「慶州 キョンジュ ヒョンとユニ」(原題:경주 geongju)劇場鑑賞

主人公が北京大学教授の韓国人という韓国映画で、へー珍しいとまず思い、中国で、韓国で学生運動やりすぎてマークされて就職出来なかった人が、北京大学のような中国の難関に入って見返そうと頑張ってるのに会ったことがあり、そうしたひとの成功像が映画の設定になるくらいの時代なんだな、と思い、監督が「名匠」の名を冠しているので、最近はなんでも名匠なんだろうかと思って監督のプロフ見ると、中国朝鮮族だったので、とるものもとりあえず見たです。中国籍韓国人と間違った記述をしてるレビューもありますが、韓国人が中国に帰化したわけでなく、中国56の民族のひとつとして、自治州や自治県もあるのが中国朝鮮族です。監督は中国朝鮮族の作家で、1989年以降十年くらい作家活動が出来なくて、その後酒の席で、映画なんて誰でも撮れると大口叩いた結果メガホンをとるようになり、最初中国で作品を発表していたが、この映画の前あたりから拠点を韓国にシフトし、韓国人俳優で撮るようになっている由。で、主人公の設定は中国プッキョンで働く韓国人ですから、そこはちゃんと整理して考えると。

apeople.world

配給の人たちもそこがちゃんと整理出来てるかどうか。文革少数民族が抑圧されるまで家庭内言語は韓国語だった、と、パンフや公式の監督プロフに書かれているのですが、当時中共は韓国を国家として承認していませんでしたから、ハングゴ「韓国語」という表記はおかしいと思います。監督自身のインタビューではチョソノ「朝鮮語」と話していて、これは自然です。朝鮮族なんだから朝鮮語。そういうのがめんどくさいんなら、天下のNHKが編み出したミラクル玉虫色名称「ハングル」があるのに、なぜ「韓国語」という表記に固執するんですかと。

f:id:stantsiya_iriya:20190613053234j:plain

耳、さわってもいいですか?「キムチを売る女」「春の夢」「群山」 名匠チャン・リュルが描く、詩情緒の世界。A PEOPLE CINEMA、「台北暮色」に続くアジア映画第2弾。愛を捨て、愛を亡くし、夢の淵へ……。

主人公、ヤノさんからの電話で日本語話すのに、なぜ昼間は分からないフリをしたの?と思いました。ここは最大の疑問点です。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d7/%E8%B1%90%E5%AD%90%E6%84%B7-%E7%87%95%E6%AD%B8%E4%BA%BA%E6%9C%AA%E6%AD%B8.gif主人公の中国人妻からの留守電が、字幕と音声があってなくて、最初、"是我" と言っていて、たぶんハングル字幕(この映画は中国語や日本語が混ざるので、そこはハングルの字幕が出ます)でも「내가」だか「나야」のはずで、なのに日本語字幕が「あなた」なのが、???でした。他にも、大意はあってるのですが、細部が中国語の音声と日本語の字幕で違っていて、あと、"想我了吗?"が「私に会いたいか」なんていう協和調の日本語になっていて、なんでやと思いました。

豐子簡体字だと"丰子")の字幕が「豊子」になってた気がするんですが、空目ってないのであれば、なんで?と思いました。

ja.wikipedia.org

日本人観光客を演じた女性はパンフによると、監督の知人の大学教授だそうです。ひとりはほかの作品にも登場してる由。民族までは書いてません。ここは監督のファンタジーで、まず日本人が礼節を保って謝罪すれば、韓国人はわりなくも鷹揚に許して未来志向を望むであろうと。「いつまで謝罪し続ければいいのかいい加減にしてよ」「そもそもちゃんと謝罪してないだろう」の泥仕合というか、シャツの第一釦と社会の窓のボタンもしくはフロントホックでないブラジャーのほっくをかけちがうような歴史の積み重ねの前に、幻想は無力だと思います。

