ブラジル日系人関連の本を読んでいるうち、本書の存在を知り、五月初旬にブッコフで¥1,045(税込か税抜か忘れました)で買いました。当初はブラジル日系文学会から2015年12月に出た中里オスカル著_中田みちよ/古川恵子訳『にほんじん』を入手しようとしていたのですが、水声社から2022年6月に武田千香サン訳で出ているのを知り、そっちのが広範に容易に入手出来るので、そっちを購入しました。
にほんじん : ブラジル日系文学創刊50周年記念 : 2012年度ジャブチ賞受賞 (ブラジル文学翻訳選集 ; 第3巻) | NDLサーチ | 国立国会図書館
冒頭に作者による「日本の読者へ」あり。
頁10
どうぞ楽しい読書となりますように!
オスカール・ナカザト
私はスペイン人とはほとんど交流がなく、わりかし残酷な人たちかもと思うこともあるのですが、イタリア人に関しては、うわべの陽気さと、ウラでの深刻なネクラのギャップが楽しい人たちという印象があり、本書でも日系以外に黒人とイタリア人移民がよく出て来て、本書のキーパーソンは日本のコメとミソ汁のアサゴハンよりイタリアのポレンタのほうに興味を引かれてしまうような人間なので、ナカザトサンもそうした重層的なアイデンティティの持主なのかもなと思ってここを見ました。冒頭から読書に対してこのように祝福を投げかけられるのはうれしいものです(本書の内容は、慶賀と相反してトンデモないものですが…)
blog 水声社 » Blog Archive » 6月の新刊:ニホンジン《ブラジル現代文学コレクション》
blog 水声社 » Blog Archive » 《ブラジル現代文学コレクション》
訳者あとがきによると本書は「ブラジル文学としてポルトガル語で書かれた日本移民の大河小説」(頁224)ということになるのですが、43文字×16行×204ページの本書を、大河と呼んでいいのかちょっと悩みました。訳者あとがきには、日本人がブラジル移民を描いた小説として石川達三『蒼茫』角田房子『アマゾンの歌』北杜夫『輝ける碧き空の下で』をあげていて、『蒼茫』は私も読んだ*1のですが、ボリュームにおいて本書とは雲泥の差があると思います。ですが、簡潔にエッセンスだけを抽出し、短いセンテンスで、すべてを読者にさとらせるのもオーサーの腕であるなら、本書はやはり立派な大河小説なのだと思い直しました。スマホ時代にも向いている。
帯
帯裏 このような甘い邦人向け取説を信用すると、えらい目に遭います。本書は日系ブラジル移民の物語であることはあるのですが、日系トライブから外のガイジン世界へ旅立とうとして翼が叩き折られる連続と、最後には勝ち組・臣道連盟による凄惨な内ゲバが赤裸々に描かれるからです。
巻末に「ブラジル独立二百周年にあたって」駐日ブラジル大使(当時)エドゥアルド・サボイアサンあり。
ブラジル独立二百周年記念ロゴマークあり。
訳者による「ブラジルにおけるニホンの物語ー「訳者あとがき」にかえて」あり。その中に参考文献やインタビューサイトURLあり。
本書原書の電子版はないようで、ブラジルアマゾンからペーパーバック版の表紙を貼っておきます。3バージョンあがってるうちの、ジブチ賞受賞後に増刷した版と思われる表紙。
ブラジル版内容紹介
Hideo Inabata é um japonês orgulhoso de sua nacionalidade, que chega ao Brasil na segunda década do século XX com o objetivo de enriquecer e cumprir a missão sagrada de levar recursos ao Japão, conforme orientação do imperador aos seus súditos. O árduo trabalho no campo, a difícil adaptação ao Brasil, a morte da primeira esposa e os conflitos com os filhos Haruo e Sumie são um teste para a inflexibilidade do nihonjin (japonês). O narrador, neto do protagonista e filho de Sumie, empresta voz e visão contemporânea à transformação do avô e do seu sonho de voltar rico para casa. Nihonjin, romance de estreia de Oscar Nakasato, foi o vencedor do 1º Prêmio Benvirá de Literatura, do qual participaram 1.932 concorrentes de todo o Brasil com obras inéditas, em 2010; e vencedor do 54° edição do Prêmio Jabuti, na categoria romance, em 2012.
