ブッコフで¥660(税込)だった、かな。ブッコフの中古品在庫ありで「スリランカ」で検索したら、出て来た本のひとつ。庄野護サン『スリランカ学の冒険』*1に、どこに行くにしても、百冊(論文含む)読んで千語現地語を覚えてからにシロヨとあって、それで、現地に行く予定はないのですが、カサ増しで読んだです。スリランカ関係書籍25冊目。著者は京都生まれで東大法科に進み、卒業後は住友商事に入社して2017年定年退職した人。長年世界各地で活躍したが、1982年、初めての海外出張の帰路搭乗機がハイジャックされるという経験をしたことが、2015年にがんが見つかってから次第に思い出されるようになり、犯人とコンタクトをとるとともに、犯人の国スリランカについて調べ、本書を刊行するまでに至ったとか。
京都生まれなのに京大でなく東大ということはやっぱり官僚になりたかったのかしらと思いながら読むと、あとがきで法曹界に進むつもりが日和って商社に入ったとあり、超優秀な人は何処に行っても優秀なんだと改めて思いました。後付けで勉強(スリランカは和田さんが駐在した国ではない)したとしても、本書の注釈、参考文献に登場する英文含めた記事、本、論文は94に上り、庄野護サンの条件を軽々クリアしています。今春次書として9.11からイラク侵攻迄サウジのリヤドに駐在していた経験から中東、アラブ、イスラエルからパレスチナまでを考察する本を上梓し、いずれも好評を得ているようです。
彩流社という出版社がなぜスリランカなのかと、これも最初は思ったのですが、和光大学を退官された(本書時点)スリランカ学の泰斗、澁谷利雄サンの本も彩流社で出てますし、「イングリッシュ・ペイシェント」の原作者、スリランカのバーガー出身でカナダで作家になったマイケル・オンダーチェサンの自伝『家族を駆け抜けて』*2を出版したのも彩流社なので、実はぜんぜん妥当なところから出版されたということみたいでした。澁谷センセイ以外にも、民博の杉本良男サンにも教えを乞うたそうです。出版に際しては、最初高校の同窓が社長を勤めていた創元社の門を叩き(矢部敬一社長)縁あって彩流社編集部次長兼製作担当出口綾子に辿り着いて本書刊行の運びになったとか。あとがきで各位に謝辞があります。

巻末の彩流社既刊本広告。しかし、和光大学スリランカも泰斗がいたのか… 好太王碑日本陸軍改竄説の李進熙サンもいましたし、近場ながらホントにヘンな大学。柳沢きみおが卒業だか中退しただけのことはある。ウイグルに詳しい人もいたんですが、中国の圧でおいやったりしないでほし。

帯 カバー写真はアヌラーダプラ*3という世界遺産の仏塔をShutterstockから。カバ折りの著者写真は同じくアヌラーダプラのイスルムニヤ精舎*4というところだそうです。

帯裏 本書は、タミル対シンハラの凄惨なスリランカ内戦をスリランカ近代史から読み解いてゆく良書ですが、和田サンが初の海外出張の帰路利用したアリタリア航空機をハイジャックした青年は政治思想とは全く無縁のただのそそっかしいおっちょこちょいの人騒がせな迷惑炎上系キャラで、金持ちの家柄でもないのですが何故かめずらしくヨーロッパをぶらぶらしてるうちイタリア人女性とデキて結婚して息子も生まれたが、だんだんメッキが剥がれて嫁は逃げ、それで何故かハイジャックに及んでヨメと息子に会わせろと要求したシンハラ人です。

こんな人。何しろ本人が21世紀にはFB等SNSでバンバン発信してるので、いらん情報があるわあるわ、てんこ盛り。イタリア人女性とは覆水盆に返らずで、同国人と再婚してます。
英語版と、何故かベンガル語のウィキペディアがこの人にはあります。シンハラ語やタミル語、イタリア語はない。

シンハラ語で検索するとこんな感じ。今のパートナーとふたりで写ってるフェイスブックがババーンと。セパラ・エカナーヤカという名前だそうで、当時の英字新聞だと"Sepala Ekanayaka"なのですが、今のネットでは"sepala ekanayake" シンハラ文字だとසේපාල ඒකනායකみたいです。
1982年6月29日午前ローマ発、深夜にニューデリー、翌朝バンコク・ドンムアンを経て午後三時成田着予定のアリタリア航空機で、和田サンは住友商事初めての海外出張がインドという洗礼で、通過儀礼としてさっそく下痢になって悩まされ、帰りの飛行機は深夜便ということもあって、深酒きこしめして、前後不覚の中でハイジャックに巻き込まれたとか。セパラは自称ダイナマイト所持で、身元を明かしてない仲間が複数機内にいるので、自分ひとり制圧したら逆効果ですよんと言ってたとか。手荷物検査で和田さんの前がセパラだったので、金属探知機で引っかかってないんだからうそだよ、ブラフじゃんと和田さんは思ったそうですが、インドの金属探知機がワークしてない可能性もあるかもしれないので、高みの見物を決め込んだそうです。
