『ウクライナから来た少女 ズラータ、16歳の日記』"THE GIRL FROM UKRAINE. Щоденник 16 річної Злати (Diary of 16-year-old Zlata)" by Злата Івашкова (Zlata Ivashkova) 読了

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ウクライナ語タイトルは上記ドニプロ(ズラータサンの故郷)トゥデイからですが、元は駐日ウクライナ大使のFBです。ズラータサンの旅は下記。ひとつにまとめれませんでしたので、移動ごとに示します。

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下記はズラータサンの故郷ドニプロ。

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下記はズラータサンが日本語教師アンナ先生(刊行時点で音信不通)から教わったビジュアル系バンド「キズ」のMV。配信と同じようにライブ演奏は出来ない音楽の、どっちが好きなのか考えてこっちを置きます。

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「回して!!ハラショー」は3.11で分岐したパラレルワールドの日本らしいと、検索30秒でニワカ理解しましたが、そういうのもスラヴ的でいいのかなあ。下記は何か関係あるVなんでしょうか。

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文と絵はズラータサン。電信柱をわざわざ表紙に置いたのは、やっぱり日本で印象的なもののひとつだったからではないでしょうか。その意味で、まだまだ日本語で表現出来るものは、落ち着いてきたらガンガン出てきそう。

装丁・本文デザイン|西村真紀子(albireo Inc.)

撮影(著者)|久保田彩子

取材・編集協力|北菜穂子

編集担当|後藤明香

本文のみで、「はじめに」とか「あとがき」とかはありません。解説もない。あってもいいと思うんですが、今はネットでいろいろ調べられる時代なので、引用で行を埋めるしか能がないコネヒョーロン家しか起用出来なくて、そんでそのヒョーロン解説は面白くないのでボツになったのかも。

レビュアーは、示し合わせたように、ズラータサンがポーランドでコロナ感染して長時間足止めを食らったことを書いてくれてないかったので、読んで、5度目のPCR検査でやっと陰性になる展開に唖然としました。ウクライナではコロナはそれほど恐れられていない(頁101)という記述は、日本の読者向けに書かれたものなのか、日本語学校のクラスメートである中国人たちに向けて書かれたものなのか(現状、中国のコロナ主要感染源のひとつはロシア国境)というのもあるのですが、それより、PCR検査の費用のバカっ高さに呆れました。市内で400ズロチ、否ズウォティ≒約1万2000エソで、空港だとその倍の800ズロチ、否ズウォティ≒約2万4000エソ。日本の、あの「PCR無料検査所」の、検査は無料だけど陰性証明発行にかかる費用とほとんど同じじゃナイデスカ!物価差を考えると、これはとんでもない暴利だと思いました。そんで四回も森の妖精、否陽性判定出された日には、大変だこれは。そんな16歳、めったにいない。

でまあ、陽性なんですけど、国境で知り合った日本のテレビクルーの取材を受け続けたり(ダウン時以外)ほかの避難民取材の通訳したりしてて、まあオミクロンだとそんなもんでしょうねと思いました。私も接客で、「実は俺、コロナなんだけど、どこもいっぱいで隔離先が見つかってないんだよ」な~んて、ごくまれに具合悪そうな人に言われたり言われなかったり。

この表紙の、平和な日本のJKと自分との対比と、下記のような帯だと、あざとさを感じる人がいるかもしれませんが、本文頁202のこのイラストの個所では、こうなっています。

https://cdn4.suspilne.media/images/resize/1040x1.78/81280722b9542aba.jpg

https://suspilne.media/287973-u-aponii-vidali-knigu-ukrainskoi-skolarki-pro-vijnu/

頁202

 日本人学生だけでなく、親からの応援のある留学生も羨ましい。彼らの親は、子どもたちをここに送るだけじゃなく、さらに応援できるほどの財力があるということなのだから。それは相当なお金持ちということだから。

で、頁206によると、日本語学校のクラスは中国人が多いそうで、そういうことなんだなと。親友と呼べる端正な顔立ちの中国人男性25歳と仲が良くなるので、ネトウヨ的には「なんで台湾人じゃないんだよっ」と思うかもしれませんが、世界を「親日」かそうでないかでしか分けれない人であるなら、親日だけれどイタズラの度がすぎるし、辛辣に日本を批判することも出来るトルコ人なんて、アウトオブ理解でしょうし、あまり深く考えない方がいいです。

