ඉසුරු සොයා ශ්‍රී ලංකාවේ විදේශ රැකියා තත්ත්වය "ISURU SOYA Overseas work situation in Sri Lanka"『イスル・ソヤ スリランカの海外出稼ぎ事情』නයිටෝ ටොෂියෝ Naito Toshio内藤俊雄 読了

イスル・ソヤ | 同文舘出版

イスル・ソヤ : スリランカの海外出稼ぎ事情 | NDLサーチ | 国立国会図書館

神保町のアジア関連書籍コーナーで見かけた本。平成二年(1990年)初版なので、古いかなと思って一旦は買わずに帰ったのですが、検索すると、今世紀初頭でもバイブル視してる人がいたりしましたので、買うことにしました。近隣の図書館に蔵書なし。日本の古本屋でも出物があったのですが、その古書店はご主人がご病気をされたそうで、負担がかかるから頼まない方がいいか、いやでも売り上げがあったほうがいいのでは、等々逡巡しまして、結局神保町で新刊の値段、古書の二倍以上払って買いました。とほほ。

表紙(部分)イラストー菅原篤 写真ー内藤俊雄、内藤みち カバーデザインーカワサキ・スタジオ 装幀者記載個所見つけられず

著者の内藤俊雄サンは、現在検索してもろくすっぽ完全に何も出ないのですが、東大を出て、一般企業に就職した後、1985年7月から2年間、スリランカ労働省・海外雇用公社で海外出稼ぎについての情報システム作りに携わり、本書刊行時点では筑波大の院に在籍中だったとか。

Ministry of Labour and Foreign Employment - Sri Lanka

スリランカの当該省庁について検索しましたが、現在は「労働および海外雇用省」に格上げされてるのかな。

imm.or.jp

内藤さんは東大にいたあいだはバックパッカーで、おもに東南アジアで華僑、華人社会の中で泳いでいたようで、それで逆に、当時の邦人が、東南アジアしか視野に入れてないのに、「これからはアジアだよ」とか簡単に言うのにヘキエキしていたとか。インドもアジア、イランもアジア、トルコもアジア、シリアもヨルダンもアジア、カザフスタンウズベキスタンもアジア(サッカーの枠組みではカザフスタンはヨーロッパですが)中国もモンゴルも韓国も日本ももちろんいわずもがな。

で、さらにまたこじらせたというか、インド亜大陸っぽいのに島で、東南アジアの影響も受けているのに顔立ちはもろにインド南方系のスリランカに飛び込みます。あちらの公的機関の採用で。ここがすごいと思いました。本書が今でも色褪せないと言う人たちは、NPOほかでスリランカとかかわりのある人たちのようで、なるほどなあと思いました。

で、そこでもさっそく倦んでしまい、コロンボを離れてキャンディに行き、立ち直る話がプロローグです。北京語を話す中国人集団が運転手を食事の席に同席させようとして、階級社会スリランカなので運転手が婉曲に固辞しようとしてもめる場面がまず出ます。

頁13

「(略)ですがそのォ、あなたはわたしのマスターです。わたしは使用人です。いっしょに食事はできません」

「なにをいってるんだ。ぼくたちは労働者の国からきたんだ。君はぼくたちの仲間なんだよ。階級の区別があってはならないんだ」

 教科書にあるような英語でたいそう原則的なことをいう。この男は中国共産党の幹部かなにかだろうか。(以下略)

今のホワウェイの社員さんはそんなことしないと思います。この、中華人民共和国から来た男たちも、改革開放の余波を受けてか、中古車輸出入などに手を出して焦げ付いて呻吟する描写が、あとの方で出ます。走私~♪ ここで、運転手はサローンが訛ってサラムでしたか、東南アジアの腰布をつけているので、ズボンを履く階級、カリサン・カーラヤでないと同席出来ないことを気にしているという描写が入り、中村禮子サン『私のスリランカ*1にも同じシーンがあったあったと思いました。中村サンの本は、本書の「おもな参考文献」の邦文書籍に入っています。

その後、仏歯寺に行き、土産物屋でTシャツにジーンズ姿の女性と会い、彼女はフィリピーナで、中東に出稼ぎに行っていた時、スリランカ人男性と結婚してキャンディで暮らしているとのこと。子どもも出来たが、店を売り払って、マニラに子どもと帰るとのこと。スリランカ人男性は今も中東で働いており、二人の関係がどうなるかは分からない。シンハラ語はけっこううまい。彼女によると、スリランカのフィリピン人は、多くが海浜キリスト教徒の多い街、ネゴンボで暮らしているという。

