この人のイスラム社会紹介本*1を読んでいたら、この最初の著作をとても読んでほしい感じでしたので、ブッコフで買って読みました。¥110税込。
カバーデザイン・渡邊民人(TYPEFACE) 本文デザイン・二ノ宮匡(TYPEFACE)
はさまってた新刊広告。平成25年なので2013年。田母神サンがいちばんイキオイのあった時期。翌年選挙に出て落ちるのですが、その後公職選挙法違反に問われて有罪になってしまう。私は、後ろからの銃弾に気をつけろ案件、「右の内ゲバ」だと思ってるのですが、「左の陰謀論」だと信じてる人もいるかもしれない。
本書はおもに三つのパートに分かれてると思っていて、帯のいちばん上に来る上記の部分は、本書では第四章にまとまっています。これは同じことをいろんな人がワックやら何やらで書いているので、同じことを何度も何度も繰り返し聞いていたい人向け。ただ、「朝鮮人生活擁護闘争」1950年兵庫県神戸市長田区役所襲撃事件、1951年兵庫県下里村役場集団恐喝事件、1952年山口県万来町事件など具体的な事件名が出るので、あいまいな言い方で印象操作をするわけでなく、「はっきり言う」というポリシーをちゃんと実践していることが分かります。これについてツイッター(当時)で問題提起した際、「在日外国人の大学教授」に、ニューカマーの外国人も日本人と変わらない待遇が受けられるのは我々オールドカマーが努力して勝ちとった権利の恩恵」と反論バッシングされたそうで(頁180)姜尚中かといっしゅん思いましたが、オールドカマーの大学教授はようさんいてはるので、検索したらクワンガク社会学部の教授김명수サンがすぐ出た。
両者のウィキペディアには記述なし。
帯の下の部分。その流れでこのようにパヨク批判をする箇所もありますが、本文ではそれほど目立ちません。こういうのは拠って立つ根拠がまったく逆だったりするので、「一般論が通用しない」というより「議論にならない」としか言えないのではないかと。本書でフィフィサンも言ってますが、感情論と人格攻撃しかない日本のディベートはディベートではない。なんで田原総一朗はあんな不毛な作業を数十年やり続けたんだろう。前世紀末はまだ日本語のディベートはさかんでなく、日本の大学では英語のディベートコンテストが花ざかりでしたが、そこでの優勝常連クラブのヘッドがああいえば上祐の人だったのは有名な話。彼も日本の既成組織では生きられなかったんでしょうね。あの生き方は賛同されないですが。 …趙立堅バッカーサンのように、日本で「処理水安全デスヨ」と言ってると「飲んでから言え(喝了它再说)」みたいな直球唐竹割りで麻生サンを攻めた中国報道官もいました。そして彼もまた失脚した。
頁60にいわゆる売国批判、自虐史観批判の箇所があり、私の買った本はそこだけ頁が折られていて、前に買った人がチェックした箇所だと分かりました。しかしフィフィサンは親日というより「反日外国人がキライな人」で、かつ「反米」ですので(だから次の本で重信メイサンへのリスペクトを隠そうともしなかった)自虐史観は米国にとって都合がよいから流布普及しているという結論にしています。
頁63
かつて留学先のアメリカで、中国人留学生と仲良くすることができない日本人留学生の友人がいました。私のアパートを訪れた彼女が「南京大虐殺はなかった! でっちあげだ!」と言うものだから、憤慨した私は「帰れ!」と彼女を部屋から追い出したんですね。しかし今思えばあれは歴史認識の違いが生んだ憎悪であって、あの子が悪いわけではなかったはずです。私は歴史認識以前に、彼女の発言が単に中国人嫌いによるものと解釈し、とっさに激怒してしまったんです。
南京大虐殺をたった一言で片づける日本の歴史教科書。中国ではそのことについて、いったい何が教えられているかご存じですか。
こういう記述まで読むと、フィフィサンは親日なのか反日なのか、モヤる人が出てくるんでしょう。もやれもやれ。
