積ん読シリーズ 字が大きくて読みやすいです。
https://www.youtube.com/watch?v=WKMDsAJhpNM
「まえがきにかえて」「あとがきにかえて」主要参考文献あり。装幀 三村淳 写真 戸澤裕司(二枚だけ、編集部撮影あり) 地図 杉田尚美
見返しの中国地図は、地名がぜんぶ簡体字ですが、本文は日本の漢字です。广州でなく広州、宁波でなく寧波。でも後者は、現地で、「ニンポー」でなく「ニンボー」と聞こえる、との理由で、「ニンボー」とルビが振られています。
全六巻構成で、インド前後編、韓半島編(朝鮮半島編と書いてますが)ブータン編、日本・アメリカ編。灼熱のインド亜大陸を高齢で歩き通したインド編、儒教とキリスト教の国だと思っていた韓国も、立派に仏教だった、と感心したというコリア・ペニンシュラ編(仏国寺など)に比べ、どうせ文革で一度ぶっ壊されてるんだし、過度に期待しない、みたいなさめた感じで旅する中国編、と思いました。
いちおうテーマを立てて、日本にも日宋貿易を通じて広まった「禅」について考察する、としているのですが、作者イツキサン的には、でも禅ってインド仏教の真逆だよね、という感じなので、さめてます。そもそも中国仏教をやるならイチバンアツい台湾を入れずしてどうする、と誰もが思うのですが、大人の事情でダメだったのか、かわりにフランスに行ってます。世界では禅といえば鈴木大拙が翻訳してから広まったので、日本のものという印象がある。それの西洋圏での現在位置をさぐる、という意味合い。でもイツキサン的には、カルチェラタンとか五月革命の時、"I was there"だったので、その思い出を語る意味合いが強いです。チベットは中国に侵攻されたとか、如何にも北京五輪前夜らしい発言もしていて、このシリーズ、チベットに行きたかったけど行けなかったからブータンだったのかなとも思いました。
本書によると、寧波の天童寺というお寺は、永平寺のモデルになったお寺だそうで、それで天童寺の人は、親しみをこめて永平寺を「小天童」と呼ぶとか。けっこう鎌倉仏教って、中国仏教がサンスクリットを捨てて、完全漢字化するその背景の思想(華夷秩序の仏教化)を移植してる気がするので、そう言われても喜ばない気がしました。
また、慧能のミイラが写真付きで出ますが、今並行して読んでる、山路勝彦『近代日本の植民地博覧会』(風響社)によると、大正三年に東京で催された「大正博覧会」には、江西省から達磨大師第二の弟子のミイラが持ち込まれて展示されていたとあり(頁86)イツキサンが訪れる韶関南華寺の慧能のミイラではないかと思いました。
光孝寺でイツキさんは夕方の坐禅に立ち会いますが、団扇で仰ぎながら座禅してもいいという、打擲とは無縁の座禅で、感じるところはあったようです。
そんな本かな。むしろ韓国編が読みたくなりました。終息したら図書館で借りてみよう。以上