当時はハイジャックがまだ珍しくなく、アメリカではキューバに行きたい人が国内線をハイジャックしたり、日本赤軍が北朝鮮どうのこうのでハイジャックしたり、パレスチナ絡みで国際線がたびたびハイジャックされていた時代の名残がまだあって、しかし金属探知機と空港保安要員の拡充とで徐々に減ってはいたんだとか。しかし本件は政治案件でなく「嫁にあわせろ」案件で、駐タイ国イタリア大使フランチェスコ・リパンデリ(シンハラ人みたいな名前だと思いました)サンはイタリア人妻アンナ29歳と息子フリィ3歳に連絡とるが、「卑怯なことはやめてちょうだい。以上」の塩対応で、そこをなんとかとかきくどいて、アンナはフリィをつれてローマに向かい、タイ国際航空TG941便でバンコクに向かうことに同意。その時、犯人セパラに政治犯の前科がなく、欧州で数度麻薬の運び屋だか売人だかで捕まったことがあるだけなのも判明します。
ここで駐タイ国スリランカ大使マネル・アベイセケラが夫のヘクター・アベイセケラとともに登場し、オックスフォードサマヴィルカレッジに学んだ彼女はスリランカ女性初のキャリア外交官で、ケンブリッジとローマ勤務でイタリア語も学んでイタリア語ぺらぺらだったとか。という部分に私は付箋をつけてるのですが、その意味が自分でも分かりません。なんでだろう。確かに、アリタリア関係者の会話やイタリア本国とのやりとりがぜんぶ筒抜けの人物がスリランカ側の要職にいたのは面白いのですが、しかし。
①マネル・アベイセケラは犯人がシンハラ人のアホを装ったタミル人過激派の可能性を疑っていて、タミル人はシンハラ語を話す時、かなり流暢に話せる者でも語頭の濁音を苦手とするので、直接コンタクトをとってセパラのシンハラ語に訛りがないか確認した。いやー、韓国人の日本語ry
②マネル・アベイセケラは前年の1981年3月、ガルーダ・インドネシア航空206便がインドネシア人過激派にハイジャックされドンムアン国際空港に着陸した際にも対応しており、なんでスリランカが対応したかというとハイジャック防止条約にスリランカが加わっていなかったので犯人が行先にスリランカを指定したから。アベイセケラ大使は、スリランカはイアタに加盟してるので受入無理ぽと回答。その後、スハルト大統領の特命を受けたインドネシアコマンド部隊が機内に強行突入、犯人を全員射殺した。アベイセケラ大使は、二度もハイジャックに遭遇する自分の人生を呪った、とは書いてません。
③アリタリア当該機にはスリランカ人の乗客はいませんでした。犯人以外。トイウジョークをアベイセケラ大使はスタッフとかわして、つかのまリラックスします。アベイセケラサンはキリスト教徒だったとか。
和田さんは人質になっているあいだ、音楽を聴き、ロッド・スチュアートが"Young hearts be free Tonight, Time is on your side."と歌い、その後映画の上映があって、それは「勝利への脱出」だったそうです。
セパラは今後の生活費にと30万米ドルの身代金をゲットし、ようようとスリランカに帰国。母国では英雄の凱旋と熱狂的に迎えられますが、すぐ逮捕されます。それまで、「誰も俺を逮捕出来ない」とか「誰にも危害を加えず自分の望むものを手に入れた」とか言いながら30万ドルを銀行に預金しようとしてどの銀行にも断られます。イタリア人女性アンナは「狂った人から離れてしまいたい」「彼は危険」と。この30万ドル、スリランカ政府に没収されたと思うんですが、記載個所忘れました。
同機はローマ発成田行きだったので邦人の乗客が多く、作家の高斎正さんもいて、解放後マスコミのインタビューに応じ、解放されるまでの時間がいかに長く感じられたかを語ったそうです。
で、セパラ・エカナヤカをタミル文字で書くと、சேபால ஏக்கநாயக்கになるそうで、検索で出たタミル語記事には下記のようにありました。
வெலிக்கடையில் தமிழ் அரசியல் கைதிகளை தாக்குவதற்கு முன்னின்ற பிரபல சிங்களக்கைதி சேபால ஏக்கநாயக்க, இத்தாலிய விமானம் ஒன்றை கடத்துவதற்கு முயற்சித்த குற்றச்சாட்டில் சிறையிலிருந்த கைதி.
