装丁・装画 鈴木千佳子 原書のあとがきと、訳者あとがきあり。
韓国での表紙は水晶。登場人物のひとりに鉱石が好きな人がいて、そんな場面があったからだと思いますが、誰だったか、「おもな人物紹介」を見てもぱっと思いつきません。キョンアの息子さんだったかな。
10万部突破のスペシャルエディション表紙はバースデーケーキ。
정세랑 신작 장편 『시선으로부터,』가 10만 부를 돌파했습니다. 아직 『시선으로부터,』를 읽어보지 못한 독자들에게 기분 좋은 연말 선물이 되기를 바라는 마음으로 새해 에디션을 선보입니다.
— 문학동네 (@munhakdongne) 2020年12月23日
2020 올해의 한국문학 1위(알라딘)
2020 올해의 책(교보문고, 예스24, 알라딘, 조선일보, 문화일보) pic.twitter.com/8hACaZuUYA
韓国の「文学トンネ」というところ(検索してません)のウェブマガジン連載で、コロナカの連載だったようですが、いつからいつまでだったのか、ちょっと書いてある個所がぱっと思い出されません。
フィフティ・ピープル同様、群像劇です。
とあるゲージツ家家族の、生成と、将来的にはゆるやかな消滅を見据える、といった話。
舞台がワイハー、ハワイで、韓国にも写真花嫁があるとは知りませんでした。写真花嫁という方法で、朝鮮戦争の戦火を逃れてハワイへ脱出する難民がいたという出発点からして、初耳。
帯。女系家族です。しかし、娘たちはやっぱり最初は父姓を名乗っていて、夫はドイツ人とマレー華人のあいだに生まれた人で、LeeならぬLeighというみよじなのですが、娘たちはそれが韓国ライズされて「イ」姓となり、下の名前もドイツ名でなくコリアンネームです。それで父姓と言えるのか、少々悩みました。アーネスト・サトウの娘が佐藤でも父姓継承といえるのだろうか。次女は、なので、法改正後、母姓のシム(沈従文*1の「沈」)に変えています。イップマン4に出て来たヴァンダ・マーグラフみたいに、父姓なら下の名前も父方の言語の名前にならないかと思う。
帯裏。てなことを書き連ねたかったのですが、ハングルの中国人への蔑称、「チャンケ」が出てきて、それを調べ始めたら、どつぼにはまって、感想じたいが書けるかどうかというくらいぐるぐるしてます。〈掌柜〉由来説でいいと思うんだけど、もう一つの説になると、またどんどん検索し出してしまって、という。ので、これも後報です。やりたくなかったけど。
【後報】
頁138
「(略)だけど、うちのクラスにお母さんが中国人の子がいて、その子をみんながチャンケ(中国人への蔑称)って呼んだんだよ。それ、悪い言葉でしょ。ジスちゃんたちも十六分の一ぐらい中国人なんだってね? 怒らないって、ありえないでしょ」
ジスちゃんたちの母方の祖父はドイツとマレー華人のダブルなので、1/16。こういう、何分の一とかいう話になると、私は必ず自裁した鷺沢萌が1/8を無防備に吐露していた頃を思い出します。あと、北野武も、祖母のひとりがそうだと言っていた。
この箇所の「中国人」の原文はチュングクサラム(중국사람)だと思います。で、私は「チャンケ」という言葉を知らなかったので、検索しました。
짱깨の意味:中国人を侮辱的にいう言葉 _ 韓国語 Kpedia
짱깨(チャンケ)は、韓国で中国人を侮辱的にいう言葉。19世紀末、中国人が韓国に移り住んできた際にお金を管理した入れ物、궤짝(クィチャク)を管理していた店主という意味の장궤(チャンクェ)に由来する、という説がある。中国からの出稼ぎ労働者や移民が多く、そのような人たちを軽蔑的にみる人が使う傾向にあると考えられる。때놈(テノム)という蔑称もある。
