『ラーメンカレー』滝口悠生 "RAMEN CURRY" by Takiguchi Yūshō "ராமன் கறி" டகிகுச்சி யுஷோ "රාමන් කරි" ටකිගුචි යුෂෝ 読了

スリランカ関連書籍35冊目。庄野護サン『スリランカ学の冒険』*1に、どこの国でも、現地に行く前に関連書籍 / 論文を百個嫁とあったので、行きませんが読み進んでます。図書館で「スリランカ」で検索して出てきたうちの一冊。次に読む予定のスリランカ関連書籍は阿刀田高『一ダースなら怖くなる』(但し、予定は未定)

装画 カチナツミ 装幀 大久保明子 天下の芥川賞受賞作家によるスリランカ関連小説。

books.bunshun.jp

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前半はペルージャに作者夫妻と思われる夫婦が妻の学生時代の知人を訪ねる話。後半は「窓目くん」という、著者の別の著書『長い一日』にも登場する人物の、非モテの哀しみ、つまらない男と遊んでもやっぱりつまらなかったよ… 的ラブストーリー。続編で国際ロマンス詐欺に引っかからないことを祈る、です。世界のハルキ・ムラカミの『羊をめぐる冒険』の続編は『ダンス・ダンス・ダンス』だったと思うのですが、そこで、手タレの女性を殺してしまう、袴田くんでしたか、あの男性が、人殺しなのに読者に同情されてしまう得なキャラなのと同じ印象を、私は窓目くんに抱きました。実はペルージャ探訪夫妻のオットにも似た思いがあるのですが、そこはツマを語らなければ終わらない部分なので、後述します。

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ラーメンカレーというタイトルは本書収録連作のうちいちばん『北京の秋』ボリス・ヴィアン的タイトル(北京も秋も出てこないのに北京の秋)なのですが、『キスしてほしい』や『レイニーブルー』のようなヒット曲ズバリタイトルをまさか単行本タイトルにするわけにはいかなかったようで、かといって『黒米と大麻』のように、ジョイントをただただ巻いて吸って肺にためて、みたいな体育会系各部におかれましては決して真似をしないで下さい的タイトルを持ってくるわけにもいかず、しょうがないのでこれを次善策で題名にした感じです。『スリランカロンドン』がまんまなので、『スリランカロンドン』でもよかったと思う。

すべて「文學界」掲載。

 『すぐに港へ』2018年1月号 "Going to the port immediately."

 『絶対大丈夫』2019年8月号 "It's absolutely okay."

 『黒米と大麻』2019年11月号 "Black rice and marijuana"

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ここから世の中コロナカ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

 『スリランカロンドン』2020年3月号 "Sri Lanka, London"

 『火の通り方』2020年6月号 "How to cook thoroughly"

窓目くんの手記1〉『アッパとアンマのピリピリ・クッキング』2020年9月号 〈Mado-me's notes 1"Appa and Amma's spicy cooking"

窓目くんの手記2〉『ラーメンカレー』2021年2月号 〈Mado-me's notes 2〉"Ramen curry"

窓目くんの手記3〉『キスしてほしい』2021年8月号 〈Mado-me's notes 3〉"I want you to kiss me" *2

窓目くんの手記4〉『窓目くんの手記』2022年1月号 〈Mado-me's notes 4〉"Mado-me's notes"

窓目くんの手記5〉『レイニーブルー』2022年5月号 〈Mado-me's notes 5〉"Rainy blue" *3

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カレーラーメンはよくありますし、近所の街中華のメニューにはカレーサンマーメンすらある。笠原倫板垣恵介の板垣組を好きに使って始めた(のちに両者の方向性が決裂して互いに別の作品として再出発)土下座まんがの栄えある第一回が、カレーとラーメンはメニューにあるがカレーラーメンはメニューにない街中華に、主人公が無理やり土下座してカレーラーメンを作ってもらい、そうまでして食べたのに味の感想は特にないという話で、本書を手に取った時まっさきにそれを思い出しました。