(グーグル翻訳)
ヴェリカダでタミル人の政治犯を襲撃した有名なシンハラ人囚人セパラ・エカナヤケは、イタリア航空機をハイジャックしようとした罪で刑務所に収監されていた。
なんともイヤハヤ。本書にそういう記述はないかったはず。⇒頁147から先に、詳細に書かれてました。和田サンにぬかりなし。20240714追記。で、セパラさんが欧州に出た理由のひとつにJVP(人民解放戦線)の蜂起とそれに伴う弾圧、行方不明者続出の現状があり、セパラは(さん付けやめた)ノンポリだったのですが、身近な人間にも失踪者がいたりだったので、ツテをたどって欧州に出国、おりからのヒッピームーヴメントにのっかって、あっちこっちにラリラリ人生送ってイタリア娘と出来ましたと(彼女の両親は反対)彼がスリクで拘留された国はオーストリアとユーゴスラビアとパキスタンです。マレーシアだったら死刑でFAだったのに。残念閔子騫とは思いませんが。話を戻すと、JVPの蜂起はアーサー・C・クラークサンによると北朝鮮の扇動だったそうですが、本書ではインドネシア共産党PKIが蜂起未遂で弾圧され、50万人とも言われる虐殺を経て壊滅した点に触れていて、やられる前にやれで蜂起したのではとしています。で、このタミル語メディアの記事の真偽はナゾ。英語版ウィキペディアにも、タミル人の著書にそういう記述があるが本人は否定してるとあります。
でまあ、本書は、住友商事パワーというか東大パワーというか癌が見つかって人生何を為すべきか真剣に考えたパワーなのか、スリランカ現代史をとても詳しくまとめていて、上の「タミル人のシンハラ語の特徴」や万歳はシンハラ語では"jayewewa"「ජය වේවා」であることを記したりしていて、まとめ力がすごいと思いました。もしくはすごく地頭がいいんだなと。
カーストに関しても、スリランカタミルとインドタミルではカーストの内容に違いがあると書きつつ、かんじんの問題、仏教国スリランカなのにカーストがある最大の矛盾につっこんでます。
頁65
私のような外国人旅行者が尋ねると、カーストなんて今ではもう残っていないと決まって言われる。そこで、かつての話を聞かせてほしい、かつて存在した事実とそれが与えた歴史的影響について知りたいから、と説明することになる。それでもまだ、スリランカのカーストはインドのように複雑で厳格な制度ではないと比較論にすり替えられたり、議論するのは無意味だと拒否されたりする。ところがそんな反応とは裏腹に、こと身内の結婚に際しては相手の家のカーストを気にするというから、世代にもよるとされるものの、今でも人々の意識の中に残っているようだ。下位カーストほどカースト意識が強く、農村地域では特に根強いと指摘する学者もいる。都市にあっても、ガラスの天井が存在して出世するには限界があるという話も聞く。ハラスメント問題のように、カーストもまた、差別を受ける側から本音を聞かなければわからない難しさがあるように思える。
学者によるとシンハラ人社会のカーストの階層は一三くらいしかないそうだ。たしかに、数千あると言われるインドに比べるとはるかに少ない。しかし、インドでは一九五〇年の憲法でカーストによる差別を禁止し、度重なる憲法改正や法制定により、不可触民など後進階層と呼ばれる指定カースト・指定部族に対して義あいの議席枠や就学・就職の優遇制度を設け、差別と貧富の解消をはかろうとしてきた。様々な問題が派生しているようではあるが、国家としてカースト差別を認めて対策を講じようとしている。
セパラはゴイガマというスリランカのマジョリティーカースト出身で、ゴイガマはマーティン・ウィクラマシンハの大同生命国際基金邦訳小説「ガンペラリヤ」に出てくるカーストで、父親の名前はドン・デイビス・エカナヤカだそうです。ドンが付く名前の父親だから、イタリア人と結婚したのかな。
