小説新潮2017/10~12、2018/1, 4, 5, 2019/7~2020/1月号掲載に大幅加筆修正。
装幀 坂野公一(welle design)写真 著者 地図製作 アトリエ・プラン 口絵多いです。電子版でバンバンカラー使えるからでしょう。
私は『謎のアジア納豆』を読んでいなかったので、本書から読み始めて、まずプロローグで面喰らってしまいました。前世紀の著者の本では「シャン人」「カチン人」と書いていたのが、「シャン族」「カチン族」になっていたので… アジア納豆でもそうなのかなぁ。確かに、本書ですと、アフリカの部族は、「◯◯族」という言い方に日本語として慣れてる気がするので(ケニアのマサイ族とか)それに合わせるとビルマの少数民族も「~族」になるのかなあ、でもじゃあ韓国人は朝鮮族と書いてるのかというと、あくまでナショナリティーで表記出来るところは「ペルー人」のように国名+人で書いてるみたいで、セネガルもブルキナファソも、ビアフラ戦争で比較的主要三部族が知られてるナイジェリアより民族名が知られてないので、めんどいからか、民族名は書いてません。ナイジェリアは、頁26でイボ族がまずイボ族という表記で登場するので、ソウデスカと思いましたが、頁32に「ハウサ人」と書いてあるのが見つかり、民族を「~人」と表記する脳内残党もまだ高野うじに健在ナリヨと思いました。
考えてみれば、中国人が、「チベット人」でなく「チベット族」のような言い方が正しいと日本人に勝手に日本語指南してくる理由が、「◯◯人」は独立国の人を指すから、チベットは中国の一部で独立国じゃないから、という話で、私は別にチベット人もウイグル人もモンゴル人も「~族」とは言わず、「~人」と呼んでるのですが、でも東南アジアの山岳少数民族になると、実は微妙で、シャン人でもシャン族でもどっちでもいい、です。で、サハラ以南のアフリカになってしまうと、トライブ、部族の概念が強いので、マサイ族はじめ、「~人」という言い方に慣れません。しかし、高野サンは、頁264や頁316でも「ハウサの人たち」のように、注意深い言い方、もしくはなんとなくそう書いてしまう時があるようで、ぜんぶ置換で「族」を「人」に替えれば気が楽なのにと思いました。新潮社的にダメコードなのだろうか。
頁197で、日本の奉書焼のような、クスクスのブルキナ流進化料理の個所では、「ブルキナ人」「ミャンマーのシャン族の人たち」のような記述も見えます。ブルキナ族なんてのはないので、国民の意味でブルキナ人と書いてるわけですが、シャン人と書かない書けない事情の有無如何。
アフリカ各所に納豆があるというのは、ヘーという話で、西アフリカ、セネガルなどに、アジアと無関係に独自に発展した水田稲作があって、グラベリマ稲といわれる、という個所は、もっとへーで、菊地一雅先生の『村落共同体の構造』には書いてなかったと思いました。本書では、それらは多収穫のアジア種もしくはアジア種との交雑ハイブリッド米にとってかわられつつあるとなってます。下はナショナルジオグラフィックの記事。
で、本書は、アジア納豆は大豆依存だがアフリカ納豆の豆は多種多様。アジアは一年生のツルマメを納豆にし、それを多年栽培し、やがてツルマメが大豆になった(農耕の起源)のに対し、アフリカは樹木に生る豆類を利用してきた、その違いではないかとしてます。高野本にときどき顔を出す、一冊にするための水増しとまで言ったら失礼な、納豆ワールドカップのくだりが終わった後の、サピエンス納豆再現作業で、アジア納豆と異なるアフリカ納豆の製法工程「搗く」が原始豆類の納豆化には有効であるとの実証実験から、まんま英文の学術論文にしてべっとネイチャーに送ってるのではと思わせる総論部分まで、この人の本はやっぱりしっかりしてるなあと思ったです。英語仏語を駆使して学術論文を読みこなして巻末に列記してる時点で、なかなかそこまでやる海外ルポルタージュは少ないなあと思う。
高野サンはアヘン栽培のワ人の本で、中国語も出来ますよんと書いていて、今のアフリカは至る所中国人ありですが、私が以前中国人にアフリカ暮らしを聞いた時も、ぜんぜん現地と交流がなく中国人租界暮らしみたいな感じでしたし、取材のさい中国人と間違えられるメリットデメリットどうだろうと思ったですが、そこは書いてませんでした。ブルキナファソで下記が書いてあるくらい。
頁177
