グーグル翻訳英題:"The Fishermen of Hallelujah Village: An Ethnography of Civil War and Faith in a Sri Lankan Tamil Village. " by HATSUMI KAORI
グーグル翻訳シンハラ語タイトル:"හලෙලූයා ගම්මානයේ ධීවරයින්: ශ්රී ලාංකික දෙමළ ගම්මානයක සිවිල් යුද්ධය සහ ඇදහිල්ල පිළිබඳ ජනවාර්ගික අධ්යයනයක්." හට්සුමි කඕරි
これもブッコフで買ったスリランカ関係の本。¥1,540税込は、その時買った本の中でいちばん高かった本です。新刊で買うと三千円なので半額は半額ですが… 庄野護サン『スリランカ学の冒険』*1で、その国に行くならその国の本(又は論文)を百個読め、とあったので、行く予定はないけど読んでる58冊目。さくらももこサンのエッセーまで読んで、まだやっと58冊目かぁ… 道は長いです。元町のミツティーのしとのセイロンティー農園体験ルポ*2とは対照的に、その時買った本ではいちばん読むのに気が重かった本。何しろスリランカ内戦そのものズバリの直球ルポルタージュなので、暗くて、重い。著者のような学徒の本でなくても、いくらでも戦地からのセンセーショナルな記者告発ルポがありそうなもんですが、でも、ないんですよ、邦人ジャーナリストのスリランカ内戦レポ。意外にも、ない。ガザからは発信するけど、ジャフナに行ったら即死にそうなので、行かない。そして書かない(書けない?)
作者が女性なので、寄り添うのは伝統村落では家庭内作業に従事する女性が多く、ぜんぜん漁師といっしょに漁に出てモルジブ・フィッシュをとるようなルポはありません。イキオイ題名にあるような「漁師」ではなく、その点、おおいにタイトルで損をしています。だいたい、スリランカ政府及びLTTE、タミル・イーラム解放の虎(தமிழீழ விடுதலைப் புலிகள்)による清野作戦の一環で難民もしくは強制移住の人たちですので、逃げ惑ったり危険な目に遭ったり飢えに苦しんだりの記憶の数々は語られますが、キャンプから漁になんてナカナカ行けないわけなので、その点でも「漁師たち」ではないかなあ。かといって、紋切り型な先入観を持たれそうな『ハレルヤ村の女性たち』にはしたくないかったのかもしれません。現在はたぶん圭角がとれてると思いますが、かなり本書時点でまだ作者はへんくつだったと思いますし。


