『中国でお尻を手術。遊牧夫婦、アジアを行く』"Surgery ass in China. Nomadic couple go to Asia."(A TRUE STORY of a nomadic couple: 2004→2006)読了

mishimasha.com

ブックデザイン 寄藤文平・北谷彩夏(文平銀座)

遊牧夫婦三部作の真ん中が近隣の図書館にないので、買うという手もあったのですが、どこかよその図書館から寄せてもらいました。「平日開店ミシマガジン」連載の「遊牧夫婦」第37回~64回を加筆・再構成したものだそうです。

表題は大腸ポリープの内視鏡除去で、癌の可能性があるかどうか、良性か悪性かまでちゃんと生片検査までしてもらってるので、その辺医師を信頼してる前提なのですが、それは無意識で、それより中国医療機関トンデモを書く方に意識がいってしまってるのが、やっぱり旅行者目線で、終着駅を中国と考えてない前提なんだろうなと思います。まあそう書くと、「いやでも中国ですよ、現時点で、永住とか考えられます?」と反論するような人でなくて、しかも理系なので、なんだかなあという。

その一方で、昆明生活の終盤、劇的に吃音症状が消失する体験があり、ここは後年の新潮文庫『吃音』でも重複して語られているのですが、逆に『吃音』では、その現象が発生した周辺、どのような生活環境、ムード、精神状態がそれをもたらしたのかまで書いてませんので、こっちでそれを読み、ひょっとすると、パートナーに比べ、発音が悪い悪いと矯正され続け、口やアゴ、口内や舌、のど、鼻、呼吸などなど、全般的に自由度が高くなるよう筋肉が刺激され、訓練を受けたことも理由として大きいのかもしれないと思いました。もちろんそうしたシロウト推論は、『吃音』で、有気音無気音がある中国語話者でも当然日本語話者と同じ人口比で吃音者が存在する(であろう)という原則論で突き崩されているのですが、それでも、昆明のような、普通話が普及してて、かつローカル社会でも比較的競争が厳しくないところで、毎日一生懸命zhchshrやらなんやらやって、”你说什么?“ ”我听不懂“と言われ続ける機会を減らしていくと、何か変わる人がほかに出れば、ロジック抜きに結果論で、ある程度、邦人が北京語会話をこなすことで吃音にどういった影響が出るかの、証明が出来るんではなかろうかとも思います。コンドーサンは吃音教室的なものの中にままある、ビジネス偏差なものの現実に距離を置くスタンスと思いますので、昆明で試してみませんか?的な旅行を組んだりしないと思いますが、もう既にほかの誰かがやってるかもしれません。

「アジアを行く」の副題なのですが、実は3巻のほうがアジアをよく回っていて、この巻ではタイとミャンマーラオス、そして中国雲南チベット、上海だけです。どうも日本人がアジアというと、東南アジアしか指してないあの現象をここでも再確認してしまうのは、ややさびしいというかなんというか。

雲南で強烈な下痢、水状態で漏らしてしまう体験を、コンドーさんだけでなく、知己の現地邦人も結構体験してるという箇所(頁166)は、へえと思いました。それ以前に、インドで同種の体験してないのだろうかとも。私はパキスタンとネパールではあるんですが、中国ではないです。たぶんインドに行ってたら、インドでもやらかしてたと思います。頁22の回虫は、私の場合は帰国後保健所でポキール検査したことが何回かありますが、だいじょうぶでした。本書では昆明在住邦人がけっこうな確率で回虫持ってますので、なんでやろと思います。生野菜食べるんでしょうか。

本書執筆時は、吉田敏浩さんでなくても、まだミャンマーという言い方に抵抗があったころのようなので、ことわって、「ビルマ」という表記をしています。頁053。頁061から、香田証生さんIS人質殺害事件について書いており、自己責任論や税金投入批判についての反論には非常に共感するのですが、そのコンドーサンが旅を終えて日本に帰ってきて暮らしているという点も、いささか寂しいです。オルタナティヴな「日本」でない生き方をどこかよそ国で築くのでなく、日本が現状こうでも、未来は違うかもしれないということで、あえて異分子というか、内部から異議申し立てが出来る立場をキープすることを選択したんだろうなあとは思いつつ、またそれとは別に、正直ベースでは、子育てや、親類縁者との絆を断ち切る(海外に暮らしたからといって断ち切れるわけではないですが、距離はどうしてもある)ことを望まなかったのも、日本で暮らす選択の背景にはあったんだろうと思います。チョン・セランの『シソンから、』に、米国に住んで、韓国へ帰る意思をほぼ捨てる世代が登場しますが、なかなかそうもいかない。

