読んだのは1983年の第43刷。現在は何刷まで行っていることか。
道浦母都子サンがいろんな女性文化人を訪ねて本にした、『聲のさざなみ』の、桂信子さんという人のところで出て来た本。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
こういう恋がいい、あるいはすばらしい、乙女、そういう文脈だったと思います。
恋愛心理小説の金字塔というか白眉というか開祖、すべてはここから始まったみたいな、大変な煽りようもうなづける小説で、源氏物語とか好きな人はみんな好きと思います。あんな何十巻もある本はイヤですが、これは一日10ページくらいずつ、一ヶ月くらいかけてネチネチ読むのがちょうどいい感じです。紅楼夢が好きな人はどうだろうなあ。
フランス文学史においては最初期の小説の一つであり、「恋愛心理小説の祖」とも言われる。1678年3月、匿名で出版された。1世紀前、16世紀のアンリ2世の王宮が舞台で、その時代をきわめて緻密に再現している。ヒロインほか数人を除く登場人物は実在の人物で、そこで起きる事件も歴史に忠実に展開される。
17世紀末の出版当時、商業的に大変な成功をおさめた。「パリの外側」ではこの本を手に入れるのに、何ヵ月も待たなければならなかったほどである。この本の著者が誰なのか、奥方はどうして夫に不倫感情を告白する気になったのかなど、さまざまな論争も起こった。
女性が匿名で書いた。活版技術の発明後なので広く巷間に流布した。
最初の心理小説の一つであるだけでなく、最初のroman d'analyse(分析小説)として、『クレーヴの奥方』は、文学史の大きなターニング・ポイントとなった。それまで、広くロマン(小説)と呼ばれていたものは、主人公が困難に打ち勝って幸せな結婚をするという信じがたい話で、しかも、本筋とは関係ないサブプロットが無数にあり、長さも10巻 - 12巻もあるものだった。『クレーヴの奥方』が小説の歴史を変えたのは、何よりも、現実的なプロットとキャラクターの内面心理を表す内省的な言葉によってであった。
どこの文学者かポスドクか分からねど、大変なちからのいれようのウィキペディア。
いろんな人が本書を訳していて、新潮文庫は例の青柳瑞穂の人が訳してるのですが、どうもこの岩波の生島遼一訳が鉄板らしく、岩波自身の公式では、工藤庸子という人の岩波新書『フランス恋愛小説論』という本を出して、上のウィキペディア的公式見解に対するオルタナなまなざしを持ち上げるくらいな横綱相撲(でも現在はどちらも品切れ、電子版ナシ)
光文社古典新訳文庫では最大級の賛美を送っていて、こっちのほうがむろん読みやすそうだったのですが、わざと古典的なネチネチした言葉遣いで読んだ方がいいのだろうかと思い、岩波文庫で読んだです。
クレーヴ夫人のような心の動きは時代おくれであろうか?
夫人。若紫とか紅楼夢とかから見ると、これだけ自分の意見をはっきり言える女性は、素晴らしいとしかいいようがないです。パヨクセクハラ社会で訴訟を起こして勝つかもしれない。
フランス心理小説はここから始まった!
あえて貞淑であり続けようとした女性心理を描く
これは欧米基準の「貞淑」ですので、タリバンが読んだらみんな怒髪天を衝いてカラシニコフ乱射すること請け合い。「だから妻をほかの男性の目に触れさせてはいけないのだよ、諸君」
生島遼一センセイによる訳者解説によると、これ以前も、これ以後も小説はアホほど書かれたが、17世紀小説で20世紀まで生き残ったのは、これだけだということです(戯曲や随筆はそれなりに生き延びている)
そして、この小説は前世紀末から三度くらい映画化されているのですが、いずれも舞台を現代に移していて、それでは、この時代のこの主人公のシチュエーションが、まったく生かされないのではないかと思います。あくまでおぼこの美しいティーンエイジャーが、当時の貴族社会の常として、親同士の取り決めで結婚した後、そういうことをものともしないで色目を使う色キチヒゲ野郎のターゲットになって、パリを捨てて田舎に逃げたりするのに、小説的偶然でバッタリ出会ったり視線が絡みついたりで、なんしかハズは姦通を知ってその衝撃でネタバレシック、タヒんでしまうという(弱いひとだ)… 現代に置き換える意味全くないと思います。
Madame de La Fayette — Wikipédia
で、この小説、邦題は「奥方」ですが、原題はプリンセスですので、どうしてならと思い検索すると、プリンセスには「英国以外の公爵夫人」の意味もあるんだとか。
「公爵夫人」の英語・英語例文・英語表現 - Weblio和英辞書
ルイス・キャロルの不思議の国のアリスは、英国の話なので、公爵夫人を"Duchess"と書いてるそうですが、この小説はおフランスの話なので、"Princess"になるんだそうで、欧州言語ではこの小説のタイトルはなべてプリンセスの波形になっています。日本語ではよくもまあという感じで「奥方」にしたものだと。おかげで、読み始めるまで、こんなおぼこい新妻とは思いませんでした。
日本以外のアジア言語では、ハングルは踏みとどまって「공작부인」公爵夫人のハングル読みにしています。中文は何にひっかかったのか、《克莱芙王妃》にしちまってます。王妃ではない、クレーヴは公爵で、プリンス。しかし、よく考えると、中国の場合、皇帝がいて、その下にナントカ王カントカ王がいるので、「王妃」でなんらおかしくないのかもしれないと思いました。舞台が中国なら。でも舞台はフランスですので、そしたらナポレオン以前の王政だし、クレーヴは王じゃないので、やっぱり王妃はヘンかなあと。
ややこしいですが、漁色家ヌムール公は、プリンスでなく、"Duke"でした。邦訳ではどちらも「クレーヴ公」「ヌムール公」です。邦訳がややこしくしてるのかも。
とりあえずウィキペディアの範囲内では、この小説のほかのアジア言語版はありません。インドも西アジアも東南アジアも、イスラエルのヘブライ語すらない。実際にそれらの言語に訳されてないわけないと思うのですが、しかしあえて暴論を言うと、近代の恋愛心理小説が、いかに西欧的な価値観の変革であり、アジアでそれを受容出来たのがまず東アジアであったことが、明白に見て取れる分布だったと思います。以上