この辺になるとネトウヨ批判とも読め、「外国人の私が言うのでなく日本人のお前らも言えよ、当たり前だろ」といういらだちが本書を読むとよく分かります。それに対し、本書の帯のような「相変わらずフィフィ姐さん、正論っすなあwww」(ネットユーザーの声より)で無限ループ。誰か特定の人の推薦文でない理由は分かりませんが、ここでまた匿名の声を持ってくる脱力感。
2022年6月か5月にブラジルタウン大泉に行ったとき、観光協会になぜかチマチョゴリがあって、なぜあるのか聞くと、当該団体の人が来て置いてったとのことで、大泉に在日コリアンの歴史があるのか聞くと、ないとのことだったのですが、太田はスバル自動車の企業城下町で、スバルの前身は隼紫電雷電の中島飛行機ですので、ほじくるとどうなのか分からないかと帰ってから思い、そして再訪時は、山本一太知事がなんか手をうったわけでもないでしょうが、チマチョゴリは目につく場所になく、倉庫にしまわれてました。政治って、ほんとチェスゲームみたいな布石の打ち合いをする時があるので、ふつうの市民生活をただ送りたい人はかかわりたくないです。
大泉のブラジル人の生活保護率も高くて、それは地元が包み隠さず、地元新聞社がまとめた大泉の本*2でもちゃんと取りあげられていて、朝日新聞が「異文化共生」で記事を書いた時も、市長が自分の発言のなかで「いいことばかりでない」と入れ込んで、自分の発言だから記事チェックで削らせないと矜持を見せていました。そういうあれで、あの時移民資料館にチマチョゴリがあったなと、セットで思い出します。
新松戸のウイグル料理店に行った時、同行者はさくらチャンネルで現地公安とのやりとり実況などをリアルタイムで見ていた人なのですが、相手が詳しく話すまで自分からはそのことをおくびにも出さず、ほんとに相手が「親日」か「反日」かがわからないと何も言わないんだと思いました。なぜかは知りませんが千葉県のウイグル人のひとが新党くにもりから神奈川県で参院選に出たり、N國黨とたもとをわかった人がこの店の前で突如アジ演説をおっ始めて、ウイグルのウの字もいわず、不法滞在外国人送還を訴えて、それをなぜかお店に一緒に行った人が私にリアルタイムで通報してきたことがありました。くにもりとN國黨分派の関係は知りません。何が何やらでした(私もその時ヒマで、たまたま別のウイグル料理店に行ったので、こういうことがあって、検索すると演説した人はこういう素性の人らしいよ、ということは告げておきました。在日ウイグル社会に拡散されたかはしらない)
と、いうような経験はけっこういろんな人がしているんじゃいかと思います。本書頁39は、ネトウヨが金科玉条にしてる「親日」って、そもそもナニ?ということを書いてます。まあフィフィサンは反日外国人が嫌いで、それは分かるのですが、「親日」に関して、生身の人間ではありえないような理想的な、絵に描いたモチのような「親日」でないと満足しないネトウヨにもいらだってる、というようなことは1㍉も書いてません。哈哈哈。(そういうネトウヨの人ほど実は人を信じやすく、日本人いい鴨ヨわたし日本語ペラペラ人間が海外でも日本でも寄ってきて面従腹背のおべんちゃらゴマすりをすると、コロッと騙されます。おもしろいくらいたんじゅん。相手を「親日」認定したがさいご、どんなうすっぺらいほめそやしでも真に受けて鼻高々になる。そしてその後の騙され経験が彼をさらなる高次のネトウヨへと飛翔させる)
帯裏全文。
(a)
(略)日本人がディベートを意見の交換の場としてではなく、感情論で相手を撃破するバトルと捉える傾向があるからかもしれません。
(b)
ツイッターでも私のツイートに反論リプライをもらうことがありますが、その中には言葉が汚かったり、私の意見ではなく私の容姿やバックグラウンドに対して否定するものもあります。その程度の意見で議論を続けようとする姿勢に、驚いてしまいます。
(c)
海外では、日本人はセックスをしない国民なのにエロい。ようするにムッツリスケベだと思われています。
