新版『スリランカ学の冒険』庄野護 "Advencures in Ceylonology" by Shono Mamoru (new edition) නව සංස්කරණය ශ්‍රී ලංකා අධ්‍යයනයේ වික්‍රමාන්විතයන් ෂෝනෝ මාමෝරු புதிய பதிப்பு இலங்கை ஆய்வுகளில் சாகசங்கள் ஷோனோ மாமோரு 読了②

スリランカのみならずバングラディシュ、ネパール、インドネシアパプアニューギニアケニア等で快刀乱麻アビダル*1百戦錬磨慎吾ママの活躍を見せたNGONPOODAのプロ、庄野護サンが1996年に出した「スリランカ 旅の雑学ノート」的エッセイ集。最初の読書感想で概要を書いたところで力尽きたので、稿を改めてもう少し書きます。

2013年の新版は、1996年の旧版から「ワープロが火を噴いた」「ジャーマン・レストラン」「スリランカ旅行術」の三話を割愛し(版元公式でpdf版などの形でタダで読めます)新たに「頼母子講の金融学」「混住社会のコミュニティ学」「内戦後の平和学」「スリランカ学の可能性」を追加収録しています。「スリランカ 旅の雑学ノート」的エッセイが減って、長期内戦で庄野さんが考えたことが追加される。

スリランカ学の冒険:南船北馬舎

装幀 井竿真理子 巻末に索引と主要参考文献。その国に行くのなら、関係書籍&論文を百個嫁、とあとがきで言ってる庄野サンなので、参考文献はそれなりにぶ厚いです。さて、そこから導かれる「スリランカの練習問題 旅の雑学ノート」の内容や如何に。

頁26「ありがとうの修辞学」
「言葉がお互いに通じない人同士と、言葉が通じてコミュニケーションがとれる人同士では、どっちが衝突が多いかというと、後者の方がはるかに多い。国家の間でも、協定を結んだ国同士の方が、戦争勃発の可能性は高くなります」
言語学者文化人類学者の西江雅之の発言 朝日新聞1993年1月1日 立松和平西江雅之「国境なき自己主張の時代」

これは真でもあり、偽でもあります。異文化同士は、互いの交流が深まるほど相互誤解が高まり、偏見が助長されます。それはその通りですが、争いの多い国と国の場合、こまめに仲裁が入って条約なり同意書を作ったりするものなので、そういう「破られるためにある」条約を以て、逆説の証明をするのは違うかなと。

東條さち子サンの『スリランカでカフェはじめました』*2で、スリランカのヒーコはまずいまずいと書かれてますが、庄野サンも1996年に同じ感想をもったようで、「フィルターで漉さないどろどろのコーヒーを飲まされる」(頁62「昼下がりの紅茶学」)と書いてます。1870年代「苦労してやっと採算ベースに乗ったかと思われたコーヒー栽培がさび病の蔓延で壊滅」(頁32「クラブハウスの歴史学」)したそうで、コーヒー栽培は再建されることなくマラリア特効薬のキニーネ栽培に切り替えられ、そのキニーネも国際市場価格が暴落したとか。モノカルチャー経済は大変デスネ。

頁38、「オートリキシャの経営学」に、1994年のスリランカのガソリン代はリッターあたり35ルピーとあります。ありますが、なぜそこに付箋をつけたのか、もう自分でも分かりません。当時のスリランカのオートリキシャはバジャジというイタリアヴェスパ製のインド製品だそうで、今はタイと同じトゥクトゥクが走ってる動画をよく見ますので、切り替えがあったのかもしれません。

頁60によると、1993年スリランカは自国の最高級紅茶の国内向け販売を初めて解禁したとか。ただし、生産量の3%まで。それまでスリランカ人の上流はイギリスからの再輸入品(土産の手荷物で持込)でしか高級紅茶を飲むことが出来なかったそうです。モノカルチャーあるある。

