『四十代、今の私がいちばん好き』"Forties, I like it the most now" by Michiura motoko 読了

四十代,今の私がいちばん好き - 岩波書店

四十代、今の私がいちばん好き (岩波書店): 1994|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

道浦母都子とは - コトバンク

1994年のエッセー集。なので、大阪中華学校で日本語を教えたこともあり、現代歌人協会訪中団として三度中国を訪れた彼女の、ロクヨン絡みの心情吐露など読めるかと思って借りましたが、やはりここにもありませんでした。本当にすごいな。ここまで訪中の歴史を修正するか。

あとがきあり。巻末に初出一覧。

装丁=高麗隆彦

半島帰り世帯だったことからのコリアン世界へのまなざしは本書にもあって、頁16には李正子サンが、その伊賀のサテンのヒーコの味と共に登場し、頁171には、千里ニュータウンでお一人様暮らしを始めたもっちゃんの人の行きつけの店二軒中一軒に、金時鐘のパートナーのお店が出ます。その人、姜順喜(カンスンニ、本書ルビママ)さんの出身はキョムサンナムドで、店の味は甘口の日本人向きだそうですが、「お手製の朝鮮料理」と書いてあるので、韓国出身でなくナムチョソン出身と考えればいいのかしらと思いました。

中国はなあ、頁162「アジアの町の匂い」1992年発表で、大阪はソウルや上海の持つ匂いを喪失してしまったと書いてるのと、頁189の1993年エッセーの自作の歌で、北京在住の知人が日本大使館勤務となって来日する、という歌があることくらい。そんな友人がいるのか、というか、それだからこそ、秘して黙して語らないのかもしれません。この頃、中国大使館は一般向け問い合わせダイヤルをQ2回線にして、さかんにおコズカイの徴収に余念がなかった。あと、頁56に、「カラコルムの虹」というエッセーを書いてますが、これはカラコルムハイウェイではなく、アウターモンゴリアの地名だとか。

下は林真理子さんの故郷、山梨県に移住した時の文章。

頁6「二人の孤独、一人の孤独」

 だが、壊れかけている人間の関係が、たんに環境や生活の形態が変わったからといって、そうそう容易に修復されるものではない。

本人が変わらない限り、転地療法に意味も効果もない実例。

頁60

  さまよえる社会主義かも今世紀終末にして滅ぶ主義かも

ここまでは書けるが、”社会主义市场经济好!”批判は出来ないという。

頁114、桐山襲の思い出を語っていて、最初は桐山からの接近だったそうで、「とにかくうれしかった。と同時に恐くもあった」と書いてます。第二の風流夢譚が怖いのなら、天安門もそりゃ恐いかなと思いました。

桐山襲 - Wikipedia

本書の後半には、湾岸戦争をめぐる記述も見え、湾岸戦争は作者にとってタブーではなかったことが分かります。別にそれまで中国にかかわりがなければ、天安門事件書かないのも不思議でないのですが、それ以降中国自体をテーマにしないという形で逆説的に表現していると考えないと、このガン無視はなかなか理解しがたい。

頁101に、屠畜場で働く歌人の歌を紹介していて、これが本書でいちばんはっとする歌なのですが、その人の名前ですら仮名で、どうもその辺、本人と打ち合わせしてそうしてるわけでなさそうなのが、なんか雑だと思いました。歌はいっぱい紹介していて、どれも衝撃的なのに、なぜ世に広める手助けをしようとしないのか(というか、本人がどうしたいのか確かめもしない)

作者が永田洋子についてたびたび言及してるのは読んで分かってましたが、頁153、坂口弘についても書いています。大別すると二種類の歌を詠んでいるそうで、事件を素材とした歌と、生活心情の歌。

頁153

 正直いって、私は坂口作品のうち、前者の流れに属するうたの多くにあまり共感を覚えられずにいる。彼の今置かれている状況、立場、それらを十分考慮に入れた上での感想である。むしろ、作品としては稚拙で、坂口弘なる作者名がなければ、一首として自立した短歌とは成りえないのではないか、そう、感じるケースがしばしばである。

 このことは、坂口さんが投稿歌壇の入選者の常連となり、注目を集めるようになって以来、短歌総合誌の時評欄などでもたびたび論議の的となった点である。

坂口弘 - Wikipedia

もっちゃんのしとも同じ朝日歌壇出身だからチビシーのか、どうか。相手によってはちゃんといえるわけなので、天安門について、いつか何か言うつもりなのか、墓場まで何も言わないつもりなのか、知りたいと言えば知りたいです。

頁185では、フェミニズム関連のシンポジウムで、自身の歌の、「精神の娼婦」とは誰を指すのかと鋭く突っ込まれた際、「堕落した主婦族です」と、そう答えたら会場的に回すだろうなと分かっていながら答える場面、後年、岩波現代文庫の解説で、カルチャーセンター短歌教室の名講師と言われる姿とはちょとちがう、と思いました。本書が異様なまでにおっぱいにこだわるのと、ここは表裏一体ではないでしょうか。

dic.nicovideo.jp

もっちゃんの人は、与謝野晶子を読んでもおっぱい、上田三四二を読んでもおっぱい。なんだかなあ。豊胸手術の悪影響でシリコン除去しても漫☆F画太郎先生の描くBBAのようなしなびたおっぱいになりますので、あまり主婦とのおっぱいの優劣について思いつめなくてもよいと思います。以上