『いちょう団地発! 外国人の子どもたちの挑戦』読了

 装幀者未記載 

いちょう団地発!外国人の子どもたちの挑戦

いちょう団地発!外国人の子どもたちの挑戦

  • 発売日: 2009/09/29
  • メディア: 単行本
 

 町田のカンボジア料理店に置いてあったので知った本。ほかに置いてあった本は、在日コリアンの女性の人が書いた本が数冊だったかな。そっちは、特に今読むべきとも思わなかったので読みませんでしたが、これはいちょう団地ということなので、じゃあ読もうかと。近隣の図書館に蔵書はないのですが、リクエストすると、愛川町の図書館蔵書が来ました。考えてみれば、愛川町も、なので。町田のカンボジア料理店で見たこの本は、多少年季が入ってるように見えましたが、図書館蔵書はぴかぴかです。

この本のアマゾンレビューは、読後に読むとけっこうぞっとしてなくて、登場する子どもたちによる著者への個人崇拝がヒドいと星ひとつのレビューは口を揃えて言ってるのですが、本書にそういう箇所はなくて、印象操作じゃんこれ、と思いました。

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岩波のソフトカバーには気をつけろ、とはかねがね個人的に思っているところで、『中国温泉紀行』『村に火をつけ、白痴になれ』なども、何故天下の岩波がこんな本を? と思ったのですが、この本は、正面突破の、堂々たる怪書、もしくは快書です。自分たちの試みによる社会変革の野望を、隠そうともしていない。チョン・セランの小説を読むたび、韓国にはまだ、竹を割ったように素直な社会変革へのまなざしを持った書籍や人びとがあるんだなあ、日本は斜め読みやシニカルな見方が蔓延してるし、自分もそれを持っている、と思うのですが、本書は、ひさびさに読んだ現在進行形の、社会改革の本でした。といっても十年も前の本で、舞台となる公営住宅じたいが、行き場のない独居老人に解放されたことで、一気に人口バランスが上に振れ、少子化で小学校も統合され、限界化を将来しつつあることは同じいちょう団地を舞台にした二年前の他の本(これも岩波のジュニア新書)で読んだのですが。

団体名の「すたんどばいみー」がひらがななのは、けっこう外国人児童はカタカナが読めないからだそうで、邦人運営スタッフからして、設立当初それを初めて知り、「そうなんだ」という感じだったとあります。頁vii 

で、本文では、この組織名は「ばいみー」と略されて登場することがほとんどで、ベトナムバゲットサンドのバインミーに似てるし、ラオス語と同類項のタイ語でよく「マイミー(ไม่มี)」というその「マイミー(ไม่มี)」に似てるし、クメール語スペイン語は分かりませんが、中国語について考えると、シャオミーならぬ「白米饭」のバイミーは連想しないので、中国語には似てないと思います。で、本文中には、ひとことも、ベトナムバゲットサンドの"bánh mì"を連想するなんて書いてません。二重構造。

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頁5 

 しかし、ここで注意しなければならないのは、「子どもたちが集まり、自分たちのやりたいことを考える」場は、一方ではベトナム人の子どもたちが集団化していったように、やり場のない日本社会への憎悪を醸成するような場として、一層子どもたちを社会から排除していく装置となる可能性もあったということである。そうならなかったのはなぜか。 (以下略)

 こういうくだりが、指導者の功績自慢で不快とレビューされてるとしたら、なんらかの利害関係者のレビューかもとも思ってしまいました。著者がいちょう団地と関わり始めたころ、既に支援団体は四つあったそうで、しかし本書にはひとつしか登場せず、従来の「支援」のメソッドの特徴とその欠陥みたいなことがべらべら分析されてるので、ひょっとしたら敵がいるのかもという推測は可能と思いました。いるかいないか知りませんが… 

話を戻すと、憎悪云々は、いちょうのベトナム人のそれは知りませんが、東京の東側でかつて澎湃として起こった、チャイニーズドラゴン、白竜をはっきりと想起しました。従来の日本社会の暴力構造に対しあれほどまでに抗争を挑んだ(とされる)存在は、他地区の外国人社会にも影響を与えなかったはずはないと思います。