本書には南船北馬舎のほかのスリランカ関係の書き手さんも登場します。上記「昼下がりの紅茶学」には『紅茶の本』『ティープリーズ』の堀江敏樹サン、夏目漱石スリランカ条理で食べたカレーは何カレーだったのか追及する「漱石のカレー学」には『あじまさの島見ゆ』『熱帯語の記憶、スリランカ』の丹野冨雄サンという方が登場します。四谷でトモカというスリランカ料理店を営んでいたとか。丹野サンが探し当てた漱石の食べたカレーは「鶏肉のマリガトニー」だそうで、庄野サンによると、この料理はシンハラ料理でなくタミル料理だそうです。

en.wikipedia.org

タミル語ウィキペディアはおろか、全印度諸語のウィキペディア一個もありませんが、タミル料理だとか。

マリガトーニスープ(英国風カレースープ) | 理研ビタミン株式会社 | 給食レシピ | 学校給食用食品メーカー協会

しかも何故か英国風スープというふうに紹介されてるページが多い。中でもハインツのホームページは、悪意のあるサイトだとかなんとかで、セキュリテイーが頑張ってしまい、開けません。ハインツのように有名な食品メーカーのホームページに、そんなことあるのかなあ。

頁92、「ノミの熱帯医学」に八重山諸島マラリア禍が出てきて、よくぞ書いてくれましたと思い、庄野サンスリランカマラリアに罹ったのかしらと思ったら、庄野サンがかかったのはデング熱でした。アラビア語の方言「打ち悩まされた」がデングの語源だそうで(諸説あり)節々や筋肉がムチを打たれたように痛いんだそうです。そのデング熱に庄野サンは四年で四回かかったとか。持ってますね。現地の邦人医師は、四回などありえないと否定したそうですが、庄野さんは独自に調べてそれはありうるとしています。ただ、五回はまだ聞いたことがないそうで、庄野サンの周りは庄野さんにレコードチャレンジを期待してるそうです。こういうふうに文章を〆るのがまさに「スリランカ 旅の雑学ノート」

「サルの動物行動学」は日本人が発見したハヌマンラングールの子殺し、しいてはほかのサルでも頻繁に起こる子殺しの話。「乞食の社会学」にはスリランカにもロマ(ジプシー)がいることが書かれています。ヨーロッパのジプシーの起源がインドであることは知られた話で、だからスリランカのジプシーもインド起源だとか。でもインド人でなくロマ。また、乞食はシンハラ人とタミル人の融合家族が生まれやすいんだそうです。ロマとはそういうことはないとか。インドの乞食に関して、庄野さんは朝日新聞記者吉村文成サンがめこんから1989年に出した『インド同時代』の邦人インド乞食観を引き合いに、堀田善衛『インドで考えたこと』になぜインドの乞食が出て来ないのかを考察します。吉村サンによると、乞食に感動してはいけないそうで、むしろ乞食に恵んであげる方に感動すべきなんだそうです。で、堀田サンが乞食を書かないのは、日本でも乞食がありふれていたから、視界に入って来なかったのではないかというのが庄野サンの推察。乞食に恵む人は裕福でない人が多いそうで、庄野さんは知己の乞食に逢っても笑顔だけで済ませるそうです。いかにも邦人だ。

「女性解放の仏教学」は、仏教は女性差別という近年の評論や論文を否定したい一文なのですが、女性は女性のままでは解脱出来ない、男性に転生してからでないと悟りは開けないという根本問題に踏み込んでないので、雑学ノートそれでいいのか、でした。日本の仏教僧が妻帯して袈裟以外の服を着てスリランカに來ると、破戒僧としか見られないとか。

「巫女の心理人類学」によると、持参金が準備出来ない庶民の間では駆け落ちの多くが親公認、場合によっては母親が背中を押して駆け落ちさせるとか。鮎の放流ではないですが、娘の駆け落ち後母親は一度は落ち込みますが、やがて、娘夫婦が子どもを連れて戻って来る日を心待ちにするんだとか。イイ話。そんなスリランカでは既婚女性も夫の承諾を得て巫女になれるそうです。

