『流民 悲しみはメコンに流して』在日インドシナ流民に連帯する市民の会編 "Ryūmin : Kanashimi ha Mekong River ni Nagashite" edited by Zainichi Indochina Ryūmin ni Rentaisuru Shimin no Kai 読了

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流民に冷たいことは難民に冷たいことにほかならない。 流民に無関心でいることは難民に無関心でいることにほかならない。 そして難民に冷たく無関心でいることは、アジアの友に、 さらには人間そのものに冷たく無関心でいることにほかならない。

はすみ以降の視点からこういうの見ても、もうなんていうか、むなしいだけ。アジアの友って、カイジみたい、としか思われないかも。

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私は、家族をバラバラにした戦争が大嫌い。日本は平和で自由な国、絶対に戦争をしない国であると聞いて、憧れてやって来ました。その日本で、今はまだ仮放免の身で、完全な自由はありません。しかし、私よりももっと恵まれない流民の人たちが苦労しています。 1980年4月23日仮放免された陳美蘭さん 論創社 

はすみ以降以下略 この一連の読書感想で、初めてこの人の写真載せたんじゃいですかね。

日本の古本屋でたまたま見つけて、値段が手ごろでしたので買いました。

流民 : 悲しみはメコンに流して (論創社): 1980|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

私のスキャナーはベンダサポート切れで、スキャンソフトがそれ以降使えなくなり、ウィンドウズスキャンに自動的にスイッチしてるのですが、ウィンドウズスキャンは、鮮明にスキャンするとさしさわりがあると思うのか、なんかスキャンしてもぼんやりで、それで最近は写メを読書感想に載せてたですが、この本は、いろいろちゃんとスキャンしたかったし、古書店で買った本だし、ということで、コンビニでスキャンしました。一時期USBフラッシュメモリが、なんかアンチウイルスソフト込みで売られていたりと、使い方がよく分からず、コンビニの機械ではスマホかUSBに保存以外ではスキャン出来なかったので(私はCDロムに焼いてほしかった)コンビニスキャンはやらなかったのですが、なんとなくイオンでUSBフラッシュメモリを買ってコンビニでスキャンして、パソウコンに移すという行動をしたら、出来たです。ふつうに。

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友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。

入ってたハガキ。ガラスのうさぎの作者は二宮とつながりが深いですが、病身を押して支援に加わっていたとか。本書は全352ページのうち、頁246から頁348までが「資料」と題した邦字紙と英文紙の報道そのまま掲載で(英文は会のひとが邦訳)そのへん著作権的に、大学の論文でもアカンやろうのに、商業出版物で、おそらく全社に許諾とったわけでもなかろうのに各記事全文掲載なので、それがネックなのですが、そこにはイーデス・ハンソンの名前も見えます。上智大が旗振っていたこともあり、「連帯する市民の会」という、現代からするとパヨク的な名前ですが、かなりキリスト者が活動の中心にいたんだなと。

執筆者は弁護士サン一同、安藤神父ほか、全員当事者(と思います)批評者とか知識人は、いないかな。

たぶん、北ベトナムが勝ってインドシナ三国は共産化で平和になったはずなのに(米帝の絆、否、くびきからはずれて)なんで難民大量発生するデスカ、という疑問に、パヨクの人が正面切って答えたがらなかったから、キリスト者が人道の旗をかかげて表に出てきたのであろうと。その辺は、佐々木譲『真夜中の遠い彼方』のバーのやりとりにも登場します。主人公がベトナム反戦運動をしたのは、人のためでなく、自分のためであった。そのことにおいて、今、難民を助けることと、自分としてはなんら矛盾はない…

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論創社という会社は、『吾レ龍門ニ在リ矣』(小倉芳彦著作選2)を出してくれたので、それだけでいい会社だと思ってます。これはいい本だった。

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横浜入国者収容所 YOKOHAMA IMMIGRATION CENTER MINISTORY OF JUSTICE

当時もこんな本を出してましたという。

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こんなにしっかりしたまとめ本があるのに、どうしてプラ・アキラ・アマローがこの本の三年後にまた本を出す必要があったのか。

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アマロー師の本では、陳美蘭サンのラオス名がギンナワン・ウォンタビーと書いてあるのですが、本書では、それはまったく出ないです。大和の定住化センターも、出ないですね。アマロー師の本は、どこかよそよそしいというか、熱がなくて、その場にいるのに自分を空気のように書いていて、読んでいて不満だったのですが(佐野眞一やら沢木耕太郎やらのような熱がなくて冷めている)本書の当事者たちの記述があって、それを客観的に書こうとしてどこか他人事のようになってしまったと考えてもいいのかなと思いました。例えば、ボランティアの日本語教室に当初は流民たちも顔を出していたが、やがて一人も来なくなったという個所。これを、ボランティアの邦人学生が、自由を満喫する自分たちと、経済的にも法的地位についても(ということは医療もなんもかも)明日をも知れない潜伏者としての彼らとの溝が結局は越えられなかったと自壊している(頁169)以上のことをどう書けばいいのかという。教室に来れば来るほど、自分の境遇が再認識され、バイトと寝るだけの生活に気晴らしが得られるどころか全く反対だったという。これを、イギリスで語学学校に通いながらアルバイト生活していたアマロー師がどう見ていたか、想像に難くない。アマロー師も英語教師にカチンときてたりきてなかったりだった。

