『王妃マルゴ』①②③④⑤ LA REINE, MARGOT" VOLUME 1, 2, 3, 4 and 5 by HAGIO MOTO 萩尾望都(愛蔵版コミックス)〈B6版〉読了

『エッグ・スタンド』*1を図書館で検索した時、これがあって、これに関してはその辺のどこにあるか分からなくてちゃんと読めていなかったので、税金で買った本のお世話になることにしました。此の自治体の住民でもないのに恐縮です。しかし全巻予約したはずが、貸出上限に達していて、全八巻の五巻迄しか借りておらず、自分では全巻借りたつもりでいたので、あれって感じです。

王妃マルゴ (漫画) - Wikipedia

各巻に初出の記載はなく(集英社らしいといえばらしい)上のウィキペディアでだいたいの初出を知る感じです。

Cover Illustration / MOTO HAGIO(ママ)

Cover Design / LITTLE ELEPHANT

ウィッグをつけたフェイ・ウォンみたいな一巻のマルゴ。2013年1月30日初版。読んだのは2015年3月の6刷。冒頭に家系図プロテスタントは米印つき。そうでないのはカソリックと思われ。ユダヤ人やオーソドックス、仏教徒はいない、のかなあ… のちの巻にイスパハーンという、イスファハン出身という触れ込みのキャラが出ますが、ムスリムではなく。裏をかいて実は拝火教徒、フレディ・マーキュリーと同じゾロアスター教徒だったらおもしろかったのですが、そういう方向性のおもしろさは求めていなかったようです。

マルゴ6歳から11歳まで。フランス王宮は、平城京遷都前の大和朝廷のように遷都を繰り返していたようで、あっちこっち行幸行在(あんざい)しまくります。しまいにはペストとおいかけっこまでして、ノストラダムスに未来を占ってもらったりしてます。さくらももこ「マルゴだった」「世界マルゴとHOW MUCH」「マルゴめ味噌」等々、いろいろダジャレは思いつきますが、鶴光師匠のエロネタが思い起こされるくらい、おーまるマルゴで、しかしなんというか、とってもしあわせモトちゃんの色ざんげという感じではないです。

巻末に参考文献とムルトンさなえサンへの謝辞。同名の映画もありますし、大デュマの小説もあるので、初の歴史ものを描くにあたって、あえて同じテーマに挑んだ萩尾さんの意図はそりゃあるんでしょうが、分かりません。萩尾サンは集英社ではほとんど描いてないはずですが、芦原妃名子サンも似たような時期に小学館から集英社に浮気してますし、何か苛烈な引き抜きゴッコでもあったのでしょうか。ほかに参考文献にはエプタメロンなどが入っています。グリフィス監督の映画イントレランスがなぜ入っているのかは分かりませんでした。

その後巻末にさらにフォンテーヌブロー旅行記が載っていて、19世紀のバルビゾン派の話など、本編に盛り込めないことを書いてます。

一巻はとにかく詰め込んだことを吐き出すのにいっしょうけんめいで、頁47で「カルヴィン」と書かれる人物は、フランスだから「カルヴァン」と書くべきでは? と思っていると、頁164では「カルヴァン」になっています。以後すべてカルヴァン。そんな感じ。ネームを書いてるうちに動くと脳内からネームがぽろっと転げ落ちて書きかけのストーリーがワヤになってしまう、というようなエッセーまんがを書いておられましたが、このまんがのこの頃は、とにかく崩れないように脳内で完成しているプロットをケント紙の上に写して写して写してゆく。『片翼だけの天使』の頃の生島治郎、77歳くらいの笹沢左保と同じ感じでしょうか。デフォルメした三頭身と手書きセリフの描き込みがたくさん。

二巻の表紙は、天下御免の向こう傷、カソリックきっての武闘派若大将。このまんがにはスコットランドの悲劇の女王メアリ・スチュアートも出るのですが、フランス世界のいちキャラとして描かれています。また、カトリーヌ・ド・メディチも出る(マルゴママ)のですが、惣領冬美『チェーザレ』の妹だったっけと思いながら読み、カトリーヌ・ド・メディチとルクレシア・ボルジアの区別が自分の中でついてないことを知ったです。

この巻の巻末には16世紀に欧州で大流行したペニスケースについて触れられています。Wikipediaでは、萩尾望都がこれを描いたことに池田理代子は驚嘆していたとなっています。

ja.wikipedia.org

日本のフンドシみたいなものでしょうか。上の絵のヘンリー八世は梅毒でこうしていたという説もあると萩尾サンは書いていて、こざき亜衣『セシルの女王』ではそうとはしてないので、監修の指昭博先生は違う考えなのかしらと思いました。ムルトンさなえサンと湯浅宣子サンへ謝辞。

表紙は王様シャルル(マルゴ兄1)一巻頁147の手塚調マルゴも好きですが、三巻頁155、救世主イエスを抱いた聖母マリアの図柄のマルゴがすっごいいいです。クリスマスになるとあちこちの教会でこのジオラマが飾られる。この絵にはヨゼフも三賢者も入ってませんが、三人のアンリが三賢者だとすると、ヨゼフは誰なら。

巻末にヴァロア朝宗教戦争についての解説まんが。ムルトンさなえサンと工学院大学中島智幸センセイへ謝辞。カソリックの腐敗がプロテスタントを生んだというオーソドックスな解釈のまんがで、そうだよなあ、『セシルの女王』で、カソリックが善でプロテスタントは残虐な悪みたいな描き方は、ヘンだよなあと改めて。『七人のシェイクスピア』ならいいんですよ。イングランドはもう国教会が固まったあとなんで。『セシルの女王』は、再婚したい国王が離婚を認めないバチカンをバカチン扱いして独自の教会を作った時代の話なので、やはり無理がある。

 

これは、最初アンジュー公アンリ(マルゴ兄2。やばいサイコサン)かと思いましたが、ナヴァル*2公アンリですよね、たぶん。アンジュー公はあまりに没義道の鬼畜ぶりが激しいので、表紙に出来ないのかも。頁53にクレーヴの奥方*3が出ます。同時代なんだ。

なので表紙はまたマルゴ。もうだんだん余裕がなくなってきていて、巻末のおまけなし。頁10中段のマルゴの絵など、まるで「らしくない」絵。頁145さいごのコマなど、いまだに不思議。どうしてここにこの絵を置こうとしたのか。頁128から頁131の「殺したくない」など萩尾節の真骨頂ですが、主要キャラがこれをやることはなく、端役にやらせています。これが新境地ということなのか。

この作品を色ざんげというには、男色はあれど百合がないので、どうかなあとも思っています。二巻頁17のアンジュー公の女装など、ちゃんと男の女装に見える。逆に女性の裸が、尻を大きく描くのはいいのですが、おなかが平すぎて、もっとぷっくりしてないかいと思いました。ビーチクの大きさは手塚流(大きい)

AV登場以降、絶滅したかと思っていた「つながってるようにはとても見えない」性交場面ですが、無理な体位で「つながってるように見える」遊人まんがが槍玉にあげられた時代もありましたし、これでいいのかも。よく考えると、今はつながってるもつながってないも、相手がテンガにしか見えないので、もはやなにをかいわんや時代。テンガはエロを変えた。

アンジュー公はひどい男でサバンがいつ再登場するのか待ち遠しいかぎりですが、サンバルテルミーの虐殺も起こったし、仏文の知人によると本作は「尻切れトンボ」で終わるというので、そこも七人のシェイクスピアに寄せてきたかと思いました。以上