2009年の参与観察で得た知見を、英語論文は別として、日本語のルポルタージュにまとめて本を上梓するのが2021年。それだけ記憶の整理と、時グスリが効くまでに時間がかかったんだと思います。書きながらいろいろ人生と折り合いをつけていった。一橋大学からコロンビア大学へと彷徨し「探し物をしている」(頁7)作者がスリランカ内戦をテーマにしたのが21世紀六度目の夏から約五年間。本書執筆時点では九大で糊口を凌ぎ、そののちに直木賞作家東山彰良サンの御父君でも知られる西南学院大学で准教授に。地に足をつけることが出来てヨカッタデス。スリランカ現代社会もまた「活字より動画」で、翻訳者の野口忠司サンらによると、それはかつて紙の関税がバカ高くて印刷文化が育たなかったスリランカ政治の悪い点にも起因するそうですが、それだからか、初野サンは(おそらく2010年代は)現地で開発援助と内戦について映像作品制作にも携わったそうです。が、そのタイトルと、現地人監督の名前、それと、例えば日本国内での上映記録、上映予定などは分かりません。
本書タイトルで「スリランカ・タミル」と書いてるのは、前述のミツティーのしとのプランテーションルポに出て来る「インド・タミル」との対比です。スリランカ在住のタミル人は大きく分けてスリランカ・タミルとインド・タミルの二つの潮流があって、前者はA.D.数世紀に、一説によると多数派のシンハラ人より先に王朝を建国したりして、その後も統一スリランカの方向にユナイトということがなく、ずっとスリランカで多数派のシンハラ人とは別にタミル人として暮らしてる人たち。もちろんインド側のタミル人とは途切れることなく交流はあったと思います。後者のインド・タミルは、英国がスリランカで大々的に紅茶産業を始める際、多数派のシンハラ人は自称アーリア人の子孫であまりにも働かないので、インドから労働力として移植した人々。プランテーションの外に出ませんし、前述のミツティーの時に、やっとスリランカの市民カードが交付され、歴史的快挙なのでぜひ外国人としてその場に立ち会っておけと農園主らに強く言われるも、ミツサンがピンとこないというものっそリアルな描写があったりします。そんな人たち。在日シンハラ人にインド・タミルのことを聞くと、ぼそっと、「あの人たちは奴隷ね」と言ったりします。日本で言うと、秦氏などの渡来人が、そのまま音声言語としてのハングルを捨てずに(当時はハングルという言い方はしませんでしたが)蝦夷・土蜘蛛などの大和民族と同化もせず、加藤清正が連れてきた陶工などとは一体化してそのまま存続し、しかし、内鮮一体の後に渡日した「徴用工ガー」の人たちとはセパレート、オールドカマー・ニューカマーとして分離し、べっこの存在のコリアンとなった社会に、もしなっていたら、という感じでしょうか。『泣いて笑ってスリランカ』はインド・タミルとシンハラ人を内戦の影響が少ない中南部にルポした作品、その少しのちに、内戦爆心地北部周縁難民キャンプ等にスリランカ・タミルと暮らした本書。好対照。涙も枯れてから、祈りの時が来る。
そのスリランカ・タミルも、信仰によって大きく三つに分けることが出来ます。キリスト教徒と、ムスリムと、ヒンディー。シンハラ人は仏教マストですが、タミル人にはたぶんほとんど仏教徒はいない。いたらシンハラ人に同化されてたと思う。本書は、「ハレルヤ村」でも分かるとおり、キリスト教徒集団や教会に寄り添ったルポです。でもなぜか作者は受洗、キリスト教に帰依しないんですよね。周りからはさかんにそうすべきと勧められるのに、しない。それをしてしまったら、ムスリムやヒンディーのコミュニティーに取材しにくいからかと思ったんですが、でも、ツテがなかったからか、ムスリムやヒンディーのタミル人コミュニティーはほとんど本書に出ません。取材出来てない。特に後者のヒンディーは、内戦のもう一方の主体者:タミル:イーラム解放の虎が狂信的ヒンディー教徒集団という点と、作者が住んだ村落人口が少ない構成という点の二点から、ほぼほぼ出ません。でもそれなら、というかそれでなくても、初見サンはカソリックになるべきだった。なにものでもない人間に、ひとは深奥の自分を明かさない。本書クライマックス、カソリックの伝統信仰行事で、難民キャンプから村にもどったクリスチャンすべてが参加しておごそかに行われる感動的なシーンのその時に、突然腰砕け的に、ペンテコステ派(頁313。タミル語での誰何は:サバイ? ニー、サバイ・アー?)のこどもが我関せずでたわわに実った果樹に群がって貪り食って口を果汁でべたべたにしてて、主人公が寄り添った老婆が眉をひそめて注意する場面が出ます。宗教行事に出ないのは宗派の教えの違いだから仕方ないが、ならせめて忌日として外に出るな、家にいろ。ここは笑いました。帰宅困難者たちのお寺の施餓鬼會が催される時に、おんなじ日本仏教徒ですが、学会員のこどもがぱらぱら我関せず遊んでるような感じでしょうか。
確か、和田朋之サンの本*3にあった記述で、ということはスリランカ現代史の権威の和光大名誉教授のしとから来てる知識だと思うんですが、スリランカでは内戦地帯とリゾートなど観光地帯がかなり明確に仕切られていて、越境してテロを仕掛けて来ないようテッテイ的にやっていたので、漏れ出したテロリストの誘拐や自爆テロをほとんど心配することなく、観光客が観光旅行することが出来た、だから逆に悲惨な内戦の実態が外国人にも共有されなかった、といいます。また、少しスリランカを勉強しだすとすぐでっくわす件ですが、1980年代に既に日本山妙法寺の僧侶が内戦停止、和平を訴えて爆心地ジャフナを訪れてすぐぬっ殺されるという「自己責任」論の先駆みたいな事件*4があったので、それでもう誰も浅くしか関わらないようになった、気もします。日本人からしたら、仏教徒の多数派シンハラ人のほうが親和性があるし、タミル人はインドにたくさんいるから掃き出しても掃き出してもまたわらわら大陸からやってくるが、シンハラ人はスリランカにしかいないから、負けると絶滅してしまうという社会不安論にうなづく邦人も最近は多いんじゃないでしょうか。そのスリランカから最近来日してるスリランカ人は、名古屋入管の女性は名前からしてシンハラ人みたいですが、でもだいたい国内少数派のムスリム(タミル語話者)です。5%くらいしかスリランカにいないはずなのに、日本では石を投げると当たる。
スリランカ・タミルのカソリック第一次産業従事者コミュニティーを、彼らの信仰に改宗することなく定点取材し続けた初見サンの民族誌は、究極のところ、下記のような地点に落ち着きます。難民キャンプで、恐らくは虎(独立戦争を仕掛けた側)から砲撃を受けて負傷した幼児、もうすぐ二歳になる、両足が不具になって歩行困難と思われるこどもを抱いた母とその父が、難民村の薄暗い家で初見サンと過ごす場面。
頁221
デェーバは私に「カメラを持ってこい。そして、孫の足の写真を撮って、世界から金を集めて、彼のミルクを買う金に使う」と言った。私は、そのときデェーバに、「カメラは持ってきていません」と答えた。すると、「あぁ、お前がここに来ていても何の役にも立たん」と、彼は冗談っぽく笑って応じた。