その結果、私が行くべき場所は他ならぬブルキナファソ(以下、略してブルキナ)だとわかったのだ。ブルキナの人口は二千万人弱、鉱物資源にも恵まれていないし、近隣のガーナやコートジボワールのようにサッカーが強いわけでもなく、最近まで台湾と国交を結んでいたためまだ中国資本が本格参入していない。
中国資本が本格参入していないと、日本メディアが取材する際便利だというふうに読んでしまいましたが、違ってたらすいませんです。
で、ナイジェリア、セネガル、ブルキナファソと取材して、それでアフリカ編はかっこがついて、大団円なのですが、読んでて、ボコハラムほか、イスラム原理主義国際盗賊団(アフリカだとダコイトとは呼べないのかな)が跋扈するマリ、ニジェールのフルベ族地帯が実はアフリカ納豆の爆心地、というふうに読めてしまい、危な過ぎて行けない、ので無理矢理本書取材地でお茶を濁してるようにも読めました。ソマリランドに行った時は現地アテンドがいて、かつ武装護衛がチャンとついていたわけで、さらにいうと日本側出版引受先も本の雑誌社という、気骨ある出版社。新潮社が気骨ないわけではないでしょうが、万一何かあった際の、リスクマネジメントをより深く細かく考えてしまうのでしょう、大きすぎる出版社だと。武装護衛が強盗団と交戦状態になったら、即ボツになりそう。「おちゃらけで、周囲の人命を危険に巻き込むガー」的な声が澎湃と沸き起こって。
何処に書いてあったが忘れましたが、本書で、シーナの人と高野さんが初めて飲んだみたいな記述があって、ソマリランド書いててそれはないやろと思いました。ただ、シーナの人の『インドでわしも考えた』などは、かつてバックパッカー界隈からクソミソにこきおろされてましたので、よりカッ飛んだ体験至上主義のような、IS首ちょんぱまでの流れの中で、なにがしか対面をはばむものがあったのかと、ちょっと憶測を逞しくしました。そんなものはなく、単なる偶然で会ったことがなかったのかもしれません。分かりません。
くり返しますが、この一連の企画の真の結末は、マリ、ニジェールのフルベ納豆踏破だと思います。高野さんは七年もこのテーマにかかわったそうで、いったん寝かせて死んだふりして、現地情勢の劇的好転を待っている気がします。
かつての旧友「けんちゃん」という人が味の素を辞めたというのは、読んでてけっこう衝撃で、現地現地で見知らぬ土地ばかり開拓させられて、ペルー人の奥さんと子どもとの家族の将来、腰落ち着けるTPOを熟考したのかなあ、どうなんだろうと思いました。独立しても關係途切れずあれこれ関わったら、味の素的にもプラスだと思いますが、どうか。
巻末に、あとがき、文憲引用の注釈、参考文献一覧と併せて、英語圏、仏語圏、南朝鮮人民それぞれへの相手言語による謝辞があります。前二者がそれぞれ半頁なのに対し、ハングルは見開き使って1 1/2(いっかにぶんのいち)スペースをあてていて、何をそんなに長いことカムサしてるんだろうと思いました。
英文は下記です。
Acknowledgements(英語圏の方々への謝辞)
I would like to thank all the people who helped my reserch inNigeria.
以下具体的な人名
仏文は下記です。
Rernerciements(フランス語圏の方々への謝辞)
Je remercie toutes les personnes qui ont aidé mes recherches au Sénégal et au Nurkina Faso.
以下具体的な人名
ハングルは下記。
〈감사의 말씀〉(韓国の方々への謝辞)
청국장의 취재 과정은 많은 한국 분들의 진심어린 협력없이는 이루어 질 수 없었을 것입니다.
이 분들께는 지면을 통해 특별한 감사의 말씀을 전하고싶습니다.
한국의 식문화연구의 제 1 인자인 윤서석(尹瑞石) 선생님께는 청국장의 역사에 대해 많은 가르침을 받았습니다.
김우영씨는 사전 취재를 갔을 때 통역으로 수고 해 주셨고, 청국장에 관한 많은 정보를 제공해 주셨습니다.
복두부집의 함재상 대표님과 이옥순 이사님깨는 파주지역의 특산품인장단콩을 이용한 두부와 청국장의 제조에 관한 많은 가르침을 받았습니다.
통일동산순두부의 차진호 사장님은 영업비밀이라 할 수 있는 청국장 제조의 전관정을 상세히 설명해 주셨고, 청국장 제조에 관한 실패담을 공유해 주셨습니다.
최상희, 김용택 부부를 통해서는 전라도에서의 취재에 도움이 되는 많은 분들을 소개 받을 수 있었습니다.