庄野護サンの本、でなく『イスル・ソヤ』、あるいは中村サンの本かな、スリランカのサリーの着方にはふたとおり、インド式とキャンディ式があると書いてあって、それでスリランカ料理店の人に聞いてみたことがあります。そしたら、「私のように高貴でないいやしい階級はこっちの着方」と日本語で言われて、どきっとしたことがあります。もちろん恋ではありません。突然センシティヴなことをさらっと、面白いでしょみたいな言われてもって感じ。
本書もジャヤワルダナ財務大臣のサンフランシスコ講和条約における賠償放棄と演説にページ数を割いており、やはりソ連の野望をくじくのに大きな功があったとしています。ソ連外務大臣グロムイコの演説と修正案に真っ向から反対したのが小国セイロンのジャヤワルダナで、吉田首相は現場にいてジャヤワルダナの演説に泣いたとか。ケニチパパの座右の銘は「戦争で負けても外交で買った歴史はある」で、会議は踊るのタレイランがナポレオンのアレを全部ウヤムヤ、帳消しにした故事を指してるんでしょうが、日本がそれを(ある程度)なし得るとは信じでいなかったのではないでしょうか。それが、思いもよらないところから援護射撃があった。僥倖ですかね。此のせいでスリランカはアーサー・C・クラークサンが北朝鮮謀略説をとるJVPの乱に巻き込まれたり、今でも中国の債務の罠にハメハメされたりしてるという(ちがう)
頁85
〈憎しみは憎しみによって消え去るものではなく、ただ愛によってのみ消え去るものである〉
ジャヤワルダナサンはサンフランシスコに向かう前に鈴木大拙サンと会ってるそうで、テラワーダ仏教と大乗のちがいについてあれこれするジャヤワルダナサンに、鈴木サンは、違いより共通する部分を探してはとサジェスチョンしたとか。和田サンは調べすぎというか、小乗には煩悩無尽請願断はあれど大乗の衆生無辺請願度がない。業報や輪廻、涅槃だけでは宗教として到達点に至らず、這般(しゃはん)の愛がなくてはイカンゴレン、衆生(しゅじょう)済度にゃりんと、鈴木さんの本から引用してますが、そんなのすんなりジャヤワルダナサンの頭に入って、サンフランシスコで空也上人みたいに口から出るものかなあ、と。
頁98、仏教には不殺生の戒があって、最上位のはずなのに、なんでシンハラ人社会は殺戮の連鎖なんですか、への解が書いてあって、正法を守るためには殺生も厭わないというのが、ランカーに仏教が伝わった当初からの教えだから、だそうです。シンハラ人の王がタミル人の王を駆逐して仏法支配を確立させた歴史があるから、だとか。
このページはシンハラ人ナショナリズムに多く筆を割いていて、上流に多かった英国影響下のキリスト教徒も排斥するし、インド人移民も排斥する。もちろんインド仏教衰退の原因はムスリムだからと回教徒も排斥する。
頁101
シンハラ語だけを公用語とするシンハラ・オンリー政策を声高に要求する民族主義者たちは、特異な論法を駆使した。もしタミル語を公用語に加えるならば、シンハラ語のみならずシンハラ民族が消滅するというのだ。タミル人はインド大陸側に五〇〇〇万を超える人口を擁し、そこに住むこともできれば、この島に押し寄せて占領することもできる。一方でシンハラ人はこの島にしかいない。この島にしか住めない、と危機感を煽った。
この一方で、シンハラ語自体にも問題が多く存在すると庄野護サンは『スリランカ学の冒険』で書いてます。
『スリランカ学の冒険』頁196
シンハラ語公用語政策のもう一つの問題はシンハラ語自体にある。インドネシア語のような造語力がなく、新しくつくられる翻訳語はつくったひとにしかわからないほどだ。議論の場で難解なシンハラ語が出てくると英語による解説が求められたりする。また、社会方言、地域方言の差が激しい。俗語と文語の差異も大きい。普及版の辞書もない。多民族社会の公用語として扱われるには、シンハラ語は問題が多すぎる。しかも、表向きとは裏腹に現実の学問研究、政策決定は英語でなされている。