こういう体験でリフレッシュして、おもにパーソナルコンピュータを使ったSE仕事、お雇い外人として海外派遣労働に関わるシステム構築の仕事に戻ります。インドのようでインドでない島、東南アジアの風俗がそこここにあるのだが住人の顔立ちは東南アジアでなくインド、の国のやいやいエッセー。内藤サンは東大出てるので、もちろん英語での仕事はふつうにします。下記は、内藤サンが最初のごうつく大家の家をとっとと出てから見つけた二度目の大家の話。

頁80

(略)ラダラ(シンハラ貴族カースト)の家柄で、西洋的な価値観を身につけた両親に育てられた彼ら兄弟が、シンハラ語で語りあうことはけっしてない。彼らの母語は英語である。シンハラ語は、使用人になにかを命じるときの言葉であり、寺院で僧侶に話しかけるときの言葉である。高尚な議論も、微妙な感情表現も英語でしかできない。(略)

この大家さんは、苦労知らずのボンボンというか、武士の商法でいろいろやるのですが、儲かりません。独身貴族で、目をかけている若い男性たちとサロンで政治や社会を言論風発するのが好きなようで、ちょっとアーサー・C・クラークサン*2を思い出しました。シンハラ語に疎い場面は頁146にもあり、農民のことばが分からないのを田舎の方言だからとごまかしています。いや実際そうだったのかもしれませんが、内藤サンはそうとらなかった。

頁93、スリランカではミシンのことを「ジューキ」と呼ぶそうで、日本のジューキミシンが圧倒的なシェアを誇っているのでそうなったとか。で、向こうのお針子サンは、ベイビーがババァというシンハラ語になるので、「ジューキ・ババァ」と呼ばれるんだとか。スリランカで糸へんの起業した人*3も知ってる単語なのでしょうか。

JUKI家庭用ミシントップページ|JUKI家庭用ミシン

上は頁97。ここは、ある意欲的なインド人企業家が、モルジブに工場を設置、現地女性はムスリマが多く夜勤労働に意欲的でないので、労働者はぜんぶスリランカから移植しようというプロジェクトのくだりです。どんなインド人なんだとみな興味津々でしたが、実は神戸生まれ神戸育ちのコテコテの関西人で、外見だけみると拝火教徒にも見えるインド人だったとか。しかしこの意欲的なプロジェクトは(意欲的を使うの三回目)当のスリランカ女性たちがド田舎の南海の孤島暮らしに適応障害を起こし、労働虐待を訴え、ストライキにまで発展し、さてさてというところで終わります。遊ばない環境ならカネも貯まるだろうくらいに思ってると、都会で遊べるから海外出稼ぎを選択した夢見る若者たちからボロカスという。

で、なぜこのインド人の企業はスリランカに工場を作らなかったのかというと、スリランカには政情不安があるから。

上は頁173。スリランカ人に読んでもらったら、当時の大統領をDISってたそうです。スリランカはなんだっけ、北がタミル・イーラム解放の虎という人口三割のタミル人の活動(分離独立なのか、シンハラ人への同化政策に対する抵抗なのかは知らない)南が左翼過激派があったはずで、でも私の記憶と南北は逆だったかもしれません。タミルは分かるんですが(インドタミル人からの資金援助もあったでしょうし)左翼過激派が分からなくて、学生たちをとらまえてみるとマルクス主義を全然理解してないとか、とても専門的なテロ工作が出来そうに見えないのに、結果はプロのしわざで北朝鮮人を全員国外退去させた(©アーサー・C・クラーク)とかいろいろで、そうとう国側もリンチほかで死者を闇に葬ってるわりに、実体が何も解明されていないのがなんとも。私はスリランカに行ったことはないですが、村の壁を利用したスローガンはネパールでよく見ていて、マオイストだったのかなあ、でも英語で"VOTE FOR SUN"とか書くのがマオイストの仕業なのかしら、と、今でも分かりません。当時は選挙があったからかな。