帯。やっぱり版元の左右社も「女性」を前面に出して売りたかったのか。作者がそれに対して「漁師が男性とは限らないですよね? あまちゃんとかいるし。アンタたち意識低い系なの? "No-Woke"なの?」と言い返したわけではないと思います。ましてや、「パパ活とかギャラ飲みとか実況でスパチャねだるのとか立ちんぼと見せかけて美人局のボッタとかも一種の〈釣り〉じゃないですか、許容されるかどうかは別として」といった言説はおそろしくスリランカ的常識からかけ離れているので、出てこないと思います。『イスル・ソヤ』というスリランカ人海外出稼ぎの本*5を読むと、英語堪能なのに中東など英語不要アラビア語地域に出稼ぎに行くことが多いスリランカ人女性にとって、パキスタンのカラチなど回教圏の大都市空港で騙されて売春窟に売り飛ばされるフォークロアは、かなり実際にあったことだったようです。そういう同国人の女衒がいる。


カバーをとった表紙と裏表紙。旅行中のメモなのか、現地の人が書いたメモなのか。

帯裏。ここまで書くなら、その信仰世界に飛び込んでほしかった。

本書はかなり人名も地名も仮名を使っているようで(そういう断り書きはありますが、どれかは分からない)ハレルヤ村も、その故地ペルンカリパトゥもグーグルマップでは見つけられませんでした。これは、本書に出てくるチュティクラムという要所(グーグルマップではチェッディクラム)の聖ヤコブ教会の写真。本書にも聖ヤコブ教会は出ますが、同じところかどうかは分かりません。樹のうろに十字架がある。頁285にペルンカリパトゥの分村のペリヤマドゥが出て、そこはグーグルマップで出ます*6。その頃、離村強制疎開前は米も野菜も作っていて、牛を飼っていたから牛乳もヨーグルトも飲めたとか。

マドゥーという交通の要所の聖母教会。これは本書にも出ます。デッカくてカッコいい。

これも聖マリア教会。説教所かな。広いです。

聖母教会入口道路にはゲートがあります。タミル・イーラム解放の虎によるテロと内戦の記憶はまだ新しいのか、それとも現在進行形でイスラム過激派などの攻撃があるのか。

ゲートを開閉するポリスなのかガードマンなのかミリタリーなのかという人。

ゲートが開くところ。グーグルカーはこういう一瞬を切り取ってくれるので、探し当てたもの勝ち。

聖母教会ゲート前にあった看板。どう見ても酒害をシンハラ語で訴えてる看板に見えるのですが…
✨AI による概要
- 「මට ලොල් බඩ මුහුද මැද පැද්දෙන නැවක කුඹ ගස මුදුනේ නිදන්න හදන අයෙකු මෙහී」
- これは「私は、広い海の真ん中で揺れる船のマストのてっぺんで寝ようとする人だ」という意味です。
- このフレーズは、不安定な状況や困難な状況の中で、危険を顧みず、あるいは困難な状況を乗り越えようとする強い意志や、ある種の諦め、あるいは無謀さを表現していると考えられます。
あってるのかなあ…