そもそも中国朝鮮族の存在理由、レーゾンデートル自体が、清朝の故地、満州人(満族)の先祖伝来の土地であるがゆえに禁領立入禁止移住禁止だった東北地方へ、清朝のタガが緩んだ末期に、開拓地新天地として、食い詰めた人や開拓者たちが流入し始めたのが、現在の東北三省の人口分布の契機、内容としては、河北省や山東省、それに朝鮮半島からの流入が目立った、というふうにだけ考えるか、イヤイヤ朝鮮半島からのは、主力としては日韓併合以降の苦しい生活に耐えかねての逃散や移住ですから、日本はそこを真摯に受け止めて反省して下さい! え、あ、いやそれはひとつのファクターであって、李朝朝鮮末期から移住は始まっていたわけですから、日帝時代をマストとして日本だけが悪いかのように言うのはやめてけさい、えーなんでなんですか責任取らないんですか逃げるんですかみたいな会話は、実は私は前世紀在日コリアンの学生の人としたことがあります。浸透したロシア人は俄罗斯族として中国56の民族のひとつに納まりましたが、日本人は一律「日僑」としてコロ島から帰ったりして、で「残留孤児/残留婦人」56の枠外。

二時間越えて二十五分はちょっと長いなと思いましたが、これはこの監督としては特異点のようで、最新作「福岡」は尺が書いてないのですが、それまではだいたい120分とか101分とか90分台に収めているので、これだけ何故か長いと。それだからどこか単館でチャン・リュル特集する前に、無理して長い作品を公開してしまおうという腹かと思いました。

監督の映画はぜんぶで13あると、パンフに全作紹介されてるのですが、ウェブで六個、多少読めるので、貼っておきます。

movie.walkerplus.com

この映画のトレーラーはどの言語版もほのぼの観重視で、どうもこの映画の、「キモオタが自分に構ってくれた美人女性から美人女性へとえんえん離れない」というサスペンスを内包した主題をうまく捉えてない気がします。いきなり大学時代の後輩女性を地方都市に連れ出して、警戒した相手が昔酔わされて「先輩はひどいことをしました」トークをしてから以降、観客はそういう目でしか主人公を見ないので。プロットの、超一流大学教授の肩書に、映画宣伝部門の社員が騙されたらアカンがな。

www.youtube.com

www.youtube.com

www.youtube.com

以下後報

【後報】

監督のメソッドは、日常からちょっと変わった対応や仕草を撮って、それを積み重ねれば、肩の凝らないたのしい映画になるというものです。例えばタンベでライター借りるシーン。長いこと禁煙してるがタバコのニオイだけかぐことにしてる主人公なのでタバコは持っていて(中国製の双喜)でもライターの手持ちがないので喫煙所で借りる場面。だいたいこういう場合ライターを返し忘れそうになって、返せと貸した人が言うか、泣き寝入りになるわけですが、そのライターを貸す人が、徴兵中の新兵で、兵隊なんだから強く言ってもいいし、けど相手がもっと上級まで行って退役した先輩だったら強く言うのはマズいし、でも相手は兵役があるにしてもインテリの「通いの軍隊」(高学歴は自宅通勤の徴兵が許されてたりする)にしか見えないし、うーんうーんという。それだけだと凡庸な映画にしかならないので、主人公はヘンな人なので、ひさしぶりのタバコなので、一本吸いながらもう一本火をつけて、二本まとめて吸い込んでむせたりしてるわけです。ここまで演じさせると映画のワンシーンになる。

というロジックは、やっぱりホン・サンスを換骨奪胎して、ホラみろ、誰でも映画作れるだろうと、監督が無言実行してるかのような。

パンフの暉峻創三という方のレビューを称えてるコメントがどこかの映画サイトにありましたが、この映画の場面場面が総じて閑散として人がいないのは、ゆうれいとしか生者と死者の境界とかそういうんではなくて、「韓国も少子高齢化が進んでるから」だと思います。

baike.baidu.com

百度の監督の履歴は、韓国移住後が空白です。ウィキペディアは、日本語版しかありません。ハングルも漢語も英語もない。

張律 - Wikipedia

登場人物がこんなに日本語話すというのも、監督のファンタジーというか、中国朝鮮族はかつては第一外国語に日本語選択する人が多かったですから、監督の世代なら、話せずとも、理解出来るかという点では、そりゃね。韓国人はもうそんなにという感じですし、中国朝鮮族も、もうそういう時代ではないです。ハングルの継承自体どうなんでしょうと。中国語に関しては、ヨメの中国語の日本語字幕のケッタイな点については既に上に書きました。観光案内所の棒読み漢語は、あれはあれでよいと思います。映画バーニングでもその程度のカタコト中国語を喋る女性の場面があった。で、監督が中国朝鮮族らしいといっていいのかどうかと思ったのが、英語由来の外来語がほとんどないこと。「アカデミック」くらいじゃないでしょうか。これは、北朝鮮と中国朝鮮族が、韓国と異なり、英語由来の韓国語でなく、漢語のハングル読みを主体としてきたことに起因するです、たぶん。ノートはノートといわず、笔记本をハングル読みしてビョルジブンと言う、みたいな。