下記は、タミル勢力との戦いのテレビニュースを見た後の、大家の発言。

頁236

(略)画面をくいいるように見つめていた彼は、ひとことずつ確かめるように、こういった。

「そうだよ。ゲリラと住民の区別をつけてこの作戦を行なうなんて、不可能だ。君はそれを、政府軍の過激な軍事行動が罪もない住民をまきこんでいる、と考えているようだね。だが、そうじゃないんだ。いまやゲリラと一般のタミル住民なんて区別は、そもそもつかないんだよ。住民にしても、さまざまなかたちでイーラム勢力に協力していることはまちがいない。非戦闘員とはいえ、政府軍の敵であることには変わりはないさ。コロンボに住むわたしの知りあいのタミル人だって、そうかもしれん。長年のつきあいを思えばこころ苦しい気もするが、彼らを信用できないというのはわたしの偽らざる本心だね」

ここのあとで、インドが人道的見地から紛争に介入し、ジェット戦闘機を持たないスリランカ空軍が指をくわえて見つめる中、ミラージュ戦闘機に守られた輸送機でジャフナに医療物資などを空輸(海路はスリランカ海軍が阻止)そののち、インドの調停で、タミル人多数派地域に強い自治権が与えられ、シンハラ語以外にタミル語と英語も公用語にすること、インドがスリランカに国連平和維持軍を派遣したこと、などがやつぎばやに語られます。インドのラジブ・ガンジー首相は調印で訪れたスリランカで、儀仗兵に銃で殴られたとか。そんで、最初六千名のインド兵は、七万人にまで増え、1990年3月まで続いたとか。サウジやUAEパレスチナに国連平和維持軍を強行派遣とか、絶対にしないですよね。ハマスの支援はしても。イランはどうかというと、イスラエル本土に平和維持軍として革命防衛隊派遣をやりそうなので、考えない。

話をもどすと、上の壁の写真のくだりは、ある村でレバノンへの出稼ぎが突出しているので、それはなぜ、というくだり。結論から言うと、レバノンに住んでいたシンハラ人がモグリの周旋屋として村の人間をスカウトしまくってたからという。シンハラ人なのですが、回教徒に改宗してムスリムネームを名乗っている。が、モスクに行く姿を目撃したものもいないし、そもそもその辺にはムスリムが全然いないので、彼がどの程度モノホンか分からない、だそうです。本名ヘーラチャンドラなんとか、改名してオスマン。本書は人名は全て仮名だそうなので、推測しても意味なし。80年代に海外派遣されたエリート中国人ビジネスマンも名前が出ますが、やっぱり仮名なんでしょうね。

上はそのくだりの、村の伝統産業。頁171。

頁112

 コロンボの中心部、空軍総司令部の向かいに最近完成したこの五ッ星ホテルには、別館がある。そこは、デューティーフリー・コンプレックスと呼ばれ、免税店が軒を連ねている。入場料を払ってなかに入れるのは外国人か、外国帰りのスリランカ人だけ。つまり、コロンボにありながら一般のスリランカ人は締めだされた「租界」である。

 ここを訪れる客は商品見本を手にとり、買う品を決めたらカウンターで代金を支払う。実際の品物は、コロンボ港の施設内にある商品受け渡し場所まで後日受け取りにいく。

 波止場に入るバスはない。車をもったひとやタクシーの使えるひとでないかぎり、炎天下、けっこうな道のりを歩く。たどり着いたゲート近くで、また入場料をとられる。

 倉庫をそのまま使った受け渡し場所には、スリランカのパスポートをもったひとたちが群れをなしている。男たちの多くは、サラマ姿にサンダルばき。女たちはといえば、くたびれたサリーを身につけている。身なりのよいひとたちは少数派だ。みんな、辛抱強く順番を待っている。

 免税店での買物といえば外国人と裕福なスリランカ人の特権、と考えるのは的はずれだ。ラマダの「租界」を訪れる客のほとんどは、出稼ぎ帰りの労働者たちなのだから。免税店街ではデューティーフリー三種の神器、酒・煙草・香水はなりをひそめ、まるで秋葉原のように電気屋がひしめいている。

ここで、内藤さんは、日本の国内出稼ぎの場合、買う電化製品は国産だったから、国内で資金が還流したし、インドはかなり保護貿易をやってるから、こういうふうに出稼ぎのカネが海外製品に流れたりしない、と書き、しかし、海外企業を呼び込んでいるスリランカでは、出稼ぎのカネはまた海外に還流してゆく、と書いてます。中東から来たカネがその頃は白物家電の国日本に流れていたと。当時すでに自動車などで韓国勢の追随はあったものの、まだ日本は高楊枝だった。エンジンは三菱製なので、日本が韓国に追い抜かれることはありえないとまじめに力説されていた、のはいいとして(?)、今でもスリランカは家電製品ヨソから買ってるんですかね。日本も現在は掃除機とかは英国製品などが参入してますが。