どげせん - Wikipedia

たんじゅんに黒歴史だったみたいで、劇画ゴラク連載の両者合作当該作は電子化されてません。

笠原版。記憶に残ってません。少年画報社刊。

板垣版。ゴラクにて再開。メーキャッパーみたいな話だった気瓦斯。ちがうかな。

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窓目くんの手記になってから、上の余白が増えたので、一行あたりの文字数を減らして頁数カサ増し下かなと思いましたが、一行あたりの文字数を数えるとどちらも41文字で、上の余白を増やした分下の余白を減らしていることが分かります。こういう、無駄な「良心的」は窓目くんが料理人時代修業時代に受けたシゴキやいじめ、要領のいい職人の手抜きやサボリの尻拭いに通ずるところがあるようにも思いますし、一回り年下のスリランカ人女性が、遊びの軽いノリだったのに即本気モードになった窓目くんに感じた「重さ」にも通じたのかと思いました。

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なんとなく波打ってる図書館本ですが、水濡れした感じでもなく、紙質と今年の異常気象の影響もあるのかなと。

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著者の滝口悠生(ゆうしょう)サンは1982年生まれで、作中の夫妻も、窓目くんも同い年とのことです。タメ。タモリ吉永小百合の後輩ですが、「酒つま」の大竹聡サンの後輩と言った方が世代的、生き方的にはいいのかもしれません。ブルーハーツ徳永英明ピンポイント世代じゃないだろうというのは作中でも言われますが、音楽をそんな聴かない人に偶然刺さった曲だった、のかな。まあ、たまやB.B.クイーンズを出されても困るわけですが。今の作家さんは、よく話の中で実在の曲を出して、記憶に残っているのはフジファブリックとなんかハードロックだったのですが、何で読んだか忘れました。ともに彼氏の車の中で聴いた曲という、王道の展開だった。

滝口悠生 - Wikipedia

就職氷河期正規雇用世代ど真ん中な気もしますが、それもちょっとずれてるのかもしれない。

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前半のペルージャ編は、夫と妻の語りが一話ごとに交差して、混淆して、ワケワカメになる作劇上のテクニックを駆使していて、こしゃくな、愛い奴め、と滝口サンのヘビーユーザーなら思うのかなあ、という感じ。頁8で「夫の私の高校の同級生がイギリス人の男性と結婚して」というまわりくどい言い方にずっと引っかかっていて、当初からその鴛鴦交互主人公テクを使おうとしてたわけでなく、デジタル原稿をその方向に倒して細かく主語を修正した時の名残で、「夫の私」なんてヘンテコな表現が出てしまったのかしらと推測したりしました。次の話は妻が主人公なので、「夫の高校の同級生がイギリス人の男性と結婚して」という書き方になっています。

こういうところに惑わされて、イギリス人と言いながらスナク首相やロンドン市長がそうであるように、インド亜大陸血統のイギリス人、スリランカ二世との結婚であることは最初から直球で書かれず、だんだんにわかる構成になっています。というか、ペルージャ編ではそこはそんな興味をひかれず、夫がウィードを吸ってもどうもならない(頁80)のは、ちゃんと肺にためてないからだろうとか、そういう夫と、吸い方を知ってる妻が、タメで、違う点も多いのに、なぜいっしょにずっとやってけてるんだろうと思う疑問点の方に頭がいっぱいなまま読みました。

頁103、コロナカまだやるのもううんざり期の2022年6月に発表された話(頁89に関連記述)では、ペルージャ迄会いに行った学芸大学の居酒屋バイトの知り合いでロンドンワーホリで知り合ったイタリア在住ブラジル人と結婚した女性は夫と子どもを連れて山形の実家に帰り、イタリアでは手持無沙汰な感じでハッパを売ったり中途半端なことをしていたブラジル人夫は女性の父親の工務店でまじめに働き出したとか(いつまで続くかな)同時に夫妻も帰国後些細な感情論の積み重ねで具体的な離婚話をするまでになり、一歩手前であやうくその累卵の危機を回避し、心機一転策の一環として引っ越しをします。これが私は出来ないです。心機一転策の一環としての引っ越しが。ドミトリーみたいな安宿を街から街へと移動する気楽さと、敷金礼金払うアパートの転居の繰り返しは根本的に違う。そとこもりと「生活」の違いと言ってもいいか。

頁104「火の通り方」

(略)おいしい、と妻は夫に言った。あ、このタコ。冷蔵庫にあったやつ?

 そう、と夫は応えた。使っちゃだめだった?

