配信もされている映画ですが、高田馬場でかけてくれたので行きました。
左の女性は、寝たきりで何も自分で動かせない感じの父親が、かつて延辺で現地女性に産ませた娘。現在はソウルで父親の持ち家に住んで父親の介護をしながら、敷地内にビニルテントの居酒屋「고향(コヒャン、故郷)酒幕」を経営しています。右側の底抜け三銃士は、真ん中が身寄りのないちんぴらで、ヤクザに声を掛けられつつも躱している存在。奥の、ワッキーみたいな髪型の青年は、親が地主で、たぶん癲癇があります。ほとんど症状が出なくなっておさまっているてんかんの人の発作のときと、アルコール性てんかんの人を見たことありますが、こんなだったか分かりません。右のベストの口髭の男性は、脱北者で、目が悪いのかな、給与未払いの支払いを求めて社長の家に日参しているという設定です。あと、サッカー少女が出ます。
この監督は「慶州」を観ましたが、煮え切らない男性がえんえんストーキングするような映画で、ちょっと気味が悪かったです。が、この映画はそういうこともなく、ふつうに観ました。監督は中国籍韓国人と紹介されている中国朝鮮族で、なんで中国籍韓国人なんてへんな呼び方してるんだろうと思ってましたが、この映画のヒロインの設定とごっちゃになっているのかもしれません。もともと作家で、天安門の後十年間干されて、映画なんて誰でも作れると豪語して映画を作り始めたとか。意外性のあるカットの連続で映画になるというレトリックだけで作ってる気もします。「慶州」で日本に売り出そうとしたのにそのあとふっつり何も聞かなくなったので、韓国と中国の関係、在日コリアン社会と中国の関係に左右されたのかしら、でも「政治」の色眼鏡で見ないで、純粋に映画として見て、映画としてどうだろう、おもろいかコレ、と思ってたので、「慶州」以外の作品も見れてよかったです。
「慶州」はほとんど英語がなかったので、朝鮮族だからかとこじつけて考えてましたが、この映画は妻の意味の「ワイプ」「ヌードビーチ」写真を撮るときの「チーズ」うまく撮れたので「グッド」など、外来語のせりふがあります。冒頭、安寿吉という人の『北間島』という本が出ますので、戦前の本かと思ったら1963年出版でした。
テリムドンというあまり治安のよくないソウルの新チャイナタウンにヒロインが遊びに行って帰ってくる場面で、羊の串焼きを食べたの? 僕も羊の串焼き好きだよ、というセリフがあって、韓国でもそんな感じなのか(制作当時)と思いました。
でもヒロインが住んでいるのはそことはぜんぜん別の旧市街みたいなところで、孤立してる感じです。フィルムセンターにただで見れる映画を見に行く場面で、ジャッキー・チェンのことを「ソンニョン」または「ソンニョム」と聞こえる発音をしてるのですが、成龍そういう発音になるのかなと思いました。龍はヨンだった気瓦斯。
悄然、否、床前、明月の光をみゆ、の漢詩をヒロインがくちずさむ場面があります。ぜんぜん関係ありませんが、チャウ・シンチーの「食神」で、嵐の大野智がウケテた場面ですが、「食神」はミスター味っ子のインスパイアで、おいしいものを食べると羽化登仙してわけの分からない世界に行ってしまう心理描写のシーンが何ヶ所もあり、そのうちの一ヶ所で、この漢詩の後半を広東語でくちづさむ場面があります。ディータウ、スーグーヘン。こうべをひくくして故郷をおもう。
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ネタバレ。さいご、ヒロインが、バイクに乗ったイケメンの恋人というか死神というか死霊というかに連れていかれる場面ですが、イタリアのゾンビ映画で確かそういう場面があり(そっちはもっとゾンビゾンビしてましたが)その映画を私に教えてくれたのも韓国人で、コリアン世界ではわりと知れた話だったのでそのまま使ったのかしらと思いました。
早稲田松竹のこの企画は、ホン・サンスの新作に始まって、好調な韓国映画界でも失業者は失業という「チャンシルさんには福が多いね」になり、日本配給のメインストリームから完全にハシゴを外された?かに見える朝鮮族監督の作品を最後に置くことによって、なにか一貫した構成を狙ったように思いました。よかったです。以上
【後報】
エンドロールの監督名が、ハングルのアルファベット表記"Jang Ryul"でなく、ピンインの"Zhang lü"で、ちょっと驚きました。調べたら、慶州よりこっちのが後の作品なんですね。
さいごの、突き放した終わり方、父親の乱暴な動かし方など、監督は、ひょっとしたら、観客を信じていないのかもなと思いました。
(2021/10/30)