1917年神戸生まれ、19歳で渡伯し、隠居後に文筆活動を始めた松井太郎サンの日本で出版された作品集『うつろ舟』*1を読んで、ヨカッタのでこれも読みました。版元は京都の松籟社。このような地方の小さい出版社は紀伊国屋のウェブサイトで買えない時があるので、三月にホニャクラブで神戸の南船北馬舎の本『スリランカ学の冒険』*2と一緒に注文して、川崎の有隣堂で受け取ったです。
『うつろ舟』は葡訳されてブラジルでも出版されてますが、本書はまだのようです。多くの作品が往時、開拓時代の日系社会のスケッチですので、ポルトガル語訳する意味があるのかないのかは、分かりません。
帯 いしいしんじという人を存じませんで、肩書が書いてないので検索しました。大阪出身京都在住とのことで、それだったら拾得とか磔磔とか恵文社とかビレバンとかみなみ会館とかで京都の出版社とはつきあいがあって、それで解説書いたのかなと。
帯裏
カバー裏のロバだか馬の絵。挿画はすべて著者とのこと。
"A Vida de um Imigrante."『ある移民の生涯』1970年7-8月『農業と協同』229-230号掲載
作者の分身と思われる「成功した移民」が、所用で別の街に出かけた折り、雨に降りこめられて泊まった宿で、ベッドは南京虫で眠れないのでロビーで煙草をふかしているうちに、出会った旧知の独り者移民の来し方をビール飲みもって聞く話。こういう、「成功しない移民」の話は、華僑の話でも読みますし、北米移民だと、ヒサエ・ヤマモトサンの『ラスベガスのチャーリー』もそういった話だったなと思い出しました。
乗り合いバスがオニブスで、商人宿がペンソン、転居がムダンサと、ところどころ「ポ語」が挟まります。
サンパウロの日本人街にはかつてペンソン荒木という有名な日本人バックパッカーのたまり場があったそうですが、今はもうなく、その場所には別のペンソン(非日系)が営業中とのことです。
頁21に開拓地の酒宴のメニューが出ます。酒はブラジルの蒸留酒ピンガ、アテは若鶏の刺身と椰子の芽(パルミット)の酢味噌和え。
"Voz Distante"『遠い声』1979年1月『パウリスタ年鑑』1979年度號掲載
これも成功した移民(ただしひとりもの)が、非邦人の使用人たちとの現在の生活と、入植時代の事件をオーバーラップさせながら回想する話。日本人会を略して「日会」と呼ぶそうで。頁50。
"Pássaro do Ressentimento"『うらみ鳥』1980年1月『パウリスタ年鑑』1980年度號掲載
鉄道ダイヤの関係で途中駅でおろされてしまった主人公が、次の電車は先だし、車を拾おうにもロクに走っておらず、田舎道を歩けば交通量の多い街道に出ると言われ、道を歩くと山のなかでハマってしまい、人家のあるところまで四苦八苦する話。
本書は各話表紙に著者お手製のイラスト(編集が組み合わせただけで、その話用に描いたのではないと思います)が載っていて、この話は上です。むかしのブラジルの田舎の駅はこんなだった、ってことでしょうか。冒頭の白人女性教師との会話や、通りすがりの車があと二人余裕で乗れるのに教師だけ乗せて行ってしまったことなど、印象に残るのですが、タイトルにある「鳥」は出ません。道に迷わせるような鳥が出るのかと思いきや、鳥は出ない。
"Pastor Ágape"『アガペイの牧夫』1982年3月『のうそん』75号掲載
バス停のそばの雑貨屋に、ふらりとあらわれ喉の渇きをうるおした男が、バス待ちのあいだかつて近隣を震撼させた復讐劇の真相を語る話。雑貨屋の店主のみ日系で、ノゲイラと呼ばれますが野毛サンです。
ハリウッド化粧品はギロッポンだけではないという。腕っぷしのある荒くれ兄弟の銃にナイフ一本で立ち向かう無頼漢。松井さんの小説に多い、「男らしい」筋立てのひとつ。語りの最中にたばこを一服してまた続きを語る場面など、情緒タップリです。
"Folclore de Costumes Populares"『土俗記』1984年1月『コロニア詩文学』17号掲載
日系農民は野菜をとる習慣のなかったブラジル人の野菜の美味しさを教えた、とはよく言われることで、そうした野菜作りの苦労、山師なみに何を作るかで当たり外れがある世界での、賭けに破れた男というか、ガランチード・ジャポネーゼでない、身を入れて百姓をしない男を襲った、マクンバの話。
"Pote de Ouro"『金甌』1985年5月『のうそん』94号掲載
金甌無欠 | スピーチに役立つ四字熟語辞典 | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス
日本のポツダム宣言受諾とともに起こった日系社会の「勝ち組」「負け組」騒動を小説として切り取ったもの。まさかこれを題材に現地で日本語で小説にする人がいるとは思わなかったです。北米日系人なら『ノー、ノー、ボーイ』という英語作品がありますが…
