『蒼ざめた馬を見よ』"Look at the pale horse." 《Вот конь бледный》Автор Ицуки Хироюки by ITSUKI HIROYUKI 五木寛之(文春文庫)読了

『青年は荒野をめざす』*1『さらばモスクワ愚連隊』*2『海を見ていたジョニー』*3と読み進んだので、ついでにこの直木賞受賞作も読んでみました。短編集です。ほんとにこの人は読みやすい。すらすら読める。解説によると、『わが心のスペイン』『戒厳令の夜』と進むそうで、すらすら読み進んでもいいのですが、どうしますか。『戒厳令の夜』は樋口可南子の脱ぎっぷりが検索結果でバンバン出ますし、甲府湯村温泉竹中英太郎記念館のイラストで見てはいるのですが、読んでません。いちおう南米の話なのかな。

カバー・宇野亜喜良 読んだのは2006年12月の新装版初刷で、上の電子版と同じです。舊版に収められていた『弔いのバラード』という話を『夜の斧』という話に差し替えたそうです。

解説は山内亮史サンという旭川大学学長(当時)この人も同級生なのかと思ったら、北海道学芸大学という大学の分校から北大の院に進んだ人だそうで、なんで解説を書いてるのかは分かりませんでした。ファンなのかな。解説自体はたいへんによかったです。埴谷雄高によると、五木さんは「戦争と人間」という重いテーマを、ステレオタイプの文体、手垢のついた形容句、月並みな描写、メロドラマ、アドリブ、当たり前のように否定される物語性、などなどの通俗的武器全てを総動員して描いていくんだそうで、埴谷サンはそれらを「穢れたものの一群」としていますが、そうではないでしょう。山周以来の、ジュンブンを駆逐する通俗文学の破壊力として読まねばならないのではないか。五木サンの原稿は教養ストックの質量の確かさに裏打ちされていると山内サンは言います。文化資本タップリ。谷川雁という人によると、五木サンは「大衆に向かっては断乎たる知識人であり、知識人に対しては鋭い大衆である」そうです。山内サンによると五木さんは「国家権力の衝動を批判し、返す刀で左翼のスターリニズムを批判しようとした」とか。じゃートロツキズムならええんやなとか混ぜっかえしたらダメです。その後解説は久野収サン、日高六郎サン、久藤正広サン、塚本邦雄サン、ピーター・フランクルサンなどを出しますが、特にありません。松下圭一という人*4を社会科学の分野で五木さん的な活動をした人として併記してるのは( ´_ゝ`)フーンでした。ちょっとちがう気瓦斯。五木サンは石原慎太郎サンと同年同月同日生まれだそうで、70年代に五木サンは「米ソの冷戦が終わるとかつてない反動の季節が來る」と予言していたそうですが、その動きがこんなに緩慢なものになるとは五木サンも思っていなかったのではないでしょうか。リーマンショック以降その動きが始まり、コロナカでまた一時的に停滞してるように思います。ロシアが一国で気を吐いてますが… リーマンショック自体が暴落すべきタイミングでなかなか暴落しなかった*5ので、ネットに集約された膨大なロングテールが形成する仮想意志のようなものの断末魔の抵抗は、神の見えざる手といえど手を焼くのだと思います。まあ核戦争はそうは遅延しないのかもしれませんけれど。

山内亮史 - Wikipedia

水濡れによる痛み有り

痛みどころではない図書館本のボロボロぶりで、なんでこの本を読もうと思ったんだろう、その人は。いっしょうけんめい読もうとしたのかもしれません。ときどきそういう人はいます。ずーっとぎゅーっとにぎりしめてたりする、本を。出来ればブッコフの百均や古本屋の平台の本を買って、自分の所有物でやってほしい。そうすれば煮るなり焼くなり二宮和也(にのみやかずやでなく、にのみやかずなり)ですから。

題字の英題はシンプルに自分で思いついたものをグーグル翻訳で確認。"see"とか"watch"とかだったらどうしようかと思った。ロープシンというSL派としてボリシェビキと最後まで戦った作家さんも『蒼ざめた馬』という小説を書いているので、ロシア語はそれを使おうと思いましたが、「~を見よ」が分かんないので、検索すると、『日曜日には鼠を殺せ』という邦題になってしまってるスペイン内戦を描いた米国映画のロシア語タイトルが『蒼ざめた馬を見よ』になってるので、それを使いました。"Behold"で「見よ」原作小説名は映画邦題名と同じ。