 あとでマリネつくろうと思ってた、と妻は言った。でもいい。これタコ入ってた方がおいしい。タコ入れたくなる気持ちはわかる。

離婚を回避した同い年ため口夫婦の会話として、異様にリアルだと思って読みました。その場にお呼ばれで同席したかった。新居に友人を招いて手作りゴハンを食べるいち場面。どうも作家を反映した夫の妻としてタメっぽさがいまいち感じられず、たとえばナゴム系の固有名詞がバンバン出て夫がそれについていけるような「気が合う共通の趣味、話題」があるような夫婦ではないのかな、世のこうした夫婦はミネタロウサンなんかもそうですが、けっこう妻が一回りふた周り年下が多いので、そうでないタメ年夫婦っぽさを、中央線沿線青春群像でない形で具体的に示してくれるともっといいのに、と思いました。バンチの新連載やPS5の価格で盛り上がるのとはまた違うジャンルで。

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皮ちゃんとかけり子さんとか、一部の読者が「この登場人物は私と同じ名前ですがなぜあなたは私のことを知ってるんですか私のことを監視してるんですかやめてください以下略」という手紙を書かないような名前のキャラクターが多い小説で、窓目くんというのもそうだと思いました。出てくるイギリスのスリランカ人はタミル人(頁70)です。本書の参考文献は明石書店スリランカを知るための58章と彩流社和光大学名誉教授澁谷利雄サンの本で、どちらも私は未読ですが、この二冊を読めばほぼ現代スリランカは分かるのかなというくらいしっかりスリランカのシンハラ人とタミル人の抗争について書かれており、『やさしい猫』*4とはまったく違うスリランカ小説であることが分かります。ウィシュマさん的な話は一切ありません。

頁74、英国統治時代、イギリスが多数派シンハラ人をけん制するため現地官僚にタミル人を重用したこと。頁120、インド亜大陸に広範な後背地を持つタミル人に対し、スリランカにしかいないシンハラ人が、一掃駆逐されるのではという潜在的な脅威を感じていること。ジャフナが爆心地であること。頁121、ロンドンに移る前、アッパ(அப்பா タミル語で父親の意味)は茶畑で働いていたとあり、私の読んだ本ではプランテーションのタミル人はインドタミルで、英国時代支配層に食い込んだ英語ペラペラのスリランカタミルと違って、英語はろくに話せないと聞いていたので、そこだけ違和感でした。

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本書は、イングリッシュ・ペイシェントの作者でバーガー(ポルトガル、オランダ時代にルーツがあるスリランカ人)系カナダ人マイケル・オンダーチェサンが目がない*5というスリランカ料理、イディアーッパ、ストリングホッパーを繰り返し書いています。

頁74

ジョナサンのお父さんがつくってくれたのは、そうめんのような麺にカレーやココナツなどをかけて食べる料理で、団子状の生地を日本のところてんをつくるような器具に入れて押し出すと、出口の穴からにゅるにゅると細い麺が出て来て、薄い円形にまとめたそれを蒸し器で蒸して、それにカレーやなんかをかけて食べる。

この料理は頁130以降「イディアッパ」と呼ばれます。「」が入るという認識がなかったのですが、ウィキペディアでは確かにアッパと書いてある。

ストリング・ホッパー - Wikipedia

頁214でさらに詳しくイディアッパムの作り方について書かれます。長いので写しません。

頁215

蒸し上がったイディアッパムは竹の皿をひっくり返してぺたぺたと皿などに重ねられる。これをサンバルやカレーなどと一緒に食べる。スリランカでは食事というより軽食のような位置づけだそうだが、どこまで厳密なのかはよくわからない。九月に来た結婚式の朝には、アッパの家で朝食代わりに食べさせてくれたし、ほかのご飯と一緒につくって副菜的に並んでいることもあった。

手間がかかるからか、ランチでは頼みづらかったり、店によっては、イブニング、と言ったり、裏メニュー(邦人がサーブする店)と言ったりします。

頁108に「ダルは豆」とあり、シンハラ語だとポリップじゃないかったっけ、と思ってから、この人はタミル人だった、と思い返しました。こないだタミル人の店でモルジブフィッシュのダシのマッルン食べて、モルジブフィッシュの現地名を教わったのですが、シンハラ人の店で聞いた単語と違っていたので、タミル語かと聞くとシンハラ語だと答えられ、わけわかんないと思ったな。