上の文章は90年代のものなので、現代では改善されている点も多いと信じたいのですが、例えばマイルストーンとして、シンハラ語文学がウィクラマシンハvsサラッチャンドラ抗争の焼け野原の後、どれだけ復興してるかというと、内戦を振り返ったりする文学も、オンダーチェサンやカルナティラカサンのように、海外に移住した英語話者のそればかり紹介される現状がありますので(大同生命国際基金もスリランカはガンペラリヤ三部作しか邦訳してない)たいして変わってないのかもしれません。上のシンハラ語と英語の関係は、チベットにおけるチベット語と漢語の関係にソックリで、チベット語の新造語はぱっと聞いても何のことか分からず、漢語で聞けばぱっと分かるので、学校教育でバイリンガルになった若い世代はまずます漢語一辺倒になってゆくという、そのチベットと同じ構造がスリランカでは、もうとうに独立して捨てたはず(捨ててませんが)の英語にあるという。
頁155、誤植。タミル・イーラム解放の虎創設者の名前がひと文字ひらがな。LTTEはセックル不可の禁欲者集団だったが、教祖自らが禁を破って学生とラブラブになってしまい、規約を改訂したという箇所。これにより、女性の加入者が増え、女性だけの部隊も結成されたとか。
ほかにも、「インドと違ってシンハラ人には古くから歴史を書き残す伝統があり、日本の古事記・日本書紀より古い時代にまで史料を遡ることができる」(頁96)や、頁116に、シンハラナショナリズムの指導者が仏教に改宗して支持を獲たのに対し、最初のタミル人リーダーは終生キリスト教徒のまま過ごし、タミル人独立運動はヒンディーである必要はないことを示したとか(頁116)バングラディシュがパキスタンから独立した時タミル人は次は自分たちの番だと沸き立ったが、インドはアッサムなどの辺境の独立を認めてないし、スリランカが親米なので親ソのインドが地政学的にちょっかい出してるだけなので、いずれ裏切られると読んでいたのがタミル・イーラム解放の虎で、その予言が実現した時、ほかのタミル人独立勢力はバタバタと倒れ、LTTEだけが生き残り、勢力を伸ばし、あろうことかインド平和維持軍とも凄惨な死闘を展開するようになるという… などなど、どこを切っても勉強になる箇所ばかりでした。
和田さんは自身もサウジ駐在中にアルカイダの自爆テロに遭遇したこともあり、「自爆テロ」についてとても調べています。シカゴ大学のロバート・ペイプ博士の著書を多く参考にしたとか。英語が原書で読める人。そりゃ商社マンで東大だしという。タミル・イーラム解放の虎はヒズボラやパレスチナ解放戦線の訓練を受けて自爆テロを採用したように読めます。ヒズボラのレバノン内自爆テロは、イスラエル侵攻後多発し、イスラエル撤退後起きてないとか。これ、もっとイスラエル批判の人は使えばいいのに。ガザのデータじゃないから使わないのかな。ペイプ博士の研究かどうかは分かりませんが、自爆犯の多くは中流家庭で中等教育を受けていて、貧しさや無知、狂信ゆえに自爆テロに走ったわけではないとか。和田さんはそこに、若さを加えてますが、私は、若さと陶酔はあると思う。
でも、そういう和田さんも、ラジブ・ガンジー首相を暗殺したブラック・タイガー、LTTEの実行犯については、中流家庭中等教育でない例をえんえん書いてます。古来から、少ない犠牲で最大の効果を上げるので賞賛されてきた、自爆テロの歴史。
頁229