(グーグル翻訳)
稲畑秀夫は、自分の国籍に誇りを持った日本人で、20世紀後半に富裕になり、天皇が臣民に命じた資源を日本にもたらすという神聖な使命を果たすことを目的としてブラジルに到着しました。現場での重労働、ブラジルへの適応の難しさ、最初の妻の死、そして子供たちの春夫と澄江との葛藤は、日本人(日本人)の柔軟性のなさを試されるものである。主人公の孫であり、スミエの息子でもあるナレーターは、祖父の変化と裕福になって家に帰るという彼の夢に、声と現代的なビジョンを与えている。中里オスカーのデビュー作『日本人』は、2010 年に第 1 回ベンビラ文学賞を受賞しました。この賞には、ブラジル全土から 1,932 人が未発表の作品を出品して参加しました。 2012年には第54回ジャブチ賞ロマンス部門を受賞。
ほんと、イッセイの「サントスからヨーイドンではじまった」が出だしで、1980年代ブラジル経済の低迷によるサンセイの日本への「デカセギ」までで終わるのですが、邦人女性と外部との交流を圧する日本の家父長制というテーマと、戦中の日系人抑圧収容から一転して戦後の勝ち組負け組、臣道連盟によるテロルまでが交互に、ある一族のサーガとして語られます。
過酷な農作業に耐えられず、南国ブラジルに雪が降る幻影を見ながら死んでゆく農婦には、ビッショ・ジ・ペ(スナノミ)は針で足の皮ふをくじって掘り出して後処置をすればよいなど、親切に開拓生活の知恵を教えてくれる黒人女性の隣人が出ます。しかし夫は妻が黒人と交流することを快く思わず、これを規制します。ひどいなあ。私も今年の夏は強烈な炎天下で、草刈りをするとあちこち活発な虫に刺されまくって、かゆいかゆい。
現地邦人は日本語の俗語で黒人をそう呼んでいたと思うのですが、本書ではポルトガル語の俗語、モレッキと書かれます。これはナカザトサンのくふうかもしれない。頁68など。
頁100、1808年にジョアン六世に随行して渡伯したポルトガル人の子孫を自称する白人が、日系商店をうろついてあれこれ難癖、ヘイトする場面があります。戦中の話。1923年に日本人ブラジル入国規制案を国会に提出した下院議員の運動の信奉者で、
頁100
「奴らは世界を支配したいのだ、政府は奴らを追放すべきだ」とジョゼ・ジ・オリヴェイラは言った。「すでに満州へ侵略したから、ブラジルに軍隊を派遣するのも時間の問題だ」
頁102に、サンパウロ州で政治社会保安局ドイツ、イタリア、日本との外交断絶を受けてそれらの系統の移民に対して発した禁止令の記載があります。発令者の肩書が少佐で、あんまりえらくないと思いました。関係ないか。それによって、外見の異なる日系人が集中的に攻撃され、収容され、つい最近たしかブラジル政府はそれを謝罪したです。
上の記事は頭狂新聞(某氏談)なので、日系とオキナワ系を分断してると言われたら、そりゃ機を見るに敏なりですぅという記事。
頁103
(略)友人のタナカサンはある別の人と「コンニチワ」とあいさつしたばかりに警官に路上で注意された。ノダ・センセイは日本語で仏教儀礼の祈りを捧げたせいで逮捕された。
そこで日系人は結社をつくります。その段階ではまだ「シンド・レンメイ」でなく「コドシャ」(興道社)という団体だったとか。ブラジル日系社会を統合し、天皇陛下への忠誠の絆を強固にし、一致団結してこの国難に立ち向かってゆかむ。本書は、日本語の長音を長音と書いてないのですが、現地日系人がそう呼んでるのかどうかは分かりません。「コードーシャ」「シンドー・レンメイ」だと思うですが… ただ、「シンドー」と書くと私はなんか違和感で、それは「神道」を「シントー」と読んでるからだと思います。脳内でごっちゃになって、「シントー」が正しい気がしてしまう。「シンド」と書くと、インドのシンド州や、相模原の新戸や、平塚の真土とごっちゃにしてしまうのもなやましい。