松井太郎サンの作品リストを作って公開してる岡村淳サンの『忘れられない日本人移民』*3や本書編集者のひとり細川周平サンの『シネマ屋、ブラジルを行く』*4で語られる事象が手際よく短編内に詰め込まれています。偽宮様事件、ジャワ島移住、新円切り替え詐欺… 現地新聞を読める人間=正確な知識を得ることが出来る人間が圧倒的少数派で、ポ語新聞のニュースがまったく広まらない広範な日系農村社会の描写がおそろしいです。また、赤報隊ではないですが、勢力が拮抗してる状態でのテロでなく、多数派が「屈しない少数」に牙を剥く展開になってるところも、リアル。殺すまでいじめる。死ぬまでやまない迫害。
"Registro do Montanha Humilde"『山賤記』1987年12月『のうそん』108号掲載
個人的にいちばん好きな作品。松井さんの作品は日本的情緒、日本的道徳で日系移民社会を描いたものが多いですが、それとまったく相容れない、異質なブラジル社会との望まぬ接点を描く。功成り名を遂げた一世が、これも高度経済成長を遂げた祖国へ里帰り、みやげをたくさん持ってブラジルに戻ると、高額な関税をかけられたりするので、迎えの家族がまとまった現金を引き出して帰国待ちをしていると、噂を聞きつけた強盗団が押し込みに来るという話。覆面もせず押し込みに入る大胆さ、自分は逃げれるかもしれないが、その場合腹いせに雇用人は殺されるかもしれないという咄嗟の判断、どこをとってもスリリングで、すばらしい。
『うつろ舟』では木芋と書いてキャッサバと読ませてますが、本書ではもう木芋とだけ記載で、意味まで書いてません。
ポルトガル語ではギターはビオロンというらしく、それは随所に出ます。出る度に「おまいは堀口大學か」といらぬツッコミをする私。
"Comoção do Tábua Espiritual"『位牌さわぎ』1995年6月「コロニア詩文学」掲載
跡継ぎが若いブラジル娘に浮気して子どもまでこさえたので、正妻が怒って仏壇も位牌も捨ててしまったら、祖先の祟りで霊障が… という話。しかしまあ、明治の御一新で役場に苗字を作ってもらったような家なので、先祖ったってねえ、という。
開拓時代の夕食、「琺瑯びきの皿に飯を盛り、豆汁をかけ鱈の油焼きで食べる」がリアルでした。フェイジョンを豆汁と呼び、日々の食事に取り入れてる。
"Uma geração de bandidos"『野盗一代』1995年。初出なし。作品集『ある移民の生涯』収録
ブラジル文学にはコルデールといわれるひも付きの安売り本の世界があり、だいたい韻文で書かれていて、その七五調は日本の八木節などにも通じるものがあるとは松井さんの弁。韻文なのでそのままビオロン(ギター)に乗せて歌えるそうで、これはその中の人気ジャンル、盗賊ランピオンを歌ったものを松井さんなりに散文にまとめたもの。
コルデール文学に関しては、以前御茶ノ水書房からそれを日本語でまとめた学術書も出ていたようですが、やはり品切れ再版未定。
ランピオンのウィキペディアは下記。まだ日本語版はないようです。
"Cheio de Insetos"『虫づくし』1998年1月「コロニア詩文学」60号掲載
ネタが尽きてきたのか、いろんな虫を題材にした小文をつれづれ書いてみようとした感じ。
最初は、蜘蛛と蟻地獄、薄羽蜻蛉の対比。上は扉絵のイラスト。たぶん何か本の引用だと思いますが、「ポ語」でアリジゴクの生態が書いてあります。レビューの中には、松井さんら一世を、ポルトガル語世界に精通しないまま日本語の世界にこもったように書いてるのもありますが、これくらいはもちろん読めるんですよと。ただ、ネイティヴのような読み書き会話はちょっとね、ということだと。
頁219、本の虫は世間知らず、理屈屋に通ずるので、コロニア社会では好かれないとあり、私もそれは実感するところです。西表島でも本島移民のサトウキビ農家の人が、実生活にジンブン(人文)なんかいらんと言っていた。松井さんが実生活の上でマイナスになってもプラスにならないが、好きなものは好きと言っているのはほんとうに共感出来、私も春からなんとか畑をやっているのが、この酷暑でとうとうほんとにロクに出来なくなっている中で、本ばかり読んでしまい、とても自責の念に駆られています。読まなければもっと畑を出来るのではと、苦しいです。からだは熱波で苦しくて、心は日陰を求める自分の気持ちが苦しい。
松井さんのような、お子さんが都会に出て実業で成功され、呼び寄せてもらって楽隠居の人というのも、時代もありますが、うらやましく思われることもあろうかと。ご自身は父親との相克に悩んだのですが、お子さんはよく育った。
