『わが心のスペインーシンポジウム〈スペイン戦争+1930年代〉』"SPAIN IN MY HEART. -Symposium <Spanish Civil War+1930s>" by Itsuki Hiroyuki 五木寛之_晶文社版 SHŌBUNSHA 読了

『青年は荒野をめざす』*1『さらばモスクワ愚連隊』*2『海を見ていたジョニー』*3『蒼ざめた馬を見よ』*4と読み進み、さいごの本の解説に、この後『わが心のスペイン』『戒厳令の夜』と読み進めとあったので、これも読みましたが、前作まででよかった気瓦斯。

わが心のスペイン | NDLサーチ | 国立国会図書館

上は表紙と裏表紙のカバー、もしくはカヴァー。

この後全集にも角川文庫にもなってますが、読んだのは1972年の晶文社版。『土偶を読む』で一躍有名を馳せた晶文社の在りし日の歌。

1月30日初版で、読んだのは同年3月1日の三刷。

著者寄贈図書とある意味が分かりませんが、厚木基地が厚木にあるとカンチガイしてたのかなあ。

二部構成です。

さいしょの「シンポジウム〈スペイン戦争〉」が「話の特集」1969年1月号から12月号まで連載。これ、シンポジウムと銘打ってるんですが、五木サンがひとりで書いたメモ、まとめです。シンポジウムはふつう複数で行う公開討論会を指す*5ので、五木サンがひとりでシコシコ書いた論文はシンポジウムではないと思うんですが、サイトによってはシンポジウムに「論文」の意味を付与してますので、ギリアリなのかな。

次の「シンポジウム〈一九三〇年代〉」は「毎日グラフ」座談会「戦後は終っていない」1970年6月6日号、28日号、7月5日号掲載。これは久野収*6サン、斉藤孝*7サンとの鼎談です。シンポジウムだ。

その後、長田弘*8サン訳編の「年譜〈スペイン戦争の芸術家たち〉」が載ってます。学芸書林1970年刊(現代世界文学の発見)3『スペイン人民戦争』の解説を転載したようです。

そのあと、あとがきがあります。

上は表紙側見返し。ブックデザイン 平野甲賀 情緒タップリです。なぜベトナムの時代にスペインなんだ? と首をかしげられたそうですが、五木サン的にはまずスペインを総括したかった、らしい。それでこういうセンシティヴな写真が出るのかも。

裏表紙側の見返し。

スペイン内戦と表記することが多いと思いますが、山川出版のサイトではスペイン戦争という言い方も併記してるので、これもありなのかな。

ja.wikipedia.org

es.wikipedia.org

スペイン内戦/スペイン戦争

中表紙と和田誠サンの口絵。写真がどっからのものなのか書いてる箇所は見つけられず。時代ですね。口絵のなかの文章は「改造」昭和11年10月号からとあり、リアルタイムでどう報道されていたか、どう認識されていたかに焦点が当てられているんだなと思いました。

まあ言っても「お勉強」なので、読んでてツライです。マスターキートンでもスペイン内戦の話がありましたが、裏切り者の話でもあった。

頁165

斉藤 (略)或る東洋史家の説によると、江戸時代の学者は、朝鮮人を尊敬していたのです。江戸からちょっと西に引っ越して、自分はそれだけ朝鮮に近づいたと、中国に近づいたと喜んでいた儒者がいた。日本の場合の江戸時代の儒学は、ほとんど朝鮮経由でしょう。だから自分もわざわざ中国名にしたり、あるいは朝鮮のものを読んだということが、誇りであった時代があった。(略)

朝鮮蔑視は明治以降の現象であるという結論なのですが、それはそれでいいとして、この論では、そこに至る経緯、征韓論の登場がはやすぎてしまうと思いました。幕末にもう征韓論は出ているので、下地はもっと以前から形成されていると見るのが自然で、江戸は司馬江漢みたいのがいても、薩摩や九州ではまた感覚が違っていたのではないかと。表向きは鎖国でも実際は何かと往来やニュースがあって、熊本なんか虎退治の遺産で、蔚山町という地名も朝鮮飴という銘菓もありますし、対馬だけでなく五島列島もあれこれあったようですし、江戸とは温度差があったと思います。くみし易い相手という…

ja.wikipedia.org

メモをとったのはそこくらい。ソ連、米軍に比べ、やはりスペインは距離がある。次に読み進むべき『戒厳令の夜』はたしか南米の話で、しかし小説なので、本書よりは読みやすいと思います。さて、どうなりますか。以上