笹倉明『東京難民事件』船戸与一『東京難民戦争』と来て、こうこなければウソだという佐々木譲『真夜中の遠い彼方』を、識者の方のブログを羅針盤に辿りついて読みました。
左がスコラノベルズの表紙で、右が角川文庫の表紙。どちらもカバー 辰巳四郎。その後また角川は表紙を変えたようで、電子版公式を見ると下記。
作者のオウンネーム表記が、"Jō"、"Joe"、"Joh"と変化してるのもご愛嬌。私はずっと「ゆずる」と読んでました。シズル。
新宿で十年間任された酒場を畳む夜、郷田は血染めのシャツを着た女性を匿う。監禁された女は、地回りの組長を撃っていた。一方、事件を追う新宿署の軍司は、新宿に包囲網を築くが。著者の初期代表作。
このカドカワサイトのレビューで、「ヤーさん、警察、不法滞在の外国人が出てきて…の作品でドンパチやらバイオレンス系描写メインではない方向へストーリーを持っていけるんや〜と感心した。」とあり、そのとおり!千両役者!と膝で手を打つ作品。もともとジュヴナイルとして書かれたはずなのですが、主人公はセクトからも逃亡したであろう30代のオッサンで、大人になれないオッサンの子守歌、と言ってしまうとFAなのですが、それがどこまで読者の心にここちよくするっと忍び込むのを許せるか、的作品。良薬、口に苦し。
角川文庫解説は松田政男。どっかで聞いた名前だと思ったら、河出の現代アラブ小説全集のパレスチナ作家カナファーニーの巻の解説で、光クンのパパが、泣きながら弾劾してた人でした。ここで言う光クンは太田光ではありません。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
光クンのパパは上記河出全集出版前に、アジアアフリカ作家会議のよしみで、日本・アラブ文化連帯会議の東京集会で講演しようとしたところ、参加したアラブ側にエジプシャンが混じっていたので、「親イスラエルで反ソのエジプト参加断固ハンターイ!」と松田しゃんらが乱入してフンサイを試み、肝心の集会の目玉のパレスチナ人が、エジプト人を追い出すならアラブは一心同体、我々も退席させてもらう、と帰ってしまい、よって粉砕は完遂、大江千里、否、大江ケンザブローの人は「永く忘れられぬであろう恥を広くさらし」松田政男の「悪意の深さに感心した」と書いています。
そういう人が角川文庫の解説で、靖国通りのO書店はよかっただの、新刊と思ってスコラ版買ったら『真夜中の~』の改題でギャフンどしたんえ、とか、本書に出て来る店で変わらないのはスーパー「エニイ」のみで、ゴールデン街とはまた違う、某映画監督夫人がどうのこうのの、舞台となった通りはもう再開発されたとか(しかしコマ劇場まで消えるとはミスターMMも予想出来なかったと思います。そして風林会館の健在も)書いていて、さすがにプロなので、上記レビューがまさに逆で、当初はこういう穏やかなものだった新宿異邦人ジャンルが、大沢在昌(生島治郎の舎弟、在原業平)『新宿鮫』から馳星周(深夜プラスワン)『ブーイエチョン』へと、ブーストにブーストを重ねて過激残酷路線に走って、それでも現実に追いつけなかった歴史を概観しようとしたけどめんどくさいのでやんぴ、みたいな文章を書いています。先行した集英社文庫の解説が香山二三郎だと記載してくれてるのは吉。
新宿サメは真田広之、ブーイエチョンはカネシロタケシ(ジンチョンウー)で映像化されてますが、本書も若松孝二監督原田芳雄主演「われに撃つ用意あり」で映画化されており、若松孝二の縁で松田政男解説だったようです。
https://www.hulu.jp/ware-ni-utsu-yoi-ari
スコラ版の著者近影。ハゲてないのに写メしたら禿になりました。ふしぎ。
松田政男解説に、スコラ版で著者があとがき書いていて、そもそもが、彼の作家デビューの年の1980年に、高田馬場のパブで"CHANG PATI"と書くラオス人の美少女と出会ったことが作品の契機だとあり、スコラ版も読めたので読んでみると、作者にとって初めて出会うインドシナ難民で、
スコラノベルズ 平成八年 頁259
「ごめんなさい。日本人とは、あまり話すなと言われているの」
そうして、会話を打ちきったのだった。
気になって、数日後に同じ店に行ってみた。酔っていない状態で、もっと話をしたいと思ったのだ。