テノム、때놈は、「垢奴」という字を当てるそうで、入浴洗顔手洗い等の全方位で、この手の習慣がコリアンから見て非衛生的な漢族を貶める言い方と理解しています。私はこの言葉を中国朝鮮族から教わり、のちに2ちゃんのハンボードでも見たことがあります。ある山東の女の子が来日して日本語学校で一緒になった韓国人留学生と同棲開始後、食事の前はテーブルをこまめに拭くなどの韓国式きれい好きをDVまじりに教えこまれ、強要された話を聞いたことがあります。しょっちゅう手が出てたらしい。テノムの「テ」を、ハングル「垢」でなく漢字の「大」だとうそぶいて、中国は大きいから「大奴」ナンデスヨ、ケンチャナ~とかてきとうにぺらぺら書いてるブログを見たことがある、というのは以前書いたかな。大は「때」でなく「대」
話を戻すと、上のサイトの、〈掌柜zhanggui〉語源説は私にはすごく説得力がありました。この、「ジャングイ」ということばは、上田トシ子『フイチンさん』にも頻出なので、知ってる邦人も多いと思います。ただ、在満邦人の系譜と中国人ネイティヴとではどうもニュアンスが異なっていて、『フイチンさん』での使われ方が現在の〈老板〉、北京語でラオバン広東語でもローバン、シャチョーさん、ボス、ご主人、的な言い回しなのに対し、中国人に「あのしとはジャングイか」と訊くと、どうも日本語の「番頭」に相当する地位を〈掌柜〉(かつての旧社会のそれも含め)と呼んでいたです。そうなのかなあ。
とまれ、私的には「チャンケ」は〈掌柜〉語源説でFAなのですが、いちおう付け足すと、「チャンケ」の「ケ」は犬を意味する「개」ではないです。「깨」 ハングルにはもうひとつ、中国人に対して使われるオランケということばがあり、夷狄というほどの意味だそうですが、この言葉はハングルで書くと「오랑캐」で、「ケ」は「캐」です。犬のケ(개)、チャンケ(깨)、オランケ(캐)、ぜんぶ、ハングルで書くと違う「ケ」
この「オランケ」という言葉は、モンゴルのいち支族?ウリャンハイ(ウリヤンカイ)の漢字当て字の訛りから来ているそうです。
李氏朝鮮では北方に居住する異民族の一部を、明朝における「ウリャンカイ」の音写と同じ漢字で表記し、「兀良哈(オランカイ)」と称していた。しかし、これはモンゴルのウリャンカイ部とは無関係な女直の一派で、明朝からは野人女直、清朝からは東海三部と称された集団の一つ、ワルカ部に相当する集団である。
居住地は主に豆満江流域で、明朝からは毛隣衛と呼ばれていた。文禄・慶長の役において加藤清正がその一部と交戦したことでも知られる[9]。
韓国ではスミレの花をオランケの花と呼ぶ、とはよく検索で出て来た文章。
私が「オランケ」という言葉を知ったのは、金文京先生の下記の本でです。
頁354 終章 三国時代と東アジア
もっとも奇妙なのは朝鮮であろう。朝鮮は中国の朝貢体制下のいわば優等生であったが、一七世紀、中国が満州人の清に征服されると、中華文明はほろび、自分こそがその後継者であると考え、小中華をもって自任し、清朝に朝貢しているにもかかわらず、これを夷狄視するという観念による現実の転倒をやってのけた。中国が周辺諸国を夷狄視したのがまわりまわって、今度は周辺国が中国を夷狄視するにいたったのである。こうして東アジアでは隣国との対等の関係を認めず、互いに相手を見下す、じつに厄介な国際関係が出来上がってしまったのである。
このいびつな関係は決して過去の遺物ではなく、現代にも大きな影を投げかけている。その好例は、朝鮮戦争(一九五〇)以後、長期にわたって韓国が中国を中共オランケとよんでいたことであろう。オランケ(오랑캐)とは韓国語で夷狄のことである。中国共産党という夷狄、つまり中国は夷狄であるという、この自家撞着的な言辞には、正統論が東アジア諸国の国際関係におよぼした深刻な影響が端的に示されている。
私にはこの考えは非常に腑に落ちるのですが、何故か日本のネトウヨ界では、小中華思想の解釈がちがっていて、中国ナンバーワン、朝鮮がナンバーツーという思想が小中華思想、というおかしな解釈が流布されている感じです。本省人内省人論争より遥かにタチが悪い。なんでなんだろう。ちなみに、山川のブックレットも、金文京先生と同じ説で、ネトウヨ唱えるナンバーツー説には与してません。
