お天気がよかったせいか、とても観客数が寂しかったのですが、むべなるかなという。
わりと予告が印象的だったので観ましたが、原作も忘れてましたし、この監督のこれまでの作品も知りませんでしたので、そんな状態で見るべきでないと断言します。腹が立つだけです。
映画を観てから図書館に行って、新潮文庫の宮本輝みたいなタイトルの『螢・納屋を焼く・その他の短編』は貸し出し中でしたので、下記を借りて、納屋を燃やすがどんな作品なのか再確認しました。思ったより原作を忠実になぞっていて、怒りが半減出来てよかったです。最初、『納屋を燃やす』で検索したら、蔵書ゼロと出て、頭が真っ白になりました。井上ひさし『ブンとフン』のフン先生は、有名小説とよく似たタイトルの作品を書いて、そそっかしい読者が間違って買うことで生計を立てていますが、『納屋を燃やす』はまだ誰も書いてないようなので、ねらい目です。英題は、"Barn burning"映画のハングルは「ボーニン」です。だからボインが出て、それでPG12指定。
原作は語り手が世界のハルキ・ムラカミになる前のハルキ・ムラカミだけれども、それなりに翻訳などでちゃんと食えているであろうハルキ・ムラカミで、あつぎのえいがかんkikiのスタッフオヌヌメのユ・アインとは、明らかに「納屋を焼くお」との年齢差が逆転してしまい(儒教社会の長幼の序が力点作用)、また富裕貧困問題から来る両者の力関係も変わってしまい、そこがまず残念というか当惑というか。監督的には、オナニー猿という共通点を振ったつもりかもしれないのですが、そんなとこ見てて分からない。
徴兵終了の大卒でモラトリアムで、かつての学生運動世代は当局にマークされて卒業後就職出来なかったりしたわけですが、そういうわけでもない民主化完全達成以後の世代。でも実家に余裕は全然なくて、父は暴力衝動が抑えられない、収監中訴訟中の畜産農業失敗者。母は逃亡。姉は結婚したとのことで出てこない。この主人公で「納屋を焼くお」や「エアみかん」と渡り合えるのかという。
監督の以前の作品もデジタルリマスターでそこここで上映されてるようなので、恐怖の報酬やらディアハンターみたいなどうでもいいデジタルリマスターやったわけですから、厚木でもやるかなと思いますが、その前に今の厚木、前の会社が、身の丈に合わない買い付け上映を繰り返して身を滅ぼした教訓をちゃんと汲み取っているのかどうか。グリーンブックもブラッククランズマンもビールストリートもファーストマンも、厚木で見る必要あるのかという。沈没ナントカだったら、ほかに来ないし子育て支援都市厚木でやってもいいかと思います。が、無茶なリクエストには心を鬼にして対応すべき。高くておもしろいは当たり前(ハズレも多いですが)安くて面白い映画をかけ続けよう。
仮に厚木にペパーミントキャンディが来ても、厚木の客はアップリンクの客とは違うので、ぶわああにんぐがこの出来だと、見に来ないかもしれない。何だろうなあコレほんと。原作北アフリカを南アのカラハリ砂漠にして部族の踊りやってみたり、パラパラ踊ってみたり、中国とアメリカの共通点、それはおおざっぱなこと、それがどこから来るのかというと「大陸」という点から来る、という、ここは私も賛同するウンチク垂れ流し時間。しかしあなたたちもケンチャナヨではないですかとか、儒教なのに雑、という視点はヘンではないか、大陸からあなたたちはつねづね「儒教の優等生」と呼ばれており、これはどう考えても褒め殺しの忖度である、とか、そういうことを考えながら観ました。
でも始まってすぐ少し寝ました。
ヒロイン「エア蜜柑子」もだいぶ造形をいじっていて、借金地獄だったり、ぬこ飼ってたり、主人公「韓国のポークナーを目指す男」と幼馴染だったり、井戸から貞子が出たり、いろいろですが、最大のは、「整形美人」で、やっと韓国も自国社会の現実を直視する気になったか、と、徴用工問題や少女像にかねがね過大な関心を持って日夜目を皿のようにしてそういうネタにだけ反応し続けて行きていたい私はご満悦気分だったのですが、だから逆に、おっぱいがどうにも不自然に見えて、揺れないし、これ、偽ちち巻いてつなぎ目をCGで消してるんじゃいかとずっと疑惑のまなざしで見てました。ビーチクの色が黒いのだけは、評価します。ピンク映画のようにピンクに塗らなかった。
そう、「ギャッツビー」という単語が聞き取れませんでした。字幕で「グラス」と出たのも聞き取れませんでした。どちらも、ハングル特有の語頭が濁らない現象だったらお手上げです。後者は、ハングルだと「ポット」と言ってる可能性はないかなと思いました。「大麻」が何か知らんけど聞き取れたのですが、「テマ」なら聞き取れるわけもなく、ひょっとしたら、日本語の「たいま」がそのまま入ってて、それで聞き取れたのならいやだなと思いました。北京語だとダーマー。納屋を焼くおは、93以外タンベ吸わないと途中まで思ってましたが、ポルシェ911カレラの窓開けて灰落としながら運転する場面で分からなくなりました。
そう、納屋がビニルハウスになってる点も、ひっかかりました。例の語頭が濁音化しない現象で、ピニルハウスピニルハウスと言っていて、三田紀房の『エンゼルバンク』で、農業資材をなんでも農協から買うんじゃなく、例えばビニールハウスは、資材ぜんぶ韓国とかから買えば全然安く上がると、この時代あたりから講談社は民主党(当時)寄りの夢物語マンガが増えてくるのですが、そういう話があったなあ、と思い出しました。納屋でいいのに。なんでだろ。
原作は、1983年の小説なのに「ポリリズム」という単語を使っていて、さすが本業翻訳業と読み直して感心しました。
夏から冬へと、季節が移り変わるところはよかったです。あと農村の夕暮れ。でも、丘を越えるとプッカンの、国境の緊張感はゼロ。少子高齢化問題に韓国も直面してるはずなのですが、その現状描写ゼロ。ペ・ドゥナの映画で出てきたような、朝鮮族や南アジアからの出稼ぎ労働力に頼る韓国の地方の問題のスケッチも、ゼロ。
カンヌで批評家の点が四点満点の3.8点だか3.7点で、パルムドールを争ったショップライファーズが3.2点なので、こりゃすごいとの煽りでしたが、嫌韓儒の私が見るに、それは中東の笛なんですよと。パク・チャヌクのオールドボーイは、原作が自信喪失時期の狩撫麻礼で、なので変名の土屋ガロンで発表したわけで、それをあんなスタイリッシュな映画にして、復讐の動機も、原作の厨二病とは違った、一般読者にも納得のいくものになっていて、とてもよかったのですが、「納屋を焼くお」が金持ちな点は本作共通していても、それ以外原作者の高名度がダンチなので、監督名前負けしたと思います。あの狭い坂道がセレブの住む地帯と言われても納得しないのも同様。ただ、役者さんはよくて、あの判で押したような外ヅラだけの社交的なスマイルは、役者さんが北米育ちだから出来た技かと納得しました。
全然関係ないんですが、韓国にはTENGAないんでしょうか。ユ・アインちゃんが本作で女優デビューの子に後ろから手コキさせてる夢の世界の場面見てふと思いました。
以上