でも彼女はすでにやめていた。(略)店のほうはいかにも迷惑げだった。(略)不法滞在者を雇用していたとはおおっぴらに認めることはできないはずだ。知らない、という以上の答えは返らなかった。それからしばらく、わたしは高田馬場、新大久保近辺の似たような店をずいぶんまわってみた。見つからなかった。
(略)
さあそれが、一九八〇年のことだ。それから四年、わたしは日本にいるインドシナ難民についてずいぶん勉強し、取材し、新宿周辺を歩きまわった。(略)
そして八四年に書き上がったのがこのサスペンス小説だ。繰り返すが、それでもまだこのとき、新宿の「国際化・アジア化」は、萌芽でしかなかった。隠れていた。水面下にあることであった。(以下略)
下はスコラノベルズ版の辰巳四郎イラスト。左がグレタ・トゥーンベリ、否、本書主人公のベトナム華人難民メイリンで、右が、映画では桃井かおりが演じた、ナブラチロワとリサ・ライオンの同時代人で、どこか労働団体の事務局に勤めていて、機関紙の編集をしていて、酔うと議論をふきかけるくせのある烈女です。たぶん。
この読書感想の英題はてきとう。「ありふれた夜」は、ユージュアルナイトにしたかったのですが、何故かムンダンになった。
シアターΧ(カイ)|新宿のありふれた夜|東京両国の演劇芸術を中心とした劇場
2019年にジャニーズジュニア主演のお芝居になったようで、考えるに、死んでしまったジャニーサンという人は、こういうの、好きだったと思います。
〈ここから、『真夜中の遠い彼方』〉 1984年11月大和書房刊。1987年3月集英社文庫。1990年映画化。集英社の版が切れるや1992年3月天山文庫。で、1996年1月にスコラノベルズで改題再刊。1997年10月角川文庫。
もびたさんのエッチ!
大和書房版表紙 装幀 市川英夫
王道だと思ったのが、逃げてくる少女をかくまい、庇護し、助けるというストーリー。ススキノ探偵にもそんなのがありました。というか、逃げてくるというではなく、逃げる、主体の少女の視点からの描写が交錯するくだりが、ぞくぞくするほどよかった。
頁119
リンはその野次馬たちをかわしながら駆けた。荒く息をつきながら、死に物狂いで駆けた。
動揺する頭で、リンは考えた。
どこへ逃げる? どこへ隠れる?
新大久保に知り合いが働いている中華料理店がある。高円寺には難民救援組織の事務所があった。四谷にはカトリック系のやはり難民支援組織が。代々木のラオス料理店の店でも力になってくれるかもしれない……。
だめだ、とリンは首を振った。
自分は今夜、歌舞伎町でひとつ約束がある。歌舞伎町を離れるわけにはいかなかった。この街から遠ざかるほうがはるかに安全であることは承知しているが、でもやはり離れるわけにはいかない。
しばりがあるんですね。素晴らしい。危険を冒してでも歌舞伎町でやることがあるという設定が、いやがおうにも盛り上げ役に一役買ってて、見事だと思いました。モデルとなった女性と出会った高田馬場だと、早稲田の方にキリスト教の場所がありますが、そこはわざと出してない気がします。
丸ノ内線の改札横の地下道にずらっと並んだ旅行会社のブースという、既視感にアタマがクラクラしてきそうなかつての新宿の風景。映画幻魔大戦に、東口の乱立する映画看板(その下でクスリの売人が立ってたりした)が、砂漠化で荒廃する絵がありますが、それと同等のクラクラ感でした。
右は頁85。主人公が働いてて、退勤後待ち伏せして拉致られた中華料理店のある要町は、甲州街道の難民救済のラーメン屋と混同してましたが、違いました。頁219の「海老焼き横丁」は、検索しても出ませんでした。
250CC以上のバイクは夜11時以降都内の繁華街に入れないって条例、今でもあるんでしょうか。どうもこの界隈だと、ホットロードの漠統は知りませんが、書店に戸井十月絡みの族の写真集や竹の子族の写真集が売られていたり、戸山公園で夜、ティーンズロードの撮影会でもしてたのか、とっぷく着た若者たちを並べてパチパチ撮ってたりを見た記憶があります。
頁13、五十八歳の部長刑事にとって、六日に一度の宿直日、24時間勤務が休日に重なると、ロクに仮眠もとれないので、そろそろ身体的にキツくなってきた、というくだりはウンウンとうなづけるのですが、この人が伝説の刑事で、清廉でありながら、どんなヤクザにも一目置かれてるという設定は、いささかファンタジーでした。ジュブナイルだからかな~、また、こだまひびきの「そんなやつおれへんやろ~」が聞こえてくる。
