マンガ『前科者』に出て来る本。英題はグーグル翻訳。装画『春日権現験記(複写)』(国立国会図書館蔵) 装幀 弾デザイン事務所(澁澤 弾)あとがきあり。巻末に参考文献と【使用テキスト】【掲載画像】
あとがきから読み始めると、ダブリンのチェスター・ビーティー・ライブラリー(アイルランドの鉱山王である同氏コレクションが発祥)から始まり、ダブリンのテンプル・エリアと呼ばれる飲み屋街、ギネスの1パイントのコクのある味わいとクリーミーな泡、等々で、後年大英帝国博物館スタッフから「酔っぱらったアイルランドのオッサンみたいな英語」と呼ばれる英語を身に着けるまでのストーリーしか読めませんので、それが地獄なのか?まあ地獄かもしれないなブレイディ、と思いますが、やはりそれは本書の主題ではないようです。
裏表紙の内容紹介にない、版元やアマゾン等の内容紹介の最初の二行の、二行目が本書の概要です。
平安から明治まで、「地獄」を辿ると見えてくる、切なくも面白い日本人の性(さが)。
日本人の「地獄」観の変遷をたどる本。ここでいう「地獄」はキリスト教のヘルではないので、仏教の「地獄」ということで、インドで生まれた仏教が中国を経て漢訳仏典として日本に伝わり、その「地獄」観も受け継いだ。ので、父母孝行みたいな、儒教的概念が取り込まれた善悪の判断とその結果の地獄行きも、中国発の偽経と共に日本に広まった。てなことかと。
それ以前の日本古来の「黄泉」や「根の国」の冷たい死者の国の概念に慣れた日本人に、煉獄の炎で焼かれる仏教の「地獄」が黒船として現れ、相当ショッキングだったのではないかとのことです。頁48。なので、わりかし簡単に書き換えが行われたと。まあ、煉獄はキリスト教の概念デスヨとか言われたら、作者が言ったんじゃなくて私がここで書く際に筆が滑ったんデスヨと言いますが。
ので、みんな知ってるつれづれぐさやゲンジ物語平家物語だけでなく、『往生要集』『梁塵秘抄』『更級日記』『朝比奈』『沙石集』『義経地獄破り』といったバラエティーに富んだ古典群が原文現代語訳併記で登場し、楽しませてくれます。
例えば、アルコール・ハラスメントは、鎌倉時代の兼好法師の徒然草に「地獄に落ちるべし」と書かれているそうで(頁34)仏教では飲酒は「いんしゅ」と読まず「おんじゅ」と読むとか、徒然草の原文に、誰が振ったか知りませんが、「病者」と書いて「ばうざ」とルビを振っていると分かります。
面白かったのが、頁76の「源氏供養」で、平安時代から室町時代まで貴族のあいだでえんえんと続いた法会(ほうえ)で、何の極楽往生をなぜ供養してるのかというと、『源氏物語』の作者ムラサキシキブとその読者たちの供養で、彼らはそのままだと地獄に堕ちてしまうから回向してとむらってその魂を救済しようという行事なんだそうです。『源氏物語』は最初から最後までまったく事実に即してない空想の産物、フィクションなので、ようするにウソっぱちであり、嘘を吐いてはいけないという仏教の原理原則を真っ向から離反していて、罪深いので、地獄行きは必須であり、救済が必要という論理らしいです。あー確かに、源氏以外の古典って、うそほとか平家とか今昔とか、みないちおう、本当にあった出来事として書いてるもんなー、と、一瞬、丸め込まれそうになりましたが、じゃー竹取物語とか落窪物語とかも同じフィクションじゃん、先生、竹取供養は平安時代行われなかったんですか? と挙手して質問してみたらいいと思います。恥ずかしいからLINEで、とかそういうのはダメさ(と私が言う権限はありません)
「平安時代の人はかぐや姫とその月への帰還を現実のものと捉えていたから、竹取供養はアリマセン。富士山の語源が不死であるとまで説明してますしね。落窪供養について質問すればよかったのに、おろかしい子」と講師の人が回答するかどうかは、知らない。
吉高由里子が供養される場面が今から瞼の裏に浮かぶので、なんとも楽しかったです。
頁89 安元二年美福門院加賀による源氏供養の表白文『源氏一品経表白(げんじいっぽんきょうひょうびゃく』
艳词甚佳美心情多扬荡,男女重色之家贵贱事艳之人,以之备口实以之蓄心机,故深窗未嫁之女,见之偷动怀春之思,冷席独卧之男,被之徒劳思秋之心
あえて簡体字で書いてみましたが、平安時代の漢文って、こんなにスラスラ意味が通るものなのか、これだけが特殊なのか、分かりませんが、驚きました。
そうかというと、頁107の今昔物語の原文ルビが「我ガ朝(てう)ノ庁(ちやう)ニ似タリ」で、朝も庁も「ちょう」と読むのにどうして旧仮名だとルビが異なるんだようと思いました。
その後も、冥界と現世を自在に行き来する東方朔、否サンジェルマン伯爵、否小野の高村、否篁が出て来たり、山中他界観という言い方で、山の中にある異界のくにのジャンルを述べてくれたり、暗黒神話に出て来る甲賀三郎の人穴(タケミナカタに食われる人)の元ネタは本書の『富士の人穴草子(ふじのひとあなぞうし)』かなあと思ったり、朝比奈三郎義秀は強いなあとか、式亭三馬がタイプ別ヨッパライを活写した『酩酊気質(なまえいかたぎ)』なる本を書いていて、小学館の新編日本古典文学全集「滑稽本」に収められているとは知らなかった、ぜひ読んでみよう、とか思いました。名前を見ても分かるとおり、式亭三馬のころになると、もう完全に地獄はパロディの対象で、檀家制度の仏教もまじめな信仰の対象とばかりは言えなくなっていますが、それに、印刷技術の向上による文化の大衆化が関与していたと考えることは、ある程度たやすいと思います。本書は江戸期から河鍋暁斎の明治で筆を置いていますが、禁教であったキリスト教が解禁となり、西洋の地獄観も縷々翻訳されて紹介され、混淆が起こったのちの現代について、学生がレポートを書いて提出して、それがぜんぶ盗作でなかったら、教える方はたいそううれしいかもしれません。別にそれでなくて、別のレポートでもいいですけど。例えば、諸星大二郎の地獄観を『暗黒神話』(前述)『海神記』(みみらくの浜など)『闇の鶯』(山中の宿)等々全部本書に即して分類してしまうとか。当然『失楽園』でキリスト教の地獄観にも触れねばいけなくなり、教えてないことまで書いて提出して、楽しそうだなあと思いました。以上