マドゥーの聖母教会周辺には冷たいもんを飲んで休めるところがないそうで、ここは唯一の売店。「助かるぅ」とか「ボッタ」とか書かれています。この写真の親父が誰かは分かりません。えらい神父なのかな。十字架と剣が飾られ、ドイツ代表リュディガーみたいな屈強な男性が歩いてます。こういう野郎どもが内戦やってたんだから、そりゃねという。

ハレルヤ村のあるマナー半島には「アル中センター」(本書の表現)があり、それは現存しています。ここです。


グーグルマップの書き込み。この場所は本書ではトータヴェリです。


この人か誰かが、ほんとうに助けられたじゃないかな。

同じくアル中センターの敷地。
AI による概要
中扉写真 古賀春江「煙火」1927(左です)
装幀 五十嵐哲夫
あとがきに、友人の中村裕紀子サン、米谷季子サン、左右社東辻浩太郎サンへ謝辞。米谷季子サンという方は検索すると「糸島新聞記者」と出るのですが、合ってるでしょうか。
本書執筆の助成金は公益財団法人りそなアジア・オセアニア財団から。助成金申請の推薦文執筆は京大の中村沙絵サン。コロンビア大学の恩師はバレンタイン・ダニエル博士。故バーナード・ベイト博士からもアドバイスをもらい、「堅苦しい論文だけでなく、もっと自由なエスノグラフィを!」との言葉が本書へ。2006年から2009年の調査助成金はアメリカ国立科学財団"The National Science Foundation"と米国スリランカ研究機構"The American Intstitute for Sri Lankan Studies"から。
冒頭に、日本での指導教授、ロッテンマイヤーという人が出るのですが、「一橋大学 ロッテンマイヤー」で検索しても、何も分かりませんでした。誰なら。アルプスの少女ハイジばっかり出る。上智大学の院でも論文を出されているので、ひょっとしたらと「上智大学 ロッテンマイヤー」で検索したら、リサ・ステッグマイヤーばっかり出た。AIは本当にひどい。
最初にコロンビア大学に出した博士論文は下記。
巻末に「参考文献・読書案内」がありますが、ほぼほぼ英書です。日本語は川島耕司『スリランカと民族 シンハラ・ナショナリズムの形成とマイノリティ集団』明石書店2006年と、中村沙絵『饗応する身体 スリランカの老人施設ヴァディヒティ・ニヴァーナの民族誌』ナカニシヤ出版2017年と、御詠歌というか典礼聖歌の日本語版と、パウロ・コエーニョ『アルケミスト』と宮沢賢治。
頁20:「カジャン」乾燥させた椰子の葉を編んで屋根や壁の建築材としたもの。貧しい家庭では一般的な建築材。