頁114

 アッパがシナモンスティックを手で裂くように砕き、一片を中華鍋に入れた。残りのシナモンをかじっているので、おいしいの? と窓目くんが訊くと、おいしい、とアッパは応えた。シナモンを食べるのは好きだ、とアッパが言った。

今度私もやってみます。

頁126

 トイレに行っていたアッパが戻ってきた。アッパの足音がまたすっすっと鳴る。アッパも裸足だがアンマも裸足で、ふたりとも靴下を履いていない。四月頭だからふだん日本にいるひとは裸足ではまだ寒い。窓目くんもけり子も靴下を履いていた。ジョナサンは裸足だった。ロンドンでは室内も土足の家が普通だが、アッパとアンマは土足でなく玄関で履き物を脱ぎ、室内ではほとんど裸足で過ごすという。裸足に慣れているから寒くないのか。アッパはセーターを着ていたし、ジョナサンもセーターを着ていたが、アンマは半袖で花柄のムームーみたいな服を着ていた。

私も室内では冬でも靴下履きませんが、スリッパを履かないので、靴下が汚れるのがいやだからです。おかげで昔はよくしもやけになりました。また、小野田少尉ルバング島で発見された時、発見者の邦人青年は白靴下を履いていて、現地人は熱帯の屋外でサンダル履きの時靴下なんか履かないので、それでコイツは日本人だと思った小野田さんは撃ち殺さなかったそうです。それで私は屋内では靴下を履きません。撃ち殺されたいのかなあ。

タミル人なのでワダを作ります。ワダには説明があるのですが、スリランカコロッケであるカトゥレットには説明がなく、カトゥレット*6くらい知ってるよねスリランカの小説読むくらいだし、と、作者に試されてると思いました。

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窓目くんオヌヌメインド亜大陸カレー本は下記二冊。頁157から。酒ほそのラズウェル細木サンも本格カレーつくりにはハマったそうですし、沼なのかもしれません。

www.nhk-book.co.jp

www.kawade.co.jp

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35歳くらいの窓目くんはジョナサンの結婚式でジョナサンのいとこの親友の24歳のシルヴィと知り合います。彼女もまたロンドンのスリランカ社会の住人で、イギリスで医学関係に進学出来なかったのでブルガリアに留学しています。ルーマニア人の神秘学者ミルチャ・エリアーデサンはインド滞在中一回りだか二回り下のベンガル人女性にチョッカイ出してオイタ(©東出昌大)した*7わけですが、本書とは関係ありません。頁170によると肌の色は「リッチブラウン」だそうです。セピアに近い色なのかな。

セピア - Wikipedia

私がマレーシアで見たタミル人はもっと黒くて、しかし彫りが深い人が多かったのですが、いま、日本で見るスリランカタミルの人はそんな黒くない。

"xx"がキスキスキスの意味だとか、窓目くんは学びますが、まあ、他们俩根本没有共同语言というやつなので、土台無理があったと。窓目くんは若いころ風俗に狂ったそうですが、そういう人は風俗通いやめても一生そうなのか。シルヴィはノーセックスでふたりの関係を終わらせますが、中国嫁日記のゲツがジンサン(「井上」の瀋陽訛りの北京語読み)から虫歯をうつされたようなことがなくてヨカッタデスネ、かな。二人の北海道旅行を計画する窓目くんがジョナサンから「星野リゾート」を実名で勧められるところなど、笑いました。

窓目くんは接客業むりだと思うので、板前の道をリタイアしてよかったと思います。麻雀のところなど、あるあるだなあと思って読みました。世の中には、この人が飲食業接客業やってるの? と思うような人の成功例もありますが、多くはない。彼の今の職業の、食品加工物の食品原料、マギーブイヨンとかほんだしかつおだしみたいなものの開発に携わる仕事は、あってると思う。そして、そのくだりを淡々と書く作者の筆致は、こういうライター仕事を副業でやって暮らしてるんだろうかと思うくらい安定していました。前世紀末、世界のハルキ・ムラカミは『ダンス・ダンス・ダンス』で袴田くんを手タレを殺した下手人として登場させましたが、21世紀、窓目くんは、生㌔。国際ロマンス詐欺に引っかからないでね、幸あれかし。以上