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日曜日には鼠を殺せ - Wikipedia

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蒼ざめた馬を見よ - Wikipedia

ソ連の老作家が書いた痛烈な体制批判の小説。その入手を命じられた元新聞記者・鷹野は、本人に会い 原稿を運び出すことに成功する。出版された作品は、全世界でベストセラーとなり、ソ連は窮地に立 った。ところが、その裏には驚くべき陰謀が………………。直木賞受賞の表題作など全5篇を収めた、初期の代表的傑作集。 解説・山内亮史

蒼ざめた馬を見よ』"Look at the pale horse." 《Вот конь бледный》昭和41年12月「別冊文藝春秋」98号

解説の山内亮史サンが引用して指摘しているように、ひとりの作家の文体、用語、比喩、会話などを徹底的に研究する際に、「巨大な電子計算機が果たした役割を軽視してはいけません」(頁92)そのとおりです。AIによって、その実現性は一層高まったと思います。その意味で五木サンは先見の明があった。本作みたいな陰謀論はないと思いますが、もっとこどもだましな、アホな理由のAIフェイクにコロッと騙される世界はもうすぐそこに来てると思います。AIではないですが、ダライラマの舌の件とか、あざやかだった。

頁35、フランクフルトからのVOAロシア語放送に対する妨害電波を出すのをソ連政府はやめたのだろうというくだりがあり、妨害電波出してたのかと思いました。同じページに、ハンガリアン・スープとキエフ風オムレツという朝食メニューが出て、キエフ風カツレツは聞くけどオムレツもあるのかと思いました。ロシアの料理に、キエフ風はあれどミンスク風やトビリシ風はない気瓦斯。

頁37、グリボエドフという作家兼政治家の『智慧の悲しみ』という小説が出ます。

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智慧の悲しみ (岩波文庫) | NDLサーチ | 国立国会図書館

電子版というか、一枚一枚画像スキャンしたのがネットからも閲覧出来ると思いますが、読まない気瓦斯。

『蒼ざめた馬を見よ』の陰謀論ユダヤっぽくない「世界の自由主義の陣営を連合した統一戦線的な国際組織」(頁96)ってえと、フリーメーソンくらいしか思いつかないのですが、『蒼ざめた馬』作者ロープシンの弟サンもフリーメーソンだったそうで、すっぽりはまってヨカッタナ、と思いました。「日本もその有力なメンバー」と書かれると、自民党フリーメーソン人脈を書いた本を思い出したりして。

赤い広場の女』"The Lady at Red Square"《женщина на Красная площадь》「旅」昭和42年3月号號

赤い広場と赤の広場では、形容詞の語尾変化かなんかでロシア語訳が変わってしまうのですが、なんでタイトルを赤の広場にしなかったんだろうとは思いました。商標登録されてるわけでもないだろうし、自主規制するような単語でもないだろうし。

「テーブルの上に金色に輝くイクラ」(頁108)がキャビアなのかイクラなのか分かりませんでした。ロシア語ではどちらもイクライスクラは炎。日本では何故か漢方薬会社。イコノクラスムは偶像破壊運動。

頁111、独ソ戦ソ連側は多大な犠牲者を出したのに、戦後生まれのドイツ人は何のコンプレックスも感じずモスクワ観光を楽しんでる、ロシア人も知らん顔、日本人も見習うべき、という場面があります。まあそうでもないのはマスターキートン読んでも分かると思います。マスターキートンほとんどイギリスとドイツの話、ときどき日本。親世代の戦争犯罪とそれを糾弾したり家出したりの若い世代(が中年になって)の話もあったような、なかったような。

ウクライナユダヤ人を巡るお話でもあり、ウクライナ人も出ます。でも今のような関係でない時代。『技師クズネツォフの過去』"Dzerzhinsky Square"(ジュルジェンスキー広場)James. O. Jakson をちょっと思い出しました。

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バルカンの星の下に』"Under the Star of Balkans"《Под звездами балканскими》「小説新潮」昭和44年1月号

ユダヤ人スパイのウマ娘オリガ、広場では駐在の恋人リューバを寝取る、と来て、本作では「とりたてて美しいという顔ではなかったが、どこか翳りのある、頭の良さそうな表情をしていた。肌が白く、額を広くあけて、髪をスペインの女みたいにうしろでまとめて結んでいた」邦人女性(人妻)が出ます。昭和40年代はみんな小説読んでムラムラしてたんだろうなあ。ブルガリアの首都ソフィアが舞台で、うたごえ喫茶時代さかんに日本語でスラブ民謡?を歌った邦人男女の行きずりの情交の話。