전라도 순창군 쌍치면 묵산마을에 계시는, 제가 어머니라 불렀던 김현숙 여사 덕분에 시골에서 전래되는 청국장 제조의 전과정을 관찰할 수 있었습니다. 저는 청국장이 익어가는 동안 그 댁에 묵으면서 매끼니향토색 넘치는 시골음식을 맛볼 수 있었습니다. 또한 묵산마을에 머무는 동안 마을 어르신들이 보여주신 친절함을 잊기 힘듭니다. 그 중에서도 늘 인자한 미소를 보여주시던 정이쁜여사의 얼굴이 떠오릅니다.
김현숙 여사의 아드님이신 오기석씨는 제가 배탈이 났을 때, 정채를 알 수 없는 약을 다려 주셨습니다.
전라도 완주를 취재할 때에는 최운성님께서 안내를 해 주셨습니다. 완주군 화산면 원우마을의 박명기 대표, 장중섭 이장, 유병은 작업반장께서는 마을의 특산품인 솔잎청국장의 제조 및 전라도지역의 청국장의 역사에 대해서 가르쳐주셨습니다.
농업회사법인 순창장류 (주) 의 이정미 소장님께는 한국의 장류와 청국장에 대해 많은 가르침을 받았습니다.
마지막으로 강병혁씨에게는 전반적인 취재과정의 통역과 안내를 부탁드렸을 뿐만아니라,한국의 역사와 현재상황에 대해 많은 조언을 받았습니다.(만약 제가 한국에 대해 잘못 기술한 부분이 있다면 이는 모두 강병혁씨 때문입니다.)
이 외에도 정말 많은 분들에게 신세를 겼습니다. 덕분에 한국과 청국장의 놀라움을 실감할 수 있었습니다. 일본의 독자들은 제가 경험했던 경이로움을 이 책을 통해 추체험(追体験)하게 될거라 믿습니다. 마음 깊은 곳에서 우러나오는 감사의 뜻을 전하고 싶습니다.
ダメだ、私のスピードでは、いつ写し終えるかまったく分からない。あとで追記して、チェックします。
で、韓国パートなんですが、正直、私もむかし、韓国人アパートで暮らしていた頃、納豆をこれみよがしに食べてみせて、韓国にもある? と聞きまして、韓国にもあるけど、納豆汁にして食べますね、と言われていたので、どんな名前かはともかく、あること自体は知ってました。
ただ、そこで、テンジャンチゲに納豆が入ったようなものだと思っていたのが、聞いてもそこが翻訳不能というか、相当日本語は達者な人たちばかりでしたが、テンジャンチゲに納豆を入れたものなのかそうでないのか、よく分からないまま終わりました。
今回、この本を読んで、DMZとか隠れキリシタンとか、高野サンというライター一流の盛りかたされてますが、そうでなければ、特にスゴいトピックスはないんちゃうん、と思いながら途中までは読みました。新潮の読者はネトウヨが一定数いるであろうから、彼らはどんな韓国好きでも辿り着けないくらい韓国に一面的な興味があるので(絶対に深掘りはしない、永遠に浅く表土を削り続ける)それで韓国なのかなあくらいに読んでました。
しかし、その、日韓というかハニルというかの地平を乗り越えると、醤類と書いて「ジャンリュ」(장류)と読む(頁162)という、中国朝鮮族映画監督チャン・リュル同様韓国にしては正面切ってラ行を使ってくる名前に驚いたり(ヤ行やナ行に逃げない)淳昌醤類体験館(순창장류체험관)のホームページを開いたら、「あなたのパソウコンはウイルスに感染しています」というマイクロソフトを偽装したポップアップが大量に出たり、しかし当地には「淳昌醤類博物館」も別にあって、そっちはもう開く気もなかったり、お祭りもあったり。
[文化観光祭り] 淳昌醤類祭り([문화관광축제] 순창장류축제) - 祭り - 韓国旅行・観光情報
というところをさらに乗り越えて、鴻上尚志も昔書いていた、外見が似てるから内面も似てるだろうと思うとハマる日韓の罠で、日本では味噌醤油と納豆はハッキリ別物、菌も違うし、納豆菌が入ると味噌醤油は苦いというかマズくなる、という常識があるのに、韓国では「醤類憐みの令」てな感じで区別がなく、同じ仲間としてくくられており、納豆菌の苦みが加わったテンジャンがチゲの味、というオチに、高野サンは目を曇らせながらも視界が晴れてたどり着けたとのことで、おめでとうございます。いいなー。
納豆民族はなべて内陸在住なのに韓国は海辺でも食べているという謎は、謎でもなんでもなく、中世から近世初期まで韓国・朝鮮人は、海辺は倭寇が来るのでみんな内陸に暮らしていて(チェジュド除く)、釜山は日本人が作った街で、近代にようよう海辺に進出した、ってことでFAと私は思います。