頁110に「希望は最後まで死なない」という意味のウクライナ語が書いてあるのですが、私は写し間違えたのか、下記のようになってしまいました。

надежда умирает последней

どこがおかしくて否定文が肯定文になってしまったんだろう。頁149で初めて、ズラータサンは、自分の地域は日常ロシア語遣いだと明かしています。ドニプロって町自体は、ドニエプル川沿いに、ザポリージャの上流に位置していて、まあまあウクライナの真ん中ですよね。神奈川県に例えると、高座渋谷とかいちょう団地のあたり。そこがロシア語圏なら、ウクライナ語話者はどこにいるって感じで。でもドニプルはウクライナで、ロシア語を話してても意識はウクライナ人で、クリミア併合はロシアけしからんですよと。こういう機微もまた、邦人には理解が難しいのではないかと思います。ヤフコメに「純粋ウクライナ人」なんて書き込みを見つけて、鼻血ブーと出そうになりました。すべてが陸続きで、鉄道網はソ連時代のそれのまま検問なしに国境を越えてゆく旧CISの兄弟国で、何を以て純粋だなんて言うのか。むしろ、スラブの正統争いで、兄弟の片方が、カインがアベルを殺害したように肉親の存在を抹消しようとしているだけの話ではないのか。

ロシア系のウクライナ人がロシア軍占領地にいたら、それこそ、ロシア国旗振らされたり、リベレーターマンセーの連呼させられて、動画拡散の憂き目にあっていたかもしれず、殺されるよりはマシでしょうが、どっちもいやだというのが真であるはずです。

頁179で、日本のテレビクルーとグータッチをするのですが、ほんとうにグータッチは、接触が少ないので感染予防なんでしょうが、どうも私はまだ慣れないです。

頁196で、日本は服が高いとあり、いちきゅっぱーで呻吟してるので、いくらならええねんと思いつつ読んでくと、ウクライナで買ってた服は1kg100円以下の古着とあり、ウクライナでは個人がキロ単位で服売ったり買ったりするんかと驚きました。中野の救世軍の月イチバザーとかだったら、それくらいであるかもしれません。今でも救世軍バザーあるのか知りませんが(コロナカでそういうのもストップしてたかも)なんとなく、ガーナにばっかり使えない古着送るなら、ウクライナに送るべきではないかと思いました。でも体格が違うから、日本のSサイズの多い古着は東欧無理かもしれない。会ったことある人なら、ガーナ人って、けっこう中肉中背だったり、身長も高くなかったりだと分かってくれる気がします。

ズラータサンは、避難しつつも専門学校(ウクライナでは中学卒業後、普通科高校か専門学校かを選ぶそうで、後者のほうが、スキルを身に着けつつ高校教育課程も学べ、大学進学後はパンキョーをスキップできるので、専門学校への進学のほうが人気があるんだとか。そういうことを書いてくれるのは、本書の特色です)の授業はオンラインなので出席することも出来ています。ここもほーと感心しました。ズラータさんは母親と二人暮らしで、父親は彼女がゼロ歳児のころに出奔行方不明。近くに独身の伯父とバーブシュカが住んでるとか。出国は彼女一人。ワルシャワで出会った、やはりアニメ好きのブロンド青い目の童顔二十代女性は群馬県に避難するそうで、ロヒンギャといい、クルドといい、西川口チャイナタウンといい、現代の難民は埼玉から群馬なんだなと思いました。インドシナ難民の時代の神奈川はもう過去のもの。でも米軍がいるのといないのとでは、在留外国人社会は雲泥の差であるとは書いておきます。あと文豪ストレイドッグスがズラータサンが日本にハマるきっかけだったそうで、それで太宰治人間失格の初版本をネットで約15k日元も出して買うあたりが「おそろしい子」

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スウェーデンオーサ・イェークストロムサンとちがって、専門学校でそういう絵を学んだからか、アニメ絵でない絵を本書では描いています。頁33の人物の遠近や、頁211のデッサンなど(来日してから猫背になったのを気づかずにいる?)これからいい先生が指導して、見直していただければよいなと思いました。

地名は一貫してウクライナ語だったのですが、最終章になって、飽きたのか、ロシア語で「ハリコフ」と書いたりしてます。さいご、頁223の文章「元気で。絶対にまた会いましょう」の原文はロシア語かなと最初思ったのですが、"и"でなく"i"を使っているので、ウクライナ語と思い直しました。

Бережітъ себе. Ми іще обо, Вязково зустрінемося.

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ドニプロのサッカークラブ、ドニプロ-1は、シャフタル・ドネツクディナモ・キエフの下の、三番手くらいのクラブだそうで、しかし本書には出ません。以上です。