頁172などに出てくる、テロ実行部隊は「トッコタイ」と書かれます。特攻隊ですから、トッコータイと思いますが、トッコタイ。負け組の家の壁に赤ペンキで国賊とか書く場面では、コロナカ初期の第一次緊急事態宣言直前、学校だけ休校指示の時に知人の中国語教師(中国人)の車が赤ペンキかけられた件を思い出しました。今はもう何があっても自作自演という錦の御旗を掲げる人がいますし、大変ですね、分断が。
また、頁104には、臣道聯盟はつまりポルトガル語の「リーガ・ド・カミーニョ・ドス・スジトス」"Liga do Caminho dos Súditos"と書いてあって、当時の日系人からするとニガニガしいでしょうが、私は外来語のカタカナによわいので、「リーガ・ド・カミーニョ・ドス・スジトス」カッコいい!!と思ってしまいました。
じっさい、本書は、勝ち組負け組の後の戦後移民、アマゾン浪人と呼ばれた人たちの『ワイルド・ソウル』*2を省いてますし、デカセギが日本で体験したさまざまな出来事を日系人邦人両面から描くところまでも書いてないので、「大河」を名乗るなら、その続編がほしいです。第一部『臣道聯盟』第二部『デカセギ』第三部は… 知らない。
本書は電子版がないのですが、その後のナカザトサンの作品は電子版があるようで、下記が出ました。デカセギに関することも入っていてくれたら、うれしい。
ナカザトサンは"Nakasato"と書いてナカザトと読むようで、沖縄系なのかそうでないのかは分かりませんでした。日系ぜんたいでの沖縄系の立ち位置も微妙なのかそうでないのか。池上永一サンはボリビアの沖縄コロニアを舞台に『ヒストリア』*3を描きましたし、鶴見のボリビア・エクアドル居酒屋は沖縄居酒屋でもありますし、ペルー料理店でもソーキソバを出す店が二軒くらいありますし、当のブラジルスーパーやブラジル料理店でも、コーレーグースのないところはないです。本書は、「ボールドーナツ」(頁187)「ドーナツボール」(頁137、139)の生地を練ったり揚げたりする場面が縷々出るので、これってサータアンダギーなのかそうでないのか、どっちだろうと今でももやもやしています。ペルーにピカロネス、ピカルーがあるように、こういう揚げ粉もんケーキは何処にでもありますし。
頁111
「先生は君たちに何を教えているのかね?」ある警官が一人の子どもに訊いた。
「テイジサン、答える必要はありません」ヒデオは日本語で指示した。
「おい、ジャッパ、日本語で話すな!」巡査が叱りつけた。「おまえは法律を知らないのか!」
「私は日本人だ、日本語で話す」ヒデオは、ポルトガル語を使って言い返した。
「たしかに日本人だ、だがブラジルにいる! ここブラジルで話されているのはポルトガル語だ」
ヒデオは黙った。
この「テイジサン」が分からず、今でも分かりません。官憲をあらわす日本語で、「テイジ」ってなんだろう。寡聞にして知らないです。沖縄系だから、「デージさあ」と言ったのがこんなん変換されてまいました、みたいなオチかもと悩んだのが、上の、NAKASATOと書いてナカザトと読むんだあ、につながってます。
頁55「タカサ」は祝言の祝い唄なので、高砂ですが、「タカサ」と書いてあります。訳注もない。
頁89、イタリア移民が、ニホンジンのしつけ、お灸を据える「やいと」や蟄居閉門を申し付ける「きんしん」(謹慎)が分からないと言います。実際には、この「キンシン」はプチ破門みたいなもんで、「お前なんかでてっちまえ、頭を冷やすまで家の敷居はまたがせん!」なのですが、イタリア人からすると、それでジャングルで死んだらどないすんねん、子どもになんてことを、になるそうで、「ベルトでビシバシ打つならまだ分かる」とあって、笑いました。スパイク・リーの映画でいちばん個人的に好きな「ジャングル・フィーバー」には、黒人とつきあったイタリア系米国人女性が父親と兄からベルトでビシバシしばかれる場面があって、それを鑑賞していたギロッポンのホステスたちが、異口同音に、そうなの、ホントにイタリア系はベルトで娘をしばくのよ、と興奮気味に言ってました。思い出した。