ヒロインは孔子の子孫で、しかし女性だからか、父は73世でしたと大学教授に回答しています。終盤「ほうしがい」の絵に添えられた漢詩をヒョンが読みますが、勿論北京語で読んでいます。ハングル訳の時は、なるべくハンナラとかウリとかそういう、漢字の単語でないことばを用いてます。韓国内の、先祖が中国で、近世以前に半島にやって来た人達の子孫というのは、確か有名人では廬武鉉元大統領がそうだったと。山東から中世に黄海を越えてやって来た筈です。華裔というカテゴリに入るのか。こうしたエスニシティーの日本の例をぱっと思いつきません。沖縄の久米三十六姓が、そんな感じかも。

http://static.kstyle.com/stf/617a98ac81d79ef4fac1bc53311a0b51.jpg/r.580x0

http://news.kstyle.com/article.ksn?articleNo=2114858

パンフにも載ってる、映画とぜんぜん違う主人公とヒロインの写真。映画のパク・ヘイルはもっさい七三分けのメガネでうっすいチョビヒゲのしとで、こんな脱獄したイケメンみたいな人じゃアリマセン。ヒロインも、髪おろしてなくて束ねてます。

http://static.kstyle.com/stf/d23660fede5501edeec6885047ebde70.jpg/r.580x0

こんな男性が、学生時代酔ってヤッた後輩を呼び出したり(既婚者であることも知らずに)若い女主人の茶館にずっと居座ったり、中国人にも棒読みの中文で話しかける美人の観光案内所の女性のところにまた舞い戻ったり、とにかく女性の周りを離れないので、ビョーキか、こういうしつこさが韓国男性なのか、それで最終的にやってしまうのか、と思いながら観ることになります。韓国男性の例としても、日本男性の例としても、しつこいもん勝ちの話は、まあ、聞きますね。

で、主人公役の俳優もまわりも、これ、監督のことでしょう? 監督の実話でしょう? と聞きまくるわけで、だから最後主人公とヒロインはぐんずほぐれつがアレなんだと思います。ホン・サンスの「正しい日 まちがえた日」は、慶州と水原の違いだけで、あとはよく似た映画だと思いますが、張リツ監督のが先なのかな。

crest-inter.co.jp

ぐんずほぐれつがアレなので、フランスでは評価低くなると思います。人間の自然な本能なんだから、自然に開放せんとアカンよ、万引き家族のやうに。既婚者と死なれた結果のバツイチ中年男女がオールしてんのに、夜中の三時四時でまだコレかいという。

古墳の絵はよかったです。とても明るいので。この映画の予算のかなりの部分は、ここの照明車だと思います。コンサドーレの厚別開催のように照明車使ったのではないでしょうか。

私がオチをプレゼンするなら、夜半さいご、ふたりで茶館に行って壁紙剥がして、男がとりつかれた性欲魔人の正体を確かめると思います。その結果どうなるかは思いつきませんが。

茨木のり子さんの昔の本を読んで、韓国人確かに代用茶ばかり飲んで(麦茶とかコーン茶とか)お茶っぱのお茶飲むイメージないなあ、と思ったのですが、この映画はそうした既成概念に戦いを挑んでるので、伝統的なお茶の店です。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

韓国で私は、今は絶滅したかもしれない「タバン(茶房)」に連れてってもらったことがあります。アガシがいますが、別にたあいもない話をしながら新聞を読んでまずいヒーコを飲む店だと、関川夏央『ソウルの練習問題』に書いてあった店。で、前世紀末の長春で、その頃中国で喫茶店など目にすることはまずなかったのですが、咖啡の看板があるので飛び込んでみたら、タバンを中国でやってみたみたいな店で、バツイチの女給のひとがテーブルの向かい側に座ってよもやま話を始めてきました。この映画の茶館も、そういう店をヒロインが観光客向けの店にリメイクしたのかなと最初思った。

で、春画の有った時代のその店は、ソウルで女性市長が閉鎖した妓生ストリート、ミアリコゲみたいのが慶州にもあって、それかなと思ってみたり。監督がいかに否定しても、これ監督の実話でしょうといわれてしまい、それでエンディングがブレたとしか思えません。以上

(2019/6/15)