『板碑と石塔の祈り』(日本史リブレット31)再読

 これも苦し紛れ。装幀:菊地信義 表紙に、取材者かなんかが三名写ってるのがすごい。

板碑と石塔の祈り (日本史リブレット)

板碑と石塔の祈り (日本史リブレット)

  • 作者:千々和 到
  • 発売日: 2007/09/01
  • メディア: 単行本
 

 監修者五名が扉裏に。参考文献と写真・図版提供者一覧は末尾に。

そもそもは「支那」という言葉を調べた時の話で。中国の正史二十四史に「支那」という単語は一ヶ所しか載っておらず、宋史の、インドから天文台関連で人が来てどうの、という箇所でしか載っていないのですが(その宋史が南宋編纂なのか元編纂なのか忘れた)仏典を見るとわりとあって、これは仏教からすると、「中土」はインドのブッダガヤーなので、それで中国は震旦とか支那とかになる、というふうに理解してます。で、中国にはサンスクリットの仏典は一個も残っておらず、漢訳仏典だけが現存しているのが現状、というふうにアタマを整理してゆくあいだに(なんで残ってないのかは、チベット仏教ラマ教がそちらの役割を担ったからかなと思ってみたり)それで日本ではきたばたけちかふさが、震旦も広いけど日本もゴイスーなんだぞみたいな本書いてた南北朝時代をはさんで、中国仏教、禅宗の影響を受けて、鎌倉仏教が花開いたり(鎌倉時代京都五山の、金融業(金貸し)も兼ね備えたターミナルセンターが機能したり(室町時代)ということを知り、それで、この板碑が、いたひと読むのかばんぴと読むのかいたびと読むのか知りませんが、鎌倉時代から、何故か東国にしか作られないということを知り、なんとなく面白いと思ったのがきっかけです。西国で何故作られなかったのか。

板碑の展示は京都の博物館や、大森の郷土資料館など、あちこちで見まして、それで、じゃあ各地の板碑を訪ねて写真撮ったりしたら暇つぶしの趣味になるかなと思ったのですが、そんな時間も金もなく、いちいちお寺などに断って、その際身分を「単なる在野の無学な野次馬です」というのも悲しいので、それでそんなことしないまま現在に至っています。

そういう絡みで家にある本のひとつ。

f:id:stantsiya_iriya:20200519054702j:plain
f:id:stantsiya_iriya:20200519054656j:plain

アマゾンで買ったと思ってたのですが、東京堂書店の栞が入ってました。三省堂の裏です。ここでこんな本買うのかなあ。むかしの自分の行動はよく分かりません。以上