頁125に、カリッとした焼き色のついた焼きオニギリと、幾片かのオムレツと、きゅうりのツケモノを食べる場面があります。胡瓜はぬか漬けでしょう。で、ここにある「オムレツ」は、玉子焼きじゃいかな。日本の。そう思いました。このあたりは、白人と駆け落ちする娘の話。勘当されます。文字通り敷居を跨げない。最初の娘は、乳飲み子を抱えてボロボロになって戻ってきて、「オトーチャン、あたしがまちがってたわ、門を開けてチョーダイ!」と絶叫しても、開けない。その後、どこかへ落ち延びて、家政婦になって子どもを預けて働いているとも、娼婦になったとも風の噂に聞くが、父親は探しに行かない。探させない。それが絶縁、縁を切るということだから。
次の娘は、スーツケースを抱えて夜半足音をさせないように家を出ようとするが、母親や兄に見つかり、長い長い話し合いの上、家を出ることを踏みとどまります。門の前で待っていた白人青年は、ひとりで歩き去る。しかし、結婚出産育児を経て十年後、ふたたびこの男性は彼女をさらいに来て、彼女は今度は運命に身を任せます。パートナーも子どもも捨てて。「ぼくを選ばなかった、これが今のきみの幸せかい?」この人の場合は運命がほほえんで(あるいは目をそらして)白人男性に死に別れ、戻ってきてもやっぱり家には入れないのですが、子どもたちは、それぞれ複雑な思いを抱えたまま、成人後、彼女に再会します。
この辺は、お話としては素晴らしいのですが、ナカザトサンが日本の家父長制を実際以上に誇張して神聖視しているような気がしないでもなく、どうかなあというところ。いったん「家長には尊厳がある」というふうに定義してしまうと、なかなか崩し得ない。エヴァンゲリオンが、ゲンドウに威厳を与えすぎたので、シンジくんが何をしても、ゲンドウ自身が不倫してても(まあ奥さんは死別してるわけですが、籍入れる気配ないし)力関係が微動だにしない、その意味で失敗作だったのにも似て。もう少し情があると思うんですよ、なんだかんだで孫連れて来るわけですし。でもそれって、少子化時代の感想で、五人八人産むのが当たり前の時代だと、子連れで帰って来られても、食い扶持が二人分かかるとしか思わないのかしら。
頁161、ふたたびシンド・レンメイ。「首を洗って待ってろ」のどこが脅迫文になるのか、日本では死刑の前に首を洗う習慣があってと警察にポルトガル語で説明する場面。1945年8月17日、天皇は新たな詔勅を発し、先の15日の詔勅は偽物で、あくまで神国は聖戦完遂を以て本義と為すとした。しかも、勝利は目前で、帝國陸海軍は敵を降伏直前にまで追い込んでいると高らかに宣言した。先の偽詔勅は彼らの最期の悪あがきである。みだりにデマを信じて軽挙妄動に陥ることなきよう。御名御璽。
ラミー王チュザブロ・ノムラ殺害(実在の人物だったそうです。野村忠三郎)バストス農協組合長イクタ・ミゾベ殺害(この人も実在だそう。溝部幾太)臣道聯盟の連続テロは先行してブラジルのノンフィクション作家フェルナンド・モライスが『汚れた心』"Coração sujo"というタイトルで執筆、ビセンテ・アモリン監督伊原剛志主演で映画化もされており、本作はまずそれを参考にしたとか。
Corações Sujos (filme) – Wikipédia, a enciclopédia livre
以下後報。
赤心の忠誠ということばがありますので、その反意語が「けがれたココロ」ということでしょうか。
頁59、リングイッサ(ブラジルソーセージ)の味には慣れたが、屠殺はしたことない農民が初めて豚をほふる場面があります。心臓を一突きにするのですが、慣れてない人だからそうしてるってことはないでしょうか。首切って血を出してそれで血豆腐やスンデを作ったりしないのかな。移民が最初に慣れるのはピンガ、蒸留酒だと細川周平サンの本で読みました*4が、武田千春サンはブラジルで、おんなだてらにピンガ飲みまくるなんてはしたないと言われたんだとか。ピンガを味醂で割ってピンガ直しにすればよかったのかもしれません。
