヴの壁は高く厚い)"De nada"はよく聞いていたんじゃいかな。

あとがきによると、角野サンはブラジル滞在時実際にこのようにぶっ飛んだ女性と知り合ったそうです。リアルナーダは七ヶ国語を自在に操るキレッキレの才女だったとか。冒頭の単館系シアターでの出会い、フェイジョアーダパーティのくだりは、かなり作者自身の体験の投影かと。パーティのメンバーはほぼ実在してる感じ。ということは、百合のような前戯のイチャツキも実体験だったのか。まだ新婚生活だった頃に同性にナンパされてヘソを愛撫されるとか、なかなかです。連載時の2012年は77歳ですから、そろそろこの辺で色ざんげということだったのかもしれません。

ただ、そのまんまの時代や設定で書くと自分の思いに負けそうで、かつ功成り名を遂げた童話作家が凱旋的に「ブラジルを書く」のにふさわしくないので、舞台を現代にして、主人公とナーダをJCにしたようです。出会った時に見たマノエル・ド・オリヴェイラ監督の映画「世界の始まりへの旅」は1997年公開の映画なので、タイムトラベラーでなければ実体験しうるはずがない。

マノエル・ド・オリヴェイラ監督追悼特集「永遠のオリヴェイラ」オフィシャルサイト

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ナーダのモデルの女性はその後貨物船で来日し、ふたりは旧交を温め合うのですが、奔放な彼女は失踪し、その後再会しますが、もうブラジル人のふいんきはまとってなかったそうです。真の意味のデラシネになっていた。勝手な想像すると、あのキャメロン・ディアスギロッポンでガイジン向けクラブのホステスをやってたわけですから、日本のそういう世界で手っ取り早くカネを稼いでいたのかなあと。ほかの登場人物のうち、三島由紀夫がトチ狂いそうな北欧系の「美しい男の子」は俳優になり、「あまり美しくない男はあまーい親の懐の中で、本物のマチスピカソに囲まれて、ぬくぬく暮らし続けた」とか。画家の男の絵は20年後、サンパウロ美術館の大階段の正面に飾られたそうです。本書の舞台はリオですが、角野サンが働いたのはサンパウロ。下記婦人公論サイトに、サンパウロ時代の角野サンの写真が載ってます。ネコでなくタチって感じですが、同性から、征服してみたいと思われる顔立ちなのか。

fujinkoron.jp

学芸通信社の配信で、大分合同新聞南日本新聞北國新聞新潟日報静岡新聞福島民報に2012年4月から2013年4月まで連載。震災の翌年ですから、避難先の各自治体図書館などにも福島民報はあったはずで、そこでこのジュブナイルともなんともつかぬ地球の反対側の暴走ストーリーが連載されていたんだなあと思うと感慨深いです。

主人公アリコは日系イッセイの父親とリオで二人暮らし。ファベーラと呼ばれる市内各地の貧民街の近くで、父親は街の機械工(メカニコ)をしています。メカニコはコロニア語として、わりとすぐ日系人から教わりそうなことば。アリコは内気な少女で、スウェーデンの警察もの小説を図書館で借りて家のハンモックで読むような日々を送っています。

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本書にはたくさんのポルトガル語が出ますが、どきっとしたのは頁56。ニューヨークを「ノバヨーク」と書いてます。確かに"NEW"は"NOVA"ですわね。漢語でニュージーランドを《新西兰》と書くが如し。作者も気に入ったのか、オチの箇所でも「ノバヨーク」と書いてます。

頁141

 土曜日にはナオキとアリコは早く起きて、近くの広場で開かれるフェイラ朝市に出かけて行き、一週間分の食料と水を買う。そして、週末二日間だけナオキが日本の食事を作ってくれる。日本の調味料はフェイラでは売っていないから、日本人がたくさん住んでいる町まで買いに行く。ナオキはそんなときでも下手なブラジル語ですまそうとし、あまり日本語を話さない。

「あんた、日本人じゃないね」と言われても、小さくうなずいてすましてしまう。

 アリコはナオキが作る「週末ご飯」が大好きだ。とくにナオキがパンとビールで作るぬか漬けが好き。これに酢漬けのケパーをきざんで上に載せた豆腐があれば大満足。ナオキはアリコがケパーを載せると、顔をしかめる。

