『近代日本の植民地博覧会』読了

 近代日本の植民地博覧会 - 株式会社 風響社

近代日本の植民地博覧会

近代日本の植民地博覧会

 

 積ん読シリーズ 先日読んだ『台湾抗日小説選』に収められてる朱点人『秋の便りに誘われて』に、台北開催の博覧会が出てくるので、そういえばそんな本も持ってたなと、段ボールを開けて読んだ本。

朱點人 - 维基百科,自由的百科全书

朱點人『秋信』は、清朝末期の台湾で、秀才にまで合格しながら、日本時代が来たため、出世の径が閉ざされたと考えて田舎にひきこもった老人が、台北で開催されている博覧会はたいそうオモロいらしいと聞き及んで、冥土の土産にと、辮髪にお椀型の帽子に黒い服のキョンシーみたいな格好で(キョンシーは、科挙に合格しないと着れない科挙官僚の衣服を、合格せずに逝ってしまった死者に着せて、来世の合格やあの世での栄達を願ったはずが、なんかのはずみでその死者が土葬の墓から出て現世に漏れ出てしまう現象)生まれて二度目の汽車(火車)に乗って、大台北に行って博覧会を見る話です。日本人警官が台湾暮らしが長いのでさして台湾人と変わらない福佬語を話したり、その警官が大陸留学してるインテリ孫の近況調査に来ながら博覧会の話を振ったり、老人が自分の人生を回顧して、日本時代も中華の誇りを保とうと考えて即興漢詩興隆運動を起こしたが、その漢詩が日本人為政者へのオベッカに詠まれてエラい日本人に悦ばれるような風潮になってしまい、なんかちがう、やるんじゃなかった、と後悔したりと、各所パーツの細かい描写もひとつひとつ光る、いい小説です。

 朱点人は、戦後共産党の地下工作員となり、1949年末國府警吏に捕えられ、年明けて台北駅前で銃殺。映画「悲情城市」が、ラスト字幕で、中華民國政府は1949年12月7日、台北を臨時首都に… とやるあたりの出来事です。そういえば12月7日なんだなと。

臨時首都 - Wikipedia

『台湾抗日小説選』『閑谷学校あいうえお論語』『父が子に語る日本史』『中国古代人の夢と死』の四冊を最近矢継ぎ早に感想書きかけてそのままにしてますので、これは書き終えたく。

装丁・ポッドデザイン 佐藤一典 

山路勝彦 - Wikipedia

上記ウィキペディアは近著が未反映です。あとがきで、作者は、「中国時報」1995年10月10日の記事「台湾博覧会 空前政治 秀」(シリーズ日拠時代的今天)に感銘を受けたのが執筆のきっかけだったと書いています(すごい日にすごい記事をぶつけるものだ)大稲埕在住の当時77歳の老人が回顧して、

頁282

「当時の日本人は台湾人を管理したことの出来栄えを自慢することなく、台湾人に日本を認めてもらい、日本を信じてもらいたかったのだ」のだと、その時の日本当局の態度を淡々とした口調で語っている。(中略)台湾の民心が一つにまとまっていた状況を懐かしがっているようであった。単純に計算して当時の台湾総人口、五〇〇余万のうちの半数が観覧したことになる台湾博覧会は、主催者の総督府ばかりか台湾島民ぜんぶを巻き込んでの興奮した状況を作り出していたと、この記事は伝えている。 

 この記事は当時の台湾の政治状況を反映した面もありますし、まあそう手放しで礼賛だけ出来る話だけでもなかろうと、本文では是々非々です。まず日本で開催された博覧会の系譜をたどり、それ以外に北米で開催の博覧会の日本館に、満洲館を出すにあたっての、満洲国と、米国に忖度した日本外務省とのやりあい(折衷案で満鉄が館を出すことになった)それから朝鮮台湾満洲での博覧会へと筆が進みます。

五木寛之『仏教への旅 中国編』に出てくる慧能のミイラが、大正三年の東京の博覧会に出たんじゃねーのと私が読んだ箇所は頁86。座禅館というパビリオンで、達磨大師の第二の高弟のミイラが中国江西省から持ち込まれたという… 当時中国の仏教界は、仏典を読み解くと「中土」がインドで、中国は「震旦」「支那」だというふうに内省してったころで、それには日本仏教界との交流の影響もあったと私は勝手に考えています。

支那内学院 - 维基百科,自由的百科全书

本書は表紙にバーンとチマチョゴリの女性が中心にいることからも、日本の博覧会での朝鮮像の取り扱い、朝鮮での博覧会についても筆を割いているのですが、どことなく紋切型で、よそよそしいというか、そっけないです。ステレオタイプな朝鮮感の拡大再生産に寄与するに留まった、てなくらいの抽象的な記述。あんまし具体例はない。景福宮だかナムデムンだかの後ろに総督府がそびえてる構図が多いから、どっしり構えて見下ろして力関係がどうのとか、そんなくらい。

満洲に関しては、日本での博覧会、現地での博覧会とあわせて、ツーリズムによる現地体験勧誘の記述(頁175)が目を引きますが、これは他の人の論文に依拠していて、詳しくはそっちを、なので、ちょっとそっちを読んでみたいです。汚いくさい満人街を"走马观花"で見たいならコレ、異国情緒をマンキツしたいならハルピンのキタイスカヤ(=ロシアふう)というふうに細分化されたオプショナルツアーが満載なんだそうで。なんとなく、マレー圏の三輪タクシー、ベチャをごそっと借り切って、集団でオカマ街を写真撮りながら疾走する団体観光客のシンガポールナイトツアーを思い出しました。

・高媛「「楽土」を走る観光バス−1930年代の「満洲」都市と帝国のドラマトゥルギー−」(『岩波講座近代日本の文化史6』岩波書店、2002年、頁217-253)

頁181、旧暦四月十八日に行われる満洲でもっとも人気の祭礼「娘娘(ニャンニャン)祭」は見てみたいです。ガッカリ祭りでありませんように。

満州の教科書に載っていた「娘娘祭」(ニャンニャンマツリ)という歌の楽譜がないか。 | レファレンス協同データベース

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膨脹する帝国日本の「アジアへの眼差し」 国威発揚と当地の成果が謳い上げられた台湾・朝鮮・満洲の博覧会。 絵葉書・ポスターから、 近代日本の他者像=異民族・異文化像を探る。

風響社は台湾原住民関係の本も出してる、わりと好きな出版社です。本書は、「大稲埕」もそうですが、「福佬人」という単語も、ルビ抜きで直球で出して来るので、私のように、これを「ホーロー」と福佬語?で読めず、北京語で"fulao"と読んでしまう人には出来ない芸当だと思っています。私はどうしても「閩南」を使ってしまう。
以上