で、作者夫妻がそう選択するのも、北米など、物価は高いがカネが稼げそうな社会に挑んでないのもあるかもしれないと思いました。中国は、制度的に、どうしても日本人には難しい気がします。白人でも難しいと思いますが、白人がけっこういるのがおそろしい。全員仕送りもらってるんじゃいか(宗教団体とかから)と思わないでもなかったあの頃。

昆明で作者夫妻は非常にいい物件に、粘り強く探し続けた結果出会えたのですが、そこで、

頁135

 ほとんど無収入の状態でこんな場所に住むことになって、ぼくは、自分たちが日本人であることでいかに大きな恩恵を受けているかということを感じざるをえなかった。生まれた場所がたまたま日本だったというだけでこんな生活が可能になってしまう。そのことに若干の後ろめたさや申し訳なさを感じ、それをちゃんと認識しないといけないなと強く思った。(略)

この箇所、いいなあと思いました。ここを読ませて、「そうかなあ、そこまで考える必要ないんじゃない?」と思う人はネトウヨ予備軍で、センシティヴに賛同してしまう人はパヨク、というリトマス試験紙的使い方が出来る、素晴らしいページだと思います。なんで同じ貧乏旅行志向の人が政治的には左右くっきり分かれるのかときどき不思議なのですが、たぶんこういう部分が違うんだと思う。

頁180、ファナティックな漢語老師の個所。私はこういうふうな人にはあったことがなく、内地に行けば行くほどいるように思っています。特に日本軍の作戦区域だと、もうしょうがないかなと。河南省とか。知人が、日本語では「チベット」か「チベット」どちらが正しい言い方かで、母語にまで口出しされて大激論になってしまった話は以前も日記に書いてます。「チベット」だと独立したネイションステイトの構成員を指すことになってしまって、チベットは中国という大家族の一部で独立民族ではないので「チベット」が正しいという、聞いたこともない日本語論を中国人が日本語で滔々とまくしたてる。実に奇怪だったそうです。

ぜんぜん関係ないですが、桶川ストーカー殺人事件の著者が南京アトロシティーの検証決定版を書こうとしたのが、なんかすごい象徴的だと今でも思ってます。本書は反日暴動が昆明に及ばなかった理由や、中国の愛国教育が、村山談話河野談話を無視して、日本人は一度も謝罪したことがないと断定しているのを、それもまた違うとしてますが、ネトウヨ的には媚中政治家が謝罪したのが悪いことになっている点とのすれちがいにまで触れてなくて、触れればいいのにと思いました。南京は出ませんが、中国がベトナムに懲罰侵攻したのは「正義だからいいのよ」と教師が胸を張った点は糾弾しています。頁180。そういう理由でロシアのウクライナ侵略を擁護する中国人は実はけっこういそうに思いますが、それもまた日本では報道したくないのか、あんまない気がします。

頁204。ラサ行きのパーミットの話で、三冊目でカイラスからラサを目指さなかった理由が分かりました。成都からエアーでないと無条件にラサに行けないんですね。ゴルムド経由も見つかると帰される展開は著者留学時も変わってなかったのか。汶川地震の前の旅行だと思うのですが、リタンからマルカムに行く途中かな?

218

 モトコもぼくも、ずっとその風景を眺めていた。モトコは後にこう言った。

「このときのチベットの風景が、長年の旅の中でも一番きれいやったかもしれないなあ」

頁232に見開きでモトコさん撮影の写真が載っていて、わたしの旅ブックスの、前川健一さんより四冊後の本にも使われてます。そしてその十五冊後が椎名誠

頁276、そのころの上海では、ある程度中国語が分かればすぐ仕事が見つかったそうで、派遣労働にいそしんでた私はそんな情報知らなくて情弱だったので、まあそんな人間にそういう展開があるわけもなしという。今でもそうならいいですね。そうでない前提で書いてますが(性格わるい)雇用のチャイナリスクがどの程度あるのか知りませんが、頁242で、中国のあとはインドで暮らすという選択肢を実行していたとしたら、その後の展開はずいぶんと変わったものになっていたと思います。というか、3巻のヨーロッパ居候生活から転じて、ヨーロッパで働くってのはありえなかったのかな。SNS時代で顔の広い(はず)のふたりであっても、むずかしかったのかな。で、そっからまた陸路で欧州からインドまで行って暮らすのは、さすがにモウケッコーだったのか。人はみな新井一二三のようにはいかない。

以上です。