頼母子講の金融学」はマイクロ・ファイナンスとしてのスリランカコロンボ女性銀行とバングラディシュのグラミン銀行を比較考察。ユニクログラミン銀行と組んでるとか。

「暗殺の政治学」によると、四月から七月までは熱波でスリランカ人は怒りっぽくなるので、いないほうが吉だそうです。で、庄野さんがインドネシアのバンドンに逃げてるあいだ、大統領プレマダーサと野党党首ラリット・アトラトムダリサンがあいついで暗殺された話。プレマダーササンは下層カースト出身なので、上級カーストの野党が勝ったら、大統領官邸を大掃除して食器を全部取り替えるだろうなどと、まことしやかなうわさがスリランカではささやかれたそうです。で、プレマダーサ在任中はたびたびジャーナリストの失踪や不審死があったとか。

「民族問題の神話学」にはジャヤワルダナ大統領のサンフランシスコ講和条約の演説が出て来ます。これで日本は独立を取り戻したと信じるスリランカ人は多いそうで。仏教再興運動指導者ダルマパーラサンは日本びいきだったとか。一時期剃髪しないで長髪でプロテストしてたそうですが、庄野さんはそこは日本の影響とはしてません。この項では、外見から見分けがつきにくいタミル人とシンハラ人の男性を区別して敵を襲うために、それぞれの民族・宗教欄があって住所も明記されてる選挙人名簿が活用されたとあります。

「混住社会のコミュニティ学」にはケーラという野菜が出てきて、「中華料理で用いられるカンクン」とのことですが、カンクンという中国語は知らないので検索したら、空心菜インドネシアではそう呼ぶとのことでした。ケールとごっちゃになりそうな名前だし、まぎらわしい。この項によると、スリランカいちの大都市コロンボでは民族ごとのすみわけがなく、だいたい混住してるそうです。めずらしい。

「サリーの服飾学」がいちばんおもしろくて、1994年大統領選挙で勝利したチャンドリカ・バンダラナーヤカ・クマラトゥンガサンのトレードマークの青いサリーは、インドの上級カーストが「絶対に着ない」色だそうで、青はいやしい色だからだそうです。それを着て大統領選挙で圧勝してしまうのがスリランカ。この項には、インド式とキャンディ式のサリーの着こなしのちがいが語られ、キャンディ式が上流、インド式はそれ以外ということですが、おどろいたのが、サリーの普及自体が1910年以降の現象で、それ以前のスリランカ人女性はブラウスとサロマ姿がふつうだったんだそうです。つまり男性と同じ。びっくりした。

「日本文学のなかのスリランカ」には、岡村隆『泥河の果てまで』と平岩弓枝『青の伝説』勝目梓『鮮血の珊瑚礁』が出ます。そんなに読んでられないヨーと思いました。平岩弓枝サンはほかにもスリランカを題した小説を書いていて、それはブッコフで購入済み。

「西洋文学のなかのスリランカ」には娯楽小説は出ません。『アジアにおけるいち野蛮人』アンリ・ミショーサンが出たりします。さすが雑学ノート。

アンリ・ミショー - Wikipedia

「内戦後の平和学」によると、政府軍によるタミル人武装勢力制圧は、2009年、イーラム解放のトラが全員死ぬまで攻撃し続けて終わったそうです。イーラム解放のトラはハマスと違って、民間人を盾にしなかった。頁249、スリランカでは内戦の死者より自殺者のほうが数が多かったとか。ふしぎな社会。

なんというか、ユーモアのあるエッセーが多いのですが、旅の雑学ノートなので。でも旅人でなくNPO屋さんであるという。その辺、二足の草鞋とその覚悟が、ちょっとむつかしかったと思いました。エッセー屋サンとして全力投球はちょっと恥ずかしい的なそぶりが、なくもなく。

以上