『アホウドリの韓国ノート 1987年夏』"The Albatross' Notebooks of Korea. Summer of 1987" 読了

アホウドリの韓国ノート : 1987年夏 (現代書館): 1987|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

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装幀者記載なし。日本の古本屋で買いました。

1987年、ソウル五輪前年の夏に、著者は昭文社のガイドブック作成と、毎年恒例の日韓合同ハンセン氏病ワークキャンプのため韓国を訪れて、その時のメモとスクラップを、現代書館の村井三夫という人に見せたら、そのまま本にしようと言われ、そうなったとか。

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韓国の人びとの温もりと厳しさを皮膚ハダで感じ、拾い集めた旅のディテールが、そのまま本になった。

同人誌業界隆盛の主原因となったオフセット印刷なのかどうか、写真製版的な本がラクに安く作れるようになったことが背景にあった感じです。本書のようにハングルの多い本を、デジタル化以前に文選工が一字一字拾って活字本にするなど、日本では気の遠くなるような作業なので、やり手編集が、一気に手書きをまんま写真製版でノシてしまへ、という。来年オリンピックだからなんでんかんでん売れんべ、みたいは。ので、読んでいてそのまま、日本と同じような街並みなのに、看板等がぜんぶハングルでハングル酔いを起こす、あの感覚が味わえます。

阿奈井サンは奉仕園等でハングルを学んでいたわけなので、ご本人の手書きハングルが至る所にあり、例えば頁92には、胎教と書いて、横にわざわざ(태교)とハングルのルビを振っていたりします。

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そうかと思うと、歌の歌詞をぜんぶ書き写して、訳も載せてみたり。頁36。

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食堂のメニューなんかも、そのまま写したりしてます。チラシやチケットを糊で台紙にスクラップする際、ウラの文章を手書きで横に添えたりもしてたみたいです。そう、ウラオモテ両方残すとなると、ビニルシートに入れるわけで、量はかさばるわ動いて安定しないわ、かといっていちいち片面コピーして両方貼るほどの熱意と細やかな心はないわで、旅のスクラップをちゃんとやろうとすると、ここで挫折し、完璧に出来ないならあとはどうでもええわになる。

ご本人のハングル能力は、頁346によると、辞書を引き引き新聞の見出しが読めるレベル、会話は三分以上続くと頭が痛くなってくるそうで、私の漢語よりマシな感じと思いました。漢字はラクです。漢字とアルファベット以外の文字の中では、ハングルが群を抜いてやさしいと思いますが、あいてがたに日語話者が多くてレベルが高かったし、在日コリアン華人とちがう。

本書にはほかの人のハングルも数ヶ所載っています。下は頁190、ワークキャンプの韓国側チラシ。これ、すごくきれいなので、日方のハングルかもしれません。

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下は頁135、プサンのサ店で働いてる女の子に街を案内してもらって、いろいろ書いてもらったうちの一ヶ所。邦訳は添えてなくて、私もなんだか分からず載せます(カッコの中の、アナイアジョッシ、だけ読んだ)あまずっぱい文章だったらどうしよう。文字自体は、出たよネイティヴの手書き、という感じ。阿奈井サンも「ハングルのマル文字?」と書いてます。

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下はキョンジュのガイドの人が書いた漢字名と住所。頁63。이름でなく姓名なのは、自分でそう書くのもへんなんだろうと思うだけですが、〈地址〉でなく「住所」なんだなと、今読んでてぼんやり思いました。

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アナイサンは喫茶店が好きだったようで、もちろんアガシのいるタバンでなく、コーヒーショップのほうのキッサテンで、だいたい店名が横文字で、クラシックや洋楽、ポップスが流れている。そういう、同時代性というか、似た趣味を感じる場所に行くと、ほっとするのは、とてもよく分かります。頁38「레인(レイン)雨」、頁67「토담(土壁)」、頁92「소멜리아(ソメリア)」検索するとソマリアしか出ませんが、字が違う、頁128「라이락(ライラック)」頁157「애취(愛酔)」「브라암스(ブラームス)」頁295「시몬(シモン)」

また、食事は好きなピビンネンミョンをよく食べていて、後は韓定食とか日式とか。日本から引き揚げてきた板前さんと歓談する日韓あるあるも分かりますし、どこにでもあってサクッと食べれる麺類で食事の決めごとを作っておくと、後がラクだというのも分かります。