頁125。これでどうやってヤシの樹液がとれるのか。
内藤サンの勤めるスリランカ労働省海外雇用公社は、ライセンスのある周旋業者とその被雇用者のDB化を進めていて、それ以外に、モグリの業者の摘発なんかもやっています。左は"Labour Lisence"のついてる公認業者の求人広告*4で、ライセンスのない業者の広告は載せるなと新聞社に厳しく通達していたのに、堂々と載せてるやつがいたので、摘発に行く公務員御一行に内藤さんが同道する場面に出てきます。堂々と載せてるやつはなんとドイツ人で、女連れ観光客のふりをしているが、実際はアブダビへのスカウトしかしておらず、とっちめると、法律を知らなかったの一点張りで、外交問題になることを恐れたスリランカ当局の弱腰で、彼は無罪放免となります。内藤さんは一昔前の邦人旅行者あるあるで、カラテマンということにさせられ、アチョーとかそんなんです。今はどうなんだろう。韓国人旅行者が兵役終わってるんならテコンドーちゃんと出来るのほうが、はるかにありそうな話で。

この周辺は周旋サギの話ばっかりで、ことにスリランカ人女性がカラチで騙されてパスポートやドルをとられて捨てられると、今度はスリランカ人の女衒が寄ってきて、売春斡旋が始まるくだりは、びっくりしました。のべ百三十名がその時被害に逢い、七十六名を当局が救出して無事現地から帰国させたとか(だからこの本に載ってるのか)

海外出稼ぎ労働者の姿からスリランカ社会を見る!! 中東諸国に数十万人もの海外出稼ぎ労働者を送りだしているスリランカスリランカ海外雇用公社での経験をもとに、変化しつつある人びとのあり方や社会への影響を描く。 同文舘

帶 著者が働いていたのは1980年代なのですが、その当時からすでにスリランカは出稼ぎ大国だったという。頁211にはILO(国際労働機構)アジア地域雇用計画という組織がバンコクにあって、毎年加盟国持ち回りで会議を開く場面が出ます。参加国はフィリピン、タイ、インドネシア、インド、パキスタンスリランカ。当時はベトナムビルマは参加してなかったと思いますが、バングラディシュとネパールが参加してないのは不思議。

頁211

(略)各国の出稼ぎ事情について理解を深める、アジアからの海外出稼ぎを協調的に進める手だてを話しあう、共通して抱える問題の対策をたてる――すくなくとも表向きは、そうした目的でつづいている。

 現実には、こうした加盟国はおたがいに激しくぶつかりあう競争相手だ。石油ブールの黄金時代が去ったいま、中東の出稼ぎ労働市場に以前のいきおいはなく、いっぽう、供給は絶えずふくらんでいる。その結果、当然はじまるのが、賃金の値引競争なのである。パキスタンが、中東に向かう出稼ぎ労働者の最低賃金を単純肉体労働の一二〇米ドルと宣言してみても、スリランカが、「わたしのところは一〇〇ドルでかまいませんよ」といえば、中東の雇用主がスリランカに草刈場を切りかえるのは眼に見えている。

 こうした「抜けがけ」を許さず、一丸となって出稼ぎ労働者受け入れ国と交渉し、全加盟国の利益を守っていこう――というのが会議のねらいなのだが、なかなか(以下略)

ここはとてもおもしろかったです。まず、出稼ぎ供給国の国家間組織が存在すると思ってないかったので、目からウロコでした。今でもあるんでしょうか。

Labour migration in Asia and the Pacific (ILO in Asia and the Pacific)

Asia and the Pacific Regional Meetings

検索しましたが、ちょっとそういう、当事者国間の調整機構みたいなものは見つかりませんでした。もう少し大きなアジェンダの中で話し合われてるのか。そしてそこに中国はいるのかなど、ナゾ。国連ホームページは内容文をhtmlに書かず、すぐpdfに飛ばしてきて、pdfは自動翻訳してくれないので、泣きっ面に蜂です。