またあとでも書きますが、本書に収められている声のうち、当事者の外国にかかわりのある児童と同世代の日本人の声に、ちょっとぐっときてしまいました。

頁166

しかし、彼女は去るときに「壁を、感じるんだ。でもね、この壁は私が乗り越えなくてもいい壁だと思う」という言葉を残した。 

 これは、時として日本人へ鋭くとがったメスを突き刺そうとする、外国にかかわりのある児童の声に、見事に対応してると思います。こう言ったからといって去らなくてもいい、去らないという選択肢もあったと思います。でも去った。以下後報

【後報】

本書は複数の執筆者によって書かれており、それぞれのコラムには肩書が書かれていないため、虚心坦懐に読めるといえば読めますし、巻末の執筆者一覧をみれば肩書が分かるので、あーこの人は大学のセンモンカで、この人は「単なる」ガッコウの、それも義務教育のガッコウのセンセイなのね、と、レッテル貼りしながら読むことも、やはり可能です。子どもたち、の人は、みな、自分でそう名乗って書き始めてるので、当事者と分かります。年少から年長へと流れてゆく構成のようです。アテンドされる立場で気楽に参加するだけならいいが、それを支えるスタッフは苦労ばかりなのでやりたくない、という自助グループみたいなィヤングのコラムから、社会に出て働き始め、母国で、お見合いなのかな? 配偶者を見つけて日本で新婚生活を始める、『小蓮の恋人』いちょう団地版みたいな実録まで、さまざま。各人物は、他のもののコラムにひんぱんに登場します。長老格の「ティン」という人物は、あちこちに出ますが、本人が書くパートはかなり後で、母国語を学ぶためベトナムに短期滞在した経験を踏まえて、"Truyen"というベトナム語の名前を併記してるので、そこで初めて、「ティン」って、"Truyen"て書くんだ、と、私は思いました。トゥルーイェンとは読まないんだと。

この団体のホームページを見ると、わりとそのまま中心的な人物がそのまま現在も立場を引き継いでいるようなので、そうなると上下関係の固定化、年功序列の問題が出てこないかとか、外野が気楽に言うな、汚れ仕事を引き受ける人間が現れないから引き継げないまま世代交代も難しいのではとか考えられんのか、とか、いろいろあるんだろうなと思いました。

本書は、編者が岩波書店の編集に博士論文から見てもらってて、子どもたちの文章も、その日本語を、どこまで「誤り」で、どこまで「個性」か、一つ一つ相談しながら手を入れるか入れないか模索したそうで、とりあえず中国人に関して一切簡体字は使ってないのですが、ホームページを見ると、「卯金の刀」は簡体字にしてるのに、〈丽〉は使ってないとか、その後の変遷の理由を知りたい人もいました。

頁116

(略)活動に関わり始めたころ、同じ外国人でも、自分にとってすたんどばいみーにいる外国人の子供たちはまるで違う世界の人のように思えた。当時のすたんどばいみーに来ている子供のほとんどは日本生まれや小さい頃に来日した子供が多い。その時、私から見ても日本語を自由に話しているこの外国人の子どもたちは「うまくやっている」ように思えた。

 しかし、勉強を教えてみると、話すことに支障はなくても、学校の勉強になると学年相応の問題を解けないし、国語になると文章が読めない、意味が読み取れないなど、勉強の基本的な知識でさえ身についていなかった。なにより、ばいみーの教室で暴れたり、大声をあげて叫んだりして、落ち着かない様子だった。また外国人の先輩たちと勉強をせずに、ひたすら家や学校のことを吐き出すように話している子供もいた。「うまくやっている」ように見えた外国人の子供たちを目の前にして、自分はどんな言葉をかければよいのか、どうすればよいのかまったく分からなかった。同じ外国人でありながら、今までまったく違う道を生きてきた私はなにが言えるのか。そのような思いが胸に詰まって、毎日家に帰るときは自転車を漕ぎながらただただ泣いていた自分がいた。 