で、韓国納豆チョングッチャンを検索する前に、私も、職場の韓国渡航経験豊富な、焼き肉は好きだが韓国人は嫌いというネトウヨの人に「チョングッチャンという韓国料理知ってますか?」と聞いてみると、「知ってるよ、キムタクの検事ドラマにでてたやつだろ?」と云うではないですか。高野さんはキムタクのキの字も書いてないのに、どういうこと? ともう少し聞くと、「韓国編で、キムタクが食べよう食べようとするんだけどよ、いつも直前に何かあって食べられないの、それがチョングッチャン」なので、ドラマに音波は出るけれどもビジュアルが登場しない料理だったそうです。「脚本家が遊んでたんだろ」
上のサイトでは食べたことになっていて、映画版「HERO」とのことでした。なんでそんなミーハーな情報を著者は書いてないんだよ、と非常に不思議でした。も~こういう情報はホントブログにばっか残っていて、楽天ブログに、当時ビストロスマップで、キムタクが、映画公開にあわせてチョングッチャンメジャーになりますたぶんという発言をしていたことまで拝見しました。それが十年経って、この企画の段階では、すべて忘却の彼方だったのか…
とりあえず食べてみようと検索しましたが、「チョングッチャン 神奈川」とか「チョングッチャン 横浜」とかで出る店は、ぜんぶ今現在メニューにチョングッチャン見つからないか、酒提供出来ないから閉店中か、あるいはその前からもうみせやってないのか、電話つながらなかったりでした。なんしか西東京で一軒連絡がついたので、六時に予約しまして、さあ行こうと野良仕事を撤収した後、銭湯で使う道具を忘れて家に戻ったりで電車二本遅れて、十五分後に着いたら、十分までは待っててくれたらしいのですが、緊急事態宣言解除でうれしい千客万来状態で客がどんどん来てしまい(でも酒提供は二人までだとか)、しょうがないので、八時閉店の前、七時十分くらいに再度電話して勝負だっ、と考えて銭湯行って頭剃って、もう一度連絡すると、今空いてますよとのことでしたので、よろこびのあまり羽化登仙のこんころもちで入店しました。
で、ひとりでワンテーブル独占するので申し訳ないなと思い、日頃は水で外食するのですが、緑茶なぞ頼んでみたり、ネギサラダ(
奥は付き出し三品。左から、カクトゥギ、もやしのナムル、ここまではいいのですが、右がキャベツのキムチでした。思いがけず思いがけないところでキャベツのキムチ食べました。キャベツのキムチといえば、関川夏央『退屈な迷宮』で、北朝鮮はキャベツのキムチがポピュラーだそうなので一度食べてみたいとピョンヤン観光中胸アツだったのに一度も供されなかったしとしなです。そのキャベツのキムチを、私が日本で、総連系でもなんでもないところで(たぶん)食べているッ!!!
で、ごはんの中盛りと一人鍋用チョングッチャン。やってんだかやってないんだかの横濱各所のコリアタウンの店のチョングッチャンよりぜんぜんリーズナブルです。こういうものなのか。コロナカから一人鍋始めたのか、その前からやってたのかは、私は食レポライターでないので聞いてません。
ドーン。豚肉、エノキ、豆腐などが入ってました。お味は、誰だったかな、ここ一、二年くらいに読んだ本で、韓国料理は辛いけれど、辛さを除くと、むしろ薄味で、だから韓国人は日本料理食べると「味が濃いです味が濃いです」を連発するという話があって、それは真理という味でした。私が自炊する時の味付け並みに、ダシも調味料もメチャクチャ使わない味。
このアボカドみたいのは何か不明。質問もしてません。この豆がチョングッチャンなのか…(チョングッチャンは東京では手に入りにくいので日本の納豆で代用してますと言われたら困るのでそういう質問はしてません)
で、ひとりでテーブル占拠は心苦しいので、七時十五分入店で七時三十分のラストオーダーで頼んだスジ炒め。正直、なんで韓国料理店に来て、肉抜きの吃素せんならんねんと思ったので頼んだ料理です。しかし、そない気ぃ使わんでも、隣のテーブルの、席が空いてから入った客はひとり焼き肉で、私の方が金つこてました。お店の人に、キムタクの映画や、この本の話をしましたが、ぁゃιぃハゲがなんか言ってるてなもんで、どこまで感動が伝播したかは不明です。
本書頁111では、納豆とチョングッチャンを比較した中央日報2008年のウェブコラムが、どんどんペーストされて、ウェブで得られる情報はほぼここが根っこで拡散したもの、となっていますが、今はどうでしょうか。ウィキペディア日本語版には、今も起源などの記述はありません。
やっと書きました。アジア納豆は私は未読ですが、近場のネパール料理店の女将は読んでネパールの当該地方に行ったそうですので、本書読みました?と話しかけようと思います。ハゲハゲ。以上