頁21に、チラオ*7周辺の漁村で住民の民族籍がタミルからシンハラに書き換えられたエピソードが出ます。公教育の言語もシンハラ語オンリー。身分証明書の名前もシンハラ風に。所謂同化政策の時代ですが、①スリランカタミルだけ同化してもインドに同族がいる以上固有の文化・言語は廃れない。②多数民族シンハラがタミルの同化を嫌って暴動・焼き討ちを起こす(1983年のブラック・ジュライなど)の二つの理由から挫折したことは、中村尚志サンのパートナーが共訳した『熱い紅茶』(段々社現代アジアの女性作家秀作シリーズ)*8にバンバン描かれます。
頁40にマドゥーの聖母祭りに大挙してやってくるチラオの人々が、シンハラ人の身分証明書を持ったタミル人であるために、容易に軍のチェックポストをパスするさまが描かれます。親はタミル人、次の世代はシンハラ人。まさになだいなだ『民族という宗教』(岩波新書)を地で行く展開。頁122には、「このままではタミル人は絶滅する」と杞憂するタミル人青年が出ますが、インドにもプランテーションにもいるから、絶滅しません。彼に対し、私は10年後も死なずに残っていると助成女性が力強く言うそのタミル語は「ナーン・イルペーン!」
頁29:「スリランカでは、修道女は白衣の修道着を着てスカーフを被っているのが普通だが、マザーテレサ主導界教会のシスターたちは、マザーテレサのように青いボーダーの付いたサリーを着ている」これは本書によると、解放の神学とガンジー思想の美しき融合だそうで、運転手と並んで食事を摂る神父の姿に、何故かキリスト教徒でもスリランカ人でもない初見サンが目を丸くするシーンがあります。頁28。私もインドのキリスト教会で白人神父による現地修道女への性暴力の英語小説だかマラヤーラム語小説だかタミル語小説だかの邦訳を読んだことがあり、初見サンにこう書かれるとそれを想起しました。この時は2002年の訪問なので、スマトラ沖地震による津波被害の話が出ます。ミツティーのしとの本でも津波の話題はホット。グーグルマップでスリランカの教会を見ると、やたらセントアンソニーチャーチが出ますが、頁30に、聖人アントニウスへの信仰がスリランカでは篤いからとあります。失せもの探しの名人だとか。霊験あらたか。ヒンディーも聖アントニウス崇拝してるとか。
頁38、なぜスリランカ内戦をみんなテーマにしないかのもう一つの理由が書かれます。タミル・イーラム解放の虎はほかのタミル人組織をぜんぶ武力で潰し、殺しまくって生き残った蟲毒的組織であるため、共感が得られにくいというもの。彼らが殺した数はシンハラ人よりタミル人の方が多いとか。そりゃハマスとは違いますね。なにしろ対スリランカ政府戦でバックボーンとなってたはずのインドのラジブ・ガンジー首相ですら、上からで停戦を求められると暗殺してしまうくらいですから、手が付けられない。さいごの一人迄殲滅するしかない。タミルゲリラのことを隠語で「ボーイズ」と呼ぶそうですが、これは義和拳教徒を英語でボクサーと呼ぶこととは関係ないです。政府軍兵士の隠語は「ラスカル」で、これはアライグマってことかな。頁97。ゲリラ軍のタミル語は「イヤカム」 初見サン滞在中にLTTE指導者プラバカランは死亡しますが、まことしやかな生存説や復活説(!)が村落を駆け巡ります。
頁77ほか、クレイモー地雷が出ます。政府軍だけでなく、虎も使う。政府軍の銃がカラシニコフで、ちょっと混乱します。債務の罠の時代はこのだいぶ後。クラスター爆弾の話は頁122。

頁85、1990年10月に虎は北部からすべてのムスリムの退去を命じ、回教徒にカラシニコフをつきつけ移動させます。どっちもカラシニコフなんですね。タミル人のカソリックはムスリムからの改宗者も多かったので、彼らに同情的だったとか。頁95に漁師時代の苦労話が出ます。スリランカ側で漁に出ないと、仕掛け網などは必ずインドの漁師に根こそぎ獲られたとか。漁村から高校まで通わせてもらえる子どもは裕福で頭がいいわけですが、親がどういう方向に望みをかけて名付けたのか、ニクソンとクリントンとスターリンという名前の高校生がいるそうです。タミル語でイスラム教徒の男性を「カーカー」と呼び、女性たちは「ウンマー」と呼ぶそうです。お前の母ちゃんカーカー*9。結婚前の女性は「ウンマー・クッティー(小さなウンマー)」虎が回教徒を排斥するまえでは同じ村でカソリックもムスリムも(数は少ないがヒンディーも)共存していたが、通婚だけはしていなかったとか。それを、悪い風習はなかったというふうに誇らしげに老人が語っていることに、初見サンが気が付く場面はまさにエスノグラフィーです。頁261。
2009年からマナー島行きに際して、ローカルバスでチェックポストごとにひやひやするのをやめ(たぶんストップされるだろうし)ます。なんと、この内戦下でも日本のゼネコンがマナー島で橋梁建築を請け負ってるとのことで、初見サンは今の日本人らしく、「個」ばっかしでバラバラの遠慮しいなので打診したくなかったのですが、シスターたちは強硬な勧め、なので直談判し、神の恩寵でたまたま先様の電話に出たのが現地スタッフでなく邦人責任者だったので、トヨタのプラド黑でコロンボから現地まで移動出来ることになります。素晴らしい。
頁104
「Hello?」(略)
「Ah, Hello. I am a Japanese student currently studying in the U.S. May I speak to Mt.A, the administrative manager?」(日本人で、現在アメリカの大学で勉強しているものですが、管理責任者のA氏にお繋ぎいただけますでしょうか?)
「…Speaking.」(私です)
「アァ、もしもし、すみません。はつみかおりと(略)」
「アメリカの大学で?」
「はい。日本の大学を出てアメリカに渡り、現在人類学を専攻しております」
「アンソロポロジーですか?」突然、相手の声が明るくなる。(以下略)
替え玉受験で英語が出来るフリをしても、こういう対応は㍉でしょうから、初見サンは便宜を図ってもらえなかったでしょう(そういう話ではない)A氏のゼネコン現地事務所のスタッフにもかつて日本の援助機関等で働いた経験からアルコール薬物依存治療センターの神父を知っている人物がいて、仲介の労をとってくれたとか。
プラドでスリランカ西岸道路を移動してると、難民用仮設住宅の建設まっさいちゅうで、これまでのカジャンや瓦屋根でなく、熱帯に適さないトタン屋根のプレハブ住宅で、中国からひとまず三万五千戸が届くとか。さすが中国。細やかなケアをしてるようでしていない。