頁326に慰安所ややせこけた少年たち、モンゴルのような外套を来た男たちに銃をつきつけられる写真記事の切り抜きがありますが、なぜかここはロクに説明がありません。で、そのあたりの歴史に関する記述はここと、もう一ヶ所か二ヶ所だけです。ページ数覚えてませんが、客が日本人だってことが分かってるのに寡黙なタクシーの運ちゃんにたどたどしいハングルで教科書問題について聞くと、突然流暢な日本語で、自分はサイパンに徴用された、だから何をしたか事実が分かる(具体的な話はせず)日本にもそうした人間は多いはずなのに、なぜ口をつぐんでいるのか、と言われます。

前半の五月から六月は昭文社のガイドブック作成のための取材旅行で、済州島から慶州、木浦、釜山、大田を巡ったもの。五月スタートなのに「夏」ですが、韓国人が豪語するように、チェジュドは韓国のハワイ、日本に沖縄があるなら韓国にはチェジュドがある、と、沖縄戦と比較した火山島のような小説の事件を踏まえた上ではないでしょうが、また張り合ってキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! と邦人が思う、そうした状況下ですので、「夏」です。後半のハンセン氏病定着村etc.ワークキャンプは、フレンズ国際労働キャンプというそうで、検索すると、まだ日本の西日本の大学なんかの団体が出ますが、"FIWC"という名称で大きなくくりのが、出ないです。創始者のピエール・セレゾールという人や、ワークキャンプ自体は出ますが、フレンズ~となると出ない。フレンズインターナショナルというカンボジア支援の法人が出ますが、関係なさそう。

Pierre Cérésole - Wikipedia

Workcamp - Wikipedia

Friends-International - Wikipedia

前半の同行者は本橋成一というカメラマンの人。頁251に写真が載ってますが、最初その写真は、根本敬らの韓国旅行記である因果鉄道に出てくる、「イイ顔の親父」かと思いました。というか根本敬のその本が、趣旨はちがえど、つくりはそっくりで、なんらかのスジはあるのかなと思います。

本橋成一 - Wikipedia

というのも、この本橋成一サンが東中野青林堂の二階にポレポレ坐というキッサ店を開き、その店開きの時に現代書館の村井三夫サンにアナイサンはスクラップを見せ、それで本製作の運びとなっており、階下が倒産分裂ネトウヨ支配になるはるか前の、さくらももこがキャラ名に全員つけた時代のガロだったのなら、似たようなつくりの韓国本が出来る素養はじゅうぶんにあったと思うからです。ポレポレは今は映画館で有名ですが、BOX東中野が閉館したのを引き継いだとか、株式会社だけど1円起業の時代だったからか資本金八万八千日元だとか、そういうのを今公式で読みました。

https://pole2.co.jp/intro

http://pole2za.com/profile

その本橋サンによると、アナイサンは「恐怖の紙切り男」だそうで、チマチョゴリとは関係ありませんが、とにかく旅先で新聞やら雑誌やらを切り取ってスクラップするんだそうです。ので、本書はそのスクラップまんまですから、新聞や雑誌の切り抜きがチケット、パンフといっしょにそのまま随所に貼られています。当然版権ウヤムヤやったもん勝ちの世界。当時もう韓国は海賊版撲滅してたのかなあ。まだ翻訳等の相互の約束(약속)ごとが決まってなかったナイス混乱期だったのかどうか。その辺かなりケンチャナヨ(の日式解釈)です。

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「シバジ」で主演女優の人がヴェネチア映画祭主演女優賞を獲った時の記事。

シバジ - Wikipedia

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オール日本ロケをうたったピンク映画(あちらは日本より映倫は厳しいはず)私も日本絡みの韓国ピンク映画観たことありますが、タクシーの運転手(司机)が女性客を襲う実際の事件の反映とか、いろいろあって、今なら嫌韓テンプレそのままになる韓国儒教マチズモに溢れていた気がします。嫌韓とか関係なく黒田福美もエッセーにそういう事例はやっぱり書いてますし、私自身も実はそういう話を知っていて、生涯忘れないです。