そんなことはどうでもいいんですが、オランケというと、どうしても私には思い出されてしまうのが、張赫宙の小説に出てくる、「胡人奴」という表現。倭奴(ウェノム)(왜놈)垢奴(テノム)(때놈)、そして胡人奴(후인놈)。
張赫宙日本語作品選 (勉誠出版): 2003|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
頁112 『追はれる人々』
(略)才童はふと、北間島に行くと、若い婦女子が、よく人質に胡人達に奪られると云ふのを思ひ出した。闇の中に埋もれた玉蓮の後を追つて走つた。
「玉蓮オクニョンアー。」
才童が呼んだので、庭には入らうとしてゐた玉蓮が立ち止まつて、待つていた。
「胡人奴ホインノム達に注意チョンム・ヘするだよラ。」
才童がさう言ふと、
「何ねえになるか、俺ア構はねえだよ。」
玉蓮は凡てを運に任すと云ふ風に答えた。
この小説を読んだ時、どうして作者はオランケやテノムといった表現を使わなかったんだろうと思ったものです。今、「チャンケ」という表現を知って、同じことを思う。この小説にはおそらく検閲による伏字があるので、穏当な表現を使ったのだろうかとも思います。「亡女奴マンハンニョン・キチベー」と「狂ひ奴ミチンノム」という、「奴」を使った単語がふたつ出るので、それらと韻を合わせたのか。
ちなみに、私が万宝山事件を知ったのは、産経新聞社から邦訳が出ていた『蒋介石秘録』からです。この、全14巻にも及ぶ大著では、後半日中戦争が始まってから、蒋介石の日記をちょくちょく引用してて、そこでは蒋介石は日本を「倭奴」と呼んで罵ってますが、当然それはウェノムとハングル読みしてはならず、ウォーヌゥと北京語読みされねばなりません。もしくは、日本語訳なので日本語の音読みで「わど」
と、いうところで筆をおければほんとによかったのですが、為念でウィキペディアの「チャンケ」짱깨を調べたのがいけなかった。
これによると、チャンケは〈掌柜zhanggui〉語源説ではなく、「清國奴」語源となっており、しかも、「清國奴」が日本でチャンコロになって、さらにそれがハングルに入ってチャンケになったと説明されています。いやーそれは。ヘンです。
まず、「清」はチャンとは読まないし、読んでない。北京語でも沪语でも粤語でもハングルでも日本語でも読んでない。日本語の沖縄方言ですら、清明をシーミーと呼ぶが如く、「清」をチャンとは読んでない。
韓国でポン酒を飲んだことのある人なら、清酒と書いて청주と読むことは知ってると思います。チョンジュ。チャンではない。
私はどっちかというと、チャンケが日本でちゃんころになったと考える方が、日清と韓清の結びつきの深さ比べで考えて、ありそうに思うのですが、それはたぶん解明されない謎。で、それはそれとして、「ちゃんちゃんこ」のように、中国由来のものを、「ちゃん」というような形で表現することが、江戸時代からあったと考えるのはやぶさかでないです。また、「ちゃん」には、「ちいさい」的な意味合いもあったと考えること、これもやぶさかでない。
名は江戸時代,鉦を叩き飴を売り歩いた清国人の服装に由来するという。
平凡社世界大百科事典 第2版
またしても清国人ですが、清はチャンとは読まないので。チャプチェやチャプスイと同じくらい謎。で、ここを読んで、江戸時代は鎖国してたから、長崎の出島以外でそんな行商の中国人がうろうろしてたわけねーべ、と思ってしまうのですが、今も昔も、難民でなく不法滞在ならザルだったのかも。
明が清に滅ぼされた頃は、意外にたくさんの明国人が来日していたのかもしれません。そしてその辺は、鎖国ではあってもザルだったのかも。日本の、あんこの入った饅頭を発明したのは小田原在住の清国人と、これも何かで読みました。鎖国完璧なら、小田原に中国人いないですよね。