マドゥー島にかかる橋のストビューを見たら、ドンキーが二頭歩いてました。作ったゼネコンのしとも見たらうれしいんじゃいか。
日本のゼネコンの人は発想が規格外というか現地ベッタリからは出てこないわけで、難民キャンプで仕事もせずに一日だらだら過ごすしかない人々を見て、玉ねぎの収穫でもしたらいいのにと言います。売れるから。
頁183
(略)この国では貧しい人たちには、もう玉ねぎを買う金もない。内戦前のスリランカ北部、特に最も北のジャフナ地域は玉ねぎの産地だった。南アジア料理に欠かせない小さな赤紫色の玉ねぎの産地だった。しかし、三十年も続いたせんそうがすべてを破壊してしまった今、スリランカで一般に出回る玉ねぎはすべてインドからの輸入品。伝統的な小さな紫色の玉ねぎは値段が高いため、大きな黄色がかった色の玉ねぎしか普通の人は買えない。インドから輸入しているため、インドで玉ねぎの値段が跳ね上がると、スリランカでは値段は二倍、三倍と跳ね上がる。
これを読んで、①シビル・ウェッタシンハサンの絵本『ポッダとポッディ』*10で赤玉ねぎを売って儲ける場面を思い出しました。彼女の自伝『わたしの中のこども』*11では、南インドから自由港ゴールに玉ねぎを売りに上陸する行商の女性の場面があります。国境を越えて、海を越えても儲かるのか。②私は赤玉ねぎというのはちいさくて大きくならないものとは知らなくて、今年作ってみたのですが、大きくなったのは食べるそばからどんどん腐ってしまい、今はほぼないですが、小さいのは腐りもせずにまだ残っていて、そうか、もともとちいさいものなんだ、ならそれをスリランカ料理店にあげればよかったかな、と、少し心残りです。

今残ってる赤玉ねぎ。一皮むけばきれいで、まだだいたい腐ってません。ただ、ちっさいので、量を必要とする時はめんどくさいなあと。南インドやスリランカの人は労をいとわないのかな?
アル中センターの近くが元ハレルヤ村のはずで、付近の住居をストビューで見てたら、とりあえず集落らしきものはありました。

こんなの。

看板拡大。タミル語です。
AI による概要
この画像は、スリランカの「ガンペラリヤ(Kambaperaliya)」開発プログラムに関する情報板です。
プログラム名と目的:
「ガンペラリヤ」は「開発の戦い(அபிவிருத்தி யுத்தம்)」を意味し、スリランカ政府による全国的な大規模開発計画です。
具体的なプロジェクト:
政府の8,000クローレル(ルピー)規模の全国開発プロジェクトの一環として、0.5百万ルピーの費用でタラプラム西ブリタニ通りが改修されました。
開始と終了日:
このプロジェクトは2019年8月1日に開始され、2019年11月30日に完了しました。
関係者:
このプロジェクトは、当時の大統領マイティリパーラ・シリセーナ氏とラニル・ウィクラマシンハ首相によって「人々のもの」とされました。
なんというか、ガンペラリヤというのは小説の名前でもあって、スリランカ文学界を牛耳ってたマーティン・ウィクラマシンハサンの代表作です。『変わりゆく村』の邦題で邦訳されています。でも読んだけどツマラナカッタし、スリランカ人のオヤジもいい顔してないです。「教科書に載るような話ね」
アジアの現代文芸の翻訳出版|翻訳出版|事業紹介 | 公益財団法人大同生命国際文化基金
だいたい私はこの人が親日家のエリック・サラッチャンドラサンの傑作をクソミソにけなしたそうなのでそれだけでだいきらい。