ミリンの焼酎割りが旨いとは思わなかった :: デイリーポータルZ
上は表紙(部分) 話をシンド・レンメイに戻すと、頁165、負け組は終戦の詔勅という「偽勅」を流布するのみならず、天皇が飢餓状態だとか、皇后がマ元帥の愛人になっただとか、マ元帥は天皇皇后両陛下を使用人として侍らせたとか、不敬極まりないデマをばらまいて人心を攪乱したので天誅を加えるに如かずということだそうです。今なら自作自演だろうと思うのですが、当時でもそうじゃいか。でも絶対そうは思わないんだろうな。ディープステート、イルミナティの陰謀と言えばそっちに転んだかも。その一方で、皇国の戦捷が事実であることを裏付けるような記念切手や邦字新聞、ラジオ放送も流されていたとか。
そこでさらに彼らに免罪符を与えたのが、在伯ドイツ人も在伯イタリア人も、両国が敗戦した時、そのことについて黙ってたじゃいかということ。自国がたとえほんとうに負けても、それを触れ回る馬鹿はいない。ましてやデマゴギーをや。
(略)リベルダージ地区を歩いているとブラジル人は、一部の移民から見られ、その後彼らのあいだでなにか言われたり、ときに笑われたりすると侮辱された気になる。バストス市では我々のほうが外国人のような気分になる。なぜならコーヒーを飲もうとバールに入っても、応対するのは日本人かその子孫だし、なにか道で情報を求めても、返って来るのは訛りのある声で、商店の正面を見ても、目に入るのは我々には理解できない文字だからである。いかなるブラジル人も自分の国にいながら外国人の気分を味わうことがあってはならない。
(略)他方ミゲル・コウトは、ブラジルの人種的アイデンティティをいかに保持するかを模索し、次のように述べた。「我々はすでに黒人の混血においてこんなに大きな仕事を人類に対して果たしたのだから、それでじゅうぶんだ……。黄色人の混血についてはほかがやるべきだ」
この記事の単語で「キスト化」という単語が分かりませんでした。なんだろう。
ヒデオの息子ハルオは、幼少時学校でジャポネジーニョと呼ばれたです。あるいはただたんにジャポネス。イタリア人の子はイタリアニーニョと呼ばれないのに、ジャポネスはジャポネスと呼ばれる。頁68。モレッキ(黒人)の子どもたちの中にいると、ちょっと写せないからかい唄でからかわれます。
本書の一族の長老は、配偶者の実家に潜む負け組の息子に、ここはかぎつけられる、もっと奥地へ逃げろと言いに行ったばかりに、尾行され、包囲され、必死の命乞いもむなしく、問答の末、息子を撃ち殺されます。息子がまちがっとることはわしがよく知っとる。しかし、いずれ改心するかもしれん。ここは見逃してくれ。以後、この臣道聯盟メンバーの老人は、胎児のようにまるまって起きようとせず、店も開けず、どんな食べ物をかいでも匂いがしなくなります。しかし、時薬は非情で、永遠にそうやって息子を忘れずにいたくても、いつか味覚はよみがえり、みそ汁、漬物、醤油、白ごはんの味を思い出します。人はそうやって生きてゆく。ブラジルの植物でボンサイを作ることを老後の趣味とした祖父から、剪定がてらに長い一族の話を聞きおえた孫は、出立し、日本へデカセギに向かい、物語は終わります。男児と女児でずいぶん対応がちがうやないけ明治のジジイ、と思うだけが読後の感想の人もいると思います。そうなんだよな~。ブラジルもナンパの手は早いがマチズモといえばマチズモなので、ナンニューブゴンピン(男女不公平と書いて北京語で読んでそれをカタカナにしたもの)に気が付かないのか。
この人の書いたデカセギの物語を読みたい、そして、"Nakasato"はナカザトと読むのか、今度ブラジル人に訊いてみます。ブラジルはBrasilですが、じゃあSatoサンはザトーサンなのか。Sato市。以上
(同日)