犬の子をいぬころと呼ぶように、「○○ころ」という言い回しがあったとして。
鶴ヶ島のあたりで撮った写真。2013年5月。
ウィキペディアの「ちゃんころ」は、チャンコロを兵隊支那語の一つと断定しており、その面からの遡及しかされていないので、チャンチャンコやらチャンコロ小船やらの、江戸時代からの命脈が途切れて断絶していて、歴史の連続性が伺いにくいです。しかも、ここでも清國奴語源説。清はチャンとは読みません。
ここで、チャン料に触れているのはよいと思います。小津安二郎「秋刀魚の味」でも、東野英治郎演じる中学校の恩師が中国料理店の店主になっていて、同窓会でその事実を知った笠智衆らが、「まさかあの○○(教師のアダナ)がチャン料なんかやってるとはな」と嘆息する場面があります。別に戦後の公職追放を暗喩した場面ではないと思うのですが、とまれ、「秋刀魚の味」がテレビ放映されるとき、このせりふ、チャン料は、「ピー」になります。
で、せっかくなら、このウィキペディア、「チャン馬」も入れればよかったのに。中国の馬というくらいの意味で、現地調達の兵馬を指したわけですが、私はキャプテン翼の主題歌の「あいつのうわさで チャンバもはしる」を連想するので、それで。
この「チャンバ」は「チャン馬」ではなく、ギロッポンでシースーみたいな業界用語で「婆ちゃん」を指しているともいわれるわけですが、そんな正論はいいや。
(2022/3/20)
韓国は中国や越南同様夫婦別姓ですので、シム・シソンサンの姓を受け継ぐ娘は当初おらず、しかし法改正もあって、受け継げるようになったのでシム姓を受け継いだ娘が出るのですが、しかしその人は離婚後独身をとおし、子どもはいません。
読んでて、ふと、南果歩の母方の祖母の逝去がニュースになったのを思い出し、そういえばこの人も母方の姓を継いでるんだよなと思いました。
南果歩「韓国のハルモニが天に召されました」 コロナ禍で見とれず悔しい思い告白「もう一度会いたかった」(1/2 ページ) - ねとらぼ
先祖は唐から新羅に来た時点までさかのぼれるとか。
父方が語られない理由は、いつか明かされるのか、明かされないまま終わるのか、それは分かりません。
頁66:ハイムリッヒ法
シソンサンはモチでなく、タコのスシを食べてのぞに詰まったそうです。
頁126:離婚後、前夫がシソンさんの作品をそれと分からぬよう人を介して購入し、パーティーの粗品として、衆人環視のなか破ったり燃やしたりしてたのが、二度目の夫(画商)とシソンさんを精神的に強く結びつける結果になったとか。ドラマですね。
頁189:ガスライティング
頁189:グルーミング
頁189:風船ドラッグ
2016年。
私がバンビエンに行った時は、何にもなかったですよ。いつの間にそんな場所になっていたのか。まじめに。
2017年。
死に至る危険も、韓国の若者の間で「風船ドラッグ」が流行=韓国ネット「このままだと韓国は麻薬国家に」「日本のまねをするから…」
2020年。
頁192、シソンさんの遺品の家具は、さすがドイツ帰りで、バウハウスだったりしたそうです。マリアンヌ・ブラントという人のデザインの灰皿とランプもあったとか。価値の分からない子孫はあやうく捨てるところだったとか。
頁228
講演に行くと、質疑応答の時間に多くの親御さんがお尋ねになります。子供が芸術方面に進みたがっているが、どうすればいいかと。(略)
芸術関係のことをやるべきだったのにできなかった人が、人さまから見ればまともな安定した生活を送りながらゆっくりと自分をいためつけていくのを、どれほどたくさん目にしたかわかりますか?(略)
収集家や愛好家になって欲求を解消できれば幸いですが、ほとんどの人はそんなに運がよくはありません。結局、仕事への意欲もなくし、周囲のことにも関心が持てず、自分よりはるかに貧しい芸術家のそばをうろうろして消費するばかりで、自分自身も消耗してしまうのです。主に酒、賭博、そしてありとあらゆる破壊的なものが割り込んできて消耗を加速させますしね。