何故か日覆いを作って立ってる女性。

道路。

別のところ、チュティクラムの教会だったかなにも同じ看板がありました。
AI による概要
この画像は、スリランカの「ガンペラリヤ」という地方開発プログラムに関連する看板が設置された教会を示しています。
「ガンペラリヤ」(கம்பெரலிய)はスリランカ政府による地方開発プロジェクトです。
看板には、このプロジェクトの下で8,500の教会が建設または改修されることが記載されています。
看板には、当時の首相であるラニル・ウィクラマシンハ氏の肖像も描かれています。
このプロジェクトは、地方のインフラ整備や経済発展を目的としています。
もっと見る

AI による概要
この画像は、スリランカのチェディクラムにある「CARITAS STUDENTS HOSTEL SISTERS OF CHARITY」という施設の一部で、その中に「தூய அந்தோனியார் முன்பள்ளி」(聖アンソニー幼稚園)と「BUSY BEES ELOCUTION CLASSES」(ビジービー語学教室)が入っている建物が写っています。
場所:
スリランカのチェディクラム (CHESDIKULAM) にあります。
施設名:
CARITAS STUDENTS HOSTEL SISTERS OF CHARITY (カリタス学生寮 愛のシスターズ) という施設です。
建物内の施設:
தூய அந்தோனியார் முன்பள்ளி (聖アンソニー幼稚園)
BUSY BEES ELOCUTION CLASSES (ビジービー語学教室)
特徴:
建物には、これら施設の名称がタミル語と英語で書かれています。
上はそのあたり。
頁120、マナー島の依存症治療施設の収容者の中にひとりだけ仏教僧がいて、タミル語勉強中のシンハラ人ということで、司祭がコッソリ言うには、たぶん軍の秘密警察が潜り込んでるんだろうという。初見サンがそれまでに会った秘密警察はだいたい乞食かアル中に化けていて、泥酔したフリして勝手にあちこち入ってくるそうです。初見サンには彼が軍人に見えないのですが、「お経書いて」とノートを渡すと、その場でスラスラ書かず、「後で」とノートを預かってしまったそうです。

それで気になったのが上記。マナー島北端に、ひょっとしたらスリランカ最北端かもみたいな仏教寺院があるのですが、そこにこんなシンハラ語の書き込みがあるわけです。


これもそこのレビュー。


マナー島にもうひとつある仏教寺院の書き込み。信徒がいないのに寺院がある時点で、「政治」なわけですから、こっちはまともにしても、警察と軍隊がいないと維持出来ないとあるのが現地の現在地を感じさせます。ヒンディー寺院と教会とモスクはナンボでも復興して建立されてるわけなので、仏教界としても張り合いたいんでしょうけれど、ヤカラが僧侶として住みつくあたりがやはり破産国家。マナー島の病院で初見サンらは警官と私服警官に尋問され、彼らはシンハラ人ですがタミル語にも堪能で(元タミル人?)ただしタミル語の読み書きは出来なかったそうです。
頁186、「今はすべて失ってしまった、すべてが嘘(イッポ、エッラー・ポーイチェ、エッラー・ポイ)」
頁186からしばらく、あるアルコール依存症患者のケースが語られます。要するに飲みたいだけなので、なんでもウソをつくという奴。神父サンはよく分かっていて、見抜いてますが、初見サンも、貴重な知見を得たと思います。妻を失った辛さとそれを乗り越えるストーリーにエンパシーを抱いていると、結局は利用されて泥酔で終わる。
頁206あたりからは、村の家庭にホームステイになり、とりあえずあれやこれやたかられます。スリランカは、コーヒープランテーションの本*12やゲストハウス経営の本*13もたかられる場面があり、本書も家庭に住む以上そうなってしまいます。電話代とかなんとか。ミツティーの人はひんぱんにステイ先を替え、それぞれとそこまで気安い仲にならないのでそのリスクは回避してます。頭イイネ。頁206には借金を断られた老婆が例のココナッツを削る台でしょんぼりココナッツを削る場面があり、初見サンはしかたないので代わってココナッツを削ってあげます。私、この器具、何度本や絵本で見ても使い方が要領を得ず、ついに邦人がそれを使って削る場面まで読んでもまだ理解しきれないです。いっぺん自分でもやってみないと、もうほんと分からない。「動画には頼りません」
この器具で、
こうゴリゴリする。全然力の入れ方が分からん。そうやってるんでしょう。絵は稀代の名作絵本『きつねのホイティ』*14から。
ステイ先はタミル人なので、ピットゥを作ります。
で、私がイディアーッパと呼んでる料理を、「イディアッパン」と書いてます。頁218。東條さち子さんと同じかと思いましたが、東條サンは「インディアーッパ」*15でした。イングリッシュ・ペイシェントのマイケル・オンダーチェサンがコレに目がない*16というのでちょいちょい食べてましたが、何がいいのか分からんという結論に達しそうな最近です。なんで素麵でカレ―食べるんだぁぁぁ。マツコの知らない世界でマツコが素麺のプロに絡んだ時*17とは違うと思いたい。
頁296、シンハラ人はひとつの野菜で一種類のカレーしか作らず、二種類以上の野菜を組み合わせたカレーは作らないそうですが、タミル人はコンボやるそうで、初見サンはホームステイ先の老婆が作る干し魚(エイなど)と青唐辛子と茄子のカレーが大好物だそうです。食事の面でモームリにならないのは、フィールドワーカーの基本でしょうね。私には無理かな。
頁224「ウンキタ、カース・イルカー?(お前、金持ってるか?)」「チッ、ポーンガ! もう、いいかげんにして!」内戦の民族誌のリアル。
頁232「ハロー、スパウデーサック」おはようございますのシンハラ語。初見サンはこれをわざとタミル人のアクセントで言えるレベルらしいです。九ヶ国語に堪能なので。というか、英語がきっちり仕上がってると、多少なまった英語でも、ぜんぜん問題ないということの方がでかいと思う。神父さんの説教がぜんぶ分かるなんて、イカス。
頁288、集団を見て、女性がすべて肩からくるぶしまでの長いワンピース姿だったらタミル人。スカートにブラウス姿がいたらシンハラ人、だそうです。そうなのかな。