 

頁146

「あなたの部屋へ行くの?」

「いやですか?」

(略)

「マオ、マオ」

 と、囁きあう声がきこえた。私たち二人の背後に労働者ふうの若い男たちが数人立って何か喋っていた。彼らは私と夫人を中国人だと思っているらしかった。

以下出てくる歌の動画。てきとう。公式っぽいのがロクにないので。

バルカンの星の下に - Wikipedia

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「シベリア大地の歌」《Уходил на войну сибиряк》

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「五月のモスクワ」《Москва майская》

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「さびしいアコーディオン」《Одинокая гармонь》

淋しいアコーディオン - Wikipedia

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「モスクワ郊外の夕」《Подмосковные вечера》

モスクワ郊外の夕べ - Wikipedia

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郵便馬車の御者だった」《Когда я на почте служил ямщиком》

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バイカル湖のほとり」《По диким степям Забайкалья》

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なんでも出ますが、公式的なものが分からない。

夜の斧』"Night Ax"《ночной топор》昭和42年12月「別冊文藝春秋」102号

シベリア抑留者がスパイになることを条件に早期帰国を認められ、その後接触がないのですっかり忘れていたのですが、「もはや戦後ではない」頃に符丁を告げる電話がかかってきて、警察に相談すると二重スパイにオルグされる話。舞台は作者が引っ込んでた石川県。石川県警って、優秀なんですね。小津安二郎映画の笠智衆みたいなおだやかな喋り方をする主人公ですが、言ってる内容は21世紀から見ると相当に亭主関白。

「だってあなたがお使いになるかと思って」(頁166)

「あれは昨年の会で着たんじゃありませんか」「いいじゃないか」(頁167)

「少し頭痛がするんだ。床をのべてくれ。今夜は早く寝よう」「はい」(頁173)

「灰皿をくれ」「はい」(頁174)

「もうお休みになる?」「うん」(頁175)

「お茶を一杯入れてくれないか」「おやすみにならないの?」「何だか妙に目が冴えてね」「疲れていらっしゃるのね、きっと」(頁182)

この小説の主人公はほとんどフルネームで書かれ、妻と何週間ぶりに性交渉を持ったとか(娘が嫁ごうかという年齢なので、何週間ならけっこうお盛んではないかと思いました)収容所の女性部長が「湯気の中で上下にゆさゆさ揺れる小山のような(略)乳房」だったり、能登半島のどこぞの温泉のいちばんの売れっ子芸妓と寝たりしました。この時代はこういう活字を読んでムラムラ以下略

天使の墓場』"The Graveyaerd of Angels."《Кладбище ангелов》昭和42年3月「別冊文藝春秋」99号

これも石川県の話。高校山岳部が雪中登山で引率の教員もろとも遭難し、ビバーグ中盲腸で女子部員が苦しみ出し、教員は一人助けを求めるため吹雪の中を下山、ひとりだけ助かり、ほかは行方不明になります。背後には悪天候で墜落した核搭載B52を隠蔽しようとする関係各位の陰謀があった… という、これも陰謀論の話です。前にイタリアの田舎の現地調査本*6を読んだ時、麻酔手術が可能になる前、腹膜炎は死の病とおそれられていたとあったのを思い出しました。中国公安が厳しかった頃(今でも厳しいですが)こっそりカイラスに行こうとしてたバックパッカーが、リスク軽減のため、なんでもない盲腸を切除してから現地入りしようか悩んでたのも思い出します。

女子部員は「美人とはいえなかったが、バスケット部で活躍した見事な体と、はっきりした目鼻立ちで、男生徒たちの関心を集めていた」「強く光る目で(略)みつめて」「豊かな胸をアノラックの上からどんと叩いて」「独特の髪の匂い」「腕をのばせば、(略)あの手応えのある体の重味が倒れ込んでくるだろう」「かすれた声で言った」「こんど山を降りたら、(略)両親に会ってみよう(略)卒業してしまえば、別に教師でもなければ生徒でもない。(略)成熟した娘と、(略)独身高校教師がいるだけだ」この時代はこういう活字を読んでムラムラ以下略

五木さんは「戦争と人間」という重いテーマを、ステレオタイプの文体、手垢のついた形容句、月並みな描写、メロドラマ、アドリブ、当たり前のように否定される物語性、などなどの通俗的武器全てを総動員して描いていくのがよく分かりました。あまりにスラスラ読めすぎるので、続けて読むか未定です。以上