たしかし。私は中国人をムッツリスケベだと思っていますが、それはエロを隠ぺいするからで、隠蔽しなければムッツリスケベではない、明るいただのスケベであると思っているのですが、西洋の考え方ではちがうようです。隠蔽してもしなくても、やらなければムッツリスケベ、空理空論の童貞処女(素人童貞含む)のままだったらムッツリスケベ、実践なきエロはムッツリスケベと言われると返すことばないです。
(d)
頁83
(膣炎など感染症の薬の値段や購入しにくさ、排卵検査薬の薬事法改正に触れた後で)母子手帳の制度や出産後の無料健康診断などは、たしかに他国に比べて悪くありません。だが、そういった行政の取り組みだけで育児が楽になると思っている人も多いのです。何か問題があればすぐに制度に不備があったのではないかと指摘をしたり、制度の改良を求めたり、行政任せではキリがありません。
この国に足りないのは、母子をサポートする制度ではありません。社会全体で育児を支えていこうとする意識です。これはどれだけ社会制度が整備されても、補えるものではありません。むしろ日本は税金で十分なくらい補助している面もあるのですから、これ以上のケアを求めるのは贅沢なのかもしれません。
(e)
頁113
東京の電車はとても混みます。ベビーカーをたたまずに乗車する私に、冷たい視線が浴びせられました。(略)ベビーカーをたたんで子どもを抱っこしたせいで、満員の乗客に圧し潰されでもしたら大変です。だからどんなに迷惑がられても、子どもをベビーカーに乗せて電車で帰るようにしていました。文句を言われても、それに耐えるしかなかったのです。
今は各車両にベビーカーなどのスペースがあるので、ちょっとはましかなと思います。上記のような声が多くて、それが国交省に届いたんですね。
待機児童の「保育園落ちた日本死ねよ」もそうだった。行政を動かす方向はむしろやりやすいような。
これがポテサラ論争だと、相手は行政でなく社会(の一部構成員)なので、侃々諤々で簡単に捏造説まで情報発信されてしまうという。
この記者の名前、水無田気流のほうがすごいと思いました。一回こっきりのペンネームじゃないとは。
(f)
頁116
置き手紙だけを残して夫は出ていった
(略)その後、息子は私の手元に戻ってきたものの、(略)
何度も離婚を申し出たものの、それは突っぱねられました。しかも当初は一家の主としての経済的な義務もはたしてもらえなかったので、私の生活はかなり追い込まれてしまいました。
離婚できる人のほうが楽ですよ。母子家庭は手当が受給できるし、保障も受けられます。子どもを一人で育てながら、家族のサポートもなく(略)かなり厳しいです。(略)
主人がうちを出て行った当時は、その原因がすべて私にあると、両親や姉妹にずいぶん責められました。(略)それでも仕事をこなさなければいけないし(略)
子どもを取り戻すまでの期間は一人ぼっち。(略)
すごい話で、フィフィサンに関連検索ワードで「夫」が出たので見ると、検索結果の中に夫の在日韓国人疑惑SNSが当然のように入っていて、それもすごい話。根拠あるのかな。そっちに曲げればいいというものなのか。社会全体で育児を支えていこうとする意識のほうには、いきませんねなかなか。
(g)
頁91、フィフィサンはさほど公立校でいじめられなかったのですが、姉は立派なヤソキーで、フィフィサンはその姉にキレて「恥ずかしいんだよ!」とタイマンを挑みます。その後、母親に激怒され、姉が盾となり壁となって、妹たちを不良から守っていたのに、なんちゅうことをするんやと諭されます。米軍軍属子弟でも、中国残留孤児の連れ子でも、そういうことあったと、フラッシュバックしました。
頁220、フィフィサンの妹はさらに庇護されたのか、クラストップレベルの成績で、薬剤師の国家資格も取得して、邦人と結婚し、セレブとして高級住宅地に住んで名門幼稚園に息子を通わせるのですが、今度はセレブ妻たちの陰湿ないいじめに遭い、息子を連れてエジプトに帰国してしまいます。日本の教育よりエジプトの教育を選んだ。社会全体で育児を支えていこうとする意識のほうにいくどころか、という話。