その辺の教会

聖人像拡大。これが聖アントニウスなのかな。てきとうに撮ったので、覚えてません。

これも教会

教会

教会近くのカジャンの家と住人達

これはカソリックなのかヒンディーなのか分からないけれど、道端の祠。辻々に信仰心の篤い人々がいるところは、日本のようでもあり、ネパールのようでもあります。

その辺の教会のライトアップ


AI による概要
画像に写っているのは、タミル語で書かれた布製の垂れ幕のようです。
画像から読み取れる文字はタミル語で書かれており、上から「என்」(私の)、「இன்ன」(この)、「லட்சுமி」(ラクシュミ)と読めます。
全体として「私のラクシュミ」という意味になると考えられます。
ラクシュミはヒンドゥー教の富と繁栄の女神であり、この垂れ幕はラクシュミへの信仰や敬意を示すもの、あるいはラクシュミという名前の人に関連するものと考えられます。
このような垂れ幕は、寺院や家庭の祭壇、あるいは特定のイベントなどで使用されることがあります。AI による概要
画像に写っているのは、タミル語の文字が縦書きされたバナーまたは旗です。
文字はタミル語で書かれており、「எல்லாம்」(ellām)と読めます。
「எல்லாம்」(ellām)はタミル語で「すべて」または「すべての人々」という意味です。
このバナーは、宗教的な行事や文化的なイベントなどで使用されることがあります。
ほんとかな。
頁240
「ジャフナ半島入口のエレファント・パスでは、スリランカ軍が大きな記念碑を建てていました。道路に、「単一民族、単一国家」(オルマッカル・オルナードゥ)とタミル語と英語で併記された大きな看板が建っていました」と。そして、この記念碑を一目見るために、南からシンハラ人がバスなどで観光に来ていること。この新たな観光ブームを受け、軍が小さな店などを設け、観光客相手に商売をしていること。(以下略)
この看板を探してみたのですが、見つけられませんでした。

エレファント・パス。象の鼻。

ようこそジャフナへ。軍のモニュメントはあちこちにあるのですが、大きな看板というとなかなか見つけられませんでした。

かろうじてこんなんがありました。

拡大。(グーグル翻訳)「多様性の中で団結を築こう」英語だけ。シンハラ語もタミル語もない。そして爆心地ジャフナへ。
以上
*1:
stantsiya-iriya.hatenablog.com
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*4:
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/55/2/55_2_1028/_pdf/-char/ja
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