「流民」というキーワードで検索すると、上智の神父さんも、東京難民事件のラオス人陳美蘭も画像のみ出て来るのですが(後者は不鮮明)この単語を本書では「るみん」と読ませていて、「流人」と響きがかぶるから、その点でも定着しなかったんだろうなあと思いました。不法滞在、経済難民とどこちがう、という点ももちろんあるとして。
流民っく・わーるど。新宿るみん。小柳流民子。
頁103
「難民と流民はどう違うんです?」
「簡単に言ってしまえば、タイあたりの難民キャンプにいったん収容された人たちとか、船に救助された人たちが日本政府のいう難民なのね。でも一方でとにかく自力で脱出して、第三国の旅券などを手に入れてしまった人たちがいるわ。難民として認められるよりも先に、日本で新しい生活を始めてしまった人たち。そんな人たちが、いわゆる流民なのよ」
「その場合、難民としての保護はされないんですか?」
「そうなの。日本政府は難民とは認めない。(略)そういう人たちをただの不法入国者、不法滞在者として収容所に何年も収監し、さんざんいたぶ(略)旅券の発給国へ送り出してしまうのよ。それもたいがいの場合、出国費用は本人持ちで」
この、本人持ちかどうかは、邦人の緊急帰国でも似たような話があって、天安門事件のときは本人持ちのジャルの正規料金。新型コロナの武漢脱出の際は、その時の反省も踏まえてのセカンドフロアー裁定で一転無料化するも、帰国時の検査や隔離の義務*1を振り切ってさっそく第一便で強行帰宅者が出たのは衆知の事実。
天安門の頃は、アカの國に留学したり貿易したりする連中を、国費で帰国させるいわれはないと思ってたのでしょうが、物価が安いから留学してた連中は、カツカツだったので、生命財産の危機に瀕しての緊急帰国なのに、正規料金を請求してくるというのは、欧米のロハに比べると、冷たいなあと思ったです。しかし、逆に、武漢のコロナは、日産はじめ大企業の駐在が多いでしょうし、省都の物価ですから、日本と変わらんかもしれないので、びんぼう人がそんなにいない前提で、運賃ひとりひとり持たせてもええんちゃうと思ったです。実際に、検査も隔離も拒否する御仁がさっそく出たし。
話を戻すと、ワケアリ難民申請者に対する、期限を切らない長期収容は、法改正されなかったので今でも変わらないですが、難民申請なんかしない、ただたんにオーヴァーステイしただけの、越語でボドイというのか、逃亡技能研修生などは、ぜんぶ捕まえてたら収容所がいくらあっても足りないからか、仮釈放という名の野放し、という認識なのですが、それで正しいかな?
頁203
「旅券の発給国っていうのは?」
「華僑系の難民なら、台湾の旅券を手に入れるのは簡単なの。台湾も自国民であることを証明するため、というよりは、その華僑がべつの国に入国しやすいようにと、便宜的な旅券を簡単な手続きで発行してるわ。一回だけ国境を越えることができるっていう条件つきの旅券ね。つまり、早くよその国へ行って戻ってくるなってことよ」
「台湾以外では?」
「東南アジアの国々って、日本ほど管理社会が進んでないの。パスポートは金で買うことができるわ。そういう旅券を手にして日本にたどりついた難民たちの数も少なくないのよ」
(嘘のパスポートです)
たしかリンはそう言っていた。
(タイに国籍はありません。嘘のパスポートなんです)
作者の人は、エトロフ、ストックホルム、ベルリン、鉄騎兵、それぞれ読んだような読まないような感じです。プラ・アキラ・アマローのように早くから直木賞とって後は出家の人もいますし、2010年直木賞というのもまた乙なものかもしれないと思いました。
頁104
「流民の取扱いをめぐって」と律子は続けた。「いくつかの裁判があって、連中の硬直ぶりがいろいろ糾弾されてね、その後多少入管の態度も変わってきたの。でも変わったというニュースを聞いて、隠れ住んでた流民が定住許可をあてにしていざ出頭してみると、やっぱり即収監、強制送還ってケースもあったのよ。だからまだ日本政府の善意など期待しないで、地下にもぐって暮らしている流民は多いわ」
プラ・アキラ・アマロー師の『東京難民事件』よりはるかに手際よく整理されて、簡潔に記述してある、と思ってはいけないかな。「どっちが先に直木賞獲ったと思ってるんだよ」という話ではなく、アマロー師のほうがはるかに駆け出し時点の作品で、かつ奔流の中に身を投じていたっぽい点(客観的になりにくい)が違う、と言えるので。