上の文章を読んで、光景が目に見えるようでした。頁78に、金子みすず「みんなちがって、みんないい」や、「共生」「多様性」をお題目として唱えれば唱えるほど、実態はそこから遠ざかってゆく、という手厳しい批判があります。教室でいじめが見つかるたび、「みんなちがって、みんないい」が出るそうで。頁127に、外国人問題は日本人の問題、というテーゼが飛び出ますが、それを指嗾したのは外国人の当事者で、よくいる左巻きの教育評論家ではないという。これが本書の、ネトウヨからしたら傲岸不遜ともいえる、イニシアティヴ奪還の試みともいえる、特徴なんだと。これまで、こうした「支援」のニーズは、「支援する側」の都合によって決定されてきた。教えるほうの都合で教室の曜日・時間が決められ、ボランティアの自己都合で去られたりした。それに対し、当事者から、助けろよ、困ってんだからよ、困ってんならどこが困ってんだか箇条書きにして要領よくまとめてくれないと効率よく助けらんないよ、そういうのが出来ないと社会に出た時困るのは自分よ、とか言うなよ、でも助けろよ、というものがいて、それに対し、身内から、いやそれはちがうだろという声があり、なんだよ仲間だと思ってたのにそっち側なのかよ、いやそういうわけじゃないよ、という会話が出来るということなのかな、ぐらいの漠然とした感触が、本書を読んで得られたものです。そのくらいややこしくて、難解でした。「常識を、疑え」というのもありふれたキャッチコピーで、実践するのはしんどいことくらい誰しも承知してるのですが、でも実践してるんデスカ、どうして? という。

…この活動は、支援者が、支援団体を立ち上げて、支援者の思惑の中だけで支援活動を行うものではなく、利用者さん、否、当事者たちが、自分たちで支援者を見つけて、たえず支援者を募集して、じぶんたちが必要とする支援につなげていこうという、かつてイリイチの提唱した脱学校の双方向を彷彿もさせ、クラファンの時代を先取りもした、パラダイムシフトなのではないかと思いました。編者が、教育社会学の学徒で、絶えず、自分の研究のための「搾取」が自分と子どもたちの交流の中に含まれていないか、PDCAサイクルを回してる感じなのも分かります。

頁112

(略)「これ、中国語でなんていうの?」…「△△△」、「すご~い、日本語うまいね、バイリンガルじゃん~二つの言語話せて羨ましい~」くらいで「仲良く」付き合う。

 どちらもありきたりの外国人の在り方であり、日本人からすれば普通の外国人の在り方で、「都合のよい」外国人であろう。失礼かもしれないが、私もそのどっちかの外国人でありたかった。 

 こう書き写してるだけで、「そんなに日本が嫌なら国に帰れば?」というネットによくある書き込みが脳裏に浮かんできます。頁106に、「日本では二十歳になってから年金を払わなければならないが、外国籍の場合、支払いの通知が来ない。二、三年後かに気付いたときには、何十万円も支払っていないこととなり、日本を生活の基盤にする際に日本人との大きな差となる」と書いてあって、へーそうなんだ、と思いました。通知が来ても払わない日本人も多いと思います、という意見は、上記のネットの声に近いのだろうか、それとも遠いのか。

下記は、編者とは別の支援者の執筆。

頁191

もうすでに、子どもたちは私の背後に留まってはいない。受けて意味のない勝負はうまくかわし、受けて立った方がいいとなれば負けがわかっていたとしても、その存在を相手に見せ付けて帰るというように、かれらはいつの間にか勝負の仕方を学んでいっている。今、「当事者団体」として、明確に日本人に「あなたたちはどうするのか?」という課題を突き付けるに至ったかれらに、(以下略) 

 本書のあとに、インバウンドの外国人観光客大量流入とそのコロナによる停止の現在があるわけですが。インバウンドの時代に、当事者の声が聴きたかったな、と、少し思います。

本書はさいごまで、この団体の今北産業的な説明をしませんでした。その意味でも怪書。私がかつてシンポジウムで専門家から聞いた、エスニックグループは棲み分ける、という学術的一般論と相容れぬ、公営団地のよってきたる性格からきた重層的多文化混在環境の生み出した現実を知ることが出来た点でも好書。十年前、確かにこういう青春があったという記録の意味でも良書だと思いました。私は貧困について語る声を持ちません。そして。以上

(2021/1/4)