エピローグがあって、参考文献があって、さらにあとがきがあって。あとがきに東外大伊豫谷登士センセイ、編集勝康裕サン、イラスト菅原サンヘの謝辞。さらにパートナーへの謝辞があって、「ボホーマ・イストゥーティ」と書いてます。ストゥーティでなく、ストゥーティ。今度聞いてみます。その後ろに「事項・人名・地名索引」まであります。もちろん日本語で引く人向けで、「中国冶金建設公司」や「韓国企業のスリランカ進出」「スリランカ海外雇用公社・優良企業への出稼ぎ労働者斡旋」などの項目があります。

スリランカ連続爆破テロ事件 - Wikipedia

私は2019年の回教徒原理主義者による連続テロの影響でスリランカから中東への出稼ぎが減少し、かわっての開拓先の一つとして日本があるのかなと勝手に思ったりしたのですが、それへのヒントになるような記述はないかったです。1990年の本なので、当たり前か。スリランカが中東への出稼ぎを、向こうでアルカイダなんかに洗脳されて帰ってきたらかなんで絞ってるとしたら、ある話だと思うのですが。

イスル・ソヤースリランカの言語のひと つ、シンハラ語で「しあわせをさがして」 「豊かさを求めて」という意味。

カバー裏(一部)イスル・ソヤは1990年1月から国営テレビで放送された、海外雇用公社の広報活動の一環として制作されたテレビドラマから来ているそうで、しかし、同ドラマはたいして評判を呼ばなかったのか、検索しても出ません。

www.youtube.com

1983年の「ヤサ・イスル」というドラマはつべにも上がっていて、賞をとった女優さんも、明らかに祖先はポルトガル!のバーガーの下記の人など複数出たのですが、じゃあ「ヤサ・イスル」は何かというと、分かりません。グーグル翻訳は「やさいる」という意味不明の言葉を提示します。英語にしてもダメ。

en.wikipedia.org

「イスル・ソヤ」ということばがそういうウットリ系のことばであることはその通りだそうで、しかしなんしか、1990年のドラマは出ませんが、同名の歌とか、どうも昨今は「イスル・ソヤ・プロジェクト」というHIV啓発運動があるようで、貧困動画なんかがいっぱい出ます。

www.youtube.com

下は、スリランカのミラーという英字紙の署名記事。

Being positive

シンハラ文字 - Wikipedia

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/98/Sinhala-u-diacritics.svg/330px-Sinhala-u-diacritics.svg.pngで、この「イスル」の「ル」という字は、右の例のように、子音の「r」母音の「u」が特殊な結合をする字のようで、ふつうにひと文字ずつ打ち込むと、下記のように結合してしまって、違う形になります。最初、シンハラ人に手書きで書いてもらい、シンハラ語会話帳で当該文字を教えてもらい、それで一個一個コピーしてみたのですが、それだと結合してしまって、ダメでした。

ඉසුරැ 

しかたないので「ヤサ・イスル」から正しいスペルをコピって、仕上げました。

ඉසුරු 

正しい入力法は知りません。以上

*1:

stantsiya-iriya.hatenablog.com

*2:

stantsiya-iriya.hatenablog.com

*3:

stantsiya-iriya.hatenablog.com

*4:

OVERSEAS VACANCIES
HYATT REGENCY DUBAI & SAUDI ARABIA
The Hyatt Regency hotel chain require the following staff for vacancies to be filled within the year.
For Dubai
CATEGORIES VACANCIES SALARY
Chef De Partie 2 US$ 550/650
Commis I 2 US$ 345
Stewards (Kitchen) 5 US$ 185
Waiters 14 US$ 240
Waitresses 8 US$ 240
Hostesses 5 US$ 250-275

Ordertaker 1 US$ 250-275
Housekeeping Attendants 11 US$ 185
Housekeeping Team Leaders 2 US$ 320-350
Front Office Clerks 4 US$ 240-320
Telephone/Telex Operators 4 US$ 240-320
Reservation Clerk 1 US$ 240-320
Bartenders 3 US$ 240
Security Officers 3 US$ 240
Laundry Attendants 4 US$ 185
Cashiers (F & B) 4 US$ 240
Pool Supervisors 2 US$ 240-260
Bell Attendants 2 US$-185
For Jeddah: 

Waiters 6 US$ 240
Housekeeping Team Leaders 1 US$ 320-350
All applicants must speak good English.
Candidates registered with the Hyatt Regency job bank in the above categories should re apply
Please indicate a contact telephone number on your application.
Applications close 23/2/90
RCL
Approval No A1/653/10/90 Labour Licence No. 553
Recruitment Consultants(Pvt.) Ltd.,
71, Dudley Senanayake Mawatha, Colombo 8.