と、いう具合に、本書は(い)ネトウヨ受けする話、(ろ)自分史(占い師と、子連れキャバ嬢を目撃する箇所が白眉)と、(は)エジプトの話、フィフィサンによる独自視点の「アラブの春」解説(マスゴミと違っててオモシロイという人がどれだけいたかは知りません)で構成されています。要するにムバラク政権は売国政権で、親米従属主義が行き過ぎて弊害腐敗が極まっていたので、民衆が立ち上がったのだ、と。代官山のエジプト大使館もアラビア語が話せないような邦人職員を採用してエジプト人を雇用しないなどしてオカシイ、と。ギロッポンの中国大使館はむかし、一般受付電話をぜんぶQ2ダイヤルにしてガッポガッポ荒稼ぎしていましたが、キンペーチャン時代なら厳罰で死刑ではないでしょうかね。パスポートの更新も、ほんごくですれば七年更新が数千円の手数料、日本でやると一年更新で三万五千円、腐ってる、と。頁141。
当時のエジプトを歩くと、頭にはヒジャブをかぶりながら、ヘソ出しルックの少女たちが繁華街を闊歩していたそうで、久しぶりに里帰りした高校生のフィフィサンは、「ミスルはどうしちゃったんだろう」と嘆いたとか。この箇所を読んで私はふたつ思いました。(1)そういうフィフィサンはヒジャブかぶらないじゃん。次の本でそれにも反論してますが… (2)アラブの春、解放で浮かれて屋外で踊ってた女性がふと気が付くと暴徒に囲まれ乱暴されたなんてニュースが数年後まあまあ出ましたが、タリバン叩きと同じで、西欧による反西洋つぶし、ネガキャンの一環で女性抑圧、女性への暴力のニュースが出るのかなあと。
頁154、エジプトでは敬意をもって扱われてるハッカー集団アノニマス、という箇所。彼らを模倣して同じガイ・フォークスの仮面を集まりでかぶったりする、とか。
(h)
次の本に出てこないイスラム社会描写として、婚前契約の厳しさがあります。
頁199
このような結婚に対する義務から逃れたい無責任な男性ほど、国際結婚に走りやすいといわれています。(略)日本の女性はイスラムの国でモテると聞きますが、これも理由のひとつなのかもしれません。
帯。そんなネトウヨ受けする部分多いかなあという気が。ケント・ギルバートやオソンファ(呉善花)サンの本のほうが多いと思います、その手の話は。
五年後の本の帯も同じ写真、と突っ込むのはヤボ、です。たとえアマゾンの表紙写真が帯なしだとしても。
フィフィサンの芸能界入りはたまたま上京時電話帳をめくっていて外国人専門の稲川素子事務所があったので、電話をかけてそれで、という話で、稲川素子さんがマッカーサーに恩を感じていたことは知っていたのかどうか。ウィキペディアを見ると、この後二度ほど所属事務所をかえています。最初に水着NGと書いたら受付が明らかに興味をなくしたと頁111で書いてますが、OKと書いたらどんな仕事をまわしていたのか。
頁240、声を上げる役目迄、親日外国人にやらすな、日本人がやれ、としごくまっとうなことを書いています。だから、「がんばれ」はいらんねん。もうがんばっとんのやし、あんたらががんばりなはれ。社会への不平不満も過度なものではないし、反日なのになんで日本に居座ってるのという矛盾を指摘することこそ「おかしい」ということを当たり前に言ってるということだ、だとか。まあ人格攻撃でもすりかえでもないし、そりゃそうかな。まあでも何を言っても「相変わらずフィフィ姐さん、正論っすなあwww」(ネットユーザーの声より)で終わりなら、さびしいかな。
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百
円
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った本だからもっと楽に感想書けると思ったのに、やはり手間取りました。はやくすらすら要点だけ書けるようになりたいな。以上