(略)
また極端な、と思いました。そういう人は、芸術家の端くれになっても同じ道をたどるのではないでしょうか。満足なんて、永遠に得られない。足るを知るなんて、出来ない。
頁218:ココパフ
頁242
「成熟しない男って、たいがいぞっとするよね?」
頁245、合衆国のハワイ合併のプロセスが、韓国人にとってとてもよく聞いた話に似ていて、帝国主義のスキームはどこもいっしょだったのかと発見するくだり。そこで、それだから韓国人はハワイで能天気にはしゃいではいけないのではないか、済州島が好きならチェジュドに行く機会を減らすべきなのと同じ理屈で、と言い出す厨二病の子がいて、作者がそれと同意見だと生きづらいのではないかと思いました。それでベトナムに何の衒いもなく行けるに100,000ペリカ賭けたら、それこそ不謹慎かな。
その前の、頁220でも、フラの先生が、フラが禁止されていた時代や、プランテーションによる収奪の時代、現代に資本家がやってきて伝統名称を勝手に商標登録して他のものが使えなくなって、しかも登録企業が倒産する話を語る場面でも、フラの授業の前にドールのパイナップル農場でパインアイスを食べてきたことが恥ずかしくなる場面があります。中野重治の詩集に出てくる、席を譲って真っ赤になる女性と、それを見ていてなぜだか悲しくなる中野重治のようだと思いました。
頁253:ブレスト会議
会議の進め方として、よく耳にする「ブレスト」の意味、正しく知ってる?【意外と意味を知らないビジネス用語】 | Oggi.jp
「ブレスト」は「ブレーンストーミング」の略語です。
ハングルの原文ではどう書かれているのかと思いました。
頁273:棺に釘を打つ
黄 強*
HUANG Qiang *
中国上海市における死者葬儀(上)
-清朝晩期から一九四九年までの死者葬儀を中心として-
e Death Ritual in Shanghai, China (Part A)
—Study of the death ritual from the late Qing Dynasty to 1949—
http://elib.bliss.chubu.ac.jp/webopac/bdyview.do?bodyid=XC11000033&elmid=Body&fname=N01_006_040.pdf
)「子孫釘」を打つこと。
棺に蓋を覆った後、死者の長男、長孫は蓋の
端に一枚の釘を打ち、それを「子孫釘」と呼ぶ。
「子孫釘」は代々血統を継ぎ、子孫が金や福を得
ることを表している43)。
でもここは、死に体の企業にとどめをさす場面で使われてるので、韓国にそういうことわざがあるのかと思うのですが、さがせませんでした。
頁273:スタートアップ企業
頁274:レッドオーシャン
頁278につけた付箋の意味が思い出せません。無様と何様をかけたダジャレがあったので、原文が知りたいってことかなあ。
頁283:デカフェコーヒー
デカフェ(英語: decaf /díːkæ̀f/ (ディーキャフ)、decaffeinatedの略、「デカフェ」はフランス語: décaféination /de.ka.fe.i.na.sjɔ̃/ に由来した発音)とは、本来カフェインを含んでいる飲食物からカフェインを取り除いたり、通常はカフェインを添加する飲食物にカフェインの添加を行わないことで、カフェインを含まなくなったもののことを指す。
頁322:マラサダドーナツ
けっこうあちこちにありました。
MALASADA? | Leonard's Japan | レナーズ マラサダ
駆け足で書きました。もうだいぶ忘れてます。政権が代わって、この人の小説にも変化が出るのかどうか。
(2022/5/2)