本件の設定月日は六月二十五日土曜日で、なんでユギオなん、とちょっと思ってます。コリア・ウォーから戒厳令下の光州事件などいくつかの特異点時、玄界灘を越えてきた「密ちゃん」たちが法務大臣の特別決裁で永住許可をもらってきた歴史と、ボートピープル以降の国際的な難民の渦に巻き込まれた日本との間に、あえて表面的に何の連環ももたせない何かへのメタファーかもしれません。わかりにくいけど。六月二十五日が土曜日になる年は、1983年がそうだったそうで、本書は1983年に起こったこととして考えてよいと思いました。
本書は難民少女がヤクザに目をつけられる話ですが、笹倉明も船戸与一も、難民少女が街の不良に目をつけられる場面を描いており、やっぱり元事件あるんだろうかと思ってみたりです。ラオス難民同士が歌舞伎町で殺人事件の件は、本書も笹倉明も書いていて、書き方はややことなります。
頁182、北ベトナムによる統一後ボートピープルがあふれた事実について、かつてのベトナム反戦シンパで反米親共のチミタチはどう考えるんだ、という会話があります。こういう場面は絶対必要だと思います。スルーせぬよう。
本書、なかなかこれで古びず色褪せないと思いました。骨子となるロジックがしっかりしてるからでしょう。ドイツのジュヴナイル『誰が君を殺したのか』を初めて読んだ時、う~んと思いましたが、古いとは思いませんでした。それに似てます。
店名「カシュカシュ」の意味を判らないまま読みました。
頁151
「気障な名前をつけるね」
「ぼくがつけたんじゃない。最初の経営者がつけた。フランス文学の好きなインテリだったらしい」
「カシュカシュ」は仏文でなく、寺山スーズの国語ブンガク『田園に死す』の仏語タイトル"Cache-cache pastoral"でしか見つけられませんでした。この部分、ミスリードを誘ってるわけでもないと思うのですが。
Cache-cache pastoral — Wikipédia
かすかす。かすうどん。
最後に、雇われマスター克彦サンが、いったいどういう運動にかかわって頭カチ割られて新宿の住人に助けられ、以降新宿の片隅でくすぶってモラトリアム生活を送っていたのか分かりませんが、そこからの鮮やかすぎるリア充生活への復帰が、いやいやこれ無理だろうと思いました。
ルバング島の小野田寛郎さんやグアム島の横井庄一さんは発見され帰国しましたが、現地に土着した旧皇軍兵もたくさんいた。という事実は、それはそうなんですが、戦後はやや違うんではないかと。
西木正明が、戦前アラスカに土着した旧日本軍の密偵の足跡を追いながら、自身もアラスカに妻子を得、しかし彼らは日本での生活に馴染めず、自身はアラスカに骨を埋められず、という、誰がモデルなのか小説を描き続けたことを思い出します。海外に骨を埋める日本人は戦後も多くいたでしょうし、角幡唯介『極夜行』でその存在を知った、大島育雄さんなどはその最たるものだと思うのですが、克彦サンがそこまでの覚悟を持って海を渡って、初志貫徹出来たのかどうか。
私は、そこはメンヘラ、否、メルヘンであってはならないように思います。
本書は事件発生日時をユギオに設定してるので、「われわれは明日のジョーである」連中の事件も意識してる気がします。だから国外逃亡。この人たちが、配偶者がすべて同国人であるのは、彼らが北朝鮮人民と恋愛したりお見合いしたりして、通婚して子孫を残すことを庇護者たちが嫌ったのかしら、と思う時があります。混ざることを認可しなかった。
そうやってよど号妻をめとって子孫を残しても、妻子を日本に向かわせたり、自身も返りたいと地団太踏んだりするような展開、矢作俊彦『ららら科學の子』の主人公のように日本に帰ってしまう展開、その余地がないことを読者に明確に提示してくれたら、スッキリして読み終えれたと思います。そこだけ残念閔子騫。というか、本音をいえば、彼女をさわやかに送り出して、自身は自身で、新宿なりその他の日本なりで、新たな一歩を踏み出してくれた方がよかったかなと。ないものねだりですみません。以上
【後報】
橋本治、兵藤ゆき、ジェームス三木、佐々木守… 何処を目指したのか大和書房のイヤングなんとかシリーズ。
(2021/6/25)
*1:義務でなく要請でしたかね