害虫を駆除しまくってきた人生だったと、農業について述べた箇所も分かります。殺生をしてきた人生なわけですが、日本には便利なことば「虫供養」があるという。タイでいうとタムブン、放生会になりますが、日本はそこまでしません。供養塔建てればたぶんそれでおk。果樹をキレイな小鳥が荒らしまくるので、最後にはカスミ網をイイ値段で購入し、一日三羽くらいかかるのを「みんな細い首をねじってやった」とあり、相当頭に来てたなと思いました。サンニャソという青紫の美しい小鳥だそうですが、検索しても出ません。もう一種、サビアというつぐみの仲間が出て、こっちは検索でも出ます。
ブラジルの身近な野鳥雑談 | 日本ブラジル中央協会 WEB SITE
私も、米の鳥よけはまだしも、豆にネットをかけておくと鳩がかかり、人間が殺生を嫌っても、かかった鳩を猫が襲うので、豆畑にはよく鳩の羽や死骸が散乱してたりしたなあと思い出しました。
やっぱりここでも、日本人ほど果樹荒らしの鳥や虫と戦いまくった連中はいなかったようで、しかし自然はその微力さを常にあざわらうわけで、ザギンの水果屋で高値で売れるような作物はそうそう出来ず、「よほど粗雑な栽培の可能な土地のほかは、たいてい放棄されたようである」だそうです。
"A história do lírio do Tatu"『犰狳物語』2003年3月「ブラジル日系文学」13号掲載
犰狳はアルマジロを意味する漢語のようで、日本語読みすると「きゅうよ」だそうです。「ポ語」ではタツーだとか。
これも目先を変えて、アルマジロを主人公に、干ばつで農場を放棄して離脱する移民を描いています。日系移民じゃないんじゃいかな。
「縄煙草」という、縄状に綯った自家製たばこが松井さんの小説にはたびたび登場しますが、この作品で、製造法が詳しく語られます。火縄銃のようにそのまま火をつけるのかと思ったら、刻みたばことして使用するとか。ブラジルのものかと思ったら、日本の農村でかつては広く作られていたようで、俳句の季語にもなってました。検索すると夏井いつきの日外アソシエーツ季語辞典も出ます。
縄煙草(ナワタバコ)とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書
専売公社が出来て絶えたと思うのですが、「ロープ煙草」などという関連ワードも出て来たりして、よく分かりません。
"História passada e presente de Colônia"『コロニア今昔物語』2003年12月「ブラジル日系文学」15号掲載
すべて第七星雲の忘却の彼方に消える前に、書き残しておこうということで、移民初期の笑い話や制度を書いたもの。都会育ちのお嬢さんが戸外のトイレすらない開拓地で雉撃ちに行く話など、それ単体では小説にならないようなありふれた話、しかし残しておかないと次世代には伝わらないかもしれない話を思いつくまま書かれています。巨根の邦人の若者の話など、日本人にそんなでっかいチンチンの人間がいるわけないという先入観が世の中にありますから、書いておかないと消えてしまう。にょーぼをやり殺したのではという悔恨のうちに生きているのですが、情の深い、これまたデッカイ白人の寡婦と縁あって寄り添います。
"Santo de Juazeiro"『ジュアゼイロの聖者』2004年7月書き下ろし。作品集「ジュアゼイロの聖者 シセロ上人御一代記」収録
ランピオンは散文で書いた松井さんが、韻文そのままで執筆にチャレンジしたシセロ神父の生涯。
シセロ神父(しせろしんぷ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
扉絵。ランピオンも描いてあります。シルビーノは、誰だったかな。
"Confissão de Bandido"『野盗懺悔』2009年1月書き下ろし。作品集「野盗懺悔」収録
松井さんご自身が「後記」で、『堂守ひとり語り』などとあわせて東北もの三部作になるかもしれないと言ってます。所謂、日系人は日系人社会を書く不文律を越えて、ブラジル人全体社会を書いた話。検索するつもりもないかったですが、実在のモデルが出たので、下記、貼っておきます。
頁303、「けりをつける」を松井さんは「鳧をつける」と書いていて、これもこの人のクセだなと思いました。
"Quebra-cabeça de desembaraço"『ちえの輪』2010年脱稿。たぶん本書で初掲載
なくなったつれあいを回顧する小文。縁日で日本人はかしこいとおだてられて買った知恵の輪が、手先が器用でないのでうまく外したりつけたりが出来ないのを、女房はすぐ出来たという話から初めて、初夜の話なんかを書いてます。初夜は初夜として、諏訪で孤独死した知人は知恵の輪づくりが趣味だったなと思い返しました。木地師とか、そういう系譜の人だったのかもしれない。
以上