アマロー師が書いてない件で、ある難民の母親がミンクのコートを着ていた件が出て来ます。おそらく陳美蘭の母親謝少珍サンが香港から娘の裁判に出廷するため来日した時の話であろうと。頁161。ここを書いた支援者の女性は、自身の抱いている難民のイメージとかけ離れたその身なりにショックを受け、資産を一切合切持ち出す金持ちもいるから、難民にも貧富の差があって、高価な衣類や装飾品満載の難民もいようと頭では理解するも、なんで自分は難民問題にかかわってるのかなー、と引いてしまったそうです。私は「流民」という言い方と、それがあらわす実質的な経済難民不法滞在者問題は、福建省からの偽装難民船でいちど瓦解したと思っていて、その萌芽がここだったと思っています。こうしたひとつひとつにゴッツンしたキリスト者たちが、福建からの偽装難民に自らの理論武装をすっかり突き崩されたとして何の疑問もない。台湾に行ってことばの通ずるアモイなど閩南語話者でなく、ことばの違う閩北語話者、福州人たちが、どこに行って稼ぐかで、やはり日本を選び、どうすればより容易に入国出来るか、策を練った上で編み出した偽装難民という戦法。

アマロー師も船戸与一佐々木譲も触れてたような、新宿のラオス人流民同士(ポン引き)の殺傷事件に本書も触れていて、頁59です。本書ではラオス人でなく、ベトナム華人カンボジア華人になっています。手首を切り落としたので別名「手首事件」と呼ばれていたとか。八坂神社の前で青龍刀で腹を切られて腸がだいぶ出た福建省同士の事件には名前はありません。

 頁22に、1980年当時の話として、日本政府の難民経済移民受け入れ政策を批判したある外国人記者が、日本は難民を「いたたまれなくする氷のような社会」と形容したそうで、まあ現在のネトウヨの人は「上等」と返すでしょうけれど、その記者が、サウスチャイナモーニングポスト紙だったそうで(1980年5月12日付)最近のバルサ所属フランス代表選手の「後進国」発言の語訳震源地も同紙だったな、となんとなくメモしました。

本書後半部の死霊、否、飼料、否、「資料」の、1980年4月12日のサウスチャイナモーニングポストのドナルド・カーフ記者の記事の邦訳で、陳美蘭女史の母親名が「陳シューチュン」となっており、この母親を夫と同姓にしてしまうようなばかものが同紙にいてばかな記事を書いていたのだなと思いました。ホワウェイの、カナダで捕まった女性幹部が、人民解放軍幹部でホワウェイトップの父親姓を名乗らず母親の姓を名乗ったような例外もそりゃ広い炎黄の子孫世界にはあるでしょうが、とりあえず陳美蘭サンの母親は謝サン。

著作権的にはどうなのと思うんですが、この「資料」部分の記事はやっぱり面白いです。入国者収容所の食事が三食天ぷらで、華人は脂っこい食事に慣れてるという先入観がありますが、陳美蘭サンはまいってしまうとか(共同通信19800419)振袖で写真撮って和風に成人式を祝った流民女性のひとりがボソッと「(パスポートの)台湾へ行って結婚した方がいいかな」支援者のひとりが「結婚に逃げちゃだめだ」とか(痛快!布マスク新聞19800422)この支援女性は、人を刺した花柳幻舟が保釈になってなんでメイランさんは自由になれないの、そこが分からない、と言っていたとか。比較対象がすばらしいです。

なんでラオスからの華人ばっかり流民裁判に引っかかるかよく分かりませんが、陳美蘭事件に並んで類書で取り上げられる林健振事件、この人の場合は漢語名でなくラオス名のアンパポン・プウゲン事件となっていて、台湾のパスポート名は林静でまたまた別名というややこしさなのですが、この人の場合、戦火に巻き込まれる前のラオスで在ラオス日本人から日本語を習っていて、ラオスが平和な時代に一度ラオスのパスポートで日本に来ている。政変後またラオスのパスポートで来日してビザの延長が降りず、今度は台湾のパスポートでやってきて川口署に捕まる。入管は台湾に強制退去させようとするも弁護団ラオス難民を主張して(国連難民高等弁務官事務所の難民証を所持)、この本に載るさいばんになると。この人に日本語を教えた在ラオスの日本人って、けっこうキーマンなんじゃないのと勝手に思いました。小説ならそこを膨らますか知れない。

辻政信だったらどうかなと思いましたが、彼が東南アジアに行った日付と合わないでしょうし、動機がない。そういうことで。

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六百五十円の送料三百十円で青梅の古書店から買いました。たぶんダイナミック・プライシング、変動相場制です。

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写真・前川 誠 装幀・林 佳恵 カバー・京美印刷

以上