(略)まだ二〇代のタミル人女性だった。通称ダヌと呼ばれた。ジャフナ出身のその女性は、強盗に押し入ったインド平和維持軍の兵士に四人の兄弟を殺害され、自身もレイプされた過去を持っていた。ラジヴ・ガンディーが首相に返り咲くとインド平和維持軍を再結成しかねない、だからその阻止を図ろうとしたのだという。ダヌは実行の三週間ほど前に、仲間と共にマドラス(チェンナイ)に渡航した。生まれて初めての海外だった。レストランで食し、ショッピングし、初めて眼鏡を買って映画を六本も見た。束の間、最後の贅沢を味わったのだった。実行の当日、ダヌはオレンジ色の、サルワール・カミーズ(ママ)と呼ばれるゆったりとしたシャツとズボンを着用した。その下に何キロもの爆薬をまとって、である。身体の曲線に合わせて爆薬を装着する特殊なストラップが開発され、このとき初めて使用された。ダヌは香りの強いジャスミンやユリの花で編まれた白い花紐を両手で捧げて、目標に近づいた。気づいたラジヴ・ガンディーが、警護にあたる関係者を制して手招きしたとも言われる。ダヌは花紐を目標の首に掛け、足元に額づこう(接足礼)と身をかがめ、点火のスウィッチを押した。
スリランカのタミル人社会では、ダヌは鉄の意志を持つ英雄(ヒロイン)だと賞賛された。性暴力被害を受けたため母親になることを諦めた女性も、こうして地域社会に貢献できるのだという考え方が共有された。
頁228
ブラック・タイガーたちは、送り出される前の日、プラバカランと会食し、記念撮影された。実行の現場もまた、可能な限り撮影された。実行直前まで努めて目立たないようにしていた彼らは、実行後は地域社会の英雄として扱われる。顔写真と名前が新聞に掲載され、地域にポスターが貼られ、人々は殉死者の名誉を称えてパレードした。殉死者の両親は祝福を受けた。墓地には彼らの名前を冠した花崗岩の墓石が立てられた――埋葬される死体はほとんどなかったが。記念碑が建てられることもあり、キャプテン・ミラーの場合は、ネリアディの交差点に等身大の銅像が建てられた――こういった記念碑や墓石はその後すべて除去されたようだが。
このように実行者を英雄として扱い、そのプロフィールが地域社会に紹介され賞賛されることも、レバノンのヒズボラに倣ったのではないだろうか。ヒズボラは最初の自爆攻撃を記念して、毎年十一月十一日を「殉死者の日」と定め、追悼式を行った。殉死者たちが残したビデオや遺書は地域社会で大事にされ供覧された。残された家族に対する支援もあり、殉死者とその家族に対する地域社会の強いサポート態勢が形成されていた。それゆえ、自ら進んで自爆を目指す人たちが次から次に現れるのだ。中には自爆という行為に反対する人たちもいたが、実行した者を悪く言うことはなかった。
頁236には「ホーム・グロウン(国内育ちの)・テロリスト」という単語が出ます。欧州のISテロの多くが、欧州育ちの移民二世三世だったりすることから来た言葉のようです。近年のスリランカのISテロもそれ、と書いてるのかな?
セパラと再婚相手の子どもはフランスとドイツでそれぞれ永住権を得ようとしてるとあり、父親の果たせなかった欧州移住を二代がかりで実現にこぎつけた、のか、と和田サンがセパラに聞く場面があります。答えは、国内の競争の方が厳しいので、国外に活路を求める方が現実的かつ成功率が高いように思えた、というもの。
和田サンはセパラを探す際、かつて住友商事にコロンボ支社があったので、そこで働いていた人間を介してします。また、海外駐在歴が長かったので、サウジのアルカイダテロ以外にも、タイの軍事クーデターやフィリピンのアキノ革命、アフリカ経験もあるそうです。ハイジャック犯が政治犯でないところから強引に現代史に踏み分けていく手法でしたが、碩学で調べまくった成果が分かりやすく並んでいたので、つまづくことはなかったです。以上