「だって、これ、合うんだもん」

角野サン的には本書は音読してほしいそうですが、なるほどなあ。

頁193、「ゴルジェッタ」(おだちん)あちらに行くとよくおねだりされて、それでおぼえてしまうのかなあ。

頁202、「カルネ・アッサーダ」と書いて「ロースト・ビーフ」とルビを振っています。アサーダって焼肉じゃいかったっけ? ローストビーフというと冷菜みたいな… と思いました。"carne asada"なんて名前の料理、とっくに食べてると思ってましたが、食べたことがないかった。下記は食べた料理。

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驀進 - Stantsiya_Iriya

ペルー料理店の"carne picante"カルネ・ピカンテ。アサーダではないかった。

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曲と曲のあいだに、さうだ~じ~♪と合いの手を入れるブラジル有線 - Stantsiya_Iriya

鶴見のブラジル市場の"costelia boi"コステーリャ・ボイ。カルビのロースト。このように、コステーリャだったりピカンテだったりで、アサーダではないかったです。朝だ朝だよ、朝日が昇る♪*5

頁270

「アルコアルコールなしと、ありのセルベージャビール、ふたつ」

これのポルトガル語スペイン語を出してほしかったです。さらっとノンアル。ブラジルでなく、ポルトガルの場面ですが…

ナーダは早逝したアリコの母親なのかもとか、アリコが気になる青年ジットは実はナーダ同様幽霊なのではとか、いろいろデコイやブラフも交えながら力技でエンディングまで進んでいきます。単行本化するにあたって、毎日連載新聞連載で起こった矛盾をチェックしないでそのまま本にした気がします。ドライヴ感とかグルーヴを大切にした。角野さんがそういう人なのか、それがブラジルだからなのか。声に出して読んで欲しいというのは伊達じゃないです。オーディブルで出てるかどうかも知りません。

ジットは初対面時、じぃっとアリコを凝視し続けるのですが、めぢからでオトすというブラジルの流儀を日本の工場でやって、アルバイトの女の子にこわがられる話を大泉の本*6で読んだ気がします。たしか。思い出しておかしかった。

この読書感想に、"Uma Moçinha Chamada Nada"というポルトガル語訳を添えました。『ナーダという名の少女』をグーグル翻訳でポルトガル語にすると"Uma garota chamada Nada"となり、ガロッタという言い方も本書には出るのですが、「リオの絶滅"ガロッタ女の子"」(頁31)という言い方だったり、「リオの町が暮れていく 窓からルアを見下ろす ガロッタひとり だれを待つ 消えた アモール 戻りはしない リオの町が暮れていく 暮れていく 暮れていく」という歌(頁176)だったりして、カタい言い方なのかと思ってみたりもして、本書でよく出るのは「モシンニャ」という言い方なので、それにしました。「モッサ」"moça"(娘)(頁205)という単語がブラジルっぽく「~にゃ」になって、それを角野サンは「モシーニャ」と呼ばず「モシンニャ」と書いてます。ハタチ過ぎて渡伯した角野サンもオリエンテなので幼く見えてしょっちゅうそう言われたのかしら、と想像したりしました。写真を見ると言われそうもないのですが、でも本書でいちばん出てくる言い方が「モシンニャ」ちっさなヒーコはカフェジンニャ。そう書いてるにゃはネコっぽい言い方で、そう書いてまんにゃは神戸弁(多分)以上

*1:

stantsiya-iriya.hatenablog.com

*2:

library.kanazawa-u.ac.jp

(6) ナーダという名の少女 / 角野栄子著,KADOKAWA, 2014.2(中央図開架 )
魔女の宅急便」で有名な角野栄子が、ブラジルへ移住した経験があること、知ってました?彼女も船でブラジルに渡った移民のひとりでした。『ルイジンニョ少年』『ブラジル、娘とふたり旅』といったノンフィクションもありますが、ここでは角野らしい、幻想的なジュブナイル小説を。

*3:

bookclub.kodansha.co.jp

*4:

www.youtube.com

https://dic.pixiv.net/a/%E3%83%8A%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B6

*5:

www.youtube.com

*6:

stantsiya-iriya.hatenablog.com