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これも北海道がどうとか映画。狙った恋の落とし方とは関係ありません。あれもちゃんと見てないなー。

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この女優さんは誰かほかのしとの韓国本でも読んだ気がします。関川夏央ではないかったはず。

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戸田郁子「ウッチャ通信」がまるまる載ってるページ。やはり親交があった。

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デモ隊と機動隊の攻防の一面記事、ストライキの一面記事も多く載っています。この頃、これを見て、なんてこったと思った人が、同時代のビルマとか、二年後の北京天安門とかも見てるわけですが、さて、民主化等の未来は、変えられるのでしょうか?「国による」のでしょうか。私が見た韓国デモ隊は、やっぱり職業活動家というか、写真を撮るとすぐ非難してくる、組織化された人たちで、日本の場合はよく似た名前でわけの分からないオルグ合戦洗脳合戦内ゲバ合戦をして、公安の手のひらで踊ってジリ貧縮小再生産でしたが、そうはならなかったオルタナティヴなサハの未来という気がしてます。というか、火炎瓶の作り方等をデモで習って、その後徴兵でマシーンになりつつ配備によっては交通整理なんかやってヨロクがあったりする社会の秩序というのが、かなりありかたとして日本と違うんじゃいかなと。

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催涙弾。私もソウルを歩いていてぐうぜん周り全部機動隊に囲まれた時、催涙弾出るんかと相当焦りました。

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コロナカでマスクが入手困難、ではなく催涙弾の余波。今ならヤラセとネットで騒がれる気もします。

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これもコロナカのマスク入手困難でなく、催涙弾回避。左に市街戦みたいのの写真がちらっと入っていて、そういう武闘フォトが、たくさん本書にはありますが、この感想では引き写しません。

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さすがに水平発射の場面は記事にならなかったのか、本書に収めてません。ナナメ射撃。漢語の〈熬夜〉でなく日本語と同じ「徹夜」だったり、上の記事の「一進一退」も、分からないではないけど、〈拉锯〉〈时好时坏〉でないので、今でも両国語の距離はこれくらいなんだろうかと思いました。現在では漢語由来のことばが力を増してきてるのかどうか、知りたいです。

何度でも思いますが、この二年後に天安門なんですよね。

翌年のオリンピックを前に、こうやってバンバン韓国では民主化のツメを煽ってたわけですが、それがまるっと中国で通用しなかったというのが、非常に虚無感のある現実で、ページを繰るたびに思います。

光州事件とかの時代でなく、その一周回った後の時代のデモと激突。それでも日本とは、やっぱり一周くらい違いがあるのかな。ワークキャンプの若者も、1987年なら、青田買いの時代ですし、肩パッドでワンレンボディコンの時代で、そろそろバブルの頃だったので、参加者に「ダサい」について語らせると止まらない気もします。少なくとも、就活でこうしたボランティア経験がプラスとして聞かれる時代になるとは誰も思ってない。21世紀まで十年ちょっとなんですが。

負傷者やその死亡、追悼やら、文化として泣き叫ぶ近親者の写真も多く載ってますが、上に一枚貼るだけにします。これも自分としては、天安門との比較の意味です。

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 本というものがそのうちになくなってしまうだろうという人がいる。そうなると読書人はどこに行くのだろう。作家というものはどうなるのか。  『アホウドリの韓国ノート』は本と言えば本とも言えるけれど、もはや本のわくをはみだしている。これは歩く本である。これを手にとる人は、本とともに歩く。ともに歩くうちにあなたは日本人のわくをこえて日本人を見る日本人になる。  二十五年前、作者は私のところに毎週昼休みに文章をもってきた。最初は韓国でそだったころの思い出。やがて、「歩く」という長い紀行文。その二つがこの四半世紀の間にたえまなく成長し、合流してこの本になった。  アホウドリ万歳                                鶴見俊輔

鶴見俊輔のこの発言は、帯にしか載ってないので、帯付きで買えてよかったです。中にはない。このへんのやりとりを、アナイサン本人が回想したのが『脱走米兵とベ平連』で、そっちを先に読んでいたので、この本もすんなりおちました。根本敬の本と似たつくりになってしまっているのだけ、なんかやだなあと根